52 蕎麦
雨季が終わった。
夏希はハンジャーカイで、比較的のんびりとした時を過ごしていた。委員会の仕事が少なく、自由に使える時間が多かったのだ。タナシスへ送った親書の反応はいまだ皆無だし……ラドームの女王が直接受け取って、タナシス本国へ届けることを確約してくれた、との報告は届いていたが……ワイコウに対する人間界縮退問題協力への説得も、相変わらず不調である。サーイェナ率いる対策群の監視部門は、精力的に魔界との境界で観測を継続しているが、こちらもはかばかしい成果は挙げていない。
他の四人の異世界人は、いずれも精力的に動き回っていた。駿はその巧みなプレゼンテーション能力を活かし、平原共同体の前身ともいうべき『平原諸国連絡会議』を立ち上げることに成功していた。これは、各国の外交当局者がハンジャーカイに常駐し、本国と常に連絡を取りながら定期的に会合を持つための組織である。その主たる目的は、会合を通じて各国の対外的政策をオープンにして、その利害調整を行うとともに、紛争の発生を未然に防ぐことにある。
拓海と生馬が主導する平原統合軍結成も、徐々にではあるが準備が進んでいた。『平原統合訓練部隊』との名目で、各国から防衛隊の一部を割いてもらい、ハンジャーカイに集めて再編成し、訓練を施しているのだ。平原共同体が未成立なので、彼ら兵士の所属はあくまでそれぞれの出身国に止まっている。……個々の兵士の忠誠の対象が曖昧なまま、異世界人に軍勢の指揮を任せるほど、平原諸国はお人よしではないのだ。この訓練部隊が正式に統合された戦闘集団になるためには、その忠誠心の対象たる平原共同体が正式に発足する必要があった。
一方凛は各国から出資者を集め、平原最北端にあるマリ・ハに『ノノア川水運商会』を立ち上げる準備を進めていた。いわば国策会社ともいえるこの商会の主たる業務は、その名の通り平原-ルルト間の水上輸送である。この商会が活動を始めれば、自前で船を持てない零細商人でも、契約すれば海岸との貿易を行えるようになる。商会の業務は輸送のみであり、直接商品を扱うことはないので、他の大商人の商売を圧迫することもない。
すでに資本力に優れ、目先の利く何人かの大商人は、船を仕立ててノノア川をルルトまで往復する商売を開始し、かなりの収益を上げていた。いまだ量的にはわずかだが、ここハンジャーカイのメインストリートでも、海岸地帯の産物……色鮮やかな染料、綿で作られた衣類、日持ちのする食品……乾燥海産物やオリーブオイル漬け、あるいは塩漬けの魚、干しブドウや炒った落花生などが小売されているのを頻繁に見かけるようになった。
平原産の産物も、ルルトで好評を得ているとの噂だった。特にハナドーン産のチークに似た材木は、ワイコウ産の物より質が良いそうで、オープァやラクトアスに転売することで、ルルト商人はすでにかなりの利益を上げているらしい。
異世界人たちの努力は徐々にではあるが実りつつあった。
「で、今日は何の集まりなんだ?」
冷やしたお茶をすすりながら、生馬が尋ねる。
異世界人五人は、凛の家に集っていた。一応、五人ともハンジャーカイに家なり宿舎なりを持ってはいるが、常駐しているのは委員会の仕事がある夏希と平原統合訓練部隊に関わっている生馬と拓海だけである。凛と駿は留守にしていることが多かったので、五人が顔を合わせるのは久しぶりであった。
「第一部は報告会よ。第二部は、凛ちゃん特製手打ち蕎麦の賞味」
にやにやしながら、夏希は告げた。
「蕎麦か! いいな」
拓海がはしゃぐ。
「打ちたてを食べてもらいたいから、あたしは第一部欠席ね。夏希に代行してもらうわ。資料は渡してあるし」
凛が言って、台所へと消える。そこでは侍女のミュジーナが、すでに下ごしらえに入っていた。
「海岸諸国では、わずかだけどソバを栽培してるの。パンケーキみたいにして焼いて食べるのが主で、麺にする習慣はないけどね。凛が、知り合いの商人に頼んでかなりの量を買ってきてもらったそうよ」
夏希は男三人に向け解説した。
