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白き巫女と蒼き巫女【改稿中】  作者: 高階 桂
第二章 海岸諸国編
71/145

71 タホ川の戦い

※多少ですがいつもよりグロい描写があります。ご注意下さい。

「なぜ死なぬ!」

 戦斧をタナシス兵に叩きつけながら、グリンゲ将軍は怒鳴った。

 連鎖鎧を貫いて突き立っている矢は三本。長槍に貫かれた腹部の傷口からは、鮮血が滴っている。背中に突き刺さった投げ槍が、グリンゲの打撃を受けるたびにぶらぶらと揺れている様は、不気味を通り越して滑稽ですらあった。

 グリンゲは渾身の力を込めて、戦斧を振り下ろし続けた。十回目かそこらで、やっとタナシス兵が崩れ折れる。

「キュイランス! 無事か?」

 荒い息をつきながら、グリンゲは周囲を見回した。

 グリンゲ率いる先鋒部隊六千名は、混戦状態にあった。様々な人種が混じっているゆえに奴隷部隊と思われるタナシス軍千名ほどに迎撃され、苦戦しているのだ。後続の高原戦士弓兵五千の支援を受けてはいるものの、なぜか異様なほどにしぶといタナシス兵のせいで、前進の勢いは完全に止まってしまっている。

「無事です、叔父上!」

 叫びながら、キュイランスが走り寄ってきた。手にした短めの槍の穂先が、赤く染まっている。それなりに、戦ったのであろう。

「キュイランス。こいつらはなぜ簡単に死んでくれんのだ? まるで痛みを感じていないかのようだ。もと賢者は、これをどう見る?」

 戦斧を下ろし、休憩モードに入りながら、グリンゲは訊いた。年齢が年齢なので、休み休み戦わないと、すぐに身体が言うことを聞かなくなってしまう。それにどうやら、戦場に竹竿の君率いる後衛が到着したようで、さしものタナシス兵も押され始めたようだ。少なくともグリンゲの周囲には、生きているタナシス兵の姿はなかった。

「ある種の植物から抽出したエキスを使えば、痛みを抑えることは可能ですよ。医者が処方するような、薬です」

 仰向けに倒れているタナシス兵の死体の脇に膝をついたキュイランスが、言った。

「こやつらが、そのような薬を服用しているというのか?」

「いえ。それはないでしょう。服用すれば眠くなり、身体の動きも鈍りますから。しかしながら、北の陸塊には、その反対の作用をもたらす薬があると聞きます」

「ほう」

「痛みに鈍感になるが、それと同時に精神が高揚し、身体の動きや頭の働きが活発になるそうです」

「では、こやつらはその薬を処方されているのか?」

「いいえ。それらの薬は服用後二十ヒネ以上経たないと効果が現れないはずです。それに、効果が持続する時間も、せいぜい二十から三十ヒネ程度。そのあとは、精神も肉体も極端に働きが鈍ってしまうそうです。敵がこちらの作戦を読んでいたとしても、こうも都合よく効果時間内にそれらの部隊を戦場に投入できるとは思えません」

 説明しながら、キュイランスがタナシス兵の身体を探った。腰の皮袋を開け、中を覗き込む。

「これかな」

 キュイランスが、手の中に握り込めそうなほど小さい木の実を取り出した。上部が切り欠かれているので、殻を利用した容器のようだ。鼻に近づけて臭いを嗅いで、顔をしかめる。

「いかにも薬っぽい臭いですね。これを呑んだのかも。でも、それでは即効性がないし……」

 すっかり賢者にもどってしまったキュイランスが、さらに死体を検め始めた。タナシス兵の口をこじ開け、中を覗き込む。

「臭いますね。呑んだことは間違いないようです。でも……おや」

 キュイランスが、さらに大きくタナシス兵の口を開けた。指を突っ込む。

「わかりましたよ、叔父上」

 立ち上がったキュイランスが、木の実の容器をグリンゲに差し出した。

「歯茎に真新しい傷がついていました。鋭利な刃物で切り裂いたんでしょう。毒矢の原理と一緒です。経口服用では死ぬまでに何十ヒネも掛かる弱い毒でも、鏃に塗って突き刺せば速やかに殺すことができる。こいつらは、自ら歯茎に傷をつけ、この薬をなすりつけたのでしょう。こうすれば、薬が速やかに体内に入り、効き目を現すはずです」

