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白き巫女と蒼き巫女【改稿中】  作者: 高階 桂
第二章 海岸諸国編
60/145

60 オランジ村の戦い

 ワイコウ軍が、前進を開始した。

 密林沿いに市民軍千五百、街道沿いに国軍千二百と市民軍二千、川沿いに国軍一千と市民軍二千。予備に市民軍千五百。そして、見せ掛けだけの予備軍として、ルルトとオープァの部隊二千五百が、その後方川沿いに布陣している。

 アタワン将軍は、街道の東側の水田の北にある小丘に陣取っていた。かなり遠くまで見通せるので、指揮には都合がいい。

「思っていたよりも、予備が少ないようです」

 望遠鏡で平原側の布陣を観察していた側近が、そう報告した。

 ほどなく、三ヶ所全ての戦線で交戦が始まった。接近するワイコウ軍に対し、平原側が盛んに矢を浴びせてくる。

 ワイコウ国軍の標準的な最小戦闘単位は、十二名からなる分隊である。その編成は、隊長以下盾兵二名、弓兵二名、戟兵四名、長槍兵二名、それに伝令兵となる。比較的軽装な弓兵や長槍兵でも、全員が胸甲と肩当て、それに草摺りが付いた小札鎧と板金冑を着用しており、隊長と戟兵に至っては上腕部にも小札鎧が付き、さらに板金製の脛当てまで支給されている。したがって、単に『装甲度』を比較すれば、平原統合軍の大隊に属する兵士よりも、ワイコウ国軍の兵士の方が上である。……属する国家の経済力の差、と言えようか。

 盾兵が持つ大盾は、人ひとりをすっぽりと隠せるだけの大きさと、至近距離から放たれた矢が貫通しないだけの強度を持っている。分隊四個が集まって小隊を形成し、さらに小隊四個と五十二名から成る弓小隊一個で編成されるのが、中隊である。一個中隊の定員は、二百六十五名だ。

 市民軍の編成も、国軍に準ずる。武器に関しては、国軍と同等のものが支給されているが、防具に関しては数段落ちる。一応全員が板金冑を被ってはいるが、その強度は国軍兵士が身につけているものとは比べ物にはならない。小札鎧を着用しているのは三分の一程度。残りの者は、革鎧だ。

 重装備の国軍中隊が、盾兵を先頭に前進する。防塞に陣取った平原側大隊弓兵が直射で、その後ろに並んだ高原弓兵が曲射で、激しく矢を浴びせる。ワイコウ弓兵も応射したが、その数は少ない。

「なんという弓兵の数だ」

 望遠鏡で戦況を見守りながら、アタワン将軍はうめいた。ワイコウ側の弓兵は、中隊で八十四名。全体の、約三割である。平原側は、おそらくは半数以上を弓兵が占めているのではないだろうか。幸い、盾兵と各兵士が着用する冑と小札鎧のおかげで損害は少ないが、それでも何人もの兵が矢傷を受け、脱落してゆく。


 ワイコウ兵が、防塞に迫る。

 平原側が築いた防塞は、粗雑なものであった。密林から切り出した葉付きの枝を積み上げ、その後ろに竹や棒で四つ目垣を張り巡らせてあるだけである。

 その垣の間から、長槍兵が得物を突き出す。ワイコウ側も盾兵を下げ、長槍兵と戟兵を繰り出した。両者は激しく突き合ったが、やはり防塞にこもる分だけ平原側が有利であった。長槍の穂先に貫かれたワイコウ戟兵や長槍兵が、続々と倒れてゆく。援護の弓も、容赦なくワイコウ兵の小札鎧に突き刺さった。悲鳴と怒号が交錯する中、両軍兵士たちは泥臭い戦いを継続した。


「閣下、平原の川船です!」

 ノノア川上流方向を見張っていた兵士が、叫んだ。

 アタワン将軍は望遠鏡の筒先をノノア川に向けた。夥しい数の川船が、ノノア川を下って来つつある。

 ……やはり来たか。

 アタワン将軍は不敵な笑みを浮かべた。敵が川船を使ってこちらの後方に兵力を送り込む作戦を取ることを、アタワンは完全に読み切っていた。ただし、それを挫くだけの十分な予備兵力は準備できなかったが。

