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白き巫女と蒼き巫女【改稿中】  作者: 高階 桂
第一章 高原編
37/145

37 いわゆるひとつの拉致

「あら。珍しいわね。朝早くから会えるなんて」

 朝イチでジンベル防衛隊本部に出向いた夏希は、そこで拓海とばったり出くわして少しばかり驚いた。

「昨日リダと約束してね。一緒に散歩してくれと頼まれたんだ」

 夏希同様驚いたらしく、少しばかり上擦ったような声で、拓海が応ずる。

「へえ。デートまでこぎつけたの。えらいえらい」

 夏希は棒読み口調で言って、気のない拍手を送った。

「そういうあんたはどうしたんだ?」

 アンヌッカににこやかに挨拶したあとで、拓海がそう訊いてくる。

「こっちも約束よ。サイゼンが、エイラに会いたいと言ったので、彼女も来ることになってるわ。使節団のメンバーに内定してるからね」

「ほう。顔合わせか。あとは陛下の許可さえ下りれば、ってとこだな」

「ま、お互い『進展』があるといいわね。うまくやんなさいよ」

 夏希は拓海の脇腹に、控えめに親しみを込めた肱打ちを入れた。

「が、頑張るよ」

 薄く頬を染め、戸惑いの表情を浮かべた拓海が、どもり気味に返答する。



「おはよう、エイラ。朝早くから、ごめんね」

 眠そうな顔の巫女少女を見て、夏希はそう詫びた。

「おはようございます。いえ、謝る必要はありませんわ。これも巫女としての仕事ですから」

「夏希様、おはようございますぅ~。アンヌッカ殿も、おはようございますぅ~」

 眠気とは無縁なコーカラット……魔物は睡眠をとらないそうだ……が、いつものように快活に挨拶してくる。

「で、わたくしは何をすればいいのですか?」

 いつもの巫女装束のエイラが、可愛らしく小首を傾げて問う。

「ま、使節団の顔合わせ、というところね。この部屋にサイゼンを連れてくるから、一緒に話を聞いてほしいの」

 夏希はエイラを尋問室に案内した。扉を開け、招じ入れる。

「あらら。まだ準備してないじゃん」

 室内を一瞥し、夏希は呆れた。昨日のうちに、朝一番で追加の椅子の搬入と、エイラ用の筆記用具の調達、それにお茶の支度をしておくように指示を出しておいたのだが、そのいずれもが準備されていない。

「ごめん、アンヌッカ。厨房棟に行って、お茶を運ばせるように言ってきて。帰りに、椅子か腰掛けもひとつと、筆記用具一式もお願い」

「承知しました」

 軽くうなずいて、アンヌッカが尋問室を出てゆく。

「夏希殿は、サイゼン殿を仲介役にすることによって、戦争を終わらせることができると確信していらっしゃるのですか?」

 唐突に、エイラがそう訊いてくる。

「他に気の利いた手段が思いつかないから、取り組んでいるだけよ。このままずるずると戦い続けても、戦死者が増えるわお金は掛かるわで、いいことはないわ。どこかですっぱり終わらせないと」

「それはもちろんです。しかし、魔術を使わずにジンベルが立ち行くことは難しいですし」

 エイラが困り顔でうなずいた。その背後、少し離れた部屋の隅で、コーカラットが斜め四十五度くらいに傾いて、ゆっくりと回転している。

「巫女にとっては、死活問題よね」

 夏希は苦笑いした。魔力の源を使って魔術を使えるからこそ、巫女の存在意義があるのだ。

「ともかく、ある程度サイゼンは信用していいと思うの。あとは、陛下のご裁断待ちなんだけど……」

「そちらの方は、望み薄ですね」

 エイラがゆっくりと首を振る。

 連日の生馬の努力にもかかわらず、ヴァオティ国王はイファラ族との交渉開始を渋っていた。ニアン主導による高原侵攻作戦の準備は着々と進行中。それに反発するススロン、エボダの両国は、派遣兵力引き上げを強く匂わせ、作戦中止を迫っている。