「なんと。して、対抗手段は?」

「戦いを避けるしかありませんよ。幸い、持続時間は長くはありません。三十ヒネも経てば、効果が切れて大人しくなるはずです」

「では、現状では打つ手なしか」

 甥の説明に、グリンゲは呻いた。



 ……失敗か。

 拓海は覗いていた望遠鏡を下ろした。丘を下りた主力部隊は、整然たる方陣を築いて、敵主力と交戦を開始している。これは、計画通りである。

 しかしながら、敵主力はまだその数は少ないものの、実にしっかりとした陣形を保って共同軍側を迎え撃っていた。側面を衝こうと機動していた生馬の部隊は、それを果たせず脚止めされている。生馬の部隊との連携を目指した夏希の部隊も、動きは完全に止まっていた。

 槍を相手に押し付けても、たいした傷を与えることはできない。鋭くかつ真っ直ぐに突き出してこそ、大きな打撃を与えることが可能なのだ。戦場での部隊機動も同様である。衝力という名の勢い……前進速度、打撃力、精神力が合算されたもの……を敵に激しくぶつけなければ、その効果は薄い。

 すでに、生馬の部隊も夏希の部隊も、完全に衝力を失っている。この状態で敵主力にぶち当てても、たいした戦果は挙げられないだろう。それどころか、生馬の部隊は速やかに夏希の部隊との連携を取らないと、孤立したまま殲滅させられるおそれすらある。

「伝令! 予備隊をすべて左翼に回し、投入準備させろ! 正面の敵は押さえるだけにしろ。突撃連隊には後退を指示。竹竿の君には、突撃連隊との連携にのみ集中させろ」

 拓海は矢継ぎ早に指示を飛ばした。敗勢を悟ったら早めに手を打つのが、大敗を避けるもっとも効果的な手段である。戦史上、大敗は作戦指揮層が事前の作戦計画にこだわり過ぎたうえに、勝ち目が薄くなっていることを自覚しながらもあくまで勝利を目指すという、柔軟さを欠いた指揮統制を行った場合に生ずることが多いのだ。

 拓海はこの戦いを、タナシス軍に大打撃を与える決戦の場として作戦を立案し、実行した。これを遅滞なく補助的な前哨戦に格下げし、決戦を回避しなければならない。決定的な会戦に敗れた軍を再建するのは難事だが、前哨戦に敗北しても退却に成功すれば、戦略的敗北を免れることができるとともに、次なる戦いに速やかに臨むことが可能である。



 夏希は市民軍槍兵隊に横陣を作らせると、その支援に高原弓兵を組み合わせた。高原投げ槍兵とワイコウ軍部隊はその場で簡単に再編成させ、生馬の部隊との連携を命ずる。

 相変わらず、タナシス奴隷歩兵はタフであった。矢を何本を突き立てたまま、全力疾走する者。全身から鮮血を振りまきながら、なおも曲刀を振るい続ける者。長槍に胸部を貫かれた状態で、三名の高原戦士相手に互角の戦いを続ける者。あるタナシス兵は、断ち斬られた自分の右腕を左手に握り締め、悠然とした足取りで歩いていた。さしもの夏希も、はみ出た臓物を自らの手で腹の中に戻しているタナシス兵を見かけたときには、危うく吐きそうになった。



「ほう。早くも逃げにかかったか」

 シェラエズ王女が、笑った。

 タホ川北岸に渡った兵力は、いまだ六割程度。兵員数だけ見れば、敵の方が圧倒的に有利である。にもかかわらず、あっさりと逃げ始めるとは、敵の指揮官は戦というものをよく知っているらしい。

