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白き巫女と蒼き巫女【改稿中】  作者: 高階 桂
第二章 海岸諸国編
72/145

72 マリ・ハ防衛線

「進捗状況は四割、といったところだね」

 月明かりに照らされた平原を指し示しながら、駿が言った。

 マリ・ハからノノア川沿いに北へ約三キロ。河畔から二十メートルほど離れたちょっとした高みに設けられた櫓の上に、夏希と駿は立っていた。

 北方には、ほぼ真っ直ぐに伸びるノノア川の流れがある。櫓の位置から一キロ近くは、丈の短い草が生い茂るだけの平原だが、そこから先は濃密なジャングルと沼地のまだら模様で、河の左右だけがまともに人が歩ける平地となっている。その幅は、西岸が五十メートルほど。東岸はやや狭く、三十メートルほどだ。細い街道は、西岸を川沿いに走っている。

 櫓の少し先には、いわば平原地帯への入口とも言える箇所を囲むように、防塞が円弧状に設けられていた。ノノア川から水を引き入れることを意図した堀と、木製の柵の連なりだ。だが、時間と人員の不足から、その工事は半分も進んでいない不完全なものだった。

 平原入口と防塞の距離は、四百メートルほど。わざと矢の射程外に設けたのは、本作戦が単なる迎撃ではなく、ある程度タナシス軍を平原へと引きずり込んでから殲滅戦を行うという拓海の戦術構想に基づくものである。

「早ければあさっての午前中には来るわよ。それまでに、どれくらい進みそう?」

「四割五分がせいぜいだね」

 駿が、肩をすくめた。

「とりあえず、時間の掛かる水濠造りは諦めたよ。柵だけは、しっかりとしたものをすべての箇所に設ける。それで、我慢してもらうしかないな」

 夏希は南方へと視線を転じた。櫓から五十メートルほどのところに、真新しいしっかりとした木橋が架かっている。幅は十メートル近い。この橋を使い、決戦兵力をノノア川の東西どちらにも速やかに送り込むというのが、拓海の意図らしい。

「現状の兵力は?」

「工事要員から市民軍五千は編成できる。高原戦士は約一万。ハンジャーカイには、五千の高原戦士が到着した。あと一万五千来るはずだが、まだ報告は来ていない。間に合わないかもしれないな」

「とりあえず兵員数ではまだ上回ってるわね」

 夏希は疲れた身体を手すりに持たれかけさせた。マリ・ハ市内と郊外に設けられた救護所に負傷者を運び、後事を凛に託してから、食事と水浴び、着替えを済ませたが、身体も心もいまだずっしりと重い。

「夏希様、駿様。拓海様より伝令が参ったそうです」

 櫓の下から、アンヌッカが声を掛けてくる。

 ふたりは櫓を降りた。アンヌッカが、紙片を駿に手渡す。月は満月に近いから、文字を読むに支障はない。

「朗報だよ。タナシス軍は追撃を諦めた。共同軍は離脱に成功。退却中。マリ・ハ到着は明日午後の予定」

「損害は?」

「記されていない」

 駿が、首を振る。

 夏希は、手の陰でそっとあくびを漏らした。

「悪いけど、今日はもう寝かせてもらうわ。本隊の受け入れ準備は明日から始めても間に合うでしょう」

 疲労困憊して戻ってくるであろう共同軍主力を再編成し、休養させ、装備を整えさせ、明後日と思われるタナシス軍の侵攻に備えねばならない。夏希自身も、今日はすでに気力が尽きかけていた。体力的にはまだ余裕があることが感じ取れるが、もはや歩くことさえ億劫である。今眼の前に寝台が差し出されたら、即座に身体を丸めで横たわってしまうだろう。それくらい、夏希は精神的に疲れを覚えていた。

 ……敗北というものは、人をこれほどまでに消耗させるものなのか。



 翌日の昼過ぎ、北から退却してきた共同軍部隊が、予定通りに平原に姿を現した。

「まずは飯だ飯。すべての兵士に、食べたいだけ喰わせてやってくれ」

 拓海が、喚く。

「準備はできてるわよ」

 凛が、笑った。

 早朝から、マリ・ハ北郊外に多数設けられた臨時の竈を使って、数回に渡り大量の米が炊き上げられていた。牛などの家畜も惜しげもなく屠られ、炙られたり茹でられた肉が米とともに兵士たちの胃袋に納まってゆく。