「ともかく、早めに手を打たないと……」

 夏希は腕を組んだ。異世界人と言えども、ジンベルに雇われている身に過ぎない。かなり高い地位を与えられているものの、その権限が通用するのは主にジンベル国内だけだ。事態がこれ以上拡大したら、夏希らの手には負えなくなるだろう。

 と、いきなり尋問室の扉が開いた。市民軍兵士らしい男性が一礼しながら入ってくる。そのあとから、サイゼンが現れた。さらに後ろから、市民軍兵士二名が続く。

「あれ? 今日は防衛隊の人じゃないの?」

 夏希は当惑の声をあげた。

「よくわからんが、違うようだな」

 やや不機嫌そうな声でそう言ったサイゼンが、エイラに視線を当てて軽く会釈する。

「イファラ族氏族長サイゼンだ。ジンベルの巫女、エイラ殿とお見受けするが」

「その通りです。お初にお目にかかります、サイゼン殿」

 エイラが折り目正しく言って、一礼した。

 そのあいだに、市民軍兵士三人が、扉の前に立った。うち一人が、少女といってもいいくらい若い女性であることに、夏希は気付いた。いずれも見覚えのない顔だったが、市民軍兵士は動員時には三千名を越える。顔を知らぬ者がいても、別段不思議はない。

「後ろで浮いておられるのが、噂のコーカラット殿ですな」

 サイゼンが、見上げる。

「わたくし、エイラ様の使い魔でコーカラットと申しますぅ~。よろしくお願いしますぅ~」

 回転をやめたコーカラットが、いつもの調子で挨拶し、ボディを前に傾ける。

「コーカラット殿。少しお話したき事柄があるのだが……よろしいかな?」

「構いませんですぅ~」

 サイゼンの提案に、コーカラットが快く応ずる。

「もう少し、近くに寄ってはくれまいか」

「わかりましたですぅ~」

 コーカラットが高度を落とし、サイゼンのすぐそばまで漂ってゆく。

「サイゼン殿。なにをされるおつもりです?」

 夏希は訝しげに問うた。

「いや、気にせんで下され、ナツキ殿」

 そう言ったサイゼンが、コーカラットの側頭部に口元を寄せ、小声で何かを告げた。……耳打ち、に近い格好だが、もともとコーカラットに耳はない。

「はい。もちろんですぅ~」

「何をなさるつもりなのですかぁ~」

「むりやりはいけないのですぅ~」

「エイラ様と夏希様が自ら行かれるのであれば、止めようがないのですぅ~」

「もしそうだとしても、わたくしがお守りするのですぅ~」

「ちょっと、何の話をしているのですか?」

 夏希は焦れてそう言った。サイゼンの声が聞こえないから、傍で見ている限りではまるでコーカラットが携帯で喋っているかのようだ。

 いきなり、コーカラットの触手の一本がサイゼンの手首に巻きついた。

「本当かどうか、確かめるのですぅ~。絶対に、エイラ様と夏希様に危害は加えない、と誓っていただくのですぅ~」

「エイラ殿と夏希殿には、決して危害を加えない。その安全は、このサイゼンが保障する」

 コーカラットの触手に手首を巻かれたまま、サイゼンが厳かに宣言する。

「ちょっと、コーちゃん。何してるの? どういう意味かしら?」

 エイラも苛立ったような声をあげた。

「申し訳ありませんですぅ~。今からご説明いたしますぅ~」

 コーカラットがサイゼンのそばを離れると、エイラと夏希の前に漂ってきた。

「サイゼン殿が今からあることをなさるそうですが、それは人間同士の争いごとに関するものなので、わたくしに介入しないようにと告げられたのですぅ~。また、おふたりには絶対に危害を加えない、と約束しておいでですぅ~。サイゼン殿は、嘘はついていないのですぅ~」

