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白き巫女と蒼き巫女【改稿中】  作者: 高階 桂
第二章 海岸諸国編
55/145

55 謀略

「……というのが、マンテムス氏事件の概要だそうよ。で、どっちが仕組んだの?」

 凛が、生馬と拓海の顔を交互に睨む。

「俺はやってないぞ。謀略など、苦手だ」

 生馬が鼻白む。

「俺も無実だ。戦場での謀略は大好物だが、平時に民間人を巻き込むような謀略は好かん」

 拓海もきっぱりと否定する。

「じゃ、やっぱり駿の差し金?」

「偶然じゃないのかなぁ」

 夏希は首を傾げつつそう言った。

 有力商人であり、王宮出入りの商人でもあるルルト人マンテムス氏の事故死。死因は水死ではあったが、その死の責任はワイコウ兵士(ワイコウ国軍によって調査が行われたが、マンテムス氏を結果的にノノア川へと突き落とした兵士は特定できなかった)にあるとして、ルルト政府はワイコウ国軍および政府を激しく非難していた。対するワイコウ政府は、遺憾の意を表明し、見舞金を送ることを申し出ていたが、ルルト政府はどちらも拒否し、責任の所在を明確にしたうえでワイコウ政府による正式な謝罪を求める姿勢を崩さなかった。

「いずれにしても、ルルト側はこの事件をとことん利用するつもりらしいわ」

 駿から届いた、事件の詳細とその後の展開を伝える手紙をぴらぴらと振りながら、凛が続けた。

「ワイコウが通行税の徴収などに踏み切らなければ起こらなかった悲劇、とか言ってね。ルルトの国王も、哀悼の談話なんか公表しちゃってるし。ここで一気に圧力を掛けて、通行税撤廃を強いるつもりでしょうね」

「ふむ。こちらからも圧力を掛けて挟み撃ちにするか」

 拓海が、顎を撫でる。

「ちょっとばかり、挑発してやるか。湿原地帯で演習するとか」

「いや、それはまずい」

 生馬の意見を、拓海が手を振って退ける。

「ワイコウとルルト、オープァのあいだには相互防衛条約がある。下手に平原側が軍事的挑発に走れば、ワイコウがこれ幸いと防衛条約の発動を求めかねない。そうすれば、自動的にルルトとオープァが平原の敵にまわってしまう。それだけは避けなきゃ」

「あのー、みんな。魔力の源のこと忘れてない?」

 夏希はそう割り込んだ。通行税問題ばかりがクローズアップされて、肝心の人間界縮退対策がないがしろにされているように思えたのだ。委員会委員長補佐としては、由々しき事態である。

「……ちょっと忘れかけてたわね」

 凛が、素直に認める。

「ともかくワイコウに圧力を掛けて交渉を続けなければ、通行税問題も魔力の源問題も解決しない。方策を探るべきだ」

 生馬が、断言する。

「交渉材料がないからなあ。ルルトとの交易を制限するから、魔術使用をやめろ、と言ったら聞いてくれるかもしれんが……もう手遅れだろうな。ルルトが承知しないだろうし、高原の産物を買い付けに走った平原商人も多いからな」

