46 ハンジャーカイ
平原と高原が完全に和解してから、二十日ばかりの時が流れた。
夏希は引越し準備を進めていた。『人間界縮退委員会』(通称委員会)の常設地が、ハンジャーカイに決まったからだ。委員長であるエイラも基本的にそこに常駐することになるので、委員長補佐たる夏希も同様にせねばならない。
「結構私物が溜まるものね」
シフォネとアンヌッカに荷物をまとめる作業を手伝ってもらいながら、夏希はぼやき気味に言った。家具や食器類などは、運搬が面倒なのでジンベルで売り払ったり、近所の人にあげたりするつもりだが、衣類や小物だけでも相当な量があった。
もちろん、この世界に引っ越し業者など存在しない。ほとんどの市民が、生まれた場所で生涯を過ごし、そして死を迎えるのが普通なのだ。商売で成功した人が郊外に邸宅を買ったり、小金を溜めた農民がより広い田畑を手に入れて引っ越したりすることはあるが、その場合もさして広くもない都市国家の中で移動するだけであり、臨時に荷車と多少の人手を雇えば済む。他の都市国家に移住することなど、きわめて珍しいことと言える。
ちなみに、移住にはシフォネとアンヌッカも本人たちの意向で付き合うことになっていた。シフォネはジンベル国籍のまま、アンヌッカもジンベル防衛隊に籍を置いたまま、委員会における夏希の公設助手という肩書きを得ての移住である。すでに夏希にとっては護衛兼秘書兼ガイド兼友人と化しているアンヌッカが、同行を望んでくれたのはありがたかったし、侍女として夏希の『癖』を呑み込んでいるシフォネが、自ら同行を申し出てくれたのも、幸いであった。
「とりあえずこんなところね。シフォネ、明日の朝まで暇を出すわ。ハンジャーカイに行ったら、そうそうジンベルに戻ってこれなくなりますからね。ご両親と過ごしていらっしゃい」
「お言葉ですが夏希様。引越しは明日ですよ。これからお掃除とかしなければならないのでは? それに、お忙しい夏希様のためにお食事とかもご用意しなければ……」
「掃除なんかはあとで凛が人を雇ってやってくれるわ。食事も凛のところで世話になるし。大丈夫よ」
夏希は笑顔でそう言った。いささか不満げな表情のシフォネが、夏希とアンヌッカに丁寧に礼をしてから、部屋を出てゆく。
「アンヌッカ。あなたももういいわ。手伝ってくれてありがとう」
「では、失礼します。明日、船着場でお会いしましょう」
アンヌッカが出てゆくのを見送った夏希は、殺風景になった部屋を見渡した。
「すっかり馴染んじゃったものね、ここに」
夏希は眼を閉じて、向こうの世界にあった自分の部屋を思い出そうとした。寒色系のインテリアで、女の子っぽいアイテムがわずかなメイク道具くらいしかなく、壁に雄大なカナディアン・ロッキーの自然を写したA0版のポスターがでかでかと張ってあるので、凛に『ぜぇったいに住人は男の子だ』と揶揄されていた部屋を。
……だめだ。もう細部を思い出せない。
夏希は眼をあけた。窓辺に歩み寄り、すっかりおなじみになった風景を眺める。ジャングルに覆われた山々。眼に優しい黄緑色の田んぼ。高床式の家々と、すらりとした椰子の木。……カナディアン・ロッキーとは真逆の風景だ。
「ここに戻ってくるときは……たぶん向こうに帰るときよね」
人間界縮退対策が、数十日で終わることはまずありえない。この世界の通信の速度は、徒歩よりも若干速い、といった程度なのだ。タナシスに手紙一本送るだけで、二十日くらいかかるだろう。おそらく、あっという間に一年程度は仕事に費やしてしまうに違いない。この地の人々は気に入ったし、彼らのために働くという現状も悪くはない。しかし、ここで生涯過ごす気は、いまのところ夏希にはなかった。
「さて、凛のとこでティータイムにしましょうか」
夏希は窓の木戸を下ろすと、住み慣れた部屋をあとにした。
「雨季が始まりましたね」
鼻をうごめかしながら、アンヌッカが言った。
「……臭いでわかるの?」
「なんとなく、ですが」
夏希は鼻腔から大きく息を吸い込み、空気を味わってみた。……いつもと変わらない臭いしかしない。強いて言えば、水っぽい臭いが混じっているが、これは船着場にいるせいだろう。
