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白き巫女と蒼き巫女【改稿中】  作者: 高階 桂
第一章 高原編
35/145

35 砦奪還作戦

「突然で悪いが、明日からちょっと旅に出る」

 『プチ会議』の席で、唐突に瞬が発表した。

「旅に出るって……出張でしょ?」

 眉をひそめた凛が、瞬を軽く睨む。

「まあね」

「で、目的はなんだ?」

 気のない様子で、拓海が訊いた。

「最近のニアンの動き、おかしいとは思わないか?」

 質問に正面から答えずに、瞬が遠まわしな質問で返す。

「……言われてみれば、少し変よね」

 凛が眼鏡のずれを直しながら、言う。

「たしかにおかしいな。平原一の大国とはいえ、今回の戦いに力を入れすぎてるしな」

 生馬が言う。夏希もうなずいた。拠出した正規兵力一千。市民軍三百。無償食糧援助もしてくれたし、最近では無担保の借款まで申し出てくれている。

「高原侵攻作戦の主導もニアンだ。俺も、裏に何かあるんじゃないかと勘繰っていたが……」

 拓海が、腕を組む。

「色々と情報を集めているんだが、ジンベルにいては集められる情報に限りがある。エボダ、ススロン、ニアンと廻って、色々と嗅ぎまわってこようと思う」

「明石元二郎もとじろうみたいでかっこいいな」

 瞬の説明を受けて、拓海が軽く笑いながら言う。

「誰、それ?」

 聞いたことのない人名を耳にして、夏希は拓海にそう尋ねた。

「帝国陸軍軍人だ。日露戦争の時にヨーロッパに行って、反ロシア帝国を標榜する組織に工作資金を提供して革命気運を煽ったんだ。戦争に日本が勝ち、ロシア革命が成功したから英雄と言われてるが、日本が負けたうえに革命が不発に終わってたら、単なるテロ支援の煽動家呼ばわりされただろうな」

「人物の歴史的評価は結果がすべてだものね。勝てば官軍、よ」

 皮肉っぽく、凛が言う。



 数日前から、リダには散歩が許可されていた。

 もちろん、逃走防止のために監視付きである。リダも逃げ出すつもりは毛頭なかった。隙を見て走り出したとしても、すぐに大勢のジンベル市民に取り押さえられてしまうのがおちだ。仮にその場からは逃走できたとしても、深夜でもない限りジンベル市街地の外に無事に出ることはできないであろう。彼女の容貌と金色の髪は、ジンベルでは銅貨の中に混じった金貨のごとく、目立ってしまう。

 散歩のルートは決められており、ジンベル市街地の大きな通りをぐるぐると巡るだけだったが、立ち止まって商家を見物したり、市民と会話を交わしたりしても咎められない程度の自由はあった。

 二度目の戦闘で二百人を超えるジンベル人が戦死したことを聞かされていたので、リダは市民によるむき出しの敵意に晒されることを危惧していたが、意外なことにそのようなことは少なかった。すでにリダはジンベルにおいてかなりの有名人と化しており、最初の戦闘での捕虜であることはあまねく知れ渡っていたのだ。また、異世界人であるタクミの庇護下にあることも、大きいと思えた。一度、身内をイファラ族との戦いで亡くしたらしい老婆に食って掛かられたことがあったが、監視の兵士が割って入る前にその場に居合わせた数名の市民が老婆を取り押さえてくれた。五人の異世界人はいずれもジンベル市民に人気があり、捕虜とはいえその後ろ盾があるリダに対しあからさまな嫌がらせはまずいと、市民も判断しているのであろう。

 もうひとつ見逃せない要因が、リダの外見であった。まだ若く、比較的小柄な体躯。整った顔立ち。しかしながら、その愛らしい風貌を台無しにしている、右頬に走る長く醜い傷跡。このいかにも敗者然とした姿が、ジンベル人の敵意を和らげている理由のひとつであると、リダは確信していた。

 情報収集のために、リダはこちらに興味を持ったらしい人を見つけると、老若男女問わず積極的に話しかけていた。もちろん、監視の者が聞き耳を立てていることは承知していたので、当たり障りのない話題しか持ち出さなかったが、それでもジンベル人の言葉の端々から、『救援軍』と呼ばれている平原諸国派遣部隊についての情報や、ジンベルの指導層に関するちょっとした噂話などは聞き出すことができた。

「で、族長さんには会ったのかい?」

 その日三人目の話し相手……人の良さそうな、よく日に焼けたいかにも農夫然とした中年男……が、明日の天候予測に関してのちょっとした知識披露のあとに、そう訊いてきた。

「は?」

「生馬様が捕まえた、族長さんだよ。サイゼンだかザイゼンだかいう名前の」

 ……サイゼン氏族長が捕らえられた?

