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白き巫女と蒼き巫女【改稿中】  作者: 高階 桂
第二章 海岸諸国編
70/145

70 狂戦士

「ここまでは予定通りだな」

 腕組みをした拓海が、満足げに言った。

 平原北端の都市国家マリ・ハから北に約二十五キロメートル。ノノア川西岸にある差し渡し千二百メートルほどの丘の上に、平原共同軍主力は陣取っていた。共同軍予備大隊五個二千名、各国の防衛隊二千名、市民軍一万五千名、高原戦士二万五千名、それにワイコウの亡命軍一千名の、合計四万五千名である。

「なんとか間に合ったわね」

 あたりの地形を確認しながら、夏希はそう応じた。

 丘の北側には、丈の低い草が生えている鮮やかな黄緑色の平地が広がっている。一キロ半ほど離れたところを、南南西方向から東に流れ来て、ノノア川に注ぎ込んでいるのは、タホ川だ。川幅は広くはないが、水量は豊富なので、川船の通行には支障がない。

 この付近でタホ川に掛かっている橋は、一本だけ。ノノア川との合流点の一キロほど上流で、両岸に岩場があって川幅が狭まっている地点に、細い木橋が掛けられている。それまでノノア川西岸に沿うように南下してきた街道は、少し手前で西側に逸れて、この木橋を通り、ふたたび東寄りに方向を変え、ノノア川沿いに戻る。

 タホ川の上流方向には密林があり、見通しは悪い。さらに上流には大きな沼があり、そこにはすでに五十隻を越える川船と、ほぼ同数の筏が隠してあった。生馬率いる突撃連隊千名と、共同軍正規大隊五個二千名も、待機中だ。

 夏希は右方に視線を転じた。東岸に見えているリモエス村は、戸数三十ほど。その南側は、河岸まで密林に覆われているので、タナシス派遣軍が東岸から迂回するのは不可能だ。街道が走っているノノア川と丘に挟まれた平地は幅が狭く、無理やり通り抜けようとすれば丘上に陣取った共同軍部隊に横撃されるのは必定である。丘の西側は、湿地であり部隊の移動は困難だ。タナシス派遣軍が南下を続けようとするならば、この丘上に陣取った共同軍を正面から打ち破る必要がある。当然の策として、木橋を渡り、タホ川南岸で陣形を整えようとするだろう。だがこちらは、タナシス側がすべての兵力を渡河させぬうちに生馬率いる精鋭三千にその側面を衝かせ、さらに主力が丘を降りて迫るという作戦を目論んでいる。すべてうまく行けば、敵主力はノノア川とタホ川が形作るコーナーに追い込まれ、自滅するだろう。



「よい場所に布陣したな、敵は」

 偵察員が描いた地図を眺めつつ、シェラエズ王女が口の端を歪めて微笑した。

 平原と高原の軍勢は、要衝と言うべき丘の上にいる。その数、推定で四万以上。迂回するルートはないから、シェラエズはこれを正面から打ち破らねばならない。

 タナシス軍部隊は、五百名からなる『団』という編成を多用している。正規軍や各公国および自治領から供出させた団の場合、百名からなる軽装歩兵、重装歩兵、弓兵各一隊と、槍兵二隊が基本である。奴隷部隊には、歩兵団と弩兵団の二種類がある。前者は軽装歩兵四隊と弓兵一隊の混成、後者は五つの隊がすべて弩兵で構成されている。

 シェラエズ王女の手元にある兵力は、正規軍三十団、公国軍十四団、自治領軍十二団、奴隷歩兵十六団、奴隷弩兵十八団。総計四万五千である。奇しくも、丘上に布陣する共同軍とその規模はほぼ同一であった。

「いかがなさいますか、殿下」

 ランブーン将軍が、訊く。

「むろん、今日中に丘上を叩く。川船隊はこの村まで前進させる。奴隷歩兵二団をこの支流沿いに西へと向かわせなさい。正規軍五団で橋を確保。状況を見極めたうえで、主力が渡河を開始します」

