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白き巫女と蒼き巫女【改稿中】  作者: 高階 桂
第一章 高原編
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7 魔力の源

 市街地を流れるジンベル川の河岸は、切石を丁寧に積み上げて整備されていた。定規を当てたかのように真っ直ぐに流れており、ここだけ見るとさながら運河のようだ。川幅は、十五メートル程度。下流方向からやってきた小さな川船が、のんびりと歩む夏希らを追い抜いてゆく。積荷は、樽が数本。ともに立つ船頭が、竹竿をゆっくりとしたペースで川底に突き立てて進んでいる。

 心地よい風が、夏希の髪をそよがせる。風の通り道になっているのか、川沿いは爽やかな風が吹いていた。上流方向……南から吹いてくる風だが、気温よりはいくぶんひんやりとしている。

「高原地帯から吹き降ろす風が、川沿いにここまで届くのです」

 夏希が風について質問すると、アンヌッカがそう答えた。日によって強弱はあるが、一年中同じように風が吹いているらしい。

 いい機会なので、夏希は天候や季節についてアンヌッカに詳しく尋ねてみた。以前にも聞いた覚えがある一年に二回あるという雨季は、いずれも五十日くらい続くという。それはしとしとと雨が降り続く日本の梅雨のようなものではなく、滝のような豪雨が一日に七回から十回ほど降っては止むことを繰り返すといったタイプだそうだ。それ以外の季節は、雲の少ない良く晴れた日が続くことが多いが、数日ごとに天候が崩れて降雨があるので、稲作に要する水の確保には困らないという。

「ん?」

 夏希は鼻をひくつかせた。なんとなく懐かしい匂いが、風に乗って漂ってくる。独特の香ばしい香り。そう、焼いた味噌の香りだ。

「何かしら、この匂い?」

「あそこの店ですね」

 問われたアンヌッカが、数軒先の建物を指差す。

 野菜を商う店の一角に火鉢が置かれ、その上で串に刺した芋のようなものが熾火おきびで炙られている。芋には黄土色のペースト……以前に食べたことのある味噌もどき……が塗られているので、それが焼けていい匂いを発散させているようだ。商品の一部を加工し、その場で食べられるようにして販売するという、専門的な飲食店が出現する前の過渡期の形態なのだろう。近づいた夏希は、良い香りを吸い込んで目を細めた。

「味噌田楽みたいなものね」

「夏希様の世界にも、同じようなものがあるのですか?」

 アンヌッカが、訊く。

「ええ。普通は豆腐や蒟蒻こんにゃくを使うんだけど……」

「一本、いかがですか?」

 ベルトに下げた小袋から硬貨をつまみ出しながら、アンヌッカが勧める。

「いえ、結構よ。お昼食べたばっかりでお腹空いてないし……あ、でも、その硬貨は見せて。ジンベルではどんなお金使ってるの?」

 夏希の要請に応えて、アンヌッカが小袋からじゃらじゃらと硬貨を取り出した。四枚をより分け、夏希の手のひらに載せてくれる。

「この小さな銅貨が、一ジブ貨。一回り大きいのが、十ジブ貨。銀貨が半オロット貨で、六角形の銀貨が一オロット貨です。一オロットが、百ジブになります。銅貨は各国家独自鋳造ですが、銀貨は平原都市国家共通の通貨になります」

「へえ。結構進んでるのね」

 夏希は硬貨をじっくりと観察した。銅貨は両方ともちゃちな造りで、古びていわゆる青銅色に変色している。文字が刻まれているが、もちろん夏希に読めるものではない。銀貨の方はもっと出来がよく、きれいな輝きを保っている。半オロット貨には太陽を図案化したらしい紋章が刻まれ、一オロット貨の方には鷲か何か、猛禽類が翼を広げたところが刻まれている。

「この上に、十オロット金貨がありますが……あまり一般には流通していません。商人や国家間の商取引に使用されるのが主ですね。それ以上の金額のやり取りは、純金を計って使うことが多いです」