「じゃ、さっそく始めるか。最初は……やっぱり懸案の人間界縮退問題からだな」
相変わらず議長役を務めるつもりか、拓海が夏希を指名する。
「進展なしね。タナシスからの返事はまだ。ワイコウに対する説得も不調。ルルトやオープァがかなり強い圧力を掛けてくれているんだけどね」
「カキって国王が難物だな。いっそのこと、排除しちまうか」
拓海が物騒なことを口にする。
「政治的に排除する、というわけだね。成功の可能性はあるのかい?」
からかうように、駿が訊く。
「探せば反体制派の馬鹿の一人や二人、見つかるだろう」
「馬鹿の一人や二人って……」
絶句しかけた夏希を見て、拓海が笑う。
「政治的暗殺に、頭に血が昇った馬鹿な若者を使うのは歴史的に見ても常套手段だよ。成功しようが失敗しようが、都合よく使い捨てができるからね」
「まあ確かに、手元に入っている情報から考えれば、カキ国王を排除すればワイコウが軟化する可能性は高いな。国内にも結構敵を抱えているようだし」
生馬が、口を挟んだ。
「僕のつかんだ情報では、クーデターを起こすのは無理だね。国軍は、カキ国王を支持しているから。むしろ、一部貴族と商業界、それに一般市民の中に反国王派が多いようだ。まあ、いずれにしろデータ不足だね。情報収集の強化を献策してみるよ」
駿が言った。拓海がうなずく。
「よろしく頼むよ。それで、サーイェナの方はどうなんだ?」
「対策群も進展なしね。縮退の速度は以前と変わらず。止める方策もなし。お手上げに近いわ」
夏希は首を降った。
「当面タナシス関係は手の打ちようがない。ワイコウ対策に努力を傾注するしかないか」
生馬がまとめる。
「そうだな。じゃ、凛ちゃん代理、引き続き報告を頼む」
拓海が夏希を再び指名する。
「こちらは大成功。各国の商人が、こぞってルルトとの交易を開始したわ。ルルトとのトラブルは報告されていない。平原各国の経済もかなり活性化された様子。詳しい統計はないけれど、海岸産品の流入は市民の消費欲を刺激してるわね。ただし……」
夏希は凛の丸っこい文字がびっしりと書き込まれているメモを繰った。
「価格的には、品薄ゆえかなり高価で売られているわ。干し鮑の小売価格が、昨日現在でルルトの約五倍。無染色の綿布が同質品で三倍半。もう少し流通量が増えないと、一般庶民にはそうそう買えない値段ね」
「いずれにしても、税収は増えるな。いいことだ」
生馬が、満足げに言う。
「ワイコウの様子はどうなんだ? 商売の邪魔されて、怒ってないか?」
拓海が訊いた。
「まだ反応はないみたい。こちらの貿易量が少なすぎて、まだ影響が出ていないのかもね。商人の中にはかなり大規模かつ長期的な輸出契約をルルト商人と結んだ者がいるという報告が入ってきてるし、噂ではルルトとオープァの商人を介して、オープァ海軍へ船材を納入する契約を勝ち取った商人もいるらしいわ。それらが顕在化したら、ワイコウが怒るかも知れないけど」
「平原内で勝ち組国家と負け組み国家ができてしまうのは、懸念材料だね」
駿が、口を挟んだ。
「海岸諸国はレベルの高い金属製品を製造しているから、ススロンやニアンは輸出するものがない。牧畜も盛んだから、フルームも同様。材木を売れるハナドーンや、麻を輸出できるケートカイは大儲けするだろう。これらを調整してやらないと、国家間の反目が起きかねない」
「それを何とかするのが、『平原諸国連絡会議』だろ? 期待してるぜ」
拓海が、気安い調子で駿の肩を叩いた。駿が、苦笑する。
「あと、報告しなきゃいけないのは……そうそう、ハナドーンで、新たに川船製造の商会を造ろうという構想があるわ。凛ちゃんのアイデアでは、これに出資できるのはその『負け組み』国家の商人中心にしよう、という計画ね。貿易が拡大すれば、当然川船の需要も伸びるはずだから、成長産業となるはずよ」
「いい案だ。賛成だな」
生馬が即座に賛意を示す。駿と拓海も、同調した。
「凛ちゃんの報告はこんなところね。では次は……駿?」
「ご指名ありがとう」