 食事を終えた兵士たちが、その場に寝転がって午睡を始める。なんともだらしのない姿だが、気力と体力を速やかに回復させるには、大量の食事と睡眠が何よりも効果的である。

「俺たちも寝たいところだが……我慢して作戦会議と行くぞ」

 兵士たちに混じって胃袋を満たした拓海が、生馬を伴って歩き出した。適当な木陰を見つけ、拓海が座り込む。すかさず、凛が持参の地図をその前に広げた。生馬と駿も、腰を下ろす。夏希も、凛の隣に座った。

「まず、タホ川の戦いの評価だ。味方の損害は、正確なところは再編成してみないことにはわからないが、推定で五千から六千を失った。負け戦にしては、うまく逃げ切った、と評価してもいいだろう」

 憮然たる表情で、拓海が言う。

「敵の損害は?」

 駿が、訊く。

「二千から三千程度だろう」

「地形的に有利な場所で戦ったおかげだな」

 生馬が、無精髭と言うにはいささか伸びすぎた顎鬚を撫でた。

「一方向からの追撃は、比較的躱し易い。狭い廊下で鬼ごっこするようなものだからな」

 拓海が、苦笑した。

「思ったより、善戦したわね」

 夏希はそう意見を述べた。かなりの損害を蒙ったが、敵にもそれなりの打撃を与えられたようだ。

「数字の上ではな。敵の損害のほとんどは、おそらくは使い捨ててもいい奴隷部隊だろう。こっちは最精鋭の突撃連隊と正規大隊の三分の一を失っている」

 ぶすりと、生馬が言った。

「まあ、反省会は後回しにしよう。今回の作戦計画だが、見ての通り平原への入口に陣地を構築中だ。狭隘部からの出口における防御は、優れた策だと昔の偉い人も言っている。で、どの程度の進捗状況なんだ?」

「五割未満だね」

 拓海の質問に、駿が短く答える。

「それで我慢しなきゃならないな。追加兵力は?」

「市民軍五千。高原戦士一万は確保した。今日中に、高原戦士五千も着く予定だ」

「頭数だけは多いな」

 生馬が、唸る。

「秘密兵器はどうだ?」

 拓海が、訊いた。

「もうマリ・ハに向かってるわ。こちらも今日中には、着くはずよ」

 凛が、答える。

「よし。合計兵員六万近く。不十分ながら防御陣地も構築したし、地形的にも有利。おまけに秘密兵器もある。勝利は確実……と言いたいが、あのゾンビどもがいるとなると……自信が揺らぐな」

 拓海が、芝居がかって頭を抱えた。

「なに、そのゾンビって?」

 凛が、首を傾げる。

「なんだ。夏希から聞いていないのか」

 拓海が、痛みを感じないらしいタナシス奴隷歩兵に関して、詳しい説明を始める。キュイランスの分析も、付け加えて語る。

「なるほど。アッパー系の麻薬を使っているんだね。効果としては、コカインに近いかな」

「アッパー系?」

 駿の言葉に、夏希は頭をひねった。

「大まかな麻薬の分類だよ。アッパー系はいわば興奮剤で、いわゆるハイな状態にさせる麻薬。ダウナー系は精神を鎮め、リラックスさせるタイプの麻薬だ。北の陸塊の気候を考えると、コカインとは思えないな。おそらくは植物系だろうが、この世界独自の麻薬かもしれない」

「麻薬の正体はともかく、あのゾンビどもに対する効果的な対策を考えないと、まずい。短時間とは言え、五人分くらいの暴れっぷりだし、HPヒットポイントは三倍増くらいのチート状態になるからな」

 拓海が、良案を求めるかのように他の四人を見た。

「フェイントを掛けて服用させ、自滅させるしかないだろうね。簡単に引っ掛かってくれるとは思えないけど。キュイランスの知識が確かならば、持続力は短いようだし」

 駿が言う。

「でも、戦争に麻薬を使うなんて、卑怯よね」

 夏希はそう言った。しかも、奴隷兵に使わせて捨て駒的に使うなど、常軌を逸している。

「いやいや。戦争に麻薬は付き物だよ」

 拓海が、苦笑いした。

「麻薬の煙を吸引してから戦った、なんて話は大昔からごろごろしてる。ベルセルクのような伝説的な狂戦士も、麻薬の影響下にあったという説が有力だしな。第二次世界大戦でのアンフェタミンの濫用。ベトナム戦争での大麻とコカイン。今でも、先進国の軍隊は覚醒剤的な薬物を利用しているしな。メタンフェタミンとか」