「伝令、ルルト部隊とオープァ部隊に、河岸に移動するように要請しろ。予備隊は現状で待機。平原軍の後方からの攻撃に備えよ」

 平原軍がルルトとオープァの二千五百名に恐れをなし、より下流に上陸してくれれば時間が稼げる。そのあいだに、正面の敵を蹴散らせば、こちらの勝利は確定的となる。アタワン将軍は、事情を知らぬ平原軍がルルトやオープァの部隊を攻撃してくれれば、それら部隊が自衛のために反撃し、なし崩し的に参戦してくれる可能性もあると踏んでいた。そうなれば、勝利は間違いない。


 ノノア川を下ってきた川船の群れは、二群に分かれていた。

 先頭を行くのは、ベンディス率いる二十隻である。比較的大型の船を集めてあり、おおよそ一隻に三十名前後の高原弓兵が乗っている。左舷には、矢除けの革盾がずらりと並べられていた。

 ベンディスの指示に従い、二十隻の川船はノノア川西岸に寄ると縦一列の隊形を取った。むろん、竿で操作される川船だから、縦一線とはならず、かなり粗雑な隊形である。

 河岸では、防塞に拠って抵抗する平原側と、それを攻め立てるワイコウ側が激しくやり合っている。

 ベンディスは、手にした長槍を振り回した。合図を受け、船上の高原弓兵が弓を番える。

 平原側の意図を悟ったワイコウ兵に、動揺が走った。いまだ戦闘には積極的に参加せず、国軍の後方で支援を行っていた市民軍の弓兵が、接近する川船に向けて慌てて矢を放つ。最前線以外の国軍部隊と市民軍部隊が、隊形を変更して川からの攻撃に備えようとしたが、狭い河原に密集しているために思うように動けない。

 高原弓兵が、速射を開始した。高く撃ち上げられた六百本近い矢が、雨のように降り注ぐ。安定の悪い川船から放たれたものであるから、その精度はひどいものであったが、密集しているワイコウ兵は避けることができなかった。小札鎧のおかげで致命傷を負ったものは少なかったが、百名を越える兵士が矢傷に悲鳴をあげる。

 船頭が、さらに川船を河岸に寄せてゆく。曲射で数回矢を放った高原弓兵たちが、直射に切り替え始めた。ベンディスの合図で船頭が竿を川底に突き立て、船を停める。

 高原弓兵は、速いペースで矢を射続けた。その東側を、生馬率いる六十隻の川船が追い抜いてゆく。


「突撃!」

 夏希は竹竿を振り回してそう命じた。

 二個大隊分の長剣兵百名が、長槍兵に手助けされて防塞を乗り越え、河原で戦うワイコウ兵の中に斬り込んで行く。

 前面と側面から矢を受けて、死傷者が続出したワイコウ側は混乱していた。弓に対抗する効果的な手段はいくつかある。もっとも消極的だが優れた方法は、射程外まで逃れることだ。そして、もっとも危険ではあるが積極的な方法は、近接戦闘に持ち込むことである。しかしながら、狭い河原に蝟集している彼らには前者の方法は事実上不可能だったし、前方は防塞と長槍兵に、側面はノノア川の水によって高原弓兵と隔てられている状態では、後者の手段を取る術もなかった。

 その混乱したワイコウ軍の只中に、重装備の長剣兵が得物を振り回して突っ込んでゆく。たちまち隊列が崩れた。懐に飛び込まれた長槍兵や戟兵が、容赦なく斬り倒される。長剣兵が仕留め損ねたワイコウ兵は、援護の長槍兵が突き殺した。弓兵は曲射で、さらに遠方の敵に矢を浴びせてゆく。

 河岸担当のワイコウ軍部隊は危機的状況に陥った。


 ……まさか、船上から弓を射るとは。

 アタワン将軍は急いで伝令を走らせた。河岸担当の部隊に撤退を指示したのだ。このままでは、全滅しかねない。

「閣下、平原軍川船の第二陣、上陸する模様です」

「なに? 早過ぎるぞ」

 振り返ったアタワンは、肉眼で北方川沿いの状況を確認した。五十から六十隻と思われる平原軍川船……一隻に二十名として、ざっと千名前後の兵力か……は、ワイコウ側市民軍予備隊が守備する河岸と、ルルトおよびオープァ部隊が位置する河岸のちょうど中間地点で河岸に接近しつつあった。