「承知いたしました。して、丘攻略の策は?」

「ない」

 問われたシェラエズが、笑顔で言い切った。

「質で量に対抗するしかあるまい。とにかく、川向こうに布陣することだ。戦を始めるのは、そのあとだな」

 シェラエズの指が、二本の線で表された地図上のタホ川を、とんとんと叩く。



「来た来た。読み通りだな」

 望遠鏡を覗きながら、拓海が言った。

 夏希も自分の望遠鏡を覗いた。タホ川に掛かる木橋のあたりに、タナシス兵が湧き出しつつある。

 今回の戦いで総指揮を執るのは、平原共同軍司令部のトップでもあるススロン人の将軍である。副指揮官は、高原戦士の代表だ。序列から言えば、拓海は上から五番目あたりにいたが、すでに総指揮官から最前線で差配する許可は得てある。

「伝令。赤い旗を一本減らせ」

 望遠鏡を下ろした拓海が、控えていた伝令に命じた。

 丘上の陣内には、十数本もの色鮮やかな旗竿が突っ立っている。生馬への合図は、この中の何本かを下ろすことによって為される。敵に、罠を仕掛けていることを悟られないための用心である。いきなり合図のために大きな旗を振ったりしたら、怪しまれるだけである。

「じゃ、そろそろわたしも配置につくわ」

 夏希は快活に言って、拓海に手を振った。

「任せたぞ」

 拓海が手を振り返す。

 今回夏希に預けられた兵力は、市民軍五千と高原戦士一万、それにワイコウ亡命軍一千の、計一万六千である。生馬の部隊が敵側面を衝くのに呼応し、いち早く丘を下って南西方向から敵を突き崩すのが任務だ。

 アンヌッカを伴って、預けられている部隊に戻る。すでに全員が装具を身にまとっているが、冑は被っておらず、地面に座り込んだ状態で休息している。各所には水を満たした木桶が置かれていて、自由に飲めるようになっていた。この気候である。十分な水分補給をせずに走り回ったら、すぐにぶっ倒れることになりかねない。

 夏希は、高原戦士を指揮するベンディスと、ワイコウ亡命軍を率いるグリンゲを手招いた。さすがに今回派遣されてきた高原戦士は数が多いので、その総指揮官には族長クラスの大物が任命されている。ベンディスの序列は、高原の副指揮官に次ぐ三番目であった。

「打ち合わせ通りいきます。先陣がグリンゲ殿。次がベンディス殿。最後に、わたしの部隊」

 夏希は部隊を三つに分けていた。ベンディスが直卒する弓隊を中心とする高原戦士五千。グリンゲが率いる、ワイコウ亡命軍一千と投げ槍隊を主力とする高原戦士五千。そして、夏希が指揮する槍隊中心の市民軍五千。弓で援護された投げ槍隊が接近し、槍を投擲。陣形が崩れたところで槍隊が横合いから突っ込む、という段取りである。

 高原戦士の投げ槍兵の防具は、以前は革の胴鎧だけだったが、平原の兵士に倣って小札鎧を採用したうえに、平原から輸入した金属冑も徐々にではあるが普及し始めていた。四十センチ四方くらいだった角盾も、矢避けのために長さ七十センチほどのものに取り替えられている。弓に対する耐久性は、かなり向上していた。

「ところで、彼は大丈夫?」

 グリンゲの耳に口を寄せて、夏希はそっと訊いた。

「いまのところ、気を失ってはおりませんな」

 くすくすと笑いながら、グリンゲが答える。

 どのような意識の変化があったのかは知らぬが、あのキュイランスが一兵士として従軍を希望したのである。一応グリンゲの副官扱いになっているが、はたして戦場で役に立つのかどうか……。

「まあ、鈍い奴ではないので、足手まといにはならんでしょう。では、失礼しますぞ」

 からからと笑ったグリンゲが一礼し、指揮する部隊の方へと戻ってゆく。ベンディスも、一礼してから歩み去った。その後ろ姿を見送りながら、夏希は自分もつい半年ほど前までは、ど素人であったことを思い出した。人を殴った経験さえなかった女子高生が、いまではいっぱしの軍人気取りで、一万六千の兵を率いて、こうして戦場に立っている。

