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白き巫女と蒼き巫女【改稿中】  作者: 高階 桂
第一章 高原編
36/145

36 敵地潜入

「起きてください、シュロッツ」

 優しく肩を揺さぶられて、ベンディスは目覚めた。

 眼の前に、微笑を浮かべた少女の顔があった。浅黒い肌の丸顔。こげ茶色の大きな眼はいささか離れ気味で、美人とは言えないがいかにも人の良さそうな、好感の持てる顔立ちだ。

 ……エワ……じゃない、ラマラか。

「着いたのか?」

 ベンディスは樽の上に横たえていた身を起こした。

「あと十ヒネほどです。起きて、ローアンと交代してください」

 エワが言って、艫で竿を操っている男の方を見る。

「わかった。ありがとう」

 中腰になったベンディスは、服装を整えると、日除けの防水布の下から抜け出した。笠を目深に被り、艫に近付く。

「代わろう」

「お願いします、シュロッツ」

 手を止めたローアンが、丁寧に竹竿を差し出す。

 シュロッツというのは、ベンディスの偽名である。平原地帯では、ありふれた名前だそうだ。ベンディスが率いてきた三人の高原の民も、今はそれぞれ平原の民らしい名前を名乗っている。

「おいおい。この船ではわたしが一番の下っ端のはずだぞ」

 薄笑いを浮かべながら、ベンディスはローアン……これも偽名である……にそう言った。

「そうでした。では改めて。……手ぇ抜いたら承知しねえぞ、シュロッツ! ……これでよろしいですかな」

「結構」

 竹竿を受け取ったベンディスは、艫に立つとそれを上手に操り始めた。もともと器用な方だし、ここまでの旅のあいだにかなり長く竿を操ったから、コツは充分に飲み込んでいる。

 平原の民との混血男性二人と共に高原地帯を旅立ってから、すでに二十日の時が流れていた。

 旅自体は、覚悟していたよりも楽なものであった。ビレットが推薦してくれたバチーラ支族の混血女性エワは、ふたつ返事で同行を承諾してくれたし、ハンゼイ氏族の友人も快く協力を約束してくれた。平原地帯への侵入も滞りなく行えたし、ジージャカイにいる協力者との接触も順調であった。

 そのジージャカイの協力者が紹介してくれたのが、いまベンディスが乗っている船の船長であるアララックだ。いわゆる個人船長で、商人に船ごと雇われて都市国家間で商品を運ぶだけであり、出入国の際に税金を払ったりする必要がなく……支払い義務があるのは売買した商人である……積荷を詳しく調べられたりすることがないので、秘かにジンベルに入国するには都合がいい。ちなみに、今回の積荷はジージャカイ産の米の酒である。

 船に乗り組んでいるのは、五人。船長のアララックと、その助手を装っているセイエル。雑用係のラマラことエワ。残るシュロッツことベンディスとローアンは、推進要員兼荷物係りとなる。もちろん、アララック以外は高原の民である。

 竿を操りながら、ベンディスは黒髪に産んでくれた両親に秘かに感謝した。顔つきはどうしようもないが、意図して日焼けするようにしたので、肌の色は平原の民とたいして変わらないよい色になっている。日除けの笠を目深に被っていれば、一瞥したくらいでは高原の民とは気付かれないだろう。

 ベンディスは、周囲に眼を転じた。すでに、とくに意識しなくても手が勝手に竿を操るくらいに上達している。

 船はすでにジンベル盆地の北端に入っており、それまで両岸を覆っていた密林は疎となり、高原のそれとは違う丈の低い下草が密生した平地が広がり始めていた。前方に、多数の小屋が見え始める。ジンベルを救援するために派遣された平原諸国兵士たちの宿舎だろう。訓練なのか、長槍を携えた二百名ほどが整列しているのも見える。さらに近付くと、十数名の兵士が河原で洗濯しているのに出くわした。エワの姿を眼にしたのか、何人かが大きく手を振ったり口笛を吹いたりする。ベンディスは心持ち顔を伏せた。

 しばらくすると、両岸に田んぼが見え出した。人家も増え、市民の姿も多くなる。ベンディスは竿を水平にしてしゃがみ、一本目の橋をやり過ごした。

 アララックの指示に従い、ベンディスは市街地手前の船着場に船を寄せた。差し掛け小屋に待機していた役人が、身軽に船に乗り込んでくる。

 アララックが積荷に関する書状を役人に提示しているあいだ、ベンディスは竿を握ったまま大人しくしていた。船頭など役人には船の付属品だと思われている、と聞いている。目立つことをしなければ、高原の民だとは気付かれないはずだ。万が一気付かれても、混血だと言い逃れる手筈になっている。

