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白き巫女と蒼き巫女【改稿中】  作者: 高階 桂
第二章 海岸諸国編
54/145

54 マンテムス氏事件

 夏希が驚いたことに……いや、駿も驚いていたのだが……拘留されていた五人の平原商人は、外務当局者との短時間の折衝の結果、無条件であっさりと釈放された。ただし、公務執行妨害で捕縛されたイヤーラ国籍の船頭に関しては、兵士に対する暴行があったために、無条件とは行かなかった。しかしこれも、イヤーラの外交官がかなりの金額を罰金として納めるという条件を呑んだために、翌朝には釈放される運びとなった。

「いやに低姿勢だな」

 朝食の席で、駿が言った。

「こちらを早く追っ払おうという魂胆じゃないの?」

 朝粥を食べながら、夏希は意見を述べた。

「それはあり得るね」

 駿が、同意する。

「ところで、そちらの情報収集は進んでるかな?」

「うまく行けば、お昼過ぎには第一報が手に入るわ。駿の予定は?」

「一応昨日の時点で、通商や財務官僚との会見の約束を取り付けておいた。各国外交官と一緒に臨んで、通行税に関して抗議する予定だ。たぶん、暖簾に腕押しだろうがね」

 苦笑いしつつ、駿が言う。

「このまま通行税を取られ続けるとしたら……こちらはどんな対抗策が取れるかしら」

「ルルトとの交易は細るしかないね。通行税は積荷の内容に関わらず一律だから、よほど単価の高い商品を商わない限り、まともな儲けは出ないだろう。経済的にこれに対抗するのは無理だ。補助金など出したら、たちまち平原諸国の財政が干上がってしまう。とりあえず外交圧力を掛けて、通行税の減額を迫るしかないね」

「通行税の徴収が無効、みたいな攻め方はできないの?」

 漬物に箸を伸ばしつつ、夏希は訊いた。

「ざっと調べて見たが、ノノア川に関して国際的な取り決めがかつて行われた記録はないようだ。平原地帯の国家が独自に自国内を流れる河川で通行税を取り立てたことはあったようだが、これはあくまで自国民に対する課税であって、今回とは異なるものだ。ワイコウが税金徴収を始めたルルト川のあの辺りは、歴史的に見てもワイコウが長年実効支配している土地なんだよ。これは、他の海岸諸国も承認している。当地での慣習法に基づけば、通行税の取立ては残念ながら違法とは言えないね。もっと上流……例の入植地カキ・セドあたりで徴収しているのならば、その土地はワイコウ領土として国際承認を得ていないから、違法だと糾弾できるんだが」

「いずれにしても、儲けの大半を吐き出さなきゃならない通行税なんて、嫌がらせだわ。なんとかしないと」

 唸るように、夏希は言った。駿が、同意のうなずきを見せる。

「海岸諸国、特にルルトは当てにしていいと思う。すでに平原との交易で、かなり儲けているはずだからね。これが激減するとなれば、さしもの大国もかなりの打撃だろう。先の交易協定を改正して、ルルト商人がマリ・ハのみと直接交易できるようにする、というアイデアは思いついたよ。ワイコウがルルト商人から通行税を徴収すれば、当然ルルトの市民感情は反ワイコウに傾くだろう。ワイコウがルルト商人に免税特権を与えれば、そもそも通行税の徴収自体に法的な根拠がないと宣言するようなものだ。税の徴収は平等が原則だからね」

「……海岸諸国の圧力にも屈さなかったら?」

「方法はふたつしかないな。ルルトとの交易を諦める。そうなると、海岸諸国との関係は冷却化してしまう。人間界縮退問題解決のためには、タナシスとの交渉を進めなければいけないが、それには海岸諸国の協力が必要不可欠だ。言うまでもなく、平原も高原も、外洋航海のノウハウはもちろん、まともな海洋船舶一隻すら持っていないからね。これじゃ、タナシスに手紙一本送れやしない。ふたつ目の方法は……武力干渉だな」

