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白き巫女と蒼き巫女【改稿中】  作者: 高階 桂
第一章 高原編
31/145

31 指揮官の矜持

 事前の作戦通り、ジンベル川西岸に展開した救援軍主力は、押してくる高原戦士たちを引き連れるようにして、抗戦しながら北上していた。

 両者とも、延翼運動(戦線の端で行われる、敵戦線側背へ回り込もうとする運動と、それを阻止しようと戦線を横へと延ばす運動)を行っていたが、正面の戦力を薄くしないためにそこに注ぎ込まれた戦力はわずかであった。そのため、戦線の西端は西の森に触れることなく、北上を続けた。

 拓海の思惑通りであった。……この時点までは。



「まずいな」

 湧き出る汗をぬぐいつつ、生馬はつぶやいた。

 拓海の作戦通り、イファラ族の軍勢主力は後退する救援軍部隊に釣られて北上しつつある。敵本営の位置は、すでに見張り台からの旗によって伝えられ、生馬の頭の中に納まっていた。このままあと少し敵主力が北上してくれれば、妨害を受けることなく一気に戦術目標である敵本営を衝けるはずだったのだが……。

 予備隊らしいおよそ三百から四百名ほどの高原戦士が、方陣を形作ってこちらへ接近しつつある。

 生馬の指揮下にあるのは五百名。しかも、選りすぐった精鋭ばかりである。この程度の人数相手なら、確実に打ち破れるだろう。だが、まともに交戦したのでは時間を稼がれ、控えている予備隊から本営防衛のための兵力を引き抜くゆとりを、あるいは、本営自体が密林の中へと逃げ込む余裕を与えてしまう。

 そうなれば、作戦は失敗である。



「まずいな」

 湧き出る汗をぬぐいつつ、拓海はつぶやいた。

 高原戦士側は、ほぼ拓海の予想通りの動きをしてくれていた。今現在、西の森に向け進んでいる一隊を除けば。

 あの部隊を、生馬の部隊と交戦させるわけには行かない。切り札は一枚しかないのだ。絶対に『切り返されない』瞬間に、使わねばならない。

 拓海は西岸の戦況をじっくりと眺めた。

 何とかして、あの邪魔な一隊を生馬の前から退かさなければならない。そのためには……。

 いささか損害が増えそうだが、この手しかない。

 拓海は手旗の束を抱えて待機している通信兵を身振りで呼んだ。

「ラッシ隊長に手旗連絡。右翼で攻勢。予備投入準備」

 ……悪いな、夏希。どうやら、あんたの手を借りる必要があるようだ。



「まずいわね」

 ぼやきながら、夏希は小走りしていた。

『救援軍は右翼で一点突破を発起する。市民軍は三個部隊をもってこれを支援。状況により敵前線後方へ機動せよ』

 ラッシ隊長からの伝令が伝えた命令はこうだった。

 すでに救援軍は攻勢に転じており、一部で高原戦士を押し戻していた。夏希はラッシ隊長が派遣した士官の誘導に従い、救援軍が一点突破を目論んだ箇所の直後に長槍隊二個を張り付かせた。短剣兵はその後ろに置き、予備隊とする。



「まずいな」

 サイゼンはつぶやいた。

 本営は、当初は密林の際に置かれていた。だが、戦線が北上したことにより、しばらく前に密林から数シキッホの位置にまで移動していた。指揮せねばならぬ部隊との距離が開きすぎれば、当然指揮統制は難しくなるからだ。

 それからさらにジンベル側が後退したために、本営と指揮すべき部隊の距離は十シキッホほども南北に離れた位置関係にあった。これでは、伝令が走るだけで一ヒネ以上掛かる。

 さきほどサイゼンは、ジンベル側の攻勢激化の報告を受け、予備隊方陣二個の戦線投入と、予備の弓隊すべての前進を下命していた。しかしながら、その命令を携えた伝令はいまだ疾走の最中で、主力部隊には到達していない。これでは、流動的な戦況の変化に対応しきれず、重大な失策を犯しかねない。