「馬鹿な!」

 アタワンは思わず叫んだ。

 戦術的に、ありえない選択であった。市民軍予備は千五百。ルルトとオープァの部隊は二千五百。あの位置に船を着ければ、上陸した途端に両者に挟撃される。千名程度の兵力では、十分と持たずにノノア川へと追い落とされてしまうだろう。……ルルトとオープァの部隊が、戦ってくれるのであれば。

 あの部隊を率いている指揮官が間抜けなのか。それとも……まさか奴らは、両国の派遣軍が参戦しないことを知っているのか?

「閣下、ルルトとオープァの部隊が、河岸を離れつつあります。北西方向へ、移動中」

 ……戦場から、遠ざかるつもりか。

 アタワンは歯噛みした。その場に止まってくれれば、偶発的に交戦に発展する可能性もあるし、なにより良い牽制になるのだが、退かれてしまってはどうしようもない。

「伝令。市民軍予備部隊すべてを、上陸中の平原軍にぶつけろ。本隊の背後を衝かせなければそれでいい」

 まだ街道沿いの部隊は十分に余力を残している。ここを突破し、敵の背後に回り込めれば、勝機はある。



 いまや、高原弓兵の乗った川船は、河岸の至近まで迫っていた。

 リダは無心で矢を射続けた。盾の裏に取り付けてある大きな矢筒はすでに空となり、いまは背中に負った矢筒から矢を引き抜いては射ている。

 正面の敵は、市民軍のようであった。鎧が揃っていないし、錬度も低いようだ。

 すでに多くの兵士が、河原に四肢を投げ出して息絶えていた。勇敢にも得物を振りかざして向かってきた兵士は、何本もの矢を集中して浴びせられ、うつ伏せになって川面を漂っている。

 市民軍部隊の士気は、崩壊しつつあった。幾許かの兵士は、後方へと逃れたが、残る兵士たちは交戦を放棄し、河原と水田を区切っている低い土手の陰に身を潜めていた。射返してくる弓兵もいたが、たいていの場合返礼に数本の矢を射返され、すぐに絶命した。水田の中へと踏み込み、深い泥に足を取られて身動きできなくなった者も多い。

 リダは射るのをやめた。いつの間にか、標的がいなくなったのだ。視界に入るのは、死体と重傷者ばかり。土手の陰に隠れた者たちはすっかり戦意を喪失したらしく、ぴくりとも動かない。

 やがて、リダたちの前に退却してきた国軍兵士が現れた。矢が再び凄まじい勢いで放たれ始める。リダもよく狙って矢を放った。動く兵士の数が、見る間に減ってゆく。

「味方が来るぞ! 気をつけろ!」

 川船の指揮官が、注意を促す。

 平原の長剣兵が、逃げ送れたワイコウ兵を屠りながら現れた。その後ろには、長槍兵が続いている。

 ワイコウ国軍兵士は、噂どおりに勇敢であった。だが、すでにほとんどの者が矢傷を受けたうえ、疲労している。編成もばらばらで、組織的戦闘を行える状態ではない。高原弓兵の矢に射すくめられ、長槍に突かれ、長剣に叩かれてその数を急速に減らしてゆく。

 ついに、中隊長級らしい男が、手にした直刀を投げ捨て、降伏の意を表した。それを見て取った兵士たちが、てんでに得物を投げ捨てる。土手の陰に隠れていた市民軍兵士たちも、戟や長槍を手放して、姿を現した。

 ワイコウ軍河岸侵攻部隊は、ほぼ壊滅した。



 ……しぶといな。

 生馬は舌打ちした。

 彼が率いる一千百六十名の精鋭部隊……二個大隊と高原弓兵四百名……の任務は、敵本営への攻撃と国軍退路への牽制攻撃である。さすがにこの程度の兵力では、退路遮断は不可能だ。

 しかしながら、生馬の前に立ちはだかった一千五百程度のワイコウ市民軍の士気は旺盛だった。突破する方策を見出さないまま、ずるずると矢の応酬が続いている。こちらの方が弓兵が多いし、矢避けの盾も十分に用意しているから、損害は敵のほうがはるかに多いが、このままではいつまで経っても左手にある小丘の上にあると思われる敵本営を叩けない。