空を見上げてみる。普段より雲量は多めだが、真っ白な綿飴みたいなものばかりで、雨をもたらす雲には見えない。
船着場では、夏希が雇った船に、引越し荷物が積み込まれているところであった。荷車から下ろされた木箱や布包み、麻袋などが、次々と運び込まれる。シフォネの私物を詰めた小さな包みも、その中にはあった。
「ところで、あなたの荷物は?」
夏希はあたりを見回して、アンヌッカの引越し荷物を探した。
「これです」
やや自慢げに言ったアンヌッカが、腰に下げた大きな皮袋をぽんぽんと叩いた。
「それだけ?」
「軍人は身軽であれ、です。まあ、家自体はジンベルにあるわけですから、夏希様のように一切合財を持ってゆく必要もないですし。当面生活に必要なものは、すべて入っています」
「それにしても、少ないような……」
「別に野宿しに行くわけではありませんし。それに、ハンジャーカイはジンベルより大きな国です。必要なものは、買えばよろしいのです」
「まあ、そうだけど」
とりあえず納得した夏希は、見送りに来てくれた凛と生馬のもとに歩み寄った。ちなみに拓海は高原に出向いていて留守。瞬は例によって平原内をあちこち飛び回っているようだ。
「しばらく会えなくなると思うけど、元気でね」
「お前さんこそ、色々気をつけろよ。よその土地だからな。気候なんかも、変わるだろうし」
心配げに、生馬が忠告してくれる。
「ハンジャーカイはジンベルよりも若干涼しいそうよ。北にあるし」
「瞬の企てがうまく行けば、あたしも近いうちにハンジャーカイに引っ越すことになりそうだけどね」
凛が言った。
「そうね」
平原諸国を政治的、経済的にまとめ上げる共同体構想。その実現のために、瞬は尽力しているのだ。彼の想定では、その本拠も平原の中心にあるハンジャーカイに置かれることになっている。将来構想が実れば、凛は経済部門で枢要な地位を任されるはずである。当然、移住することになるだろう。
「失礼いたします、皆様」
礼儀正しくやや離れた位置から声を掛けてきたシフォネが、夏希が注意を向けるのを待ってから数歩近付き、一礼する。
「荷物の積み込みが終了しました。いつでも出発できます、夏希様」
「ありがとう。……じゃ、行くわ。見送り、ありがとうね」
夏希は小さく手を振ると、川船に向かった。先に乗り込んでいたアンヌッカが、夏希が乗り込むのに手を貸す。最後にシフォネが乗り込んだ。夏希の合図を受けて、アンヌッカが船を出すように船頭に伝える。
船頭が、竹竿で岸壁を突く。川船はゆるゆるとジンベル川を下り始めた。
「そろそろ来そうですね」
アンヌッカが、西の稜線を指差す。
濃い緑色の山々を前景に、深く鮮やかな青空を背景にして、真っ白な雲がむくむくと立ち昇ってゆく。夏場の日本でもたびたび見られる入道雲にそっくりだ。
船頭が、川船を岸に寄せた。手近の木の幹に綱を結びつけて流されないようにしてから、日除けの屋根の周囲に防水布を張り巡らし始める。アンヌッカとシフォネが、すかさず手伝い始めた。夏希も手伝おうと腰を上げたが、アンヌッカに押しとどめられてしまう。
防水布は、目の詰まった麻布に海岸諸国からの輸入品の亜麻仁油を塗って乾かし、耐水性を持たせたもので、平原では広く使われている。雨対策が終わり、アンヌッカとシフォネが戻ってきて座る。薄暗くなった船の中で、夏希は船頭が船を出すのを待ったが、一向に動き出す気配がない。夏希は後ろを振り返った。船頭は、荷物の山の脇に座り込んで、のんびりと何かを食べていた。
「休憩?」
「雨のあいだ、船を動かすのは危険ですから」
夏希の戸惑いに気付いたアンヌッカが、小声で説明した。
「危険?」
「ほら、始まりましたよ」
ぱらぱらと、雨粒が日除けを叩く音が始まった。次第にその音が重なり合うようになり、やがて轟音となった。
「ご覧下さい!」
アンヌッカが、激しい雨音に負けぬように大声を出しつつ、防水布をちょっとめくった。
外は、激しい雨であった。いや、激しいという言葉では形容不足だろう。白いのだ。雨粒の量が多すぎて、まるで滝か何かを眺めているようにしか見えない。視程は、一メートルもない。
たしかにこの雨の中、川船を動かすのは無謀である。岸に乗り上げるならまだしも、岩にぶつかったり、反航してくる船と衝突したりすれば、死人が出かねない。
