41 魔界の賢者
「やあ、久しぶりだね」
瞬がジンベルにひょっこりと帰ってきたのは、ニアン主導による高原侵攻作戦開始前日のことであった。
「お前が留守のあいだにとんでもない事件が起きてな……」
とりあえず仕事部屋に瞬を引っ張り込んだ生馬と凛は、交代で『拉致偽装事件』について説明した。
「……暴走にもほどがあるな」
さしもの瞬も驚いたのだろう、呆れたように首を振る。
「で、瞬の方の首尾はどうだったの?」
凛が、訊く。
「裏事情はつかんできたよ。ニアンの主たる目的は、高原の鉱物資源だ」
「鉱物資源?」
「そう。高原は鉱物資源、特に金属資源の宝庫なんだそうだ。推測だが、高原地帯そのものが過去の地殻変動で隆起した地形なんじゃないかな。たぶんそのせいで、地表近くに各種の鉱床が豊富に存在しているようだ。ともかく、ニアンが狙っているイファラ族居住域最南部では、確実に鉄鉱と銅鉱の露天掘りが可能らしい」
「……ニアンってたしか、その昔は自前で鉄と銅を採掘して加工するのを商売にして発展してたけど……」
「……鉱脈を掘りつくして金属加工業に業態転換した国だな」
凛の言葉を、生馬が引き取る。
「高原侵攻を行い、ある種の植民地を造る。そこがニアンの直轄地になるのか、それとも侵攻参加各国の共同管理になるかはわからないけどね。そこで高原の民に対する防備を固めつつ、域内で鉄鉱や銅鉱を採掘、おそらくはそこで粗く精錬を行ってから、ニアンへと運び出す。ジンベル川を使えば、輸送コストは低くて済むから、ススロンやエボダから買い入れるよりははるかに安上がりのはずだ。つまり、ニアンは過去の栄光を取り戻せる、というわけだ」
瞬がざっと説明する。凛が、首を傾げた。
「ススロンとエボダは高原侵攻に反対したわよね。じゃあ、ニアンの思惑を知っていたのかしら?」
「感付いていたらしい。だからこそ、侵攻案にあれだけ反対したんだろうね」
「じゃあなにか? ジンベルは、平原の大国同士の金儲けを巡る争いに利用されているだけなのか?」
生馬が、声を荒げた。
「いや、金儲けだけじゃないんだな、これが」
瞬が、にやにやと笑う。
「話は二十年前くらいに遡るんだ。ニアンの国王が、四十代半ばで病没した。息子は二人。よくある話だが、兄は阿呆で弟が優秀だった。慣例としては当然兄が即位すべきだったが、家臣団は弟を支持した。兄を支持したのは、国内の貴族たち。国王が阿呆なら、簡単に操れるとでも考えたんだろうな。キャスティングボードを握った国民は、弟を支持した。阿呆の元首は戴きたくないだろうからね。そういうわけで、兄の方は逐電。これを保護したのが、エボダだった。将来役に立つかもしれないと考え、とりあえず受け入れたらしい。それ以来、ニアンとエボダの仲はぎくしゃくしている。経済的に運命共同体といえるススロンは、エボダの味方を続けている」
「ふーん。結構いろいろあるのね」
凛が、感心したようにうなずく。
「金属加工技術の移転を巡っても、両者の争いは絶えないようだ。先日も、ニアンの職人が弟子数名ごとススロンに亡命した事件があったそうだ。ススロン側の見解は自発的移住だが、ニアンはススロン政府の一部局によって買収されたと非難している」
「生臭い話だな」
生馬が、鼻を鳴らした。
「どうも最近のニアンの国内情勢は良くないらしい。経済が停滞気味で、国王は貴族と国民の支持を失いかけているという噂だ。そこで、高原侵攻を機に一気に国威発揚と産業振興を図ろうという腹積もりのようだ。ま、かなりの博打だと思うけどね」
「なおさら乗れないわね。絶対に、ジンベルが巻き込まれないようにしないと」
凛が強い調子で言った。
「いや、高原侵攻は予定通り行ってほしいんだよ、凛ちゃん」
意外なことを、瞬が口にする。