「ふうん。どのくらいの貨幣価値なのかな。あの食べ物、幾らなの?」

 夏希は味噌田楽もどきを顎で指した。

「おそらく二ジブでしょう。あの手の串焼き立ち食い食品は、そのくらいが相場です」

 アンヌッカが答える。

 夏希は店番をしている中年女性に近づいて、適当に商品の値段を聞いてみた。大根が五ジブ、芋が一山十二ジブ、葉葱が一束六ジブ……。

「野菜だけじゃ判らないわね」

 夏希は中年女性に礼を言うと、別の店に向かった。こちらでも手当たり次第に、商品の値段を尋ねてゆく。数軒回ったところで、夏希は暗算を始めた。

「……うーん。食品を基準に考えると、一ジブが二十円から十五円、ってとこかしら」

 一ジブが十五円だとして、一オロットが千五百円。夏希が一年間の報酬としてもらえるきんが三千万円だとすると、二万オロットの報酬。

「計算しても、高いんだか安いんだかよく判らないわね」

 握っていた硬貨をアンヌッカに返しながら、夏希は微笑んだ。


「あ、エイラじゃない、あれ」

 ジンベル川の対岸を逆方向に歩む人影に気付いた夏希は、足を止めた。実際にはエイラではなく、その傍らでふわふわと浮いているコーカラットが目に留まったのだが。

「確かに、エイラ様ですね」

 アンヌッカも、足を止める。夏希は、手を振ってみた。気付いたエイラが、小さく手を振り返す。

 エイラが何か指示を出したのか、コーカラットがふわふわと川を飛び越え、夏希らの方に近づいて来た。相変わらずのしまりのない顔で、挨拶してくる。

「こんにちはですぅ~」

「こんにちは、コーちゃん。なにしてたの? お散歩?」

「違いますぅ~。エイラ様は巫女としてのお仕事をしていらっしゃったのですぅ~」

「お仕事? どんな?」

「冷水をつくる魔術を掛け直していたのですぅ~。魔術の効果はいずれ薄れてしまいますから、定期的に掛け直す必要があるのですぅ~。詳しくは、エイラ様に直接お聞き下さいぃ~」

「聞きたいけど……ここ橋がないわね」

 夏希は左右を見渡した。川には何本か橋が架かっているが、運悪くここは橋と橋のあいだの中間地点に近く、最寄の橋まで行くのにかなり歩かねばならない。川越しに怒鳴りあえば会話できないこともないが、それはそれで恥ずかしいし、何より他人の迷惑になろう。

「御安心下さいぃ~」

 そう言ったコーカラットの触手がにゅっと伸び、夏希とアンヌッカの腰にするりと巻きついた。

「ひっ」

 次の瞬間、夏希の身体は宙に浮いていた。……コーカラットが、地面から持ち上げたのだ。

「では、まいりますぅ~」

 二人の女性を触手で支えたまま、コーカラットがふわふわと飛び始めた。夏希の足下五十センチほどのところを、澄んだ水を湛えた川の水面が流れてゆく。

 十数秒でコーカラットが川横断を終え、待ち受けるエイラの前に夏希とアンヌッカを降ろした。触手が、腰から解かれる。

「……コーちゃん、力持ちなんだ」

 やや引きつり気味の顔で、夏希は言った。

「魔物ですからぁ~」

 しまりのない口元が、震える。


「冷却の魔術の持続期間は、おおよそ四十日前後です」

 エイラが、説明する。

「これを切らすわけには行かないので、三十日ほど経過したところで、新たに魔術を掛け直すのです。今から北西の水源に魔術を掛けに行きます」

「面白そうね。一緒に行っていい?」

 夏希はそう提案した。

「もちろん構いませんが」

「アンヌッカも、行く?」

「お供します」

 さも当然、といった風に、アンヌッカが答える。

 三人の女性は、コーカラットを従えて市街地を歩んだ。五分ほど進んだところで川沿いの道を外れ、郊外へ通じる道を辿る。水田の広がりを二分するように延びている道は細く、あまり使われていないようで雑草が繁茂しており、かなり歩きにくかった。水田が切れたところで道は登り勾配となり、やがてそれは丸石で補強した土の階段に続いていた。