「慣れとは恐ろしいものね」

 夏希は冷笑を浮かべた。数十分後には、自分も戦場へと飛び込んでいるはずだが、精神はいたって平常かつ平静である。怯えも、興奮も皆無だった。



 樹上の見張りが、大きく腕を振り回す。

 拓海からの合図を見て取ったのだ。

「行くぞ」

 生馬は前進を命じた。すでに、戦闘序列に関しては詳しく取り決めてある。沼地に待機していた川船と筏の群れが、整然とタホ川に入り、これを下り始める。

 生馬が手ずから育てた突撃連隊一千名と、共同軍の常備兵力である正規大隊五個二千名。いまだ訓練不足ながら、質的には南の陸塊で最も優れた戦士集団である。

 川船の舳先が、やや濁った水を掻き分ける。今回、専門の船頭は連れてきていない。敵中へ殴りこむ以上、兵士以外では生き延びられない可能性が高い。

 航行を続けながら、生馬は兵士たちに主に北岸を警戒させた。シェラエズ王女にまともな軍事知識があるならば、渡河地点の側面を守るために川沿いに警戒部隊を派出しているはずだ。

 豊富な水量に助けられ、総計百を越える川船と筏の群れは順調にタホ川を下っていった。生馬は南岸を注視した。上陸予定地点は、昨日下見した段階ですでに六箇所選定し、その位置は頭の中に叩き込んである。迅速な上陸を行うために、実際に使用するのは三箇所だけで、それぞれ千名ずつ上陸する手筈だ。なるべく東にある上陸地点を使用することが望ましいが、敵の抵抗などでそれが難しい場合には、順次西側へとずれた上陸地点を利用することになる。

「北岸に敵!」

 見張りが叫ぶ。

 いきなり、矢の応酬が始まった。生馬は身を低くすると、南岸を注視し続けた。部下は優秀である。任せておいても大丈夫だろう。

「敵の弓兵はごく少数です!」

 ソリスが、報告する。



「前進!」

 夏希は竹竿を振り回して命じた。

 グリンゲ将軍率いる六千名が、順次丘を駆け下り始める。グリンゲに先陣を切らせたのは、拓海の政治的配慮であった。戦後の対ワイコウ政策を考慮すれば、タナシスとの戦いで少しでも多くグリンゲに手柄を立てさせる必要があると判断したのである。北の陸塊のほとんどを統べる大国、タナシス王国と紛争状態に陥った以上、南の陸塊内で合い争うのは自滅しかもたらさないはずだ。



「西より川船多数、接近中!」

「丘西側より押し出してきます!」

 シェラエズ王女のもとに、次々と報告が届く。

「ランブーン。南岸に何団渡った?」

「約三十団と思われます」

「三分の一か」

 シェラエズは、敵の思惑を正確に見抜いていた。もうすでに、速やかなる撤退は不可能な態勢にある。ここは、西側から突っ込んでくる敵に対し時間稼ぎを行いつつ、一兵でも多くタホ川の南岸に渡らせて、陣形を整えさせるしかないだろう。

 ……誰が指揮しているか知らぬが、いい作戦だ。

 シェラエズはそう判断した。正面切って戦いを挑み、敗退したルルトの連中よりは、はるかに血の巡りのいい相手なのだろう。戦場レベルにおけるこちらの戦略方針が膠着化し、柔軟な対応が不可能になった時点で、別働隊の行動を含む決戦を強要して来た。戦場レベルでの戦略としては、きわめて優れた作戦である。

 仕方がない。こちらも、切り札を出すしかあるまい。

「支流沿いに弩兵を送り込み、川船を阻止しろ。木橋を落とされてはならない。イローヌ将軍には西方よりの敵を確実に阻止するように伝えよ。奴隷歩兵に例の物を使わせ、すり潰してかまわぬ」

 正規軍二十団が陣形を整えれば、高原や平原の兵士数万の攻撃を跳ね返すことができる。シェラエズはそう踏んでいた。とにかく、時間を稼がねばならない。



「その先だ! 着けろ!」

 生馬は叫ぶように命じた。

 川船と筏が、続々と河岸に乗り上げる。飛び降りた兵士たちが、河岸の萱のような植物を掻き分けつつ、得物を構えてなだらかな斜面を駆け上がった。

 もっとも東に位置する上陸位置である。すでに正規大隊五個は、第二と第三の地点で上陸を果たしていた。ここまでは、作戦は順調に進んでいる。

 ソリスを伴って斜面を駆け上がった生馬は、東の方を眺めた。四百メートルほどの位置に、四百から五百名程度の方陣が認められる。その向こうには、さらに多くのタナシス軍が蝟集していた。