「歴史の話はいいよ。問題は、明日どうやってゾンビどもに勝つかだ」

 生馬が、疲れからかやや苛立った調子で拓海の言葉を遮る。

「子供だましの奇策が通用する相手とも思えないしねえ」

 凛が、ため息混じりに言う。

「ところで駿。俺と生馬の立場は、政治的にはどうなっている?」

 拓海が、話題を変えた。

「そのへんは抜かりないよ。タホ川の戦いは、痛み分けという形でハンジャーカイには報告してある。多少評判は落としたかも知れないが、総会の支持はまだ十分にある」

「どういうこと?」

 夏希は説明を求めた。

「負け戦だということがばれれば、実質的に作戦指揮を執った俺が糾弾されかねないわけだ。そこをうまく、駿が取り繕ってくれたというわけさ」

「大敗の責任を取らされて総司令官が解任、なんてことはよくあるしねえ」

 凛が、醒めたような口調で言う。

「ま、そんなこともあるから、俺は共同軍参謀部参謀長という詰め腹を切らされにくい地位に就いてるんだがな」

「でも、実際の指揮を拓海が執っていることは、みんな承知しているよね。タホ川の戦いが、実質こちらの負けだと知れたら、まずいんじゃないの?」

 夏希はそう訊いた。

「そのあたり、あらかじめ手は打ってあるよ。まあ、駿のアドバイスなんだが。平原共同軍法には、共同軍司令部司令官、同副司令官、参謀部参謀長の人事権は、平原共同体総会にあると定められている。つまり、懲戒解任を別にすれば、参謀長の任を解くには総会が開催され、そこで過半数の賛成が必要とされるということだ。よほどのことがない限り、俺の地位は安泰なんだよ」

「ずる賢いと言おうかなんと言おうか……」

 凛が、くすくすと笑う。

「いい機会だから、この世の真実というものを披露しておこう」

 にやにや笑いを顔に張り付かせながら、駿が夏希と凛を見た。

「一番の実力者は、権力を握っている者でも賢い者でも人望のある者でもない。自らルールを決められる者なんだよ。言い換えれば、ルールを自由に弄ることのできる奴に逆らうのは、愚の骨頂だ。もし自分が勝手にルールを決められる立場に立ったら、迷うことなく自分に有利なルールを山ほど作っておくべきだ」

「肝に銘じておくわ」

 夏希はそう言って微笑んだ。

「ふぁ」

 いきなり生馬が大あくびをした。いささか子供っぽいしぐさで、眼をこする。

「さしもの生馬も限界のようだな。ゾンビ対策は、あんたらで相談していいアイデアをひねり出してくれ。俺と生馬は寝かせてもらうよ」

 腰を上げた拓海が言った。あくび交じりに立ち上がった生馬とともに、マリ・ハの市街地方向へと歩み去ってゆく。おそらくは、川沿いにいくつも張られている天幕のひとつに潜り込んで睡眠を取るのだろう。

「僕も陣地構築の監督に戻らないと」

 駿も、腰を上げた。

「あたしも救護所に戻らなきゃ」

 凛も立ち上がった。

 ひとり残された夏希は、凛が残していった地図を睨んだ。狭い川沿いの平地から湧き出してきた敵がしっかりとした陣形を整える前に、半円形に包囲する形で捕捉、攻撃する……。悪くない手である。河の両岸で迎え撃ち、敵の分断を強いるというのは、高原との二度目の戦い……第二次ジンベル南平原の戦いと同じような作戦であった。しかし、麻薬で強化(?)された奴隷歩兵をタナシスに使われたら、包囲網を突破されるおそれが出てくるだろう。打撃力のある敵に背後に廻られた防衛線ほど、脆いものはない。

「ここで負けたら、平原が戦場になるのか……」

 地図から眼を上げた夏希は、南方に視線を転じた。柔らかな黄緑色の草を刈ったあとに張られた数十の天幕。河岸に生えている柳のような木々と、その向こうにぼんやりと見えているマリ・ハの市街地。手前には、田んぼが広がっている。

 実にのどかで平和な風景だ。

 夏希がこちらへ来てからも、平原では何回か戦いが行われた。二次に渡るジンベルとその同盟国と、高原戦士の戦い。その後の、ニアンと反ニアン国家群の戦い。

 前者は一般市民を巻き込むことなく終結したし、後者は市街地で戦闘が行われたものの、短時間のうえに極めて抑制的な戦いだったから、市民の死傷は最低限で済んだ。

 今回の戦いは違う。タナシス人は異民族である。幸い、ルルト制圧の様子からして、タナシス軍の規律は高いようだが、市街を巡って両軍が戦うとなれば、一般市民を巻き込むことは避けられない。