「はあ?」

 事情がわからぬまま、夏希は当惑の声をあげた。

 そのあいだに、控えていた三人の兵士が、ぞろぞろと部屋を出て行った。驚く夏希とエイラを尻目に、扉がぱたんと閉まる。

「さて、これで人払いはできた。本題に入ろう。エイラ殿、ナツキ殿。唐突で申し訳ないが、わたしに拉致されていただけないだろうか」

 生真面目な表情で、サイゼンがふたりに告げた。


「あ、あの、サイゼン殿? 冗談にしては、不謹慎すぎると思いますが」

 数秒の沈黙のあと、強張った笑みを浮かべた夏希はそう言った。

「冗談ではありませんぞ。わたしは本気です。もっとも、拉致というのは建前ですが。お二方を高原にご招待したいのです」

 サイゼンが、慇懃に一礼する。

「どういうことですの?」

 鋭い語調で、エイラが問うた。

「なに、単純な話です。わたしとナツキ殿の思惑は、ジンベルの外交団が停戦交渉のために高原に行くべきだという点で一致している。しかしながら、ヴァオティ国王がイファラ族との外交交渉を禁じておられるので、動きようがない。そこで、わたしに拉致されたという形で、高原にご招待しようというわけです。まず魔界膨張の様子をその眼で確かめていただく。その上で、双方が納得できる停戦条件を検討する。先ほど出て行った三人の兵士は、みなわたしの部下です。すでに、お膳立てはできています。どうでしょう、拉致にご同意いただけますかな?」

 わずかな笑みを湛えて、サイゼンが淀みなく説明する。

「お、面白い提案ですね」

 夏希は引き気味にそう言った。サイゼンがやりたいことは、ようやく理解できた。停戦に持ってゆくためには、外交交渉が不可欠だ。だが、現状では使節の派遣すら、国王によって禁じられている。夏希なり誰なりがほいほいと高原に出向けば、王命に反したということで厳罰に処せられるだろう。場合によっては、利敵行為で死罪の可能性すらある。しかし、拉致されたということにしておけば、不注意を咎められる程度で済むはずだ。

「しかし、急にそんな提案をされても……せめて何日か前に予告していただければ、こちらとしても準備とか……」

「それでは、拉致になりませんぞ」

 夏希の発言を、サイゼンが遮った。

「あなたやエイラ殿が、ヴァオティ国王から処断されるようなことがあってはならないのです。下手に準備などしたら、拉致が偽装であることがばれてしまう」

「確かにそうですね。……夏希殿、ここはサイゼン殿を信じて高原に行ってみませんか?」

 エイラがそう言って、夏希を見て微笑む。

「ちょっと、エイラ。本気で言ってるの?」

「サイゼン殿のおっしゃることは筋が通ってますわ。巫女としては、魔界膨張と魔力の源の関係も調べてみたいですし」

「でも、色々と危険が……」

「コーちゃんがいれば、平気ですわ。もし夏希殿かわたくしに万が一のことがあれば、コーちゃんが仇をとってくれます。イファラ族くらい、半日もあれば殲滅できますわ。そうでしょ、コーちゃん」

「お言葉ですが、半日ではいささか無理なのですぅ~。二日くらいは、掛かると思うのですぅ~」

 コーカラットが、触手をくねらせながら言う。

「どうかわたしを信じて欲しい」

 サイゼンが、軽く頭を下げる。

「噂に聞く高原侵攻作戦が行われれば、他の氏族が黙ってはいないだろう。戦争は拡大してしまう。わたしはイファラ族の氏族長に過ぎない。他の氏族への影響力は、限定的だ。高原の民と平原の民の全面対決に発展してしまったら、わたしの手には負えなくなる。その前に、ぜひとも停戦に持ち込まねばならない。今ならまだ、イファラ族の総意をまとめ上げるだけで、停戦できるだろう」