「やりますか、殿下」

 ランブーンが、訊く。

 シェラエズは逡巡した。

 南西方向から迫ってきた一万五千ほどの敵に圧力を加えれば、川沿いに襲ってきた三千ほどの兵力が南へと脱出することを阻止できるだろう。だがそれをやるには、兵力が足りない。となると、また新たな奴隷部隊に麻薬を使わせなければならないが、麻薬使用部隊は損耗率が高すぎるうえに一度使用したら三日は使い物にならなくなる。すでに、マリ・ハまでは一日半の位置まで近付いているのだ。ここで時間のロスは避けたい。

「通常の追撃に留めよ。主眼を退却阻止ではなく、敵兵員の殺傷とする。一人でも多く倒し、傷つけるのだ」

 タナシス側に、増援の計画はない。手元にある兵力だけで、この先何度も生起するであろう戦いを勝ち抜いてゆかねばならないのだ。それに対し、敵には低質なものとは言え兵力増強の手段が残されている。ここで味方の損害を省みずに強引な攻勢に踏み切ることは、シェラエズにはできない相談であった。



 共同軍側から見て右翼と中央の戦場では、双方の主力が激しくぶつかり合っていた。

 前面に市民軍長槍隊と、大盾を携えた高原の投げ槍兵の横陣。その後ろに、高原弓兵を配した共同軍側は、拓海の指示に従って守りを固めていた。降り注ぐ矢は大盾で防ぎ、主に高原弓兵の曲射でタナシス兵士を殺傷しようとする。

 タナシス側も、その兵力の不足から積極的に攻勢に出ようとはせず、奴隷軍弩兵を前に出して、大盾の陰から矢を放つ戦法を取っていた。彼らの放つ矢の威力は大きく、また狙いも極めて正確であった。しかしながら、発射速度は遅いので、殺傷された共同軍兵士の数は少なかった。



 拓海が送り込んだ予備部隊……共同軍予備大隊三個……が、ようやく戦線の左翼東側面を安定させる。

 夏希は全般指揮をグリンゲ将軍に委ねると、高原投げ槍兵と市民軍兵士の一部を率いて強引に北上を図った。この動きを見て取った生馬が、正規大隊二個に南方への突撃を命ずる。挟撃されたタナシス正規軍一団が、たまらず東へと引く。こうしてついに、生馬率いる部隊と夏希率いる部隊は連携を果たした。

「状況は?」

「手ひどくやられたが、まだ余力はある。後衛を務めさせてもらうよ」

 夏希の問いに、快活そうに生馬が答える。だが、その言葉とは裏腹に、生馬もその部下たちも相当消耗していることに、夏希は気付いた。

「無理してない?」

「してる。だが、市民軍よりはまだ余裕があるよ」

 生馬が、表情を歪めて言う。

 たしかに、夏希率いる市民軍部隊はここへ至るまでの激しい戦いでかなり疲弊していた。兵士とは言え、普段は米を作ったり商いをしている者たちなのだ。訓練も十分とは言えないし、なにより正規軍兵士に比べて胆力が不足している。戦場では、呆れるくらい速いペースで気力が消費されてしまうものだ。

「わかった。わたしは側面の援護に徹する。後衛は、任せたわよ」

 夏希はそう言って、生馬の汗まみれの手をきゅっと掴んだ。



 タナシス兵は執拗であった。

 後退する生馬と夏希らは、追いすがる敵を叩くために何度も脚を止めざるを得なかった。ベンディス率いる高原弓兵は健在であったが、乱戦となれば弓での援護も受けにくい。共同軍側は、徐々に死傷者を増やしていった。

 夏希は、負傷した市民軍兵士から譲り受けた長槍を振るっていた。竹竿は、酷使に耐えかねて割れてしまったのだ。自らの手で人は殺さない、という方針を、夏希はとっくに捨てていた。とにかく目に付いたタナシス兵には、容赦なく突きを入れる。おそらくすでに、三人ぐらいは刺殺しているのではないだろうか。背後を守ってくれるアンヌッカも、連鎖鎧にはあまり効果のない愛用の剣を収め、戦死した長剣兵の得物を拾って使っていた。これならば重量があるから、連鎖鎧の上から叩きつければ打撃を与えられる。



