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白き巫女と蒼き巫女【改稿中】  作者: 高階 桂
第二章 海岸諸国編
56/145

56 挑発

「今日もいい天気なのですぅ~」

 上機嫌で、コーカラットは空を飛び回っていた。

 眼下では、ハンジャーカイの人々が動き回っている。田の手入れをする人。赤ん坊をあやす母親。売り物を肩に口上を述べながら歩き回っている行商人。路地裏を駆け回る子供たち。皆すでに、空中散歩を楽しむ魔物の姿に慣れきっているので、振り仰いで見つめたり、手を振ったりしてくれることは稀だ。

 と、コーカラットの視界に激しく手を振っている男の姿が入った。見た目が、平原の民とは違っている。

「外国の方なので、わたくしが珍しいのでしょうかぁ~」

 興味を覚えたコーカラットは、高度を落として男に近付いた。大通りの一角に立つ男は、なおも激しく手を振っている。

「どこかで見たような方ですねぇ~」

「魔物殿!」

 男が、呼びかけてくる。

「あ、キュイランスさんではないですかぁ~」

 男の正体が、ワイコウの賢者キュイランスであることを見て取ったコーカラットは、地表近くまで降りていった。

「お久しぶりなのですぅ~。こんなところで何をしていらっしゃるのですかぁ~」

「お会いできてよかった、魔物殿」

 キュイランスが、安堵の表情で言う。

「そう言えば、名乗っていなかったのですねぇ~。わたくし、コーカラットと申しますぅ~。コーちゃんと呼んでくださると、嬉しいのですぅ~」

「ああ、コーちゃん。ナツキ様にお会いしたいのですが……ちょっと、目立つわけにはいかないのです」

 あたりに視線を走らせながら、キュイランスがささやく。魔物とこそこそと話し合っている海岸諸国人が珍しいのだろう、大通りを行く人々の視線が集中している。中には、立ち止まって見物している人もいた。

「それなら、わたくしに付いてきてくださいぃ~。委員会本部までご案内しますぅ~。門番には、わたくしが話を通しますですぅ~」

「恩に着ます、コーちゃん」

 コーカラットは、ふわりと浮かび上がって高度を取った。これならば、散歩中と変わりはない。キュイランスが追って歩いたとしても、目立つことはないだろう。



「平原と紛争を起こすことによって、相互防衛条約を発動させ、ルルトとオープァを自動的に味方にし、事態の解決を図る。……考えたわね」

 キュイランスの説明を聞いた夏希は、一声唸って腕を組んだ。

「とにかく、ワイコウの挑発に乗らないで下さい。下手をすれば、海岸諸国対平原・高原の大戦争に発展しかねません」

 半ば哀願口調で、キュイランスが言う。

「ともかく、この話は軍事担当者に聞いてもらった方がいいわね。悪いけど、ここで待っていてくれる? 仲間を呼んでくるから」

 夏希は部屋を出ると、エイラの許可を得てからコーカラットを平原統合訓練部隊本部に向かわせた。ここの雇員を派遣するよりも、その方がはるかに早い。

「しかし、本当に拓海様に似ている男ですね」

 夏希と一緒にキュイランスの話を聞いていたアンヌッカが、薄笑いを浮かべながらぼそりと言う。

「並んだら、親子に見えるかも」

 夏希もそう応じて、くすりと笑った。

 ほどなくコーカラットが、生馬と拓海を抱えて戻ってきた。夏希は、ざっと事情を説明した。

「それは詳しく話を聞く必要があるな」

 拓海が、難しい顔で腕を組む。

「噂の拓海似の情報提供者か。まずいな。顔見た途端に笑ってしまいそうだ」

 にやにやしながら、生馬が言う。

「真面目にやれよ。そいつの言ってることが本当ならば、大戦争に繋がりかねないんだからな」

「わかったわかった。笑わんよ」

「じゃ、行くわよ」

 夏希の合図を受け、アンヌッカが扉を開いた。座っていたキュイランスが、礼儀正しく立ち上がる。

「……似てるな」

 入室しながら、生馬がささやく。

「座って、キュイランスさん。えー、事情が事情だから、紹介はしないけど、この二人は軍事専門家よ。まあ、見た目で異世界人だというのがばれちゃうから、名乗らないのは意味がないと思うけど、建前上詳しい身分は明かせないわ。じゃ、もう一度話を聞かせて」