 そう拓海が言う。

「相互防衛条約がある限り、軍事オプションも使えない、と。ルルトに期待するしかないわね。駿が向こうで、うまく立ち回ってくれるといいんだけど」

 凛が、諦めたように肩をすくめた。



「ひじょーに由々しき事態ですよ、叔父さん!」

 キュイランスの手が、テーブルを叩く。

「まずいとは思うが、どうしようもあるまい」

 涼しい顔でお茶をすすりながら、グリンゲ将軍が応じた。

 夕食後のテーブルである。このところ頻繁に、キュイランスは叔父のもとを訪ね、王宮の様子を根掘り葉掘り尋ねていた。もちろん、情報収集のためである。

「落とし処としては、国軍の現場責任者が譴責のうえ除隊。政府が謝罪のうえ見舞金を増額、といったところじゃろうて」

 手ずからお代わりを注ぎながら、グリンゲが言う。

「その程度で済めばいいのですが。噂では、平原の異世界人の一人が、ルルトに滞在しており、盛んにルルトの反ワイコウ感情を煽っているそうです」

「お前が会ったという竹竿の君か?」

 興味を覚えたのか、カップを置いてから、グリンゲが訊く。

「いえ、シュンと言う名の異世界人です。外交官ですよ。平原諸国連絡会議を立ち上げた男です。かなりの切れ者、という噂ですが」

 キュイランスは、憤然たる表情のまま、お茶をすすった。

「ときに、キュイランス」

「なんでしょう、叔父さん」

「お前、最近ちょくちょくクレールのところへ行っているそうじゃないか」

 グリンゲが、さりげない調子で訊いてくる。

「母方の叔母ですから。たまには顔を見せないと」

「しかし、二階の部屋にこもって書き物をしているだけ、とも聞くが」

 なおもさりげない調子を続けながら、グリンゲが重ねるように訊いてくる。

「あ……あそこは静かなので、集中できるんです」

「そうか。ではなぜ、昼前後しか行かないのだ?」

 グリンゲの眼が、すっと細まった。引退間近の初老の廷臣の穏やかな眼つきが、年季の入った軍人の鋭い眼光に切り替わる。

「わ、わたしにも時間の都合というものが……」

「しかも、行くのは迎賓館に平原の使節が入っている時だけ。クレールの家と、迎賓館は眼と鼻の先だ。……これをどう説明する?」

 グリンゲが、キュイランスを見つめる。もはや可愛がっている甥を見る視線ではなかった。

「あ、あの、その」

 キュイランスは窮した。こうなると、賢者の頭脳も働きが鈍る。上手い言い訳がなかなか出てこない。

 そんな甥の様子を睨みつけていたグリンゲの視線が、ふっと柔らかくなった。

「安心しろ。お前がワイコウを裏切るような奴ではないことは、わしが一番よく知っている。おおかた、竹竿の君あたりと連絡を取り合っているのじゃろう。どうやってかは、知らぬが」

「お、おっしゃる通りです」

 キュイランスは素直に認めた。ここまで状況証拠をつかまれた状態で、嘘を吐き通せる相手ではないことは、充分承知している。

「ですが、決して、ワイコウの不利益になるような情報は渡していませんよ。あくまで、わが国と平原の紛争を抑止するための、情報提供……いや、情報の交換です」

「その言葉、信じよう」

 グリンゲが、静かに言う。

「やっぱり、やめるべきでしょうか」

 しばらくの沈黙ののち、遠慮がちにキュイランスは尋ねた。グリンゲが、ゆっくりと首を振る。

「いいや。続けるんだ。せっかくできたコネだからな。ただし、情報と交換に向こうの意図を探るんだ。そして、それをわしに報告しろ。いいな」

「わかりました、叔父さん」



 その死体が見つかったのは、夜明け前のことであった。

 王都ルルト近郊の漁村の漁師たちによって浜に引き上げられた中年男性の死体は、温かな海水に浸かっていたにも関わらず腐敗の兆候がなく、死んでから間もないと推定された。死因は溺死と思われたが、駆けつけた役人が調べると、腹部に殴打の痕が見つかった。直接死に繋がるほどの負傷ではないが、殴られたあとに海に放り込まれたとすれば、殺人の疑いが濃厚である。

 服とサンダル以外に身につけていたものは皆無だったので、被害者の身元の特定には時間が掛かると思われたが、昼前にはあっさりと身元が割れた。彼はルルト人ではなかった。ワイコウ商人だったのだ。しかも、かなりの豪商であった。

 噂はすぐに広まった。マンテムス氏事件の報復ではないか、との憶測が、燎原の火のようにルルト市内に広まる。

 その翌日、新たな死体が見つかった。今度は、市内を流れる排水路にまだ若い男性が投げ込まれているのが、散歩中の老人によって発見されたのだ。死因は、鈍器による頭部への打撲だった。彼の身元もすぐに判明した。やはり、ワイコウ商人であった。

 二件の殺人事件を受けて、ワイコウ政府はルルト政府に対し、王都ルルトにおける治安水準の低さを激しく非難するとともに、同市におけるワイコウ市民の安全に対する配慮を強く要求した。