「なぜだ? 高原侵攻に失敗すればえらいことになるし、よしんば成功したとしても、ニアンにいいように使われた上にススロンやエボダを怒らせるだけだろう。ジンベルに益はないぞ」
生馬が怪訝そうに言う。
「実は、水面下でいろいろと話は動いてるんだ……でもその前に、これだけは言っておこうか」
瞬が丸まっていた背を伸ばし、生馬と凛を交互に見た。
「これは極秘事項だが……近いうちに僕はススロンに亡命する」
「……亡命……正気か?」
生馬が眉根を寄せる。
「他に方法がないんだ。ジンベル貴族のままでは、ススロンにもエボダにも信用してもらえないんでね」
瞬が、肩をすくめた。
「ちょっと待ってよ、瞬。亡命なんかしたら、ジンベルとの関係が切れちゃうじゃないの。エイラと離れちゃったら、元の世界に帰れなくなっちゃうわよ」
慌てたように早口で、凛が指摘する。
「ま、僕の思惑通り行けばジンベルとの関係は悪化しないんだけどね。むしろ、ヴァオティ国王には感謝されるはずだ……と思う」
「とにかく、その思惑とやらを説明しろ」
生馬が、急かす。
「その前に」
瞬が懐を探って、折り畳んだ紙を取り出した。丁寧に開き、テーブルに置く。
「……何が書いてある?」
例のビルマ文字に似ている文字がぎっしりと書き込まれている書状を眼にして、生馬が顔をしかめる。
「簡単に説明すると、ススロン、エボダ、シーキンカイ三カ国と、ジンベルが裏で繋がっていた事を証明するための文書だ。下の方にサインが三つ見えるだろ? いずれも、三カ国の外務大臣クラスの署名だ。まあ、ジンベルがニアン陣営ではないことを証明するためのアリバイだな」
「なにを企んでいるの?」
凛が、疑わしげに訊く。
「僕の話を聞いてからでいいから、ここにサインしてくれ。ジンベル政府当局者としてね。自分の名前と肩書きくらいなら、綴れるようになっただろ?」
「わかったわかった。だから、さっさと話してくれ」
生馬が、ため息混じりに言う。
「くどいようだけど、内容は他言無用だ。いいね。ばれたら、僕の首が飛ぶどころじゃない。下手をしたら、平原を二分する大戦争になりかねないんだから」
念押しした瞬が、話し始めた。
エイラの予想通り、コーカラットは翌日の昼前に帰ってきた。
「……数、増えてるな」
拓海が、ぼそりと言う。
「ええ。増えてるわね」
夏希もうなずいた。ふわふわと飛びながら近付いてくるコーカラットの傍らに、短い脚をせかせかと動かして歩いている魔物の姿がある。
身長は一メートル八十センチくらいはあろうか。小太りで、頭部が大きい。短い手足に、全身を覆う白い柔毛。顔にはコーカラットやユニヘックヒューマと同様に、丸く黒い大きな眼と、小さなしまりのない口がある。眼の上には、半月状の太い眉毛。なぜか、大きな麦藁帽子を被っている。ぽこんと突き出たお腹には、ド○え○んのそれを連想させる大きなカンガルーポケット。やや猫背で、ちょっと陰気臭い雰囲気だ。
全体としての印象は、ちょっとくたびれた着ぐるみの熊か狸、といったところか。
「ただいま戻りましたぁ~」
コーカラットが、待ち受ける人々……夏希、拓海、エイラ、サーイェナ、そしてユニヘックヒューマに向かって、ぺこぺことボディを傾ける。
「ご苦労さま、コーちゃん。で、この方は?」
エイラが、訊く。
「ご紹介しますですぅ~。魔物の賢者、ニョキハンですぅ~」
「ニョキハンなんだな。物を集めたり調べたりするのが好きなので、賢者とか呼ばれてるんだな。よろしく頼むんだな」
コーカラットの紹介を受けた魔物……ニョキハンが、挨拶した。声は、低めで明らかに男性のものだ。やや暗いトーンで、ぼそぼそっとしゃべる。夏希は俳優の森○レ○を思い出した。
「ニョキハンは魔界の膨張に関しても色々調べたそうなのですぅ~」
コーカラットが、言う。
「ということは、魔界が膨張しているというのは間違いなのですね、ニョキハン殿?」