「いいですわ。わたくしは高原地帯へまいります。これも、巫女としてジンベルのために尽くす道のひとつですわ。夏希殿、一緒に行ってくださいますね?」

 エイラが、期待を込めた眼差しを夏希に注いだ。

「待ってよ、エイラ。状況がほんとにわかってるの? もし拉致が偽装であることがばれたら、王命に反抗したことになるのよ?」

 サイゼンにちらりと視線を走らせつつ、夏希はそう言った。

 ジンベルの法律には詳しくないが、ヴァオティ国王に逆らうのは重罪だろう。下手をすれば、死刑だ。拉致が偽装であることは、当然サイゼンも知っているのだから、彼がジンベル政府に密告すれば、夏希とエイラは断罪されるだろう。高原行きを選択すれば、ふたりの命運はヴァオティの手に握られてしまうも同然となる。

「いざとなったら、ジンベルを捨てて亡命でもすればいいことですわ」

 こともなげに、エイラが言い放った。

「亡命って……」

「ワイコウなら、魔力の源がありますから巫女として受け入れてくれるでしょう。あんまり評判のいい国じゃないから、気が進みませんが。夏希殿。わたくし、凛殿のお手伝いをして、何百人という怪我人を見てきましたの。痛みと苦しみと、悲しみによってゆがんだ何百という顔を。あのような人々をこれ以上出さないためなら、国を捨てることくらい、厭いませんわ」

 きっぱりと言ったエイラが、その漆黒の眼で、夏希を見据えた。おもわずたじろぐくらい、強い光を放っている。

 ……本気モードに入ってる。

 夏希はそう判断した。ここまでの覚悟がある以上、エイラを翻意させるのは難しいだろう。

「……気が進まないけど、付き合うわ」

 夏希も覚悟を決めた。エイラに万が一のことがあれば、元の世界へ送り返してもらえなくなることに気付いたのだ。ひとりで行かせるよりは、夏希が付いていった方が、まだ安全に思える。コーカラットが守ってくれるのであれば、とりあえず命を落すようなこともあるまい。拉致はさすがに想定していなかったが、すでに外交使節団の一員として、高原地帯に赴く覚悟はできていたのだ。それが、多少早まったと思えばいい。

「結構だ。さっそく、出かけよう」

 サイゼンが、扉に歩み寄って軽く叩いた。すぐに、兵士の一人が顔を見せる。。

「置手紙とか、書かせてほしいわね」

 夏希は、手元の筆記用具を取り上げた。

「それはまずい。拉致ではないとばれてしまうぞ」

 サイゼンが、渋い顔をする。

「大丈夫。異世界の文字で書くから。仲間の異世界人にだけは、真相を伝えておきたいの。すぐ終わるわ」

 夏希はさらさらとつけペンを走らせた。文末に名前だけ書き添える。

「できた。じゃ、行きましょう」



「いつもと違う場所を歩いてみたいんです」

 そう言って、リダはタクミと手を繋いだ。

「ああ……構わないけど」

 当惑した様子で、タクミが許可を出す。

 リダは計画通り、タクミを市街地の北部へと連れ出した。周囲の建物に気をとられた風を装って、わざとゆっくりと歩く。

 日除けの笠を目深に被った男性が、監視役の兵士を伴ったリダとタクミを足早に追い抜いてゆく。その背格好と歩き方は、リダには馴染みのものであった。

 実兄ベンディスである。

 リダは湧き上がる喜びを噛み締めつつ、タクミを見た。その笑顔の意味を勘違いしたらしいタクミが、笑顔を返してよこす。

 ベンディスが、一本の路地に消えた。わざと足を遅らせたリダは、一ヒネほど待ってから、その路地へとタクミを連れ込んだ。

 手筈通り、その路地の中ほどにくたびれた麻紐の切れ端が落ちていた。そこまでタクミを連れて歩んだリダは、サンダルに石が挟まったと偽って、しゃがみ込んだ。逆方向から、笠で顔を隠したベンディスが歩んでくるのを横目で確認しながら、建物のあいだを手探りする。指先に、革の感触があった。素早くつかみ取る。