 内政干渉に等しいワイコウの不躾な要求に対し、ルルト側は立腹した。両国政府はお互い譲らぬまま、厳しい文言が並んだ書簡を数日に渡ってやり取りした。

 そして、第三の事件が起きた。今度の舞台はワイコウであった。王都市内の路地裏で、ルルト商人の死体が発見される。外傷がなく、死因は病死かとも思われたが、検査の結果肺に水が入っていることが判明した。……近くにある水といえば、子猫でさえ溺れることがないほど浅く狭い排水溝だけだというのに。

 他所で溺死させられ、この場に死体が放置されたことは、疑う余地がなかった。メッセージは明白だった。マンテムス氏と同じ死因である以上、ルルトに対する報復である。少なくとも、ワイコウとルルト市民の大半が、そう判断した。

 両国の関係はさらに悪化した。ワイコウもルルトも、国軍を動員して市内の治安維持に努めた。苛立った市民が、同じく苛立った兵士ともみ合うようなシーンが、随所で見られるようになる。両国の商人は、身の危険を感じてそれぞれの母国に引き上げた。



「で、これが最新の手紙よ」

 凛が、折り畳まれていた紙を広げ、三人に向ける。

 そこには、五センチ角くらいの大きな字で、『僕は無実だ!!』と書いてあった。

「いくら駿でも、あそこまで血生臭い手は使わないだろうからな」

 生馬が、言った。

「ともかく、駿の説明によれば、今回の謀略を仕掛けているのはワイコウ国内の反カキ国王派と、そいつらと結託したルルトの反ワイコウ勢力らしいわ。ルルトの反ワイコウ感情を煽り、カキ国王の間抜け振りを強調し、ゆくゆくは玉座から引き摺り下ろそうって魂胆。そのあとは、もっと穏健でルルト寄りの国王を擁立するんでしょうね」

「でも、なんでそんな連中が急に暴れだしたのかしら?」

 夏希は当然の疑問を口にした。

「駿によれば、理由はふたつだそうよ。ひとつは、ワイコウと平原各国の関係が悪化したこと。ルルトで反ワイコウ感情が高まり、両国の関係が決定的に悪化した場合、ワイコウが平原のいずれかの国……おそらくは複数と手を結ぶことを、彼らは恐れていたらしいわ。今ならば、その可能性はゼロに等しいから。ふたつ目は、通行税の導入によって、ルルトの商業界が一気に反ワイコウに傾いたこと。もともと、ワイコウはルルトにとって重要なビジネスパートナーだったから、商業界は好意的だったの。ところが通行税の導入、さらに有力商人であるマンテムス氏の無残な死で、ルルト商業界が反ワイコウ一色に染まってしまった。これを、好機と捉えたのでしょうね」

「となると、そいつらとは早めに手を組まないとならんな」

 拓海が腕を組む。

「そのあたり、駿は抜かりないわ。すでにルルト、オープァを始めとする海岸主要国がすべて人間界縮退問題に対し協力的であるという事実を強調して、取り入ってるところよ」

「なら、任せておいて問題ないか」

 生馬がうなずく。

「援護射撃が必要なら、その旨言ってくるだろう。ここは、下手に手を出さん方がいい。裏で平原諸国が糸を引いているなんて噂が出たら、ことだからな」

 拓海がそう言って、にやりと笑った。



「おや、叔父さんでしたか。尋ねてきて下さるとは、珍しい」

 キュイランスは大きく扉を引き開けると、グリンゲを招じ入れた。

「お茶でも淹れましょうか。それとも、お酒の方がいいですか?」

「酒をくれ。強いやつをな」

 椅子に座ったグリンゲが、ぶっきら棒に言う。

 わびしいひとり住まいだが、賢者らしく友人知人は多いので、酒のストックは豊富である。キュイランスは、ニガタキ産のブドウの蒸留酒の瓶を手にした。ふたつの小さなグラスに、注ぎ分ける。