夏希は臆することなく訊いてみた。
「それは、間違いないんだな。でも、より正確に言うならばむしろ人間界が縮退している、とするべきなんだな」
「その原因は、ご存知ですか?」
拓海が、訊いた。
「知らないんだな。だが、ボクの考えでは、諸君らが魔力の源、と呼称している物の出力の減退、が原因ではないかと思うんだな」
「どうしてそのようにお考えになったのですか?」
今度はエイラが訊く。
「長年観察してきたが、人間界の縮退が始まった時期と、諸君らがいわゆる魔術を使い出した時期がほぼ同時なんだな。それに、近年タナシスと呼ばれる国で大量の魔術が使われだしてから、縮退のペースが速まったんだな。これらの相関関係から、ボクはそのように推論したんだな」
「……そもそも、魔力の源って、なんなんですか?」
根本的な疑問を、夏希はニョキハンにぶつけてみた。
「それは、ボクにもわからないんだな。でも、昔はこの地に人間界はなかったんだな。あるとき突然、魔界を押しのけるようにして人間界が出現したんだな。そのとき同時に魔力の源が現れたから、おそらくは魔力の源は人間界を維持するための何らかの仕掛けである、という推論は成り立つんだな。ボクの知る限りでは、人間界の形は円形で、その縮退はすべての外縁部で同時かつ平均的に発生しているんだな。これも、ボクの推論の補強材料だと思うんだな」
「では、魔界の膨張……ではなく、人間界の縮退を止めるにはどうすれば……」
エイラが訊く。
「魔力の使用を行わないのが、唯一の方法ではないかと、ボクは考えているんだな」
「やはりそうですか」
「あー、ニョキハン殿。魔力の源って、全部でいくつあるんですか?」
夏希はそう訊いた。
「確認した限りでは、七つあるんだな」
「高原にひとつ、ジンベルにひとつ。ワイコウにひとつ。あとは……タナシスにあるのかな?」
拓海が、指折り数える。
「タナシスには、みっつあるんだな」
「合計六つですね。あとひとつは?」
「ここにあるんだな」
ニョキハンが、片手を腹部のカンガルーポケットに突っ込んだ。
「え」
夏希は意表を衝かれてあんぐりと口をあけた。魔力の源は、動かせないのではなかったのか? それに、あんな大きな物が、ポケットに納まってしまうとも思えない。
「これなんだな」
ニョキハンが、ポケットから抜いた手を開いた。可愛らしいピンクの肉球がぷちぷちとついているちんまりとした手の上に、ゴルフボールほどの黒っぽい塊が載っている。
「これが……魔力の源?」
サーイェナが、かすれたような声で問う。夏希も首を傾げた。以前にジンベルで見た、オレンジ色の球体とは似ても似つかない。
「内蔵している魔力を使い果たすと、こうなるんだな」
ニョキハンが、太い指で黒い球体をつまみ上げる。
「ニョキハン殿。魔力の源は、動かせないはずでは?」
エイラが、訝しげに尋ねる。
「魔力の源は動かせない、というのは不正確で、本当は動かせるんだな。ただし、中の魔力を引き出すには土地に固定する必要があり、いったん固定すると魔力が無くならない限り動かせないから、事実上動かせない、ということなんだな」
「……じゃあ、動かせないと同じことでは?」
夏希はそう言った。
「魔力の源に蓄えられた力は、他の魔力の源を近づけると融通できるんだな。だから、空になった魔力の源に力の一部を移し変えれば、それを動かすことは可能なんだな」
「なるほど」
夏希はうなずいた。
「それって、凄い便利ですね」
エイラも感心したような口調で言う。魔力の源がふたつあれば、力を移し変えることによってどこにでも持ち運ぶことができるのだ。
「ともかく、これはボクの大事なコレクションなんだな」
ニョキハンが、魔力の源をカンガルーポケットに丁寧にしまった。
「これで、サーイェナ殿の主張が正しかったことが証明されたわけですね」