 ……下手に迂回もできないしな。

 少数兵力を迂回させても、各個撃破の機会を敵に与えるだけである。やるならば一個大隊を丸ごと向かわせるべきだが、そうすると高原弓兵を守る兵力が一個大隊だけになってしまい、敵が突撃に転じた場合に支えきることが難しくなる。十分な予備兵力がない場合、戦闘は時間の掛かる消耗戦に陥る場合が多い。今がまさにそのケースであった。



「河岸部隊、ほぼ壊滅です」

 見張りが、告げた。

 ……負けか。

 アタワン将軍は、勝利を諦めた。街道沿いの部隊は奮戦し、敵の防塞を突破したが、平原側は予備部隊を投入し、戦線を維持し続けている。こちらは予備部隊を使い切ったので、このままでは河岸沿いに敵の侵入を許してしまう。そうなれば、この本営も引き払わねばならなくなるし、街道沿いの部隊との連絡も絶たれる。前後を敵に挟まれれば、全滅は時間の問題だろう。

 余力のあるうちに退くべきだ。

「伝令、密林沿いと街道沿いの部隊に、敵との接触を断つように伝えろ。密林沿いの部隊には、兵力五百を抽出し、退路の確保に努めるようにとも命じるのだ。退却するぞ」



 ベンディス率いる高原弓兵六百が、河岸に上陸する。

 さらに、夏希率いる河岸部隊が、これに合流した。これら新手に南から、生馬率いる部隊に北から攻められたワイコウ市民軍予備部隊は、短時間で戦力と抗戦意欲を失い、多数が降伏した。

 しかし彼らの奮戦のおかげで、街道沿いと密林沿いのワイコウ軍主力は離脱の時間的および空間的余裕を得た。本営と合流したワイコウ軍が、街道を使って後退してゆく。

 生馬は指揮下の部隊と、ベンディス率いる高原弓兵部隊を糾合し、追撃部隊を編成してこれを追ったが、後衛の市民軍五百を捕捉しただけに終わった。街道上に陣取ったこの部隊は、しばらく抗戦したあと、包囲されて降伏する。


「まずは上首尾だな」

 機嫌良さそうに、拓海が言った。

 平原側の損害は、戦闘に支障がない程度の軽傷者を除くと、正規軍が死傷約三百。高原の民が同じく百七十。市民軍が、八十。

 戦果は捕虜が二千人以上。遺棄死体と重傷者は、概算で三千。

「敵戦力は半減したと見ていいだろう。あと一押しすれば、ルルトの思惑通りに行くんじゃないか?」

 追撃失敗にもかかわらず、笑みを浮かべて生馬が言う。

「で、次の手は?」

 汗と埃で汚れた顔を気にしながら、夏希は問うた。すぐそばには大量の水が流れているのだが、さすがに死体がぷかぷか浮いている川の水で顔を洗う気にはなれない。

「部隊を再編成し、戦場清掃を行い、明日の朝まで休息だ。いささか矢を使い過ぎた。川船の数もぎりぎりだったから、兵站面もやや心許ないしな。そのあとで、川船を使って敵を追う。上手く行けば、王都ワイコウに逃げ込まれる前にもう一戦交えることができるだろう。まずは、総指揮官殿に戦勝のお祝いを申し述べに行こうや」

 拓海が言って、生馬と夏希を促した。



「再編成の結果、国軍は九百、市民軍は三千二百が残っております」

 沈痛な面持ちで、側近が告げた。

 投入した兵力九千二百あまり。そのうち、国軍千三百と市民軍三千八百が失われた。

「河岸部隊がほぼ壊滅したのと、市民軍予備部隊が離脱できなかったのが痛いな」

 アタワン将軍はつぶやくように言った。

「……どうなさいますか?」

「敵の追撃は振り切った。増援を要請するとともに、次回はルルトとオープァの部隊にも戦ってもらうしかないな」

 両部隊を含めれば、六千六百名。増援が加われば、八千名程度の兵力は揃えられるだろう。敵も、今回の戦いである程度の損害は蒙っているはずだ。勝ち目はある。……平原側が、兵力の増強を受けない限りにおいては。


第六十話をお届けします。

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