「なんだ、知らなかったのか。……教えちゃまずかったかな」

 リダの表情から初耳であることを知った中年男が、顔をしかめて手を口に当てる。

「いえ、教えてくださってありがとうございます」

 監視の兵士をちらりと見やりながら、リダはそう言った。会話は聞こえていたはずだが、別段慌てたようなそぶりは見せていないところを見ると、この件に関してさらに話を聞いても構わないのだろう。リダは中年男に詳しい話をねだった。中年男が、監視の兵士を気にしながら、様々なことを話してくれる。捕らえた経緯、その後の処置。市民の反応、などなど。

 リダが驚いたのは、サイゼンの監禁場所であった。中年男によれば、ジンベル防衛隊本部の、リダの軟禁部屋と同じ棟にあるという。

 リダは中年男に丁寧に礼を述べた。

 ……氏族長に会わねばなるまい。



「サイゼン氏族長に会わせてください」

 翌日、手土産……薄切りの燻製肉……を持って尋ねてきたタクミに、リダはそう願い出た。

「まあ、会わせるくらいなら問題ないと思うけど……会ってどうするんだ?」

「氏族長とは面識があります。お互いの無事を確認しあうだけです」

 リダはそう言った。もちろん、嘘である。ここから逃げ出すときは、氏族長も一緒に連れ出すべきだ。その下準備のために、会うつもりであった。

 タクミがしばし考え込んだ。リダは少しばかり卑怯な手を使った。いきなりタクミの手を取って、その眼を覗き込んだのだ。

「お願いします、タクミ殿」

 少しばかり口を開き、上目遣いにタクミの茶色い瞳を見据える。……兄ベンディスに何かをねだる時に、かならず成功させることができたポーズである。

「……あ、わかったよ。でも、会うだけだよ」

「ありがとうございます、タクミ殿」

 リダは内心でほくそ笑みながら、爽やかな笑顔を作った。


 警備の兵が、どんどんとやや乱暴に扉を叩いてから、カンヌキを外した。内開きの扉を押し開けてから、半歩下がってリダが通れる隙間を作る。

 リダは警備兵に軽く会釈してから、戸口をまたいだ。すぐに扉が閉められ、カンヌキが掛けられる。

「君は、たしか……」

 腰掛に座っていたサイゼン氏族長が、驚いた表情で立ち上がった。

「ツルジンケン支族長の娘、リダです。久しぶりにお目にかかります、氏族長」

 リダはそう名乗ると、深く一礼した。

「そうだ、ベンディスの妹御だったな。負傷して、捕まっていたそうだが……傷はもういいのかね?」

「はい。ジンベルの人々に、丁寧に治療してもらいました。まだ本調子とはいきませんが」

「まあ座りたまえ」

 サイゼンが、自分が座っていた腰掛を持ち上げ、リダの前に置く。

「ありがとうございます、氏族長」

 リダはサイゼンが寝台に腰を下ろすまで待った。中腰になって腰掛を持ち上げ、座っているサイゼンのすぐそばまで運ぶ。

「ジンベル人が聞き耳を立てているかもしれません」

 リダの行動に戸惑っているサイゼンの耳元で、そうささやく。

「……そうだな。用心深いな、君は」

 同じく声を潜めて、サイゼンが応じる。

 しばらくのあいだ、ふたりは小声で近況やお互いの持っている情報を交換し合った。

「……なるほど。君を保護しているその異世界人は、戦争を望んでいないのか」

 タクミに関する説明を聞いたサイゼンが、小さく何度もうなずく。

「はい。そのことに関しては、嘘偽りは申していないようです」

「わたしを尋問しているナツキという異世界人も、同じようなことを言っていたな」

「背の高い、きれいな女性ですね」

「君も会ったことがあるのか?」

 サイゼンが少しばかり驚いたような表情で、リダを見た。

「はい。まだ臥せっているときに、一度尋問されました」

「他の異世界人は、此度こたびの戦争についてどう考えているのだろう?」

 サイゼンがリダから視線を外し、自問するように言った。