「しかし……凄まじい降り方ね」
夏希はつぶやいた。ジンベルに来てから、豪雨は何度も体験し、そのたびに『さすがは亜熱帯。日本じゃ台風が来たってこんなに雨は降らないわ』と呆れていたのだが、この雨はそれをさらに上回る降り方である。時間雨量にしたら、百ミリどころの話ではないだろう。
しばらく待つうちに、急に轟音が消えた。雨音がまばらとなり、やがてそれも聞こえなくなる。雲が切れたのか、船内が明るくなった。
アンヌッカが、防水布を一枚だけ巻き上げた。復活した強い日差しが、ミルクコーヒー色に濁った川面を照らしている。
「他のは巻き上げないの?」
「もう少し乾かしてから巻きます」
夏希の疑問に、アンヌッカが答える。
船頭が、木に縛り付けてあった縄を解いた。川船は再び、水量を増したジンベル川を下り始めた。
ノノア川との合流点に達した船が、さらに下流を目指す。
「イファラ族に誘拐された時は、ここから遡ったんだよね」
見覚えのある地形を眺めながら、夏希は目を細めた。
「あの時は申し訳ありませんでした。一生の不覚です」
悔しさを思い出したのか、アンヌッカが苦い声で言う。
「あれはあなたの責任じゃないわ。わたしと凛の不注意よ。それに、結果的にはあれがきっかけで停戦に至ったんだから。気に病まずに忘れてちょうだい」
夏希はそう言って、アンヌッカの肩に手を置いた。いつか、拉致が偽装であったことを彼女にも話してあげたいが、今はまだその時ではないだろう。
ここまで来ると、すれ違う他の船の姿を結構見かけるようになった。みな一応に、日除け屋根に防水布を取り付けた雨対策仕様である。夏希らを乗せた船は、さらに三回激しい雨に晒されたのちに、無事目的地であるハンジャーカイに到着した。
船着場の役人に、ハンジャーカイ外交当局の添え書きのある人間界縮退対策委員会発行の文書を見せて入国手続きを済ませた夏希らは、瞬からもらった手書きのハンジャーカイ市街図を頼りに委員会本部へと向かった。
ハンジャーカイは、ジンベルよりひとまわり大きな都市であった。主要な輸出産業は、麻以外の繊維製品と紙、インクや染料などの初歩的な化学産業、それに植物性の各種薬品である。街中にも、妙な臭いを撒き散らしながら、怪しげな液体や粉末を商う店が目に付いた。夏希らはそれらを横目に眺めながら、中心部からは少しばかり離れたところに立つ委員会本部にたどり着いた。隣接するごく普通の民家を数軒まとめて借り上げただけらしく、改装工事が行われているのか路地裏には材木が山と積まれ、その前で数名の男性が鋸や鑿を使って作業している。
「いらっしゃいませですぅ~」
出迎えてくれたのは、一足先にエイラとともに引越しを済ませていたコーカラットだった。
「エイラは?」
「エイラ様はサーイェナ様とハンジャーカイの王宮にお出かけなのですぅ~。皆様のお世話はわたくしがさせていただきますぅ~」
「そう。お願いね。とりあえず引っ越し荷物を運ばなきゃならないけど……」
夏希は窓外を見やった。すでに夕闇が迫りつつある。
「手配はできておりますですぅ~」
コーカラットが、外へと三人を誘う。近所にある商家にふわふわと飛んでいったコーカラットは、そこの使用人らしい男性に声を掛けた。心得顔の男性が奥へ引っ込み、二人の若者を連れて戻ってくる。若者たちはすぐに裏から荷車を引っ張ってきた。二輪式の、時代劇などでよく見かける大八車にそっくりなものだ。
「彼らに運んでもらいますぅ~。お金はもう払ってありますし、宿舎の位置もお教えしてあるのですぅ~。ご提案させていただきますが、時間を節約するために、荷物運搬組と宿舎準備組に分かれるのが良いと思うのですぅ~」
「そうね。……アンヌッカ、悪いけどこの人たちと一緒に行って引越し荷物を回収してきてくれる?」
夏希はそう頼んだ。初めての都市で、あまり世慣れていないシフォネを使いに出すのはいささか心もとない。
「承知しました。シフォネ、夏希様を頼んだわよ」
「心得ております、アンヌッカ様」
にこりと笑ったシフォネが、軽く目礼する。
「では、わたくしたちは先に宿舎にまいりますぅ~」
宿舎に着いたときには、日はとっぷりと暮れていた。