「わかりました、夏希様」

 腰を下ろしたキュイランスが、説明を繰り返す。

「よくわかった。早急に手を打とう。こちらとしても、ワイコウとの戦いは望んでいないからね」

 聞き終えた拓海が、何度もうなずきつつ言った。キュイランスが、安堵の表情を見せる。

 と、扉にノックがあった。立っていたアンヌッカが、廊下に首を突き出し、すぐに引っ込める。

「生馬様。訓練本部より伝令です」

「通してくれ」

 アンヌッカを見た生馬が、素っ気なく命じた。

 入ってきたのは、生馬お気に入りの伝令兵、長身のソリスだった。

「生馬様、訓練本部に至急報が参りました」

 ソリスがちらりと夏希らに視線を走らせる。

「外で聞こう」

 立ち上がった生馬が、ソリスを伴って扉の外に消えた。

「とにかくワイコウの挑発に乗らないことだな。キュイランスさん、あんたの立場はどうなんだ? カキ国王のことは、どう思ってるんだ?」

 改めてワイコウの賢者に向き直った拓海が、訊く。

「そのあたりの質問は、勘弁してください。わたしは、ワイコウ王国民なのですから」

 キュイランスが、困ったように顔をゆがめる。

「国王のことは気に入ってないが、愛国者ではある、というところか」

 拓海が言う。キュイランスが、苦笑した。図星だったのだろう。

 扉が開き、生馬が戻ってきた。表情が、硬い。

「どうしたの?」

 夏希の問いを無視し、生馬がキュイランスを見据える。

「残念だが、お前さんの警告は少しばかり遅かったようだ」

「なんだって?」

 拓海が、腰を浮かす。

「先ほど連絡が入った。マリ・ハの防衛隊は、ワイコウ国軍と思われる軍勢と交戦状態にある。平原統合訓練部隊にも、救援要請が届いた」

「あらら」

 夏希は頭を抱えた。これで、ワイコウは相互防衛条約を発動させるだろう。ルルトとオープァは、条約の一方的廃棄という不名誉な選択をしない限り、ワイコウに協力せざるを得ない。

「紛争発生には間に合わなかったが、拡大の阻止は可能だな」

 最初に立ち直ったのは拓海だった。

「生馬、あんたは訓練部隊のマリ・ハ派遣準備を進めてくれ。船の準備は、俺がやっておく」

「頼むぞ」

 一声だけ言って、生馬が部屋を飛び出してゆく。

「俺はマリ・ハに自制するようにメッセージを送るために、ハンジャーカイ王宮と平原諸国連絡会議本部に行く。夏希、あんたは凛ちゃんを探して、情報収集役を頼んでくれ。そのあとで、委員会名義で各国に書簡を。アンヌッカ、あんたはこの御仁の世話を頼む。しばらくノノア川の交通は遮断されるだろうからな。何日か、泊めてやらんと」

「ご配慮、恐れ入ります」

 キュイランスが、一礼した。

「とにかく、紛争拡大を防がねばならない。急ごう」

 勢いよく立ち上がった拓海が、部屋を出てゆく。夏希も立ち上がった。

「じゃ、アンヌッカ。キュイランスさんを頼んだわよ」

「お任せ下さい」



「結局、間に合わなかったようだな……」

「何かおっしゃいましたか、閣下」

 夕食の皿を片付けていた従卒のジェミが、手を止めてグリンゲ将軍を見る。

「いや、なんでもない。茶も片付けていいぞ。今日は久しぶりに一杯やりたい気分だ」

「では、おつまみでも作りましょう」

「凝ったものは作らなくていいぞ。干し肉でも切ってくれれば、それでいい」

 グリンゲは自らグラスと酒瓶を取ってきた。もともと酒は強い方ではなく、好むのは弱い醸造酒だ。ブドウから作った赤紫色の酒を、グラスに注いでひと口味わう。

 ヒュックリー将軍率いる国軍派遣隊からの報告は、今日の昼ごろに王宮に届けられた。マリ・ハ防衛隊と思われる偵察隊と遭遇、攻撃。意図的に数名を逃がす。さらに南下し、武装兵約二百と交戦ののち、撤収。戦果、死傷約百名。損害、死傷二十名。

 これを受けて、カキ国王はルルト王国およびオープァ王国に対し、相互防衛条約に基づく緊急援助と派兵を要請することを決定、急使は数ヒネ後には王宮を飛び出し、あらかじめ用意されていた川船に飛び乗った。……すべて、カキ国王の思惑通りの展開である。