「そこまではわかりません」

 五人いる異世界人のうち、リダが会った事があるのはタクミ、ナツキ、リンの三人だけだ。そのうち、性格や考え方がつかめるほど会話したのは、タクミだけである。氏族長が会ったのは、尋問役のナツキと、一回だけ刃を交えたイクマのみ。残るシュンという名の異世界人は、ふたりとも顔さえ知らぬ。

「タクミを通じて、他の異世界人の考えを探ってみます」

 リダはそう告げた。サイゼンが、うなずく。

「そうしてくれ。わたしも、ナツキに働きかけてみる。囚われの身とはいえ、氏族と高原の民の幸福のためにできることはやらねばならぬ。……しかし、君はずいぶんとタクミに気に入られているようだな」

「はい」

 気恥ずかしげに、リダは返答した。いまだ手さえ握られていない……先ほどはこちらから握ってしまったが、タクミがリダに抱いている『好意』が、男と女のそれであることくらい、初心な彼女でも察しがついている。

「なんとか、異世界人を排除できないものかな。君の集めた情報では、二回目の戦いでも異世界人が活躍したということだし。奴らがジンベルからいなくなれば、わが方の勝利の目が出てくる」

「そうですね。排除……は無理かも知れませんが、異世界人に対し高原の民の心証をよくすることはできると思います。彼らを味方につけることは不可能でも、こちらの立場を理解させてジンベルに魔力の源の放棄を働きかけることは可能かもしれません」

 リダは考えつつそう言った。



 ジンベル救援軍組織委員会の定期会議は、大荒れとなった。

 ニアン代表が、独自作成した『高原侵攻案』を正式に提示し、これに各国の賛同を求めたからである。

 積極的に賛同したのは、ケートカイ、イヤーラの二ヶ国。ススロン、エボダ、シーキンカイの三国は、真っ向から異議を唱えた。残る七ヶ国は、消極的ながら同調したジンベルから慎重論を唱えたハンジャーカイまで、その程度は様々であったがどっちつかずの曖昧な姿勢に終始した。

 そのように紛糾した会議ではあったが、ジンベル代表が主張した『可及的速やかに砦を奪回する』案は、全代表一致で可決された。これを受けて、統合司令部はさっそく作戦の立案と所要兵力の見積もりに入った。



「とにかくニアン主導の高原侵攻作戦は阻止しないと」

 プチ会議の席で、凛が真剣な表情で言う。

「そのことに関してなんだけど……」

 夏希は、おずおずと挙手した。

「サイゼン氏族長を、交渉役に利用できないかしら」

「懐柔に成功したのか?」

 生馬が、片眉をあげて訊く。

「それはまだだけど、ここ数日の尋問で歩み寄りが図られたのよ。例の、魔界膨張説が正しいとした上での話だけど、ジンベルが魔術使用の抑制に極力努めることを確約してくれれば、侵攻は行わない、という方向で話がまとまりかけてるの」

「捕虜となって実質的な権限を何も持っていない元氏族長と、外交的解決を今のところ軽視している国王に雇われている異世界人との約束か? ずいぶんと心もとない話だな」

 拓海が茶化す。

「単なる叩き台かも知れないけど、停戦に至る道筋のひとつではあるわ」

「問題山積ね。ジンベル側では、国王の説得と、魔力に頼らない産業構造への転換か、鉱山技術のブレイクスルーが必要。イファラ族も、他の氏族を巻き込んじゃった以上、政治的に複雑な問題を抱え込むわね」

 凛が、言う。拓海が、呆れたように首を振った。

「むしろこのままずるずると戦争を続けた方が、頭痛がしないで済みそうな気もするな」

「まあとにかく、夏希の意見をもう少し聞こうじゃないか」

 とりなすように、生馬が言う。

「ありがと。いずれにしても、戦争をこのまま続ければジンベルは財政破綻で滅びるわ。魔術の使用が多少抑制され、経済規模が縮小しても、滅びるよりは数段ましよ。イファラ族側も、連敗したし、死者も山ほど出している。戦争目的が不十分ながら達成されたとなれば、矛を収めると思うの」

