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白き巫女と蒼き巫女【改稿中】  作者: 高階 桂
第一章 高原編
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4 副官

「アンヌッカと申します。エイラ様から、副官としてお仕えするように命じられました」

 二十代半ばくらいに見える女性が、深々と頭を下げた。

「副官って……軍隊じゃないんだから」

 夏希は苦笑した。

 例によって彼女も黒髪だが、ジンベルの女性としては珍しく短く刈っており、ベリーショートに近い。顔立ちもやや厳つく、ボーイッシュだ。背は百七十センチ近くはあろうか。これもジンベル女性としては、相当に高い方だろう。服装も普通のジンベル女性とは異なり、ボディラインがはっきりとわかるくらいタイトな半袖シャツと、ゆったりとしたハーフパンツというものだ。腕や脚もやや太めで、しっかりと筋肉が付いている。

「一応ジンベル防衛隊の士官ですので」

 堅苦しく、アンヌッカが頭を下げる。

「まあいいわ。夏希よ。よろしく」

「さっそくですが、宿舎を決めねばなりません。王宮内にお部屋を手配することは可能ですが、空き部屋がほとんどありませんので、かなり窮屈なお住まいになってしまうと思われます。ですから、当面エイラ様のお屋敷に間借りされ、そのあいだに郊外に邸宅をお建てになるのがよろしいかと」

「邸宅?」

「もちろん、費用手続きその他は王国がすべて取り仕切ります」

 生真面目な表情のまま、アンヌッカが告げる。

「邸宅ねえ……」

 夏希は首をひねった。まあ、ジンベルの一般家屋の形状と規模からして、邸宅と言ってもたいしたものではないだろう。ちょっとおしゃれな貸しバンガロー、といったレベルに違いない。

「いいわ。そのあたりはお任せします」

「かしこまりました。ではエイラ様のお屋敷へ御案内します」

 アンヌッカが、夏希を王宮の外へといざなう。

「暑ぅ」

 戸外へ一歩踏み出した途端、夏希は萎えた。しばらく魔術の冷房が効いた室内にいたせいで、暑気がきつく感じる。

「この暑さには慣れなきゃいけないわね。ねえ、アンヌッカさん。ジンベルって、一年中こんなに暑いの?」

 街路を歩みながら、夏希はそう訊いた。周囲の山々に生い茂っている植物の様子からして、寒い冬が来るとは思えない。

「はいそうです、夏希様。一年に二回雨季がありますが、気温は下がりません。昼間はほぼ毎日、同じように暑いです。……夏希様のいらっしゃったところは、暑くないのですか?」

 アンヌッカが、訊いてくる。

「こんなに暑いのは、せいぜい二十日から三十日くらいね。あとはもっと過ごし易いわ。ねえ、寒いって感覚、わかる?」

「わかりますけど」

 アンヌッカが、怪訝そうな顔をする。

「わたしがいたところには、冬と呼ばれる時期があるのよ。その頃には、空気が冷たくなるの。王宮の中よりも、水よりも冷たくなるの。氷は知ってるでしょ?」

「はい、夏希様。魔術で造る硬い水ですね」

「それが、自然にできちゃうほど寒くなるのよ。雨が氷の小さい粒に変わって、空から降ってきたりもするわ」

「……そんな世界で、どうやって生きてゆけるのですか?」

 アンヌッカが、首を傾げる。

「まあ、色々と方法はあるのよ」

 夏希は適当なところで話を打ち切った。暖房や断熱、防寒具などの説明を始めたら、何時間掛かるか見当も付かない。

「それはともかく……夏希様って呼ぶのはやめてよ。堅苦しすぎるわ」

「しかし、夏希様は貴族でいらっしゃいます」

「じゃあ、その貴族として命令します。様付けをやめてちょうだい」

 夏希はきっぱりと言った。年上の女性に様付きで呼び掛けられていい気分になれるほどの虚栄心は持ち合わせていない。

「ご命令とあらば従いますが……僭越ながら意見を述べさせていただいてよろしいでしょうか」

 やや目を細め、遠慮がちに夏希を見上げながら、アンヌッカが言う。

「……いいけど?」

「ジンベルには他の貴族の方もいらっしゃいます。仕える市民に略式で呼ばれる貴族がいれば、他の貴族の方々は面白く思わないでしょう」

「なるほど」

 社会のルールに従え、というわけか。

「わかったわ。夏希様でいいわよ」

「それから、わたしのことはアンヌッカと呼び捨てにしてください。よろしいですね?」

「了解。アンヌッカ」


 エイラの屋敷の中は、思ったよりも涼しかった。せいぜい二十七度前後だろう。湿気があるから快適とは言いかねるが、運動でもしない限り汗が吹き出るようなことはない。

「ここも魔術を掛けてあるの?」

「いいえ。魔術で冷やした水を流してあるだけです」

 アンヌッカの説明によれば、ジンベル市街地にある家屋にはすべてこの冷却水による冷房システムが備え付けてあるのだという。付近の五つの山の中腹から湧き出る水を魔術の力で冷やし、地中に埋め込んだ導水管によって街外れまで導き、そこから枝分かれした何百本もの管が各戸を巡って室内を冷やすのだそうだ。温くなった水は各家庭や、市街地内に設けられた数十箇所の共同施設で生活用水として消費される。比較的きれいな排水は周辺の田畑に繋がる用水路に流され、汚れた排水は川に導かれる。