 紛争について意見を求められたグリンゲは、拡大防止を主眼として対処するように進言しておいた。幸い、カキ国王も平原との全面戦争は望んでいない。しかし、ことは戦争である。戦場では予想外の出来事が起こるのが常だし、戦争の経過が戦前の予想通りに進むことなどめったにない。その事は、専門家であるグリンゲは充分に理解していた。

「しかし、我ながら先見の明があったな」

 静かにグラスを傾けながら、グリンゲは甥を平原へと派遣した自分のアイデアを高く評価した。紛争開始に間に合わなくても、キュイランスならばその拡大阻止のために動いていることだろう。少なくとも、竹竿の君は暗愚な人物ではあるまい。ここでワイコウと平原が戦っても、意味がないことは理解してくれるはずだ。たぶん。

「竹竿の君か。一回会ってみたいものだな。もちろん、戦場でない場所で」

 グリンゲはひとりつぶやいた。戦女神にもなぞらえられる異世界出身の女戦士。武人としては、なんとも興味をそそられる相手である。

「お待たせしました、閣下」

 ジェミが、皿をテーブルに置いた。割いた干し肉と軽く炙った干し魚、それに荒めに刻んだ数種の野菜を魚醤とオリーブオイルであえた物が載っている。

「ありがとう。今日はもう休んでいいぞ」

「ありがとうございます。では、失礼します」

 一礼し、ジェミが去る。

 グリンゲは、干し肉を口に入れた。ゆっくりと噛みながら……この歳だが、歯はまだ丈夫である……異国の地で苦労しているであろう甥に思いを馳せる。

「わしもそろそろ動き始めるべきじゃろうな」

 酒を注ぎながら、グリンゲはつぶやいた。

 マリ・ハ防衛隊を襲撃した国軍派遣隊は、その規模が大きくなかったことから、次席であるヒュックリー将軍が指揮した。状況が悪化し、国軍が総力を挙げて出動する事態になれば、総指揮は当然首席であるグリンゲが執ることになるだろう。しかしながら、現状で全面戦争となれば、ワイコウの勝ち目は薄い。グリンゲは愛国者ではあったが、敗軍の将となるつもりは毛頭無かった。

 もし自分が全面戦争の指揮を執るとすれば、王都ワイコウ周辺での迎撃戦略を採用するだろう。だが、カキ国王がそのような消極的戦略を認めるとは思えない。そしてもちろん、グリンゲに国王の意向に逆らえるだけの権威はない。最初から勝ち目の無い戦いを強要され、多くの部下を失った上で、無能な指揮官との烙印を押されるだけだ。それならば、最初から戦場に赴かず、傍観者としての立場を貫く方がいい。……たとえそれが、武人としては卑怯な手段を使わざるを得ないとしても。



「とりあえず、成功かな」

 生馬から届いた手紙を読みながら、凛が言った。

 湿原地帯南部で発生したワイコウ国軍とマリ・ハ防衛隊の衝突は、双方合わせて三桁に達する死傷者を出したものの、幸いなことに小康状態を保っていた。ワイコウ側が繰り出した兵力は、正規軍である国軍が推定で約一千。対するマリ・ハ防衛隊の規模は、五百前後である。現在は、これに急遽編成された市民軍四百、それに生馬が率いる平原統合訓練部隊六百が加わり、対峙しているところだ。

 面子を潰された形のマリ・ハは、平原諸国連絡会議で報復攻撃を訴えていたが、拓海ら異世界人が各国に根回ししたせいで、それに同調する者は少なかった。これを機に、一気にワイコウを攻め落として魔力の源を奪取しようという意見も出たが、ワイコウの要請に応えてルルトとオープァが派兵を検討中という報せが届き、勢いを失う。この二大国がワイコウの味方となれば、戦争の長期化は必死である。高原を味方につければ、人的資源では平原諸国の方が有利だが、経済力では負ける。長期戦において、もっとも重要なのは継戦能力の維持である。貧乏国家が金満国家に長期戦を挑んで勝利した例は、歴史的に見てもほとんど存在しないのだ。

「早急に関係を改善したいが、向こうが望んでいない以上、難しいな」

 拓海が、唸る。

 紛争はあくまでマリ・ハ対ワイコウである、という認識の下に、平原諸国連絡会議の依頼を受けたエボダが、和平を取り持つ目的で外交官をワイコウに派遣しようとしたが、ノノア川を閉鎖しているワイコウ国軍に追い返されてしまったのだ。ワイコウがルルトとオープァを味方に付け続けるためには、紛争状態を継続する必要がある。当然、彼らが早期の和平交渉などに応じるはずもなかった。