 死傷者二千九百というのが、タホ川の戦いにおけるタナシス派遣軍の損害であった。

 内訳は、正規軍四百名、ペクトール公国軍百名、奴隷弩兵四百名。それに、奴隷歩兵が三個団壊滅を含めて二千名。

「少しばかり、痛かったな」

 報告を聞いたシェラエズ王女は、わずかに表情を歪めた。

 大国タナシスとは言え、その国力は無尽蔵ではない。七十隻を越える大型船舶と、水夫やラドーム公国に残した兵站要員を含めれば五万四千近い人員を動員し、大海を隔てた南の陸塊に長期にわたって侵攻するのは、国庫にも国家経済にもきわめて大きな負担である。遠征計画には、兵員の増援は組み込まれていないのだ。シェラエズが実父であるオストノフ国王に泣きつけば、五千や一万程度の兵員であれば送ってもらえるだろうが、彼女にその気はさらさらなかった。そんなことをすれば、妹のリュスメースに死ぬまで罵倒されるだろう。

 タナシス遠征軍主力は、マリ・ハまで百五十ヒネほどのところで野営していた。南方には警戒部隊が配置されており、平原側の夜襲に備えている。

 すでに陽は落ち、空には多数の星が瞬いている。米と干し肉、干し魚というあまり健康的とは言えぬ食事を終えた兵士たちは、河原や密林の際などに適当に寝床をこしらえ、大半の者がすでに横になっていた。

「兵站状況はどうだ?」

 わずかだが周囲よりも小高くなっている場所に張られた大きな天幕の中で、シェラエズは補給担当者に問いかけた。

「問題はありません。敵がタホ川に残した川船と筏を鹵獲しましたので、今後の補給状況はさらにゆとりができました。現状で、米は三日分を確保しております」

「よろしい。あとは、偵察だな」

 すでに、複数の偵察隊が徒歩および川船で南方の偵察に送り出されていた。常識的に見れば、敵は平原の入口またはマリ・ハ市街地付近で待ち構えているはずだ。

「偵察隊が戻るまでまだ間があります。お休みになられてはいかがですか」

 ランブーン将軍が、遠慮がちに言う。

「そうだな。偵察報告が一通り出揃ったところで起こしてくれ。頼むぞ」


 夜明け前に、シェラエズは護衛の女性剣士に揺り起こされた。

 熱いお茶を一杯飲んでから、司令部天幕に入る。

「敵の陣容が判明しました。平原の入口で待ち構えております」

 ランブーン将軍が、手書きの地図をシェラエズに指し示しながら、説明する。

「またいやになるくらいよい位置に構えているな」

 シェラエズは笑みを浮かべた。本当ならばため息のひとつもつきたいところだが、大勢の部下が見守っている以上それはできない。弱気な上官など、害毒でしかない。

「いかがなさいますか?」

「まあ待て」

 シェラエズは、地図を睨んで敵将の意図を推し量ろうとした。

 ノノア川の両岸に迫った密林。部隊を機動させられる余地は、狭い河岸の平地だけだ。そして、南側の密林が切れたところには、平原への出口を弧状に囲い込むように敵陣が置かれている。敵陣のやや南側、ノノア川をまたいでいる構造物は、間違いなく橋梁であろう。

 敵は東西両岸に自在に兵力を移動させることができる。敵の強みは、第一に数的優勢。第二に、地の利であろう。タナシス側が東岸から来ようが西岸から来ようが、あるいは両岸同時に攻め入ろうが、十分な兵力を以って迎撃できる態勢である。

 これを崩さねば、勝てぬ。

「橋が必要だな」

 ぼそりと、シェラエズは口にした。

「橋ですか」

 すでに自身もそう考えていたのだろう、ランブーン将軍の口調には、意外そうな雰囲気は微塵もなかった。

 シェラエズは、補給担当者を手招いた。

「川船に余裕はあるだろう。何隻かを割いて、このあたりに仮設橋を掛ける準備を進めてもらいたい」

「川幅は、一キッホ程度ですな。お易い御用です。早速、準備に掛かります」

 補給担当者が一礼し、そそくさと天幕を出てゆく。

「策を、お聞かせ願えますか」

 ランブーンが、慇懃に問う。

「残念だが、また奴隷歩兵に薬を使わせるしかないな。東西どちらかは、公国軍と自治州軍を主力として、助攻とする。予備に正規団十個は確保しておけ。余っている川船はすべて投入。ノノア川を封鎖する。ところで、皆寝たのか?」