「やっぱりそうなるのね」

 夏希はため息をついた。戦争はもうこりごりである。

「外交も戦争も、こちらの要求を相手に呑ませるための方策、と言う点ではなんら変わるところがないからな。血が流れるか流れないか、という相違はあるが」

「それは、とっても大きな相違だわ」

「確かにね」

 駿が、認める。


 コーカラットは、ワイコウ王都上空をふらふらと飛びまわっていた。下方では、多くのワイコウ市民が見上げたり指差したりして、その飛行姿を見守っている。

「そろそろいいでしょうかぁ~」

 独り言を言いながら、コーカラットは針路を外交団宿舎の方に向けた。高度も徐々に落としてゆき、二階の窓の高さあたりまで降りる。

 目指す建物は、彼女の左前方にあった。宿舎へ帰る振りをしながら、手紙を回収するつもりである。近付くと、昨夜手紙を放り込んでおいた窓の枠に、紅い布切れが掛かっているのが見えた。

「お返事が来ているようですねぇ~」

 コーカラットは、視線を前に固定したまま、窓の中を『見た』。窓際のテーブルの上に、折り畳んだ紙が置いてあるのがわかる。

 電光石火の早業で、コーカラットの触手が伸びた。先端が、手紙を掴み取る。次の瞬間には、手紙は垂れ下がった触手のあいだに収まっていた。

 コーカラットは、素知らぬふりで飛行を続けた。たとえ注視していた人がいたとしても、一瞬何かが動いたように見えただけで、窓の向こうから手紙を回収したことには気付かれなかっただろう。

「何が書かれているのでしょうかぁ~。早く読みたいのですぅ~」

 なおも独り言をつぶやきながら、コーカラットはゆっくりとしたスピードで宿舎を目指した。


 キュイランスの手紙は、想像していた以上に長文だった。夏希はコーカラットが読み上げる内容を要約し、紙に書き出していった。

「通行税そのものはカキ国王の発案。税額算定は通商関係官僚と商業界の助言によるもの。平原商人拘留は見せしめの意味合いが大。税そのものの目的は、ワイコウ商人の保護。カキ国王に、平原諸国挑発の意図なし。ワイコウ市民は同政策に対し無関心。まあ、予想された通りね」

 拘留した商人をあっさり釈放したことからも、ワイコウが平原との対立を望んでいないことはわかる。

「こうなると、ワイコウ側が折れて税額を引き下げることも期待できるのでは?」

 見守っていたアンヌッカが、意見を述べた。

「そうね。でも、強く出るにしろ下手に出るにしろ、交渉の材料が少ないのよね。三のワンペアしかない状態で、ポーカーしているみたいなものね。ブラフを貫いて相手が降りるのを期待するか、カードテーブルひっくり返して殴りかかるしか選択肢がないみたいなものよ」

「相手は確実に役を作っているうえに、こちらの手も読んでいますからねぇ~」

 コーカラットが、そう応ずる。

「あらコーちゃん。ポーカーできるの?」

「魔物ですからぁ~」

 コーカラットが嬉しそうに触手をひらひらさせる。

 夕方になると、王宮から戻ってきた駿に夏希はキュイランスからの情報を伝えた。

「僕の観察と一致するね。その男の情報源は、確かなようだ」

「それで、交渉はどうなったの?」

「予想通りさ。国際河川の概念がないから、ノノア川の当該地域はワイコウ王国の内水である。したがって、主権が及ぶから通行税の徴収は法的に問題ない。徴税の対象は商品や産物を積載した商用船のみであり、一般旅行者はもちろん対象外。さらに手荷物程度の商品ならば見逃している。税額に関しては、後々減額を前提に見直す考えはあるが、現状でも高額とは判断していない。のらりくらりと躱されたよ」

「処置なしね。どうするの?」

「とりあえず拘留者の釈放という目的は達成したから、ここは引くべきだね。改めてもっと高位の外交官からなる使節団を派遣して、平原全体で圧力を掛けるしかないだろう。僕は、いったんハンジャーカイに戻って信任状をもらってから、海岸地帯に行くつもりだ。この件に関して、ルルトと、できればオープァを味方につけておきたい。これはまだ噂の段階なんだが、ワイコウ国内の反カキ国王派が、ルルト政財界の一部と結んでいる、という話があるそうなんだ。もしこれが本当なら、使えるかもしれない」

「……なんか物騒なこと、企んでいるんじゃないでしょうね」

 夏希は目を細めて駿を軽く睨んだ。

「企むのは嫌いじゃないからね」

 駿が、にやにやと笑い返す。



 夏希らがハンジャーカイに戻ってから三日後、平原各国の国王による署名入りの信任状を携えた駿が、ススロンやエボダなどの主要国の外交官を引き連れて、ルルトへ向け出発した。