「この上に、水源があります」

 斜面の上のほうを指差したエイラが、先頭に立って階段を登ってゆく。

 五十段ほど登ったところで階段は尽き、三人はバスケットボールコートほどの広さがある平坦な場所に立った。眼前には岩石質の崖があり、その下のほうに切り石を低く積み上げて造った水溜めのようなものがある。そこから伸びた金属パイプが、左手の藪の中へと消えていた。

 エイラがすたすたと水溜めに歩み寄った。夏希も続く。水溜めの中には、澄んだ水がたっぷりと張られ、その水面はまるで生きているかのように脈動していた。岩の間から、水が湧き出しているのだろう。

「これ、飲める?」

 夏希はそうエイラに尋ねた。暑い中階段を登ったりしたので、軽く喉の渇きを覚えている。

「もちろんですわ」

 エイラが言い、水溜めの中に手を入れた。両掌をカップ状にして水を掬い、夏希に差し出す。

「えっと……」

 夏希は戸惑った。差し出した以上、これを飲めということだろうが……こんなことをされたのは、記憶にある限り幼児のときに母親にされたのが最後である。

 断るのも気まずいので、夏希はエイラの手に口を近づけた。エイラの指先が、夏希の唇に触れる。夏希は水を啜った。魔術が掛かっているので、氷水のように冷たい。

 水の減り具合に合わせて、エイラが手を傾けて夏希が飲み易いようにしてくれる。夏希は、ほとんどの水を飲み干した。

「……ありがとう」

 戸惑いを隠せないまま、礼を言う。

「どういたしまして」

 微笑んだエイラが、指をそっと伸ばし、夏希の唇に触れた。付いていた水滴を、指先で拭ってくれる。

「では、仕事にかかりましょうか」


 例によって、エイラが胸の前で指先を複雑に動かし、ごにょごにょと何かを唱える。

「これで、冷却の魔術が掛かりました」

 エイラが言う。夏希が見た限りでは、水溜めに外見上の変化はない。

「今日はこれでおしまいです。七つすべての水源に魔術を掛けましたから」

「七つも。……ねえ、そんなに魔術を使って疲れたりしないの?」

 夏希はそう訊いた。普通、魔術を使うといったら精神力やらなんとかポイントやらを消費するのが、お約束だろうに。

「巫女が使う魔術は、自分の力を使うわけではありません。魔力の源から供給されるのです。だから、特に疲れたりはしませんわ。まあ、今日はすべての水源を回ったので、多少歩き疲れましたけど」

 わずかに苦笑しながら、エイラが言う。

「魔力の源?」

「……そうですね。ここから遠くありませんから、御案内しておきましょうか」


 階段を降り、水田の中の道を戻る。

 市街地の外れをしばらく歩むと、前方の畑の中にぽつんと石造りの建物が見えてきた。大きさは普通の一軒家……ジンベル基準の一軒家である……くらいだが、妙にがっしりとした造りだ。正面に、これまた重厚そうな木製の両開きの扉が付いている。

「魔術で閉めてありますから、少し待っていてください」

 エイラが言い、呪文を唱えつつ手振りを行う。

「コーちゃん、お願い」

「承知しましたですぅ~」

 エイラの合図を受けたコーカラットがふわふわと進み出て、扉に付いている金属環に触手を撒きつけ、引っ張った。重々しい音と共に、扉が一枚だけ外側に引き開けられる。夏希は扉の厚さを目で測った。……たっぷり十五センチはありそうだ。