「交代で仮眠を取りました」

「もう少し寝ておけ。わたしも朝食まで寝かせてもらうぞ」



「夏希様ぁ~。朝なのですぅ~。起きてほしいのですぅ~」

 触手に揺さぶられ、夏希は眼を開けた。

「あら、コーちゃん。こっちに来たんだ」

「あたいもいるのです!」

 上体を起こした夏希の眼に、ステッキを振り回しているユニヘックヒューマの姿が映る。

「エイラ様とサーイェナ様が、お話したいそうなのですぅ~」

 寝台の上に浮かんだコーカラットが、触手で隣室を指す。

「ん、わかった」

 夏希は寝台を下りた。

 夏希が寝ていたのは、マリ・ハ市街地で借り上げられた一軒家の一室であった。開けっ放しだった窓からは、眩い朝日が差し込んでいる。

 着替えを済ませた夏希は……すでに魔物に下着姿を見せることに関して抵抗感はなくなっている……、狭い部屋を出た。

 アンヌッカが床で寝ていたはずの隣室にはテーブルが運び込まれ、そこでは三人の女性が朝食を採っていた。エイラ、サーイェナ、それに凛だ。

「おはよう、みなさん」

 夏希は朝の挨拶を交わした。空いている椅子に座ると、エイラが陶製のポットからお茶を注いでくれた。アンヌッカが入ってきて、夏希の前に皿や小鉢を並べる。メニューは朝粥に野菜の漬物、佃煮状の肉と小魚というところだ。いささか簡素ではあるが、すでにここは戦場と言っていい。でき立ての温かな朝粥を掻き込めるだけでも、ありがたい。

「で、なんでマリ・ハに?」

 箸を取り上げながら、夏希はエイラとサーイェナに問いかけた。

「人間界縮退対策本部は、昨今の情勢を鑑みて、ジンベルにある魔力の源を移動させることを平原共同体に提案しました。いま総会に諮っているところですが、おそらく認可されるでしょう」

 エイラが、説明する。

「どうやって? ニョキハンから、空になった魔力の源を借りるの?」

「それ以外に方法はないと思います」

「貸してくれるかな? 人間界の争いに介入することにもなりかねないし」

「そのことなら、ユニちゃんとコーちゃんとも相談しましたが、魔力の源そのものが戦いに使われるものではない以上、貸与だけでは介入にはならない、ということです。貸してくれるかどうかは……」

 サーイェナが、ユニヘックヒューマを見た。

「ニョキハンは、魔物の賢者なのです! 珍しいものを集めるのが好きなのです! だから、手土産に珍しいものを持っていけば、きっと貸してくれるのです!」

 食卓に気を遣ってか、ステッキを控えめに振りながら、ユニヘックヒューマが言う。

「それはそうかも知れないけど、ニョキハンが珍しがるものって、なに?」

「異世界のものなら珍しいのですぅ~。わたくしたちがマリ・ハまで来たのは、異世界人の皆様になにか品物を提供していただくためなのですぅ~」

 コーカラットが、説明した。

「ということで、あたしはここへ来るとき履いていたスニーカーを提供することにしたわ。あなたも何か出しなさいな」

 凛が、ぼそぼそと言う。

「なるほど。異世界のものなら確かに珍しいし、ニョキハンも喜びそうね」

「すでに、駿様からは腕時計を、生馬様からはお財布を、拓海様からは携帯電話をお譲りいただけることになっておりますぅ~」

 コーカラットが、言う。

 夏希は箸を置くと考え込んだ。朝食寸前だったゆえに、夏希が召喚された時にはポケットの中に何も入っていなかったし、アクセサリーの類もまったく身につけていなかった。手にしていたマグカップは割れてしまっただろうし……。

「サンダルは取ってあるはずだけど、それだと凛のスニーカーと被るわね」

「下着とかどう? ニョキハン、喜ぶわよ」

 にやにやしながら、凛が言う。

「それは……やだ」

 結局、夏希はハンジャーカイの宿舎に置いてある衣類の中から、ドレスシャツを提供することにした。部屋着として着ていた安物だが、構わないだろう。

「総会の許可が下り次第、コーちゃんとユニちゃんにはこれら品物を持って魔界へ行ってもらいます」

 きっぱりと、エイラが言った。


第七十二話をお届けします。

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