「ここが夏希様のお住まいになりますぅ~。しばらくお待ち下さいぃ~。明かりを灯してまいりますぅ~」
コーカラットが、戸口を越えてふわふわと中に入ってゆく。夏希は月明かりの下で周囲を見渡した。同じような造りの小さな建物が、十数軒固まるようにして立ち並んでいる。かなり郊外で、周囲は畑と田んぼばかりだ。おそらく、畑か何かを潰して建てたのだろう。
「お待たせしましたぁ~」
コーカラットが、何本もの触手にそれぞれ灯明を持って現れた。取っ手のついた素焼きの壷で、洒落た喫茶店などで見かける蓋付きのミルク差しに似ており、注ぎ口にあたる部分から植物繊維を織り上げた灯芯が突き出ていて、そこにオレンジ色の炎が灯っている。コーカラットがそれを夏希とシフォネにひとつずつ渡し、先に立って……いや、飛んで宿舎の中を案内する。
「部屋数は多いけど、広くはないわね」
ざっと見回った夏希はそう感想を述べた。台所を含め、部屋数は五つ。シフォネはもちろん、たっての希望でアンヌッカも同居することになっているから、結構手狭かもしれない。
「この部屋は食堂兼居間にしましょう。悪いけどシフォネ、その隣の部屋を使ってくれる?」
「お言葉ですが夏希様。この部屋はわたしには広すぎます。一番狭い部屋を使わせていただきます」
毅然とした態度で、シフォネが断る。
「だから悪いけど、と付け加えたのよ。物置にできる部屋がないから、とりあえず広いその部屋を使おうと思うの。仕切りかなにかを調達して、あなたはその部屋で寝起きしてちょうだい。狭い部屋はアンヌッカに。わたしは仕事部屋兼用だから、残った中くらいの部屋を使わせてもらうわ」
「そうでしたか。失礼しました。わたしはまったく構いません。……ではさっそく、お掃除など始めます」
「その前に、食事にしましょう。おなか空いたわ。ねえコーちゃん、どこかでご飯食べられない?」
「それでしたら、エイラ様の宿舎へどうぞぉ~。お隣ですぅ~」
コーカラットが、言う。
夏希らは灯明をすべて消してから、宿舎の外に出た。もちろん火災対策のためである。光る球体が一般的であったジンベルには、なかった習慣だ。ただし、マッチのような簡便な火熾しの道具はないから、台所に置かれた小さな壷の中の灰に、種火として熾した炭を埋め込んでおいた。こうしておけば、一日くらいならば火が消えることはないし、炭が燃え尽きることもない。
エイラの家で出迎えてくれたのは、居候時代にも世話になった侍女のキャレイであった。シフォネの手も借りて、てきぱきと食事の支度を整えてくれる。それをありがたくいただいているうちに、夏希の宿舎の方が騒がしくなった。引越し荷物が届いたのだろう。夏希とシフォネはそそくさと食事を終えると、宿舎へと戻った。
荷下ろしは、コーカラットが手伝ってくれたおかげできわめて短時間に終わった。夏希はアンヌッカに食事を摂るように指示すると、シフォネと荷解きを開始した。とりあえず寝具と着替えだけでも準備しないと、眠ることさえできない。
「夏希様」
しばらくして、食事から戻ってきたアンヌッカが告げた。
「エイラ様がご帰宅なさいました。サーイェナ様もご一緒です。ご相談があるので、いらしてください、と言付かりました」
「そう。じゃ、行かないとまずいわね。二人とも、荷解きはほどほどにして、休んでいいわ。今日は疲れたでしょ。あ、シフォネ。水浴びの支度だけは、整えておいてね」
「承知しました、夏希様」
宿舎を出た夏希は、隣戸へと向かった。キャレイに案内され、一室へと入る。
「お久しぶりですね、夏希殿」
相変わらずの蒼い衣装を纏ったサーイェナが、笑顔で出迎えてくれた。もちろん、白い衣装のエイラも一緒だ。
キャレイが、夏希の分のグラスをテーブルに置く。夏希が座ると、すかさずエイラが銅製の水差しの中身を注いでくれた。水で薄めたトマトジュースのような色合いだが、二人の赤らんだ顔から察するに、お酒なのだろう。
「で、相談って、なんですか?」
とりあえず儀礼的に飲み物に口をつけた夏希は、そう訊いた。
「ワイコウに送った親書の返事が届いたのです」
サーイェナが、懐から降り畳んだ書状を取り出し、テーブルの上で広げた。もちろん、夏希には読めない文字が並んでいる。ちなみに、平原と海岸諸国の言語は、多少訛りは違うものの同一であり、文字も共通のものを使用している。