 グリンゲが、それを一気に呷った。お代わりを注ごうとしたキュイランスを手で制し、テーブルの上に身を乗り出す。

「まずいことになった。陛下が、ヒュックリー将軍に、カキ・セドへの出兵を命じた」

「ほう。カキ・セドで問題が生じたとは、知りませんでした」

 自分のグラスを取り上げて、キュイランスは応えた。

「お前が知らないのは当然だ。カキ・セドで問題などまったく生じていないからな」

 グリンゲの言葉に、キュイランスの手が止まった。

「問題が生じていない? では、なぜ出兵など……」

「お前の頭なら、考えるまでもないだろう」

 グリンゲが、酒瓶を手にした。ほんの少しだけ、自分のグラスに注ぎ入れる。

 キュイランスは、素早く頭を回転させた。必要とされていないのに、国軍がカキ・セドに出動する。ということは、その真の目的地はカキ・セドではないのだ。となれば、カキ・セドの周囲に目的地があるはず。だが、あたりは無人の湿地帯ばかり。

 ……ノノア川の上流。

 キュイランスは、一気に回答に行き当たった。思わず、息を呑む。

「陛下は、ルルトとオープァを強引に味方に引き入れるおつもりなのですね?」

「そうだ。それしか考えられん」

 グリンゲが、グラスの酒を舐める。

「いや、参ったな。そう来るとは思わなかった」

 キュイランスは、急にかゆくなった首筋をぼりぼりと掻いた。

 カキ・セドに国軍の一部隊を派遣する。これはカムフラージュに過ぎない。真の目的は、その北にある。平原地帯……おそらくは、一番北に位置するマリ・ハを挑発し、軍事的緊張状態を……あるいは軍事衝突を引き起こすのが目的なのだ。そうなれば、ワイコウは相互防衛条約に基づき、ルルトとオープァに援助と派兵を要求することができる。そのような事態になれば、ルルトも反ワイコウの姿勢を改めざるを得なくなるだろう。マンテムス氏事件を始めとする諸問題も、棚上げとなろう。ワイコウ-ルルト関係は、劇的に改善するに違いない。

「ずいぶんと荒療治ですが、効果的な手だ。さすがはカキ国王ですね」

 なおも首筋をかきむしりながら、キュイランスは言った。

「効果的だが、危険な一手でもある。お前に『平原諸国には勝てないかも知れない』と言われてから、色々と調べてみたが……たしかに連中は手強いようだ。高原までもが敵にまわるとすれば、動員兵力だけでも圧倒されてしまう。そのうえ、現状では条約通りルルトとオープァに派兵してもらっても、まともに戦ってくれるとは思えん。陛下は平原と軍事的緊張状態を作り出すだけで、開戦するつもりはないようだが、ことは軍事だ。どう転ぶか予測は不可能だ。もし平原側が過剰反応し、開戦の運びとなれば、わが国が滅びかねない。なんとしても、平原との開戦は避けねばならぬ」

 グリンゲが、力説する。

「おっしゃる通りです、叔父さん」

 キュイランスも、力強く同意した。

「そこでだ」

 グリンゲが手を伸ばし、甥の肩を軽くつかんだ。

「お前は竹竿の君に連絡を取れ。わが国が軍事的挑発をすることを知らせ、それに乗らないように説得するのだ。いいな」

「無理ですよ、そんな。いま、迎賓館には平原の使節は入っていませんし」

「そんなことは承知の上だ。お前が、平原に赴くのだ」

 甥の眼を覗き込むようにしながら、グリンゲが告げる。

「……それって、いわゆる利敵行為になりませんか? まるで諜者じゃないですか。ばれたら、処刑とかされそうだ」

「すでに竹竿の君と連絡を取っているだけで、諜者扱いされても仕方ないな」

 キュイランスの肩から手を離したグリンゲが、あさっての方を見ながら他人ごとのように言う。

「脅す気ですか?」

「そんなつもりはない。言っておくが、わしも同罪だぞ。もちろん、国を裏切る気はない。むしろ、国を憂えての行動じゃ。それは、お互い理解していると思うが」

「確かに」

「とにかく、お前は平原の異世界人と面識がある。そしてその事は他人に知られていない。密やかな連絡役にはぴったりじゃ」

 グリンゲが、懐から布の小袋を取り出し、テーブルに放った。がしゃん、という鈍い金属音と共に、袋は天板に着地した。

「これで船を借りろ。明日にでも出立してくれ。いいな」

「仕方ありませんね」

 キュイランスはしぶしぶ小袋に手を伸ばした。


あけましておめでとうございます。第五十五話をお届けします。

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