「ここまでか」

 シェラエズはつぶやいた。

 すでに、突出していた敵右翼は、丘の麓付近まで後退を果たしていた。これ以上追撃を続ければ、敵に側面を衝かれて分断されるおそれがある。

 ここは無理せずに、勝利で締めくくるべきだろう。

「右翼部隊の追撃中止を下命しろ。正面と左翼では戦闘継続。予備部隊を速やかに編成し、敵の戦場撤収時に効果的な追撃を行えるように準備せよ」



 敵が追撃を中断したことを見て取った拓海は、急いで部隊の再配置を行った。生馬と那夏希の部隊を丘上に上がらせ、再編成を命ずる。余裕のできた予備部隊に支援させながら、拓海は正面と右翼部隊も後退させた。損害の少ない部隊は丘の右側、ノノア川沿いに布陣させ、敵が丘を迂回できないようにする。


「……逃げ切った」

 夏希は長槍を投げ出すと、地面にぺたんと座り込んだ。

 そこかしこでは、市民軍兵士たちが水桶に群がって水分補給中だ。夏希同様得物を投げ出して座り込んでいる者も多い。大の字になって横たわり、死体のように動かない者もいる。

「夏希様、どうぞ」

 アンヌッカが、水の入った竹の柄杓を差し出してくれる。礼を言って受け取った夏希は、ひと口目で口中を洗ってから、生ぬるい水を飲み干した。やや濁っていた水だったが、贅沢は言っていられない。ここで水分補給をしなければ、早晩倒れてしまう。戦場で体力が尽きれば、待っているのは死である。

 気力を振り絞って立ち上がった夏希は、大声で隊長格の者を呼び集め始めた。速やかに再編成を完了し、指揮下の部隊を再び戦える集団に作り変えねばならない。



「逃げ方にもそつがありませんな。ルルト軍とは一味も二味も違う」

 ランブーン将軍が、感想を述べる。

「そうだな。だがただで帰してやるわけにはいかん。左翼で追撃させろ。ただし、無理はさせるな。無駄な損害は出したくない」

「はっ」

 シェラエズ王女の指示を受けたランブーンが、命令を飛ばし始める。



 損害の大きかった部隊から、共同軍は退却を開始した。ほとんど損耗していない各国防衛軍供出部隊と高原弓兵の一部が丘上に陣取り、追撃の姿勢を見せるタナシス軍を牽制する。

 夏希は指揮下にあった高原戦士の指揮をベンディスに委ねると、再編成した市民軍を率いて、ノノア川河畔で負傷者を川船に乗せて後送する任務に当たった。負傷者の中に、重傷者は少なかった。もっとも激戦であった左翼で生じた重傷者は、撤退させることができずにやむなく大半が置き去りにされたのである。

「夏希。お前は川船で一足先にマリ・ハへ戻ってくれ。次の戦いに備えるんだ。細かいことは、駿に任せてあるから」

 ほとんどの負傷者を送り出したところで、拓海がそう命ずる。

「わかった。あと頼んだわよ」

 夏希はアンヌッカを伴って、残っていた川船に軽傷者とともに乗り込んだ。疲れてはいたが、夏希はアンヌッカとともに艫に立ち、竹竿を握った。いくらなんでも、怪我人に竿を突かせるわけにはいかない。

 川船が、ゆっくりとノノア川を遡ってゆく。戦いの喧騒は、いまだ聞こえていた。味方後衛が、追撃してくるタナシス軍と干戈を交えているのだ。武器が打ち合う金属音。喚声。悲鳴。怒号。

 夏希は暗澹たる思いで竿を操り続けた。異世界へ来てから初めて経験する、負け戦であった。


第七十一話をお届けします。

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