「で、その交渉役にサイゼンを使おうというわけか」

 うなずきつつ、生馬が言う。

「そう。高原侵攻作戦の前に、陛下の名代とサイゼンをイファラ族のところへ行かせて、交渉させるのよ。うまく行けば、有利な条件で停戦できるわ」

「陛下が外交交渉に乗り気でないからねえ」

 凛が、言う。

「サイゼンはやる気なのか? そして、信用できるのか?」

 身を心持ち乗り出した拓海が、夏希に問う。

「依頼すれば、やってくれるはずよ。これ以上高原戦士を死なせたくない、と本気で思ってるはずだし。信用は……していいと思う」

「軍の指揮は執っていたが、特に優秀な軍人でもないからな。仮に逃がしてしまっても、こちらの痛手にはなるまい」

 生馬が言った。

「たしかに、使節だけを送るより、はるかに印象はよくなるでしょうね。交渉も、スムースに行くと思う」

 凛が、同調する。

「この案、反対するものは?」

 拓海が、訊く。

「良案だと思うな」

 生馬が言った。凛も、首を振って反対しない意を告げる。

「よし。さっそく明日から始めよう。夏希はサイゼンの了解を取り付けてくれ。凛ちゃんは、瞬に代わって外務大臣周辺への根回しを頼む。俺は高原側の反応を予測するとともに、平原諸国への説得工作をするよ。生馬は当然、国王陛下へのご説明と、同意の取り付けに全力をあげてくれ」

「俺が一番難しそうだな」

 生馬が、ぼやく。

「これがうまく行けば、もう死人を出さすに済むんだ。気合を入れて行こうや」



「なるほど。ナツキ殿のお考えは、充分に理解した」

 夏希による『サイゼン氏族長を使ったジンベル-イファラ族間の停戦交渉案』の詳細を聞いたサイゼンが、穏やかな表情でうなずく。

「もともとサーイェナ様のご意思は、理を説いてジンベルに魔術の使用をやめさせることにあった。侵攻は、交渉に応じなかったからに過ぎない。目的が達成されるのであれば、矛を収めることに異論はない。……ただし」

 言葉を切ったサイゼンが、尋問部屋で相対して座っている夏希の眼を、しっかと見据える。

「まず、貴殿ではなく、ヴァオティ国王による言質が必要だ。魔術使用を制限する具体的目標値や、管理体制に対する情報も欲しい。名代はなるべく高位のジンベル人がいい。それに加え、大幅なジンベル側の譲歩がなければ、停戦は難しいだろう」

「……大幅な譲歩、ですか?」

「すでに何千名もの高原戦士が命を落としている。形の上だけでも、ジンベル側が譲歩の姿勢を見せなければ、イファラ族の者たちが停戦に納得しないだろう」

「たとえば?」

「名目上で構わないから、魔力の源の管理をイファラ族に任せる、とかだな。つまり、イファラ族側が戦争に負けたわけではない、という形を作りたいのだ」

「それは……難しいかと。失礼ながら、実際にあなた方は二連敗しているわけですから」

「いや。譲歩ない限り、わたしには氏族の意見を纏め上げる自信がない」

 サイゼンが、ゆっくりと首を振る。

「困りましたねえ」

 夏希は頭を掻いた。魔力の源の使用を抑制することだけで、ジンベルは最大限の譲歩をしたと言えるのだ。それ以上歩み寄るのは難しいだろう。

「貴殿が国王やその側近を説得し、以上の条件を整えてくれれば、わたしは停戦に全力を尽くすと誓おう。もちろん、自分の鉈に掛けてだ」

 厳かな口調で、サイゼンが宣言した。

「わたしもこれ以上氏族の者を死なせたくないし、すでに多くの者を死なせてしまったことに責任を感じている。貴殿の提案は、大いに魅力的だ。力を合わせて、停戦を実現させ、魔界の膨張を防ぎ、高原の民と平原の民の未来のために尽くそうではないか」