 革の鞘に収まった小さなナイフが、リダの手に握られた。タクミに気が付かれないように、そっと鞘から抜く。

 湿った砂に重いものを落としたような音が聞こえた瞬間、リダは勢いよく立ち上がった。状況を把握できていないタクミに半ば抱きつくような感じで寄り添い、ナイフの切っ先を首筋に突きつける。

「静かにしていただきます、タクミ殿」

「……え」

 当惑した表情のタクミが、大きく見開いた眼でリダを見返す。

「助けを呼んだら、刺します」

 リダは本気でそう言い切った。色々と親切にしてもらい、タクミには好意を抱いていたが、ここで大声を出されたらベンディスまでもがジンベルに捕まってしまう。リダにとっては、愛する兄のためなら、タクミを殺すことなど造作もないことだった。

「大人しくしてくれたまえ、タクミ殿」

 兵士の始末をつけたベンディスが、タクミの肩をつかんだ。

「自己紹介させていただこう。リダの兄、ベンディスだ。わたしと一緒に来てもらおう」

「……どこへ?」

「ジンベルの筆頭巫女と、君の仲間のナツキという女性のところだよ。安心してくれ、抵抗しない限り危害を加えるつもりはない。無益な殺生はしない主義でね。兵士も気絶させただけだ」

「何を企んでいる?」

 怯えを含んでいるのか、かすれたような声でタクミが問う。

「停戦です。タクミ殿、わたしは自分の鉈に掛けてジンベルの不利益になることはしないと誓いました。その誓いは、まだ生きています。兄上がなさろうとしている事は、ジンベルの利益になるのです」

 首筋からナイフの切っ先をやや離しながら、リダは真摯な表情でタクミに告げた。



 最初に異常事態に気付いたのは、アンヌッカであった。

 夏希はもちろん、エイラとコーカラットまでもが尋問室から消えていることに気付いた彼女は、すぐさま周囲を捜索にかかった。殴られて気絶している兵士一人を発見したアンヌッカは、即座に警備室に駆け込み、当直警備の士官に警報を発令させた。これに伴い、ジンベル防衛隊本部のすべての門が閉ざされ、警備が強化された。アンヌッカの勧告を受けた当直士官は数名をサイゼンが監禁されている部屋に派遣したが、そこにはサイゼンの姿はなく、代わりに縛られた二人の兵士が閉じ込められていた。

 連絡を受けたラッシ隊長……このときはたまたま救援軍駐屯地で統合司令部の面々と打ち合わせ中であった……はすぐさまジンベル防衛隊と市民軍に対し緊急招集を掛け、サイゼン氏族長とエイラ、夏希の両名を捜索するように命じ、救援軍各部隊にも協力を要請した。市街地を捜索していた一隊に、頭に大きな瘤をこしらえた兵士が助けを求めたのは、昼前のことであった。そこで初めて、拓海とリダの姿も消えていることが発覚した。