 南に視線を転ずる。丘上から、夥しい数の味方が押し出して来つつあった。夏希率いる部隊は、完全に丘を降り終って、前進中だ。

「急ぎ陣形を整えよ! 後続を待たずに、敵陣へ突っ込むぞ!」

 生馬は命じた。



 タナシスにおける奴隷軍兵士供給源は、三つある。

 ひとつはエルフルール、メジャレーニエ、ストラウド、ディディナラ各州のさらに外側にある辺境域で、半強制的に徴募された者。次に、各公国や自治州で貧困層から見出された者。最後に、幼少の犯罪者および犯罪者の子供などである。

 主に健康であることを条件に選ばれた彼ら……原則として、女性は奴隷としない……は、その性格や従順さ、知能などによって分別され、国費によって世俗と隔離された環境での集団教育が施される。現代から見れば『洗脳』レベルの愛国心や国王への忠誠心が養われるのも、この教育課程である。期間は二年。軍事教練を含む内容はかなり高度なものであり、そこで脱落したものは二流の官奴として、公共施設の下働きなどとして使われることになる。

 集団教育を終えた奴隷たちは、各所に配属される。知能が高い者は、役所などの書記や役人の補佐役に。見た目が麗しく、性格の良い者は王宮や大臣、知事公邸などの召使に。体格がよく、軍事センスのある者は辺境軍奴隷部隊に。その他の者は、貴族や商人に安価に貸し与えられ、召使、農場や倉庫の管理人、護衛役、執事など多種の仕事を任される。身分的には奴隷だが、その所有権はあくまで国家にあり、虐待、売買などは禁じられている。さらに、仮の所有者には奴隷を定期的に軍事教練に参加させる義務、戦時には国家に返納する義務などが課されている。

 このような制度により、タナシス王国は忠実かつ良質かつ精強な奴隷予備軍を、平時に大きな金銭的負担を生ずることなく、大規模に保持することを可能にしているのだ。


 生馬率いる突撃連隊の前に立ちはだかった一個団五百名の奴隷歩兵たちが、得物である刃渡り一メートルほどの曲刀を振りかざして突っ込んでくる。

 生馬は突撃連隊を停止させると、素早く迎撃準備を整えさせた。長槍兵四百に三重の横陣を組ませ、その後ろにバックアップ用の散兵を置く。さらに後ろには、弓兵百八十。長剣兵三百は二分し、左右を守るとともに反撃用に控置する。

 弓隊隊長の号令で、弓兵が曲射で射始めた。突っ込んでくるタナシス兵……コート状の連鎖鎧と板金冑を身につけている……たちに、次々と矢が命中する。

 突撃連隊弓隊は速いペースで矢を射続けた。さらに接近するタナシス兵に対し、しゃがんでいる味方の頭越しに直射を開始する。

 だがしかし、倒れたタナシス兵はごく少数だった。部隊の突っ込んでくる勢いも衰えていない。生馬は眉をひそめた。あの連環鎧に特殊な工夫でもしてあるのだろうか。

「構え!」

 長槍隊の隊長が、叫んだ。最前列の者が脚を開いて腰を落とし、低く槍を構える。二列目がその後ろで、腰の辺りで構える。なるべく背の高い者で構成された三列目が、高く構えて前の者の肩越しに槍を突き出す。