「……お気持ちは同じですわ」

 夏希は本心からそう言った。何回もの尋問……と言うよりも、実質話し合いであったが……を通じ、夏希はこの中年男のことをかなり理解できたと自負していた。サイゼンというのは、悪く言えば単純、よく言えば裏表のない真っ直ぐな人物と思えた。高原の社会は、平原よりもかなり単純である。そこで権力を握る者は、政治的に巧緻に長けた知恵者や切れ者の野心家ではなく、他の者に信用され、敬意を集めるリーダーシップのある人物に過ぎないのだろう。



 第二次ジンベル南平原の戦いから九日後の早朝、ジンベル防衛隊と救援軍、それにジンベル市民軍は砦奪還作戦を開始した。投入兵力は、ジンベル防衛隊二百、救援軍四千百、市民軍一千の合計五千三百。総指揮は、もちろんラッシ隊長が執った。生馬はその補佐として参加、夏希は例によって市民軍の指揮を任された。拓海は今回は自重し、政治的配慮から手柄を救援軍に譲るために参加を見送った。

 すでに前日から偵察活動によってジンベル側の動きを察知していたビレットは、部下に迎撃準備を整えさせるとともに、撤退の準備も進めていた。勝ち目があるのならば、徹底して抵抗を行う。勝ち目がない、あるいは大きな損害が出ると予想される場合は、戦わずに退く腹積もりであった。

 前進してくるジンベル側兵力を、各種報告から約四千と見積もったビレットは、砦の放棄を決意した。この砦に、死守するまでの戦略的価値を見出せなかったからだ。すでに前日のうちに、手元にある川船に備蓄食料の大半を積み込んである。それらが、命令を受けて続々と川上を目指し船着場を離れた。

 高原戦士たちも、隊列を組んで続々と軍用路を南下した。二百名の戦士が、砦の要所によく乾いた薪などの可燃物を手際よく積み上げてゆく。砦の機能を一時的にせよ麻痺させるために、放火する手筈なのだ。ビレットは、後衛となる精鋭四百とともに、偵察隊が帰還するのを待ち構えた。

 すべての偵察隊が帰還すると、ビレットは火を放つように命じた。十数か所で同時に着火が行われ、薄灰色の煙の筋が川風によって北へと流されてゆく。

「よし。我々も退くぞ」

 精鋭四百を引き連れたビレットは、撤退中の本隊を追った。


「……俺の城がぁ……」

 がっくりと膝をついた生馬が、頭を抱える。

 救援軍先鋒が砦に迫った時には、すでにその八割方が炎に包まれていた。高原戦士の姿はとうに無く、煙と熱気に阻まれて追撃することも不可能だ。

「ま、ここを焼かれたからって、こちらの戦略的状況は変わらないでしょ。むしろ高原側がジンベル攻略の足掛かりを失ったという意味合いの方が、大きいはずだわ」

 朱色の炎を見つめながら、夏希は言った。

「だいぶ学んだようだな。その通りだ」

 なんとか立ち直った生馬が、同意する。

 偵察隊同士の小競り合いで数名の死傷者が出たが、事実上損害なしでジンベル側は作戦目的を達したのである。

「心配せねばならぬのは、今後のニアンと親ニアン国の動向だな」

 生馬が、腕を組む。

「そうね。今回の戦いで損害が無かったから、次の作戦に速やかに移行できるものね」

 ニアンが主張する高原侵攻作戦。ススロンやエボダは、この作戦が強行されるならばジンベルから兵を引き上げる、とまで主張している。このまま行けば、救援軍は瓦解しかねない。

「板ばさみよね、ジンベルは」

 ニアンには大いに世話になっているし、ススロンやエボダにも同様に世話になっている。ジンベルとしては、どちらに付くか悩みどころではあるが、夏希ら異世界人の工作にも関わらず、ヴァオティ国王を始めとするジンベル指導層はニアンに協力し、高原侵攻作戦に参加する意向を固めつつあるようだ。

「すでにニアンは増援部隊を本国で編成中と聞く。おそらく、あまり猶予はないぞ」

 生馬が言う。夏希は彼の顔を見上げた。

「サイゼンは停戦する気でいるわ。本気でね。あと必要なのは、ヴァオティ陛下の裁可だけ。生馬、頼むわよ」

「……努力するよ」

 自信なさそうに、生馬が応える。


第三十五話をお届けします。今回も予約掲載になります。感想などいただいた場合返信が大幅に遅れる可能性が高いです。ご了承下さい。

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