 ワイコウによる通行税の徴収は依然続いており、ノノア川の物流は事実上ストップしていた。このような中で、もっとも苦慮していたのは、先行投資として川船を大量発注していた一部の有力商人たちであった。交易量増大を見越して注文を出したものの、引渡しを受けても使いようがないのだ。同様に、販売増を見込んで大量生産に踏み切ったハナドーンの造船業界も、苦境に陥っていた。買い手がつかない川船は、船溜りや船台に溢れていた。

 これを救ったのが、拓海であった。平原統合訓練部隊の予算を流用し、比較的安価ではあったが余っている川船を積極的に買い上げたのだ。表向きは、河川航行訓練用と称しての買い物ではあったが、その数は訓練部隊の陣容に比してあまりにも多すぎた。

「……すでに、ワイコウと一戦交える気になってない?」

「いやいや。あくまで景気対策だよ」

 夏希の突っ込みに、拓海がとぼけた返答をする。



 マンテムス氏は、怒っていた。

 ルルトで最大の家具工場を経営するマンテムス氏は、先ごろ同国を訪問した平原からの使節団が持参した寄木細工の見本に魅了された。使用されている鮮やかな色合いの木は海岸地帯には存在していないし、その技量もマンテムス氏の工場で働く職人よりも上であると思われた。さらに、その価格を訊いたマンテムス氏は仰天した。予想した額の半分程度だったからだ。

 これは売れる。

 父親の代には職人一人、その弟子二人……何のことはない、父親とその息子二人である……だったささやかな工房を、ルルト最大、つまりは海岸地帯最大の工場にまで発展させたマンテムス氏は、自分の商才に絶大な自信を持っていた。平原地帯の安くて美しい寄木細工を、自分の工場で生産する家具に組み込めば、多少高い値をつけても絶対に売れる。そう判断したのである。

 マンテムス氏は、その場でハナドーンの商人と独占契約を結ぶための仮契約を済ませた。後日、部下がハナドーンまで出向き、詳細な調査を行う。相手商人の資本力や商品供給能力、職人の質、さらに製品の状態に満足したマンテムス氏は、ルルトを訪れた商人と本契約を結んだ。もちろん、ハナドーン産寄木細工の大量供給契約である。

 マンテムス氏はさっそく先行投資を行った。郊外に新たに工場を建て、多くの職工を雇う。こちらでは、従来の家具を作らせるつもりだった。寄木細工を組み込んだ家具は、高級化路線で行くべきだ。本工場で、腕のいい職人に任せるに限る。

 マンテムス氏の商才は、すぐに証明されることとなった。はるばるハナドーンから運ばれてきた寄木細工を組み込んだテーブルや箪笥は、たちまち人気商品となったのだ。ルルト王宮御用達商人でもあるマンテムス氏はとりわけ高級に仕上げたテーブルを、王宮に献上した。さらに、ほぼ同等品をオープァに、やや劣る品を東部三カ国の王宮に寄贈する。諸外国でも評判になれば、さらに儲けは増えるとの目論見である。

 あまりの人気ぶりに殺到する注文に生産が追いつかず、何十日も先まで予約を受け付けることになったマンテムス家具商会の新製品。だが、ある日を境に肝心の寄木細工の供給はぱったりと途絶えてしまった。言うまでもなく、ワイコウによるノノア川通行税徴収の影響である。

 マンテムス氏は憤慨した。契約書によれば、輸送中の税金などの支払いは、ハナドーン商人の責任において行うことになっている。だが、天災や政変など不慮の事態に際し、充分な利益を上げられなくなった場合は、一方的契約破棄を認めている。先方は、この税金のせいで純益は売り上げの四割からわずか一割に減ったと通告してきていた。買取価格を大幅に上げてもらわない限り、契約破棄やむなし、という手紙が、マンテムス氏の手元に届けられる。

 マンテムス氏は窮地に立たされた。すでに先行投資で、手持ち資金は不足気味である。顧客からの注文も、山ほど溜まっている。ハナドーン商人の要求を聞き入れて買い取る金額をアップする手もあるが、予約客が販売価格への上乗せを承知するとも思えない。しかも、寄木細工入り家具があまりにも評判がいいために、普通の家具の売れ行きは激減していた。職人たちには、とりあえず家具の部品を製造するように指示を出していたが、資金繰りは徐々に悪化してゆく。