 幅広の曲刀を振りかざして迫ってきたタナシス兵が、続々と槍の穂先に貫かれた。脚がとまった味方の身体を乗り越えるようにして、タナシス兵が横陣を崩そうとする。

 随所で、横陣に綻びが生じた。散兵が、突っ込んできたタナシス兵を阻止しようと手槍を突き出す。

 馬鹿な。

 生馬は自分の目を疑った。手槍三本に腹部を貫かれたタナシス兵が、なおも曲刀を振り回している姿を目にしたからだ。

 駆け寄った散兵の一人が、手槍をそのタナシス兵の胸に突き立てる。ぱっと飛び散った鮮血が、散兵の肩を赤く染めた。

 次の瞬間、タナシス兵の曲刀が一閃し、散兵の頭部を打ち据えた。板金冑を被っていた散兵がよろめき、地に伏す。

 ……あり得ん。

 生馬は抜刀するとその場に駆け寄った。タナシス兵が気付き、生馬を見据える。その背中に、別の散兵が手槍を突き刺した。だが、タナシス兵は倒れない。

 タナシス兵が、曲刀を振るう。生馬は間合いを取ると、喉を狙って突きを入れた。狙いはわずかに外れたが、剣先に切り裂かれた首筋からぱっと鮮血が散る。

 ……信じられん。もうすでにかなり血を失っているはずなのに、なぜ血圧を保っていられるのだろうか。ひょっとして、魔術か。

 タナシス兵が、再び曲刀を振るう。生馬は愛剣でこれを払った。その隙に側面に回りこんだソリスが、手槍でタナシス兵の脇腹を深々と抉る。

 ようやく、タナシス兵が膝を付いた。素早く近付いた生馬は、顔面に斬り付けた。ソリスが左胸を手槍で突く。タナシス兵の手から、曲刀が落ちた。

 生馬は素早く戦況を観察した。随所で、乱戦が生じていた。長剣兵隊も、独自の判断で反撃に出て、タナシス兵と斬り結んでいる。こちらは千名、しかも平原一の精鋭だというのに、半数程度の敵に対して押されていることを、生馬は見て取った。

 また一人、タナシス兵が横陣を突破してきた。立ちはだかった散兵に斬り付け、これを倒す。生馬は駆け寄ると突きを繰り出した。連鎖鎧に斬り付けても、効果はない。突きを多用するしか、手はなかった。

 タナシス兵の顔面に、剣先が埋まった。生馬は素早く剣を引き、二撃目を繰り出そうと身構えた。

 顔の右半分を鮮血で染めたタナシス兵が、生馬を認めると口の端を歪め、にやりと笑った。

 生馬は背筋が凍るのを感じた。顔面には神経が集中しているから、切り裂かれればその痛みは半端ではないはずだ。なぜ、笑う余裕があるのか。痛みを感じないのか。

 タナシス兵が鋭く踏み込みつつ、曲刀を振るった。あまりにも早い動きに、生馬は飛び退くことができずに、剣で受けた。

 ……なんて力だ。

 生馬は驚いた。彼よりもずっと小柄……せいぜい百六十五センチほどしかないタナシス兵だったが、その打ち込みの衝撃は凄まじいほどであった。

 隙をうかがっていたソリスが、手槍の穂先をタナシス兵の背中に突き立てる。

 一瞬タナシス兵の動きが止まった。

 剣を引き、態勢を立て直した生馬は再び顔面に突きを入れた。頭蓋骨に剣先が当たった衝撃と、さらにその先に刃先が沈みこんだ手応えを感じる。

 噴き出した鮮血が、タナシス兵の冑から下を赤く染めてゆく。血液で目を塞がれてしまったタナシス兵が、でたらめに曲刀を振り回し始めた。

 ……ゾンビか、こいつは。

 剣を引き抜いた生馬は驚愕した。剣先が脳に潜り込んだのは、ほぼ間違いない。にもかかわらず、死ぬどころか倒れもしないとは。

 ソリスが、何度も手槍を背中に突き刺す。生馬も、喉に向け愛剣を突き出した。五回ほど突いたところで、ようやくタナシス兵が絶命する。

 荒い息をつきつつ、生馬は流れ落ちる汗を拭った。第二の上陸地点から駆けつけてきた正規大隊二個半が合流したために、戦況は急速に味方に有利に傾いていた。そこかしこで、暴れまわっていたタナシス兵が止めを刺され、絶命してゆく。いったんは崩された突撃連隊の横陣も、態勢を立て直していた。

 だが、共同軍側は貴重な時間を失っていた。敵は分速五百名程度でタホ川北岸に増援を送り込めるのだ。急がないと、作戦は失敗してしまう。

「急ぎ陣形を立て直せ! 第一大隊は本隊の右、第二大隊は本隊の左に展開せよ。予備は後方につけろ。急げ!」

 生馬は愛剣を振り回して命じた。

「生馬様! あれをご覧下さい」

 ソリスが、手槍の穂先で東方を指し示す。

 生馬は慄然とした。先ほどの狂戦士たちと同じような雰囲気と規模の部隊が、行く手に待ち受けている。彼らがゾンビのような不死身ぶりを見せるのであれば、たとえ正規大隊千名を加えた突撃大隊でも、短時間で打ち破るのは難しいだろう。急速に進出し、敵主力側面を衝くという拓海の作戦は、失敗に帰することになる。


第七十話をお届けします。

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