「謀略工作していた連中も、頭を抱えているでしょうね」

 皮肉めいた笑みを浮かべて、夏希は言った。裏を返せば、その連中が商人を何人も殺すような過激な工作に走ったからこそ、窮地に立たされたカキ国王が平原との紛争惹起という大胆な対抗手段を取ったわけだが。

「とりあえず紛争拡大は防いだ。次に打つ手だが……なんかいい案はないか?」

 拓海が、向かい合って座る女性二人を生気に乏しい眼で見やる。

「ないわねえ。手詰まりだわ」

 凛が、肩をすくめる。

「わたしもないわよ」

 夏希も同様に言った。人間界縮退問題にしろ、ノノア川通行税問題にしろ、ワイコウとマリ・ハの紛争が終わらない限り、進展は難しいだろう。そして、ワイコウは和平を望んでいない。……これでは、前進のしようがない。

「今回の紛争でひとつだけ良かったところを挙げれば、訓練部隊が格上げできそうだという点だけだな」

 ぼそぼそと、拓海が言う。

 ワイコウの一方的な挑発と、それに伴うマリ・ハ防衛隊の損害。さらに、迅速に紛争地域に出動し、さらなるワイコウ国軍の侵攻意図を挫かせた(外見上はそう見えた)生馬率いる訓練部隊の活躍は、平原各国の賞賛を浴びた。これを受けて、平原統合訓練部隊は、近いうちにその規模を拡大し、平原統合軍部隊として再編成されることになった。指揮権は、各国の防衛隊幹部が参加する統合軍司令部が掌握する予定である。生馬と拓海も、その中で枢要なポストを得るはずだ。

「ところで、キュイランスはどうしてるの?」

 凛が、夏希に尋ねる。

「大人しくしてるわよ。彼が、どうかしたの?」

「いや、ワイコウ人で、賢者なんでしょ? なにかいいアイデア持ってるかな、と思って」

 あまり期待していない様子で、凛が言う。

「そうね。訊いてみるだけなら損はないし。手土産でも持って、訪ねてみますか」


「わたくしにも、いい案などありませんよ」

 キュイランスが、肩をすくめた。

「やっぱりそうか。ま、いいわ。とりあえず、これお土産だから。甘いものが好きだといいけど」

 夏希は荒い織り方の麻布が掛けられた竹笊をアンヌッカから受け取ると、キュイランスに押し付けた。

「なんでしょうか?」

 キュイランスが布を取ると、甘い香りがぱっと広がった。中には、薄茶色の太いリング状の食物が十個ほど、きれいに並んで入っていた。なんのことはない、ドーナッツである。

「最近、流行りだした食べ物よ。米の粉に甘味をつけて、油で揚げてあるの。凛が、流行らせたんだけどね。おしいいよ」

「はあ。ありがとうございます」

 心がこもっているとは思えぬ礼を言ったキュイランスが、笊をテーブルに置く。

「お酒とかの方が良かったのかな?」

「いえ、甘いものは嫌いじゃありません。……どうぞ、お座り下さい」

 キュイランスが、夏希とアンヌッカに椅子を薦める。夏希は座ったが、アンヌッカは軽く首を振ってその後ろに立った。

「どうしたの。元気ないわね。こっちの気候が合わないの?」

 のろのろと座るキュイランスを見ながら、夏希は訊いた。

「いえ。健康は保っています。ですが、賢者のくせに今回の一件でまったくお役に立てないことが、情けないのです」

「それは、しかたないよ。国家間の紛争になっちゃったんだもの。一賢者には、どうしようもないでしょう。わたしだって、事態の推移を見守るしかないんだし」

 夏希は元気付けようとそう言った。

「夏希様。わたくしは祖国であるワイコウを愛していますが、それ以上に平和を愛しています。戦争は、知識の誤った使い方の最たるものです。和平に繋がることであれば、たとえワイコウの国益を損ねることであっても、夏希様に協力する所存です。もし何かわたくしにできることがあれば、何なりとお申し付け下さい」

 相変わらず元気のない口調だが、眼だけは輝かせて、キュイランスが言った。

「わかったわ。覚えておきます」

 夏希は安心させるようにうなずいた。ワイコウ王宮内にコネのある聡明な人物。今後役立ってくれる機会は、きっとあるはずだ。


第五十六話をお届けします。

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