「ほう。進んでるわね。でも、各戸に冷却の魔術を掛けた方が、効率がいいんじゃない?」

「それでは魔術の濫用になります。冷却の魔術を使えるのは、王宮と医学院だけ、と昔から決められているのです」

 アンヌッカが言う。

「医学院?」

「病気や怪我を負ったものが収容され、医学を研鑽する者によって治療される施設です」

「……いわゆる病院の概念がないんだ」

 おそらくは、医学関係の私塾兼治療所みたいなものであろう。夏希は苦笑しながら手を伸ばし、廊下の隅を走っている金属管に触れてみた。たしかに、ひんやりとしている。

「しかし立派な金属パイプね。これも、魔術で造ったの?」

「これは輸入品です。ニアンの品ですね。金属の加工に優れている都市国家です」

 アンヌッカが説明する。

 すでにエイラから連絡が入っていたようで、夏希は家令だと自己紹介した初老の男性に、すぐに一室へと案内された。畳を敷いたら十二畳くらいはありそうな角部屋で、二ヶ所に窓が付いている。調度は、寝台(ベッドと呼ぶにはあまりにもお粗末だった)がひとつ、小さなテーブルがひとつ、腰掛がふたつ。背もたれ付きの椅子がひとつ。隅の方には用途のわからない木箱が、ぽつんと置いてある。

「夏希様専属の侍女は、今手配しているところです。明日までには連れてまいりますのでもうしばらくお待ち下さい。なにか御用がおありの場合は、声を掛けていただければすぐに誰か参りますので、なんなりとお申し付け下さい」

 白髪の家令が深々と礼をして、去ってゆく。

「何かご指示はございますか?」

 とりあえず椅子に腰掛けた夏希に向かい、アンヌッカがそう問う。

「立っている必要はないわ。座ってよ」

 夏希は腰掛のひとつを指差した。アンヌッカが一礼してから、腰を下ろす。

「当たり前の話だけど、わたしジンベルのことをよく知らないのよ。いろいろと、教えてほしいわ」

 夏希はそう言った。国王に、『民を教え導いてほしい』などと頼まれて契約したが、実際になにをどのように教授すればいいのだろうか。優先順位などの目星は付けておきたいところだし、中には伝えてはまずい事柄もあるだろう。例えば、住民に近代民主主義の概念を植え付けたりしたら、ヴァオティ国王は喜ぶまい。

「そうですね。では、まずこのジンベルについて御説明いたしましょうか」

 アンヌッカが、滔々と語り始めた。ジンベルの歴史の概略を述べたのち、歴代国王の業績に移る。

「ち、ちょっと待って」

 夏希は慌てて止めた。とても覚えきれる内容ではない。

「ノート取らなきゃ無理だわ。紙とペン、ないの?」

「探してまいりましょう」

 立ち上がったアンヌッカが足早に部屋の外に出てゆく。しばらくして戻ってきた彼女の手には、いくつかの品物があった。

「お待たせしました」

 アンヌッカが手にした物をテーブルに置く。

「これが……ペン?」

 夏希は木の棒を取り上げた。十五センチくらいの長さの細い棒で、尖った先端が青黒く染まっている。たぶん、つけペンみたいにして使うのだろう。

「これを」

 アンヌッカが、小さな陶器の壷を差し出した。おそらく簡単に倒れないようにする工夫だろう、妙に下膨れた重い壷だった。木製の栓を抜くと、油臭い臭いが夏希の鼻をついた。

 紙は五枚ほどあったが、爪磨きに使えそうなほどざらざらしており、色も妙に黄ばんでいる。

「まずは紙とペンの改良から始める必要がありそうね」

 ペン先(?)を壷に浸しながら……ちなみに中身はさらりとした液状ではなく、蜂蜜くらいの粘性をもっていた……、夏希はそうつぶやいた。


 夕食の雰囲気は、ぎこちないものだった。

 食堂のテーブルに着いているのは、両親ですとエイラが紹介してくれた中年の男女と、当のエイラ、それに夏希の四人のみ。それがジンベルの風習なのか、あるいはエイラの家の習慣なのか、食事中は誰も喋らずに、黙々と食物を口に運ぶだけ。ちなみにメニューは塩気のきつい淡水魚と野菜のスープ、数種の塩漬け野菜、香辛料で味付けした茸と野菜の炒め物、炊き込む時になにか混ぜ込んだのか、柔らかな辛味がついた米飯といったシンプルなものであった。飲料は、冷えた水と温かな緑茶だ。