 書状を検めた役人が、酒樽を目の子勘定で数え始めた。満足したのか、アララックと握手を交わすと、岸壁に上がる。

「よし、シュロッツ。出せ」

 アララックが、めんどうくさそうに手を一振りしつつ命ずる。むろん、演技である。役人はまだ岸辺にいて、こちらを注視しているのだ。気は抜けない。

 ベンディスは無言のまま竿を岸壁に突き、船を出した。



 散歩中のリダに近づいて来た少女は、ごく普通のジンベル市民に見えた。

 ありきたりの挨拶を交わし、世間話に興じる。しばらくして、その少女が横目で監視の兵士をちらりとうかがった。リダも釣られるようにそちらに眼をやった。任務に飽きたのか、兵士は眠そうな表情だ。

 少女が、さりげなくリダに身を寄せた。世間話を続けながら、握っていた手のひらを開く。

 小さく折り畳まれた紙片が入っていた。

 リダの視線が紙片を捉えたことを確認してから、少女がごく小さくうなずいた。なおも世間話を続けながら、ごく自然な動きでリダの手を取って撫でさする。

 すぐにリダは、自分の手の中に紙片が押し込まれたことに気付いた。戸惑いながら、少女の顔を見る。

「ところでさあ、あなた、お兄さんとかいる?」

 少女が話題を唐突に切り替え、意味ありげに微笑んだ。

 ……まさか、兄上の手紙?

 リダは紙片をしっかりと握り込んだ。監視の兵士の視線が逸れた隙に、服の中へと押し込む。

 高原の民の識字率は高くない。だが、リダは支族長の娘として、狩人としては例外とも言える高い教育を施されていた。当然、読み書きには不自由していない。

 本当に兄上の手紙なのだろうか?

 リダは少女をじっと見つめた。少女が、意味ありげに片目をつぶってみせる。そして、やや指を開いた手を自分の腰に当て、心持ち指を閉じてから胸の前に持ってくる。

 ……この少女は高原の民だ。

 リダは確信した。平原の民が見たならば、何のことはない無意味なしぐさだが、高原の民ならば今の少女の手の形と動きは、自分の鉈を抜いた行為そのものであった。しかも、その動きは不自然なところが微塵も見受けられぬほど滑らかで、すでに何年も自分の鉈を扱いなれていることをうかがわせた。間違いなく、子供の頃から鉈を愛用していた者の手つきだった。



 散歩から戻ったリダは、扉の外に人の気配がないことを確認してから、懐にしまいこんであった紙片をそっと取り出した。わずかに震える手で、ゆっくりと開いてゆく。

 ……間違いない、兄上の字だ。

 読み進めるリダの視界が、みるみるぼやけてゆく。自分が生きていることを、兄が知っている。そして、自分がどこにいるのかを、兄が知っている。それだけで、リダの心は温かいもので満たされた。

 リダは涙があふれ出る目を閉じて、開いた紙片を胸に押し付けた。そうしていると、書いた兄の温もりが、伝わってくるような気がする。

 しばらくそうやって気持ちを落ち着けたリダは、涙を拭うと手紙を再び最初から読み始めた。最後まで読んでしまうと、もう一度丹念に読み返し、内容を頭に刻み付ける。

 ベンディスは、すでにリダの居場所も、同じ棟にサイゼン氏族長が監禁されていることも知っていた。現在は情報を収集しつつ、二人を救出する算段を検討している最中だという。詳しいことは書かれていないが、いったんジンベル市街地を脱出してしまえば、高原まで安全に帰還する手段は確保してあるらしい。

 紙片を折り畳み、服の中に隠したリダは、水を飲んで気分を落ち着かせてからじっくりと考えてみた。兄に再会し、高原に帰りたいのはもちろんだが、それだけでよいのだろうか?

 すでに彼女は、サイゼン氏族長からナツキの提案……氏族長を仲介役とした停戦交渉案……について詳しい説明を受けていた。それ自体は、とてもよい案だとリダは思っていた。だが、肝心のヴァオティ国王が外交交渉を拒否しているという。いくら異世界人とはいえ、国王には逆らえない。ナツキの提案が、実現する可能性はなかった。

 ……このわたしでも、兄上や氏族長に手を貸してもらえれば、サーイェナ様のお手伝いができるかもしれない。イファラ族とジンベル王国との戦争を終わらせること。そして、魔界の膨張を防ぐことが。

 不意に、リダは閃いた。ベンディスがリダとサイゼン氏族長を救出し、高原まで連れ帰ることができるのならば、数人くらい余分に連れ出せることも可能なのではないか?