「アンヌッカ。済まないけど立哨をお願いします」

「心得ました」

 エイラに頼まれたアンヌッカが、うなずいて扉の前に立つ。

「さあ、どうぞ」

 光る球体をふたつ作ったエイラが、ひとつを夏希に渡した。残るひとつを指先にぶら下げ、戸口をくぐる。

「お先にど~ぞぉ~夏希様ぁ~」

 コーカラットが、促す。

 ちょっと緊張を覚えながら、夏希は戸口をくぐった。光る球体の白い光に照らし出された建物の中は石壁がむき出しになっていて、いかにも殺風景だ。中央に下へと続く石段があり、エイラがその一段目に片足を置いた姿勢で待っていた。

「こちらです」

 軽くうなずいてみせたエイラが、石段を降りてゆく。

 ひんやりとした空気に包まれながら、夏希はエイラに続いて狭い石段を下った。十数段降りたところで、前下方が薄ぼんやりとオレンジ色に輝いていることに気付く。

「なに、あれ」

「魔力の源、ですわ」

 歩みを止めぬまま、エイラがそう答えた。

 石段は狭い踊り場に続いていた。そこを過ぎ、逆向きに折り返した石段に正対すると、オレンジ色の光はいっそう強くなった。……光る球体なしでも、足元が充分に見えるくらいだろう。

 さらに二十段ほど降りたところで、オレンジ色を発する物体の姿が見え出した。なにやら巨大な玉のようなものが、光を放っている。

 階段を降り切ったところは、学校の教室くらいの広さがある広間になっていた。そこに、鈍くオレンジ色に光る球体が、浮かんでいる。大きさは、直径三メートルくらいだろうか。巨大なほおずきの果実、といった雰囲気だ。鈍く輝いているので、線香花火の『玉』に見えないこともない。

「この中に、魔術に使われる力が蓄えられているのです。……というよりも、この球体そのものが、魔術の力の塊なのでしょうけれども。だから、わたくしが魔術を繰り返し使っても、別に疲れたりはしないのです」

 魔力の源の傍らに立ったエイラが、説明する。

「へえ。……触ってみても、いい?」

「いけませんわ」

 エイラが、首を振る。

「火傷とか、するの?」

「そんなことはありませんが……これは、いわば我がジンベルの守り神のようなものなのです。人が手を触れることは、禁忌とされています」

「そうなんだ。ねえ、この力って、無限にあるの?」

「いいえ。有限ですわ。魔術を使うたびに、ほんの少しずつ小さくなっていきます。昔は、もう少し大きかったそうですから。だから、魔術の乱用は禁じられています。まあ、使い切るまでにはあと何千年も掛かるでしょうが」

「有限の魔力の源か……」

 夏希はオレンジ色の球体を見つめた。気のせいだろうが、内部に蓄えられた膨大なエネルギーの影響で表面が脈打っているようにも思える。

「ジンベルを支えているのは、魔術なのです」

 エイラが、続けた。

「主要産業である金鉱と銀鉱を維持するには、魔術が必要です。精錬にも、魔術がいる。農産物も豊かですが、他の都市国家との交易ができるほど魅力ある産物は生み出せません。気候的にも他の都市国家よりも暑く、人々の健康を維持するためにはある程度魔術の力を使って冷やさねばなりません。ですから、これがすべてなくなる前に……」

 傍らで鈍く輝いている球体を見やったエイラの顔は、右半分が魔力の源に照らされオレンジ色に、左半分が光る球体に照らされて白っぽく染まっている。光の加減か、夏希にはその顔がいつもより大人びているように感じられた。

「……このジンベルを、魔術に依存せずに生きていける国に作り変える必要があるのです。夏希殿には、そのお手伝いをしていただきたい」

 言葉を切ったエイラが、半歩踏み出すと、夏希の手をそっと握った。

「もちろん、契約した以上全力を尽くすわよ」

 夏希は内心の漠然たる不安を押し隠し、穏やかなつくり笑顔でそう応じた。


第七話をお届けします。

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