芝居がかって一礼した駿が、手元のメモに目を落とした。
「とりあえず平原諸国連絡会議は無事発足した。今のところ、各国ともかなり位の低い外交官……まあ、現代風に言えば課長クラスしか送ってきていないが、これを少なくとも次官クラスに上げようと骨折っているところだ」
「でも、凄い成果ね。短期間で十カ国以上を説得して、連絡会議を発足させちゃうなんて。さすがは駿、ってとこね」
夏希は褒めた。
「駿のプレゼンテーション能力の賜物だな」
拓海が、感心したように言う。
「俺も一回つきあったことがあるが、こいつの弁舌は見事なもんだ。それに加え、色つきの図表やら統計のグラフとか見せながら説得するんだぜ。円グラフとか折れ線グラフの概念を説明された役人など、半ば腰を抜かしてたよ。彼らから見れば、駿は天才に見えたことだろうな」
「それはともかく……この地では国際社会の組織化、という概念が希薄だからね。平原諸国連絡会議にそれなりの権限と機能を持たせるには、根拠となる国際法を法典化するところから始めなきゃならない。とりあえず、平原諸国の多国間条約として平原諸国連絡会議基本法を制定する準備を進めているところだ。いずれはこれを平原共同体基本法に昇華させねばならないが……まだだいぶ先の話になりそうだね。僕からの報告は、以上だ」
苦笑いした駿が、話を締めくくった。
「じゃ、俺と生馬の番だな。平原統合訓練部隊は、いまのところ総兵力二千名。もっとも、これは登録上の人員だ。実際にハンジャーカイに常駐しているのは、この三分の一程度。出身国を無視して各国混成で再編成し、訓練している。言葉が通じるのが、幸いだな」
「言葉って……魔術を掛けてもらってるから、通じるのは当たり前でしょうに」
夏希はそう突っ込んだ。
「いやいや。兵士相互の言語だよ。これが通じないと、共同行動など取れないだろ? 異世界の場合だと、下手すりゃ同じ国の出身なのに、言語による意思疎通が不可能だったりするからな」
「ああ。バイリンガル国家とか?」
「いやいや、日本の話だ」
拓海が、笑う。
「昔は郷土連隊などと称して、駐屯地周辺で徴兵された者は地元の連隊に配属させたんだが、その制度採用理由のひとつに異なる地方出身者同士では会話に不自由する、という事実もあったんだ。標準語が日本全土に広まったのは、テレビ放送普及以後の話だからな。明治時代に博多弁の兵士と秋田弁の兵士が細かい打ち合わせに苦労している様を想像してみろ。ほとんど漫才だぞ」
「そう言えば……魔術におんぶに抱っこで気付かなかったけど、ここの言語にも方言とかあるのかしら?」
夏希はもっともよく当地の言語に通じている駿にそう尋ねた。
「方言とまではいかないが、訛りはあるらしい。高原訛り、平原訛り、海岸訛りみたいな感じでね。僕には差異は聞き取れないけど」
「言語の魔術といえば、その効果が半永久的で良かったな」
ぼそりと、生馬が言った。
「半年に一回掛け直さなきゃならない、とかだったら、俺たちは否応なしにここの言語を学ぶはめになっていたはずだ」
「生馬は英語苦手だったからねえ。イギリス人の血が入ってるくせに」
「うるさい」
からかった拓海の頭を、生馬が平手でぺちんと叩く。
「え。生馬にイギリス人の血が入ってるの?」
夏希は驚いて確かめた。むろん、初耳である。
「内緒にしとけって、言ってただろ」
やや恥ずかしげな生馬が、拓海を睨む。
「学校じゃ黙っとけ、と言われたが、ここは学校じゃないしな。もうばらしてもいいだろ?」
悪びれた様子もなく、拓海が言う。
「こいつの母方のばーちゃんは、生粋のイングランド人だ。日本人と結婚して、横浜に住んでる。生馬ん家で何回か見かけたことあるが、銀髪で品のあるご婦人だよ。ただし、背は高い。夏希と同じくらいあるんじゃないかな」
「高身長は遺伝子ゆえか」
駿が、言う。
「父方の家系は九州男児なのに、妙に色白なのもそのせいだろうな」
拓海が、続けた。生馬が、その口を塞ごうとする。
「家系ネタはやめろ」
「イギリス人か。じゃ、クォーターってことね」