 エイラの母親は娘そっくりの、小柄できれいな人だった。父親も小柄……夏希よりも頭半分低い……だがハンサムな中年だ。ふたりとも礼儀正しく接してはくれたが、どうも態度がよそよそしい。居候として押しかけたことが気に喰わないのだろうか。

 食事が終わると、両親はそそくさと食堂を出て行った。夏希は悠然と食後のお茶を楽しんでいるエイラににじり寄ると、両親の態度についてそれとなく尋ねてみた。

「それは、あなたが異世界の人だからです」

 わずかに苦笑しつつ、エイラが言う。

「わたくしは召喚した張本人だし、陛下や軍人のアンヌッカは感情を抑制するすべを知っています。ですが、母はごく普通の巫女だし、父は中堅官僚です。異世界から来た人物と、簡単には打ち解けられませんわ」

「……そうか」

 夏希は納得した。

「では、わたくしはもう休みます。なにか用事があるときは、侍女のキャレイを呼んでください。夏希殿のお部屋を出て廊下を左に進んだ突き当りの部屋におりますので」

 立ち上がったエイラが、教えてくれる。

「もう寝るの?」

「夜ですからね」

 エイラが真顔で言う。

 夏希の体内時計は、まだ午後七時くらいであった。眠気など、皆無だ。

 ……そういえば、ここの一日は短いんだっけ。

 ジンベルの人々は、この短い一日に合わせて睡眠のサイクルを身につけているのだろう。これに慣れないと、不眠症で苦しむことになりかねない。

「勉強でもするかな……」

 エイラのあとについて食堂を出ながら、夏希はそうつぶやいた。アンヌッカが語った内容を綴ったメモを、読み直すのもいいかもしれない。

「そうそう、明かりをお渡しするのを忘れていましたわ」

 夏希の部屋の前で立ち止まったエイラが、手早く印を結びながら何かを唱える。すぐに、彼女の胸の前に光る球体が出現した。坑道や王宮内にあった、例のやつだ。

「どうぞ、お使い下さい」

「どうぞ、って言われても」

 夏希は戸惑った。

「……そうでした。使い方もお教えしなければいけなかったのですね」

 エイラが軽いため息と共に微笑を浮かべる。

「こうすると、持ち運ぶことができます」

 エイラが球体の天辺に指を触れてから、部屋の中に入ってゆく。光る球体はエイラの指先にくっついたままだ。部屋の中が、白色蛍光管に似た白っぽい光で満たされる。

「離せば、任意の場所に浮いています」

 腕を上にさし上げたエイラが指をぱっと離す。球体は、光を発したまま床から百八十センチくらいの高さに静止していた。

「面白いわね」

 夏希は指を伸ばし、球体に触れた。腕を引く。

 球体は動かなかった。

「あれ?」

 もう一度やってみる。今度も、球体は動かなかった。

「触れる指は一本だけ。触れた瞬間に、軽く指の腹で押さえるようにしてください」

 エイラがアドバイスする。

 夏希は何度かトライした。五回目で、やっと球体が指先にくっつく。

「離す時はどうするの?」

「置きたい場所で、他の指を使って強く短く押してください」

 エイラが、指の動きを夏希に見せながら、説明する。

 離すのは、簡単だった。何の抵抗もなく、球体が指から離れ、宙に浮く。

「便利だけど……これ、消す時どうするの?」

「消せません。魔術の光ですから、半年は持続します」

「……眩しくて寝れないよ?」

「この箱を、使います」

 エイラが、部屋の隅においてあった木箱を拾い上げた。蓋を開け、球体を中に収める。途端に、室内が薄暗くなった。蓋の閉め具合で、光量も細かく調整できるようだ。

「なるほど」

「では、わたくしはこれで」

 球体を指に着ける練習をしている夏希に向かい軽く一礼したエイラが、部屋を出て行こうとする。夏希は慌てて呼び止めた。

「ねえ、お風呂は?」

「……夜はありませんが」

「はあ?」

 夏希はエイラに説明を求めた。……彼女の話によれば、ジンベルの風呂というものは昼間に営業する公衆浴場だけだそうだ。

「……そんな。お風呂がないなんて」

 夏希はがっくりと肩を落とした。一時間くらいは長風呂のうちに入らない、と思っているほどの風呂好きである。入浴しないで就寝することなど、想像すらできない。

「水浴びならばできますが、普通夕方か朝に行うものですね。夏希殿は、夜に水浴びをなさりたいのですか」

 エイラが小首を傾げつつ、眉根を寄せた。

「いいでしょう。コーカラットに頼みましょう」


第四話をお届けします。

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