 リダは指の背を噛みながら……熟考する時の彼女の癖である……考えをめぐらせた。いや、異世界人だけではだめだ。もっと影響力のある人物を巻き込まなくてはならない。しかし、大臣クラスがほいほいとここまで出向いてきてくれるとは思えないし……。

 巫女だ。

 再び、リダの脳に閃きが走った。ジンベルの筆頭巫女ならば、人々の尊敬を集めているはず。国王の信頼も厚いだろう。なにしろ、異世界召喚を行えるほどの腕前なのだ。彼女を、サーイェナ様に引き合わせることができれば、あるいは……。



 ベンディスは、市街地郊外にある新しい差し掛け小屋のひとつに身を潜めていた。

 派遣軍駐屯地に程近いこの場所には、臨時の村とも言うべき外国商人たちの街が出現していた。最初に住み着いたのはジンベル王国と契約して派遣軍に食料を供給する商人とその雇われ人たちだったが、すぐに様々な外国商人や小商いなどが儲けを期待して流入し、街の人口は百人を超すほどに膨れ上がった。なにしろ五千人以上の人々が派遣軍駐屯地で暮らしているのである。基礎的な食料以外にも、茶や酒などの飲料、新鮮な果物や甘味類、被服や寝具、その他の消耗品類、様々な娯楽……これには賭博や売春も含まれる……の提供など、商売の種は多かった。

 不意に、戸口のすだれが揺れながら巻き上がった。強い日差しとともに、エワが入ってくる。すだれを下ろしたエワが、隙間から外の様子をうかがった。安全を確認してから、座っているベンディスの前に跪く。

「リダ殿に書状を届けてまいりました」

 小声で、エワが告げる。

「ご苦労。で、リダの様子は?」

「お元気でした。負傷は完全に癒えたご様子です。ジンベル側の扱いも、良好なように見受けられました。ただ……」

 エワが言葉を切る。

「頬の傷か」

「はい。わたしが想像していたよりも、大きな傷でした。右目尻のあたりから、口の端近くまで、くっきりと」

 ベンディスは目を閉じた。脳裏に浮かぶ妹の顔には、傷ひとつない。

 ……かわいそうに。だが、命が助かっただけでもよしとしなければ。

「傷ぐらい、どうということはない。戦士にとっては、むしろ誇るべきものだ」

 目を開けたベンディスは、無理に笑顔を作るとそう言った。

「そうですね」

 エワがそう応じたが、その口調と寂しげな表情から、ベンディスは自分の本心が見抜かれていることを悟った。

「ローアンたちが戻るまで、休んでくれ」

「はい」

 エワがこくりとうなずき、立ち上がった。水の入った壷から柄杓で二杯飲んでから、小屋の隅で膝を抱えてうずくまる。

 ローアンとセイエルの二人は、以前から高原側に情報を流してくれている者との接触を試みている。ベンディスはあらかじめ、ジージャカイの協力者を通じて手持ちの金塊を処分し、平原地帯の十オロット金貨をかなりの量手に入れていた。これを適切に使えば、妹の救出は可能である、とベンディスは判断していた。平原の民は、高原の民ほど誇りを重んじない。金さえ積めば、属する組織を裏切ってくれる者は多いはずだ。

 ……待っていてくれ、リダ。あと数日の辛抱だ。

 自ら積極的に動けない悔しさを噛み締めながら、ベンディスは心中でつぶやいた。愛する妹と同じ都市にいるにもかかわらず、姿を見ることもままならぬ状況は、彼の神経を苛立たせたが、それを表に出してしまうほどベンディスは愚かな男ではない。重く暑い空気がこもった小屋の中で、ベンディスはじっと仲間が帰って来るのを待った。



 手紙を秘かに受け取った翌日、リダはさっそく口実を設けてサイゼンの部屋へ入る許可をもらった。

「兄から手紙がまいりました」

 見張りの気配が消えると、リダは小声でそう言って、懐から小さく折り畳まれた紙片を取り出した。

「ベンディスから?」

 驚いたのだろう、サイゼンの声はいささか大きかった。リダは慌てて扉の方を見やった。もちろんそんなことをしても、外で聞き耳を立てているかも知れぬ兵士の姿は見えるはずもなかったが。