夏希はじゃれあっている二人を眺めながらそう言った。
「そう言えば……生馬を召喚する時、僕たちはイギリス人かフランス人がいい、ってエイラに注文した覚えがあるんだが」
不意に、駿がそんなことを言い出す。夏希はうなずいた。
「そうだった。思い出したわ。イギリス人かフランス人の軍人を所望したんだっけ」
「で、生馬が召喚されたわけか。じゃあ、まるっきり外れたわけじゃなかったんだな。一応、イギリス人の血を引いている侍の家系だし」
拓海が感心したように言う。
「凛の時は、わたしとの相性を重視して日本人を指名したのよね。で、駿の時も日本人指名で、学究肌の人を頼んだのよ」
その頃を思い出しながら、夏希は言った。それほど前ではないのに、なぜだかずいぶんと昔の話に思える。
「ふむ。一応、注文通りの人物が召喚されたわけだ」
生馬が、駿を見やる。
「生馬も……こうして見ると外れじゃなかったのよね。ちゃんと、役目は果たしてくれたわけだし」
夏希はそう言った。自分も含め、異世界人はみなそれなりに期待通りの活躍をしていると言えないこともない。
「拓海は指名して召喚したようなもんだったしな。今まで、エイラの召喚の腕前はひどくいい加減なものだと思い込んでいたが……自賛するわけじゃないが、意外にベストに近い人材を召喚していたのかもしれないな」
生馬が、感慨深げに言う。夏希も同意してうなずいた。
「そうね。最初がわたしだったから、その近くにいた適切な人物を召喚したら、たまたま全員が同じクラスだった、というだけなのかも知れない」
「さて、そろそろ終わったかな? 茹でに入ってもいいかな?」
凛が、顔だけを部屋の中に突き出す。
「だいたい終わったよ。頼む」
拓海の言葉に、凛がうなずいて引っ込む。ミュジーナが、テーブルの上に箸やグラスを並べ始めた。桶で冷やされた日本酒も運ばれ、拓海がさっそく四つのグラスに中身を注ぐ。
次いでミュジーナが運んできたのは、天ぷらが大盛りにされた大きな皿であった。野菜天が三分の二、掻き揚げが三分の一くらいを占めている。
「これは美味そうだ。でも、どこで小麦粉手に入れたんだ?」
生馬が首をひねる。
「それは米粉の天ぷらよ。丁寧に細かく挽けば、小麦粉と同様に使えるの。この天つゆで食べてみて」
小さな壷を手に出てきた凛が、言う。
夏希は小鉢に天つゆを注ぐと、匂いを嗅いでみた。しっかりとした醤油の香りがする。
「うん。ちょっと甘口だが、美味いよ」
早くも天ぷらにかじりついた生馬が、褒める。
夏希も掻き揚げをひとつ取って天つゆに浸け、かじってみた。油気の中に、煮干っぽい出汁の香りが感じられる。掻き揚げ自体は、数種の根菜と葉物野菜、それに干し貝柱や干し海老、それに正体不明の灰色の小球が混じった贅沢なもので、からりと揚げられていた。
「おまたせ~」
凛が、大きな盆を持って現れた。各人の前に、小笊に入った蕎麦を置いてゆく。
「香りがあんまり良くないけど、一応十割蕎麦よ。つなぎは山芋っぽいのを手に入れて使ったの。薬味は葱とわさびもどきね。わさびもどきの方も、東群島産のより香りの強いホースラディッシュに切り替えたから、味は良くなっていると思う」
夏希は薬味を入れずに、とりあえず蕎麦を汁に浸して食べてみた。懐かしい味と香りが、口いっぱいに広がる。
「いやいや。これだけ美味けりゃ上出来だよ、凛ちゃん」
上機嫌で、拓海が褒めた。
「お代わりはあったかいお蕎麦もあるけどどうする? 天ぷら載せて食べてもいいし」
凛が、訊く。
夏希は温かい蕎麦を頼んだ。生馬と駿も同様に温かい蕎麦を注文したが、拓海はよほど笊蕎麦が気に入ったらしく、そちらを三枚注文する。凛が笑って引っ込むと、すぐに笊蕎麦を持ってきた。夏希らには、ミュジーナがどんぶりを持ってきてくれる。
「一味あるけど、使う? 香りは強いけど、あんまり辛くないから、かなり入れても大丈夫だよ」
凛が、小さな竹の容器に入った一味唐辛子を差し出した。