「内容は?」
「魔術使用抑制の要請を、拒否するとのことです」
「あらら」
「なぜでしょうか。疑うだけならまだ理解できますが、高原への巫女と外交使節の招待まで蹴るとは」
ため息混じりに、エイラが言う。
「それは仕方ないんじゃないの。ヴァオティ国王だって、サーイェナ殿の親書を信じてくれなかったくらいだし」
「それは比較になりませんわ」
サーイェナが、やや厳しい口調で指摘する。
「当時高原諸族とジンベル王国の交流は絶無でしたから。今回は、対策群と委員会が連名で送った親書と同時に、族長会議からと、平原諸国元首が連署した親書も送ったのです。高原の民は、ワイコウ王国との交流はありませんが、平原の数カ国はワイコウと通商関係もあります。まったく信用されないというのは、考えにくいですわ」
「まあ、いろいろと評判の良くない国ですからね」
端正な顔をわずかにゆがめたエイラが、口を挟む。
「その、評判が悪いという話はよく聞くけど……具体的にどこがどう問題のある国なの?」
「ワイコウは海岸諸国の一国ですが、その中で唯一海に面していない国です」
エイラが説明を始める。
「距離的にも他の海岸諸国とは離れていますし、海岸山地の南側にありますから、文化的にも他の海岸諸国とはいささか異なっています。むしろ、平原諸国に近い感じですね。その地理的な位置ゆえに、海岸諸国では得られない産物が多く、それらを売ることによって栄えてきた国です。ワイコウが評判を落としたのは、カキ国王が即位してからのことです。南方へ領土を広げ始めたのです」
「南方っていうことは、平原地帯に攻め込んできたわけ?」
「いいえ。ワイコウと平原の北端は、二千数百シキッホほど離れています。そこは大部分が湿原地帯で、利用できるような土地がほとんどなく、どの国にも属さない人々がごくわずか住んでいるだけでした。海岸諸国と平原諸国の間には暗黙の了解があり、その中間地帯は相互不可侵の土地であったのです。しかしカキ国王は、ワイコウの南方に入植地を築いたのです。これが、平原諸国のみならず、平原との紛争を懸念する海岸諸国も怒らせているのです」
「なるほど」
「いまのところ、平原側に実害がありませんから、各国とも静観していますが、これ以上南下を続けるようだと、軍事的緊張状態が生まれかねません」
「かなり虚栄心の強い人物でもあるようですね」
辛辣な口調で、サーイェナが言った。
「その入植地に作った小都市に自分の名前をつけたくらいですから」
「カキって街を作ったの?」
「カキ・セド。『カキの手になる』という意味の名ですね」
「……なんという俗物」
夏希は絶句した。
「それらに加え、他の海岸諸国との経済上の揉め事もあるようです」
エイラが続けた。
「海岸諸国が必要とする品目のいくつかは、ワイコウの独占供給物です。具体的な数値までは存じませんが、カキ国王が即位してから、それら輸出品の多くの価格が上昇したり、供給が制限されたりしているようです。特に、船材に関しては、かなり深刻なようですね。海岸地帯で採れる材木は海水に弱く、丈夫で長持ちする船は作れないそうです。海岸諸国の貿易はほとんどが海船を使って行われているそうですし、西群島や東群島との行き来にも海船は必須ですから」
「そうなんだ。……で、どう対処するの?」
「海岸諸国への使節派遣を、前倒ししようと思うのです」
サーイェナが、言った。
「予定では、高原からの参加者がハンジャーカイに集結してから出発するつもりでしたが、この分ではワイコウ王国を説得するのに時間が掛かると判断したのです。とりあえず、委員会代表とわたくし、それに、平原各国の参加者だけでワイコウに行くつもりです。夏希殿も、引越ししたばかりで申し訳ないですが、一緒に来ていただきます」
「それはもちろんいいけど。で、いつ出るの?」
「明後日を予定しています」
「わかったわ。準備しとく」
「それと、凛殿に手紙を書いていただけますか。早急に、ハンジャーカイに来ていただく必要がありますから」
「そうね。あの子も連れて行かなきゃ。すぐに書くわ」
第四十六話をお届けします。当話より第二章となります。