エイラが、言う。
「確かにな。早いとこ停戦して、人間界縮退対策を行わないとえらいことになるぞ」
拓海が同意する。
その後もしばらく、夏希らはニョキハンに様々な質問を浴びせかけ、魔界に関する幾許かの知識を得ることができたが、肝心の『人間界の縮退』に対する方策について有益な情報は得られなかった。
「ではボクはそろそろ帰るんだな。人間界はどうも居心地が良くないんだな」
ニョキハンが言って、くるりときびすを返し、すたすたと歩み始める。
「ありがとうございました、ニョキハン殿」
サーイェナの礼の言葉に、背を向けたままのニョキハンが軽く手を振って応えてくれる。
「あ、コーちゃん。ニョキハン殿をお送りしてさし上げて」
「気を使わなくていいんだな」
エイラが慌てて言ったが、ニョキハンは立ち止まることなくそう返答し、歩み続けた。
「ありがとう、ニョキハン殿」
夏希もそう言葉をかけ、軽く頭を下げた。変な……まあ、コーカラットもユニヘックヒューマもどう見ても『変』ではあるが……魔物だったが、充分に役立ってくれた。
「これで本格的な交渉に臨めるな。だがその前に、ジンベル側だけで打ち合わせをしておきたいのだが」
拓海が、サーイェナに要求する。
「宿舎をお使い下さい。わたくしとサイゼン殿は、会談を行える場所で待機しています。場所は、エワがご案内しますわ」
「結構」
そういった拓海が、何かを企んでいる顔で夏希とエイラを見て、顎をしゃくった。
「行こう」
「まずは、あんたの覚悟を聞いておきたい」
宿舎に戻ると、拓海がいきなりそう切り出した。
「覚悟?」
問われた夏希は、首を傾げた。
「俺たちは、ジンベルに一年契約で雇われた身だ。魔界膨張……人間界縮退の直接的影響が、ジンベルに及ぶのはおそらく数十年先、間接的影響が及ぶのも早くても十数年先だろう。だから、この問題に関しては守備範囲外だと看做して眼をつぶったとしても、契約上も道義的にも責められることはないはずだ。だが、俺はここの住人が……高原の民も含めて、結構気に入っている。だから、人間界縮退問題に関して積極的に関与し、解決に向けて動きたいと思っている。そしてもちろん、あんたに俺に同調する義務も義理もないことも、理解している。で……どうなんだ? あんたはこの問題に関してどこまで関与するつもりなんだ?」
「……いきなりそう言われても……」
夏希は口ごもり、ちらりとエイラに視線を送った。ジンベルの筆頭巫女は相変わらず生気にとぼしい表情で、夏希の方をぼんやりと見ている。その頭上では、コーカラットが触手を三つ編みにして遊んでいた。
「まあ、すでに損得勘定抜きで動いてるのは確かね。戦場で市民軍率いて戦うなんて、お金と引き換えだけでできるものじゃないし。高原の民はともかく、ジンベルを含めた平原の民の将来が危ぶまれているのであれば、それを何とかするために努力することは吝かじゃないわ。でも、人間界縮退問題はスケールが……時間的にも空間的にも大きすぎる話だと思う。いくら異世界人だからといって、簡単に解決できる問題とは思えないし」
「つまりは、当面俺に同調して動いてくれる、ってことでいいんだな?」
拓海が珍しく鋭い眼差しで夏希を見据える。夏希は強いて視線に力を込め、拓海を見返した。
「そうなるわね。もう簡単には抜け出せないところまで嵌っちゃってると思うし。ここまで来たら、もう少し付き合ってあげるわよ」
「結構だ。じゃ、サーイェナとサイゼンのおっさんに会いに行くか」
急に目元を和らげた拓海がそう言って、エイラに視線を当てた。
「そういたしましょう」
微笑んだエイラが、ちらりと夏希に視線を流してから、かすかにうなずく。
第四十一話をお届けします。久々に評価点を入れていただきました。評価してくださった方、ありがとうございます。