「すまん。声が高かったな。で、どうやって?」

 声を潜めたサイゼンが、問う。

「お読みになった方が、早いと思います」

 紙片を丁寧に広げたリダは、それを渡した。素早く眼を通したサイゼンが、一声唸ってからそれをリダに返す。

「間違いなくベンディスの手紙なのだな?」

「はい。わたしと兄上しか知らないことも書かれていますし。字も、見慣れた兄のものです。間違いありません」

「ジンベルに潜入するとは。豪胆と言うか無謀と言うか……。だが、さすがにビレットが見込んだ若者だけあるな」

 感心したのか、あるいは呆れたのか、サイゼンが苦笑する。

「この通り、兄は氏族長とわたしをここから助け出すつもりのようです」

 紙片を折り畳みながら、リダは言った。

「ああ。そのようだな」

「氏族長が無事高原にご帰還なされば、喜ばしいことですが、わたしが帰っても、それだけではイファラ族の利益にはなりません」

 リダはきっぱりと言った。

「……言いたいことがよくわからんが」

「どうでしょう。ナツキという異世界人が提唱する停戦交渉を、イファラ族主導で行うという案はいかがでしょうか」

 訝しげなサイゼンに対し、リダは昨日考えた自分のプランを説明し始めた。

「兄も肝が据わっているが、妹も若いのにそうとう大胆だな」

 聞き終えたサイゼンが、禿頭をつるりと撫で、嘆息交じりに言う。

「ご賛同いただけますか?」

「魔界の膨張を止められるのであれば、わたしは自分の命など惜しまぬ。とりあえず、君の案をベンディスに伝えたまえ。ベンディスがお膳立てを整えることができれば、わたしも協力は惜しまんよ」

「ありがとうございます」



 エワが差し出した紙片……散歩途中のリダから秘かに預かった手紙……を読み始めたベンディスの表情が、見る間に強張ってゆく。

「どうされましたか?」

 凶報でも書かれていたのかと危惧したエワが、遠慮がちに訊く。ちなみに、彼女は文字を読むことはできない。

「大胆すぎる。あまりにも危険だ。だが、成功すればイファラ族主導で戦争を終わらせることができるかも知れぬ」

 エワの存在を無視したかのように、視線を宙にさまよわせながら、ベンディスがつぶやく。

「どうかしましたか、シュロッツ」

 セイエルが訊いた。一応、ジンベルにいるときは用心して、普段でも偽名で呼び合うことになっている。

「ローアンが帰ってきたら、説明する」

 それだけ言って、ベンディスは皆に背を向けて目を閉じ、黙考の態勢に入った。その背中を眺めていたエワとセイエルが、戸惑いを浮かべた顔を見合わせて首を傾げる。

 やがて、食料の買出しに行っていたローアンが帰ってきた。黙考をやめたベンディスが、残る三人に近くに座るように促す。

 声を潜めて、ベンディスはリダの手紙の内容と、自分の考えを仲間に伝えた。

「難しい仕事ですね。簡単にはいかないでしょう」

 話を聞き終えたセイエルが、唸る。

「しかし、氏族長が命がけでやるとおっしゃっているのであれば、やるべきです。俺は、どこまでも付いていきますよ」

 ローアンが、ベンディスの目を見据えて言い切った。

「俺だってびくついたわけじゃない。難しいから、慎重にやるべきだと言いたいだけだ」

 ちょっとむっとした表情で、セイエルが言い返す。

「二人の勇気と度胸のほどはわたしが知っているよ。セイエルの慎重論はもっともだ。……ラマラ、君はどう思う?」

「ジンベル王国の只中でこれだけのことをやってのける。成功すれば、さぞ痛快でしょうね。お供させてください」

 エワがきっぱりと言って、爽やかな表情を浮かべた。

「済まんな、ラマラ。ツルジンケン支族の者でもないのに」

「いえ。氏族長を救い出し、この戦いを終わらせるのはすべてのイファラ族の願い。そして魔界の膨張を防ぐのは、高原の民全員のひとしき願い。命など、惜しみません」

「ありがとう。では、行動の細部を詰めよう」

 ジンベル防衛隊本部の中で、リダとサイゼンが監禁されている建物は、すでに特定されている。内部の見取り図も、協力者に金を払って描かせた。そこでの具体的な救出手順は未定だが、いったん市街地の外へと連れ出せば、ジンベルからの脱出はすでに手筈が整っている。徒歩でジンベル盆地北端まで行き、ジンベル川のほとりに潜んでいれば、タイミングを合わせて空荷でジンベルを発ったアララックの船に便乗させてもらえる。そのあとは、ジンベル川を下り、ノノア川に入ってこれを遡り、さらにジージャカイ川をたどってジージャカイ郊外で上陸し、徒歩で高原地帯を目指す、という段取りである。

 四人は長い時間小声での話し合いを続けた。ただでさえジンベル防衛隊本部からの救出は困難なのに、リダの計画を実行するとなるとその難易度は急上昇する。充分な下準備が必要不可欠と思われた。