 ジンベルは大混乱に陥った。



「申し訳ありません、わたしが付いていながら……」

 アンヌッカが、唇を噛む。

「あなたを責めるつもりはないわ。防諜担当者として、あたしにも責任があるんだし」

 さばさばとした表情で、凛が言う。

「俺もジンベル防衛隊の一員として、責任を感じている。気に病むな、アンヌッカ。夏希は必ず無事に帰ってくる。なにしろ、コーカラットが付いているんだからな」

 生馬もそう言って、アンヌッカの肩を慰めるようにぽんぽんと叩いた。

「今日はもう任を解く。家に帰って、休め」

「了解しました、生馬様」

 なおも悄然としたまま答えたアンヌッカが一礼した。凛にも頭を下げてから、すごすごと仕事部屋を出てゆく。

「……凄い落ち込みようだな。夏希もいい部下を持ったものだ」

 羨ましそうに、生馬が言う。

「真相を教えてあげたいけど、ねえ」

 凛が、夏希の置手紙を手にする。

『ラチギソウ 高原ユク 心配ナイ 夏希』

 汚い字で走り書きされた紙。

 尋問室に残されたそれを目にした瞬間、生馬と凛は夏希らの意図とことの次第を理解した。脱走の手際から見て、主導したのは夏希やエイラではなく、イファラ族側だったのは間違いない。おそらくは、事前にサイゼンの部下が複数潜入していたのだ。彼らを利用してジンベル脱出の手筈を整えたサイゼンが、夏希とエイラに拉致を装った高原行きを提案、停戦交渉の好機と見た二人がそれに乗ったのだろう。

「まあ、夏希はともかく拓海がいるんだから、ドジは踏まないと思うが……」

 生馬は頭を掻いた。

「ま、あたしたちはこちらでできることをやりましょうよ」

「そうだな」

 前向きな凛の発言に、生馬は深くうなずいた。夏希と拓海、それにエイラがどのような交渉をイファラ族と行うかは定かではないが、その内容を受け入れる準備……もっと正確に言えば、ジンベルが譲歩する気になるような根回しをしておかねばならない。状況証拠からすれば本当に拉致されたらしい拓海はともかく、夏希とエイラは拉致が偽装であることが発覚すれば、処刑されるかも知れぬことを承知で、高原へと向かったのだ。その覚悟を無駄にするわけにはいかない。



「いいのかなぁ」

 ジンベル川を下る川船に揺られながら、夏希はぼやいた。

「コーちゃんがいれば、問題ありませんわ」

 夏希の隣で船縁に座り、通り過ぎる景色を眺めているエイラが、素っ気なく応ずる。

「いや、コーちゃんのことは信用してるわよ。むしろ心配なのは、後始末ね」

「凛様たちに置手紙も書きましたし、大丈夫じゃないでしょうか」

「拉致偽装がばれなかったとしても、陛下に怒られたりしない?」

「わたくしたちは外交交渉に出向くわけではありませんわ。あくまで拉致されたのです。不可抗力ですわ。責めを負うべきは、ジンベルの治安維持を統括するジンベル防衛隊ですわ。つまりは、ラッシ隊長の責任ですね」

 エイラが屁理屈を述べ、くすくすと笑う。

「まったく、酷い目にあった」

 ぼやきながら、拓海が船縁に寄ってきた。

「どう? 拉致された感想は?」

 にやにやと笑いながら、夏希は訊いた。すでに、拓海拉致の事情は、サイゼンから詳しく聞かされている。

「美少女に刃物を突きつけられるというのは、なかなか快感だね。癖になりそうだ」

 真顔で、拓海が言う。

「……マゾなの?」

「否定はしない。ただし、相手が美少女限定だがな」

 拓海が真顔のままで返す。

 川船はすでにジンベルの領域を過ぎて、フルーム目指しかなり早い速度で進んでいた。両岸は平坦だが、密林に覆われており、人家はない。時折、ジンベルを目指す川船と行き違うくらいで、寂しいところである。川幅はやや広がっており、流れもいくぶん穏やかなようだ。

「いつまでこうしていなければならないのですかぁ~」

 積荷のあいだから、コーカラットが情けない声をあげる。

「ごめんね、コーちゃん。暗くなったら、出てきていいから」

 エイラが、宥めた。

 コーカラットがふわふわと飛んでいては、エイラの居場所をのぼりでも立てて触れ回るも同然である。そこで、コーカラットは川船に積み込まれている幾許かの積荷のひとつに偽装されていた。さながらヤドカリのように、蓋を取った木箱を、頭(?)から被っていたのだ。他人に見られそうなときには、木箱の中にすっぽりと入り、触手を引っ込めて動かずにいれば、ごく普通の積荷のひとつにしか見えない。

「そうしていると、意外と可愛いわよ、コーちゃん」

 夏希は褒めた。


第三十七話をお届けします。

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