夏希は蕎麦の上に、三種類の野菜天と掻き揚げひとつを載せた。一味を控えめに一振りしてから、掻き揚げをちょっと崩し、蕎麦に絡めてひと啜りする。
「おいし~」
鰹出汁でないのが残念だが、それでもしっかりとした出汁と醤油の味わいが、蕎麦の香りと天ぷらの具材の旨み、そして油が一体となって、舌と鼻腔を刺激する。
「どうやら醤油もいいものができたみたいだね」
汁を美味そうにすすった駿が言った。
「わさびもどきも、チューブ入りの練りわさびくらいのレベルには達したな。これに海岸諸国の魚介を合わせれば、本格的な寿司ができるんじゃないか?」
ようやく座って笊蕎麦を食べ始めた凛に、拓海が期待を込めた視線を向ける。
「そうね。あ、醤油と言えば、将来ルルトあたりと合弁で海岸に醤油工場を建てる構想があるの。やっぱり、大豆の産地でないと生産効率が悪いし。雑穀類も海岸地帯のほうが種類も豊富だから、いいものが作れそうだし」
「雑穀?」
「小麦代わりよ」
夏希の問いかけに、凛が答える。
「醤油って、小麦も使うの?」
「普通の醤油は、大豆とほぼ同量の小麦を使うのよ。大豆だけでも作れるけど、香りがいまひとつなの。代用として、数種の雑穀を念入りに細かく挽いて、よく煎ってから入れてあるんだけど、なかなか思ったような風味が出なくて。……それはともかく、この地の風土や食品、それに食習慣からして、醤油は受け入れられると思うの。ぜひ大量生産して、広めるべきだわ」
凛が、力説する。
「それには賛成だが……やっぱり小麦粉がないと食のバリエーションが寂しくなるな」
野菜天をつまみながら、拓海が言う。
「そうよねぇ。パスタ、食べたいなぁ」
夏希はぼやくように言った。海岸諸国で、オリーブオイルを使った魚介類の料理を何度も食べたので、余計にパスタへの郷愁が募っている。
「じゃ、次回は米粉パスタにしましょうか。芋系の澱粉をたっぷり混ぜれば、たぶんそれなりの麺はできると思うし」
凛がそう宣言する。夏希はすぐさま魚介系のパスタを注文した。それに対し、生馬がペペロンチーノを、拓海がミートソースパスタを、駿がカルボナーラを所望する。
「めんどくさいから、どれかひとつに統一してよ」
凛が、顔をしかめる。拓海が、訊いた。
「凛ちゃんは、何が食べたいんだ?」
「あたしは和風ソースが好きなんだけどね。きのことかたっぷり入れて、ちょっと甘口にして、醤油で仕上げるの」
「見事に意見が分かれたな。ここは公平にジャンケンでもするか?」
生馬が、そう提案する。
「まずは、作りにくいものから消去していけばいいんじゃないか?」
駿が、知性派らしい提案をした。
「そうね。魚介系のパスタは、鮮度のいい貝が手に入らないから、難しいわね。乾物で代用はできるけど。カルボナーラも難しいわね。チーズも生クリームもないし。パンチェッタもどきはあるけど。ミートソースも自信ないな。ここのトマト、火を通しても旨みが薄いのよ。よく煮込んでも、こくが出ないと思う。ニンニクや唐辛子はすぐに手に入るし、オリーブオイルはだいぶ出回るようになったから、作り易いのはペペロンチーノかな?」
首をかしげて考えつつ、凛が言った。生馬が、控えめにガッツポーズを取る。
「ロングパスタの作り方から研究しなきゃならないから、時間がかかると思うけど、次回はそういうことで。あ、まだお蕎麦残ってるから、お代わりが欲しい人はどうぞ」
凛の言葉に、生馬と駿がどんぶりを、拓海が笊を突き出した。
「夏希は?」
「遠慮しとくわ」
食べたいのはやまやまだったが、海岸諸国訪問で増加した分の体重が……体重計はないので、あくまで推定値だが……まだ落ち切っていない。蕎麦ならそれほど悪影響はないと思うが、ここは自重すべきだと、夏希は判断した。
「じゃ、蕎麦湯持ってきてあげるね」
凛が、『わかってるわよ』的な視線を夏希に投げかけ、席を立った。旺盛な食欲を見せて蕎麦を美味そうにすすりこむ男三人の様子を羨ましげに眺めながら、夏希は出汁の利いた汁を熱い蕎麦湯で割って、わびしげにすすった。
第五十二話をお届けします。