 王宮御用達商人としての立場を活かして、王国政府に事態打開のための嘆願書を送ってみたが、すでに政府はワイコウに対し通行税撤廃を求めて働きかけている、との事務的な返事が返ってきただけであった。マンテムス氏が親しくしているルルト商業界の友人たちの中にも、同じような目にあっている者が多かった。ほとんどの者が、ワイコウの措置を横暴だと考えている。誰からともなく、直接ワイコウに抗議に行こう、という声があがった。たいていのルルト商人は、ワイコウとの商売を通じてかの地に友人や知人を有している。彼らに相談し、ワイコウ政府を動かすことはできないだろうか。

 いったん意見が一致すると、彼らの行動は素早かった。みな、目端の利くやり手の商人なのだ。翌朝には、船を仕立ててノノア川を遡っていた。

 川船は順調に進み、やがてワイコウ王都へと通じる支流とノノア川が合流する地点に達した。ここで突然、ある商人が『通行税を取り立てているところを見に行こう』と発言した。憎っくき徴税の現場を、この目で確かめてやろうというわけだ。まだ日は高かったので、ほぼ全員が賛成する。そのくらいの寄り道は構わないだろう。

 川船はノノア川を遡ってゆく。やがて見えてきた桟橋の手前で、マンテムス氏らは止められた。来意を告げると、対応の役人は何人かの商人の顔を知っていたらしく、あっさりと見学を許可された。上陸したマンテムス氏らは、案内役の兵士に連れられて、あちこちと見てまわる。

 ちょうどそのとき、河岸の小屋のひとつでは騒動が持ち上がっていた。ルルトへの旅行者であると主張するシーキンカイの商人が、ワイコウの役人と激しい口論を交わしていたのだ。旅行者の手荷物ならば、通行税を課されないことを知った商人が、ルルトへの物見遊山の旅行者を募って船に乗せてやってきたのである。旅行者たちは、商人が渡した荷物を自分のものだと言い張れば船賃ただでルルトまで往復できるという仕組みである。それを見抜いた役人は、当然税を取り立てようとした。まあ、船客全員が高価そうな焼き物を山ほど抱えていれば、怪しむのは当然だが。

 商人と船客は、これらの皿や壷はみなルルトにいる知人への手土産だ、と主張した。ここで通行税を払えば、当然帰路でも課税されるだろうし、そうなれば商人は今回の企てで一オロットすら儲からないだろう。一方の役人も、これを許せば模倣者が続出し、通行税制度が根底から否定されかねない。双方とも、譲る気はなかった。

 やがて、商人と役人の口論は、つかみ合いに発展した。ちょうどその頃であった。マンテムス氏ら一行が、小屋の外を通りかかったのは。


 小屋の中の騒ぎに気づいて、外に待機していた兵士が慌てて駆け込む。船で待っていた商人の雇い人も、すぐに主人の元に駆けつけた。休憩していた兵士らも、げきを手に走り寄ってくる。

 乱闘が始まった。

 マンテムス氏らは、とっさに動けなかった。基本的にみな金持ちである。金持ち喧嘩せず、の言葉通り、暴力沙汰とは無縁だ。

 血の気の多い船客も加わり、乱闘の輪が急速に膨れ上がる。逃げる間もなく、マンテムス氏ら一行はその中に巻き込まれた。

 応援の兵士が到着し、乱闘が収まったのは二ヒネほどあとであった。乱闘に加わったシーキンカイ人は、件の商人を含め全員が捕縛された。船に残っていた者も、念のために拘留される。兵士数人も、負傷していた。

 ルルト商人一行は、ほぼ全員が怪我を負っていた。シーキンカイ人に殴られた者もいたが、大半はワイコウ兵士にシーキンカイ人と間違えてど突かれたり、取り押さえられた際の負傷であった。乱闘だったために、兵士以外の格好をした彼らがシーキンカイ人と間違えられたのは無理からぬ話であった。

「おい、マンテムスがいないぞ」

 瘤のできた頭をさすりながら、商人の一人が辺りを見回した。

「川に落ちたよ。兵士の一人に、戟の石突きで突かれたんだ」

 鼻血をたらした一人が、答えた。

「俺も見たよ。背中からどぼんだ」

 痛めた左腕を庇うように右手を添えた一人が、そう言った。

 瘤のできた商人が、青ざめる。

「マンテムスは泳げないんだ!」

 事情を聞いた兵士たちが、慌てて川の捜索を始める。だが、手遅れだった。十ヒネ後に、河岸の葦のなかで見つかったマンテムス氏は、すでに事切れていた。


第五十四話をお届けします。

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