「異世界人はともかく、巫女が厄介だな」

 ベンディスは唸るように言った。筆頭巫女エイラは、常に魔物を連れ歩いている。下手に手出しをすれば、こちらが簡単に切り刻まれてしまうだろう。

「巫女の安全を保障することが大前提ですね。そのうえで、これはあくまで人間同士の争いであることを主張し、不介入の姿勢を取らせるしか、方法はないでしょう」

 セイエルが、言う。

「いや、むしろ魔物の存在はこちらに有利かもしれませんよ」

 ローアンが、眼を輝かせた。

「魔物が付いていれば、ジンベル人の身の安全を保障したも同然でしょう。かえって、事がうまく行くかもしれません」

「そうかもしれんな」

 ベンディスは同意した。

「いずれにしろ、防衛隊本部へ入り込む手段が必要だ。ローアン、セイエル。悪いが協力者のところを廻って、さらに情報を集めてくれ。金はいくらばら撒いても構わん」

「承知しました」

「では、行ってまいります」

 男二人が立ち上がり、小屋を出てゆく。

「リダ殿は勇気ある方です」

 静かだが、心のこもった口調で、エワが言った。

「度胸に関しては、わたしよりあるかも知れんな。かく言う君も、立派な勇気の持ち主だ。命がけの企てに、参加してくれたのだからな。改めて、礼を言おう」

 エワに向き直ったベンディスは、笑顔を浮かべて彼女の手を握った。エワがわずかに赤面し、恥ずかしげに視線を逸らす。



「ちょっと、いい?」

 エイラの仕事部屋に首を突っ込んだ夏希は、そう呼びかけた。

「よろしいですよ。どうぞ、お入り下さい」

 机についているエイラが、にこやかにうなずく。

「ありがと。実は、お願いがあって来たんだけど……。あれ、コーちゃんは?」

 入室した夏希は、魔物の姿が見当たらないことに気付いた。高いところに浮いているのかと思って天井を見上げてみたが、そこにもいない。

「ちょっと、お遣いに出てもらってますの。で、お願いって、何ですの?」

「それはね……」

 夏希はサイゼンとの交渉の様子を手短に説明した。

「……で、高原まで行って停戦交渉をする外交使節団の中に、エイラも入って欲しいのよ」

「わたくしでお役に立てるのでしょうか?」

「最低一人は、魔力の源の専門家たる巫女が必要だ、とサイゼンが主張してるの。それに関しては、わたしも同感だわ。一緒に行ってくれない? あなたが来てくれるのなら、当然コーちゃんも一緒でしょ? 色々と、心強いし」

「そうですね。他にどなたが加わるのですか?」

「まず陛下の名代。外交実務担当者として、瞬を含む外務関係者が数人。わたしももちろん行くつもりよ。まだ話してないけど、アンヌッカも行きたがるでしょうね。あと、必要であれば書記役や護衛、庶務担当者が数名ってとこね」

 夏希は指折り数えてそう言った。

「わかりました。戦争を終わらせるためなら、喜んで協力させていただきます。コーちゃん共々、高原へ参りますわ」

「ありがとう、エイラ」

「どういたしまして。夏希殿と旅するなんて、面白そうですもの」

 くすくすと笑ったエイラが、急に真顔になった。

「ところで、陛下の許可は下りそうなのですか?」

「それが一番の問題なのよね。サイゼンはやる気充分だけど、陛下にその気がないから。生馬が説得し続けてくれているんだけど、はかばかしくないのよね、これが」

 夏希は肩をすくめ、そう愚痴った。



「駄目だな。陛下は外交使節を送る気はないそうだ」

 生馬が投げ遣りに言って、どすんと椅子に腰を下ろした。

「手詰まりか」

 拓海が、大げさに肩をすくめる。

「こちらの準備は、着々と整ってるのに。エイラにも使節団参加を承諾してもらったのよ」

 夏希は不満げに口を尖らせた。 

「どうやら、ニアンが陛下に圧力を掛けているらしい。交渉は無用だとね」

 生馬が、続ける。

「なぜそこまでニアンは高原侵攻作戦にこだわるのかしら?」

 凛が、問う。

「ま、そのあたりを探りに瞬が出かけたわけだが……」

 そう言った拓海が、北向きの窓の外を見やった。

「ジンベルの一員である限り、陛下に逆らうわけにもいかないしねえ。これ以上、動きようがないわね」

 凛が、諦観した口調で言って、お茶をひと口すする。


第三十六話をお届けします。今回より投稿は通常パターンに戻ります。

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