「もう一度本営を前進させるぞ。準備せよ」

 サイゼンは側近と護衛の者に命じた。少なくとも、戦線後方の五シキッホ以内に本営を置いておきたい。



「突撃!」

 半ばやけくそで、夏希は叫んだ。

 救援軍方陣二個が開けた敵戦線の穴に、市民軍長槍隊二個四百名が突っ込む。

 いや、正確には穴とはいえない。まだ、浅く穿たれた窪みだ。押し込まれ、薄くなった戦線は、反撃や他の部隊からの支援、そして予備隊の投入により急速な自己回復能力を発揮し、常態へと戻ろうとする。これを防ぐには、砂地に穴を掘るがごとく、容赦ない攻撃を間断なく継続する必要がある。こちらも予備隊を投入し、攻撃の規模を拡大しつつ窪みをより深くしてゆくのだ。

 このような横一線の戦線を挟んで、比較的戦力の似通った大軍がぶつかり合うような戦いでは、予備隊の多寡が勝敗を分けることが多い。ギャンブルやビジネスにおいて、苦しいときに余剰資金を惜しげもなく投入する方が有利となり、勝利を収める場合が多いのと同様、戦場においても手詰まり状態からある程度の有力な新規戦力を投入するのは、きわめて効果的なのだ。

 夏希は伝令を走らせ、残る市民軍長槍隊四百名も前進させて、短剣兵隊の直後に配置した。



 ここが勝負どころ、とサイゼンは判断した。

 戦線を突破されれば、勝利はおぼつかない。なんとしても現状を維持し、敵に圧迫を加え続け、出血を強いるのだ。そのような膠着した戦いになれば、数が多いほうが断然有利となる。

「残る予備隊すべてを左翼戦線に投入しろ。なんとしても、敵を押し返すのだ」

「西の森に派出した四百名はいかがいたしましょう?」

 側近の一人が、訊く。

 サイゼンは瞬時考えた。もし西の森に敵が潜んでいなければ、この四百名は完全に遊兵となってしまう。方陣二個分の兵力が。

 すでに、弓隊六百と投げ槍兵四百は、戦線に投入済みだ。今の命令で、方陣三個六百名も投入を決定してしまった。もう、手元に兵力は残っていない。

 呼び戻して待機させるか。あるいは迂回包囲を意図させて機動し、敵兵力の分散を強いた方が得策か。……いや、やはりここは慎重に行くべきだ。

「西の森の部隊はそのまま。残りの予備隊はすべて投入だ」



「だめだったか」

 生馬は流れ落ちる汗を指で拭いながら毒づいた。

 敵の予備隊はすべて戦線直後に張り付くか、戦線そのものを増強するために投入されたが、西の森を目指していた四百名ほど……近付いたのでより正確に兵力を見積もれるようになった……の敵兵は、そのままこちらに接近し続けている。もうその距離は、二百メートルを切った。

 しかしながら、幸運なことに敵本営は戦線から三百メートルほどの処まで前進してくれていた。ここからは、十シキッホ……六百メートルほどの距離だ。接近する四百名に妨害されることなく、かつ敵の不意を衝けば、充分に捕捉できる位置である。

 生馬は手早く部下に指示を与えた。五百名の兵は、各国混合で五十名ごとの小隊に編成されている。軽装で長盾を持つ短剣兵が三個、長槍兵が三個、そして重装備の長剣兵が四個。短剣兵一個と長槍兵一個のみを生馬が直卒し、ひたすら敵本営を目指す。長剣兵一個小隊は、敵本営と戦線のあいだに割り込むように機動し、本営が北に退避するのを妨害する。残る七個小隊は、接近する四百名の敵方陣を迎え撃ち、これを打ち破る。その後、この部隊は敵予備隊に背後から攻撃を掛け、敵本営への救援部隊が派出されるのを防ぎつつ、救援軍と連携して戦うことになる。

 生馬は剣道の面を着けるときの流儀で手早く手拭いを頭に被ると、その上から鉄製の冑を被った。無理に笑みを浮かべてから、振り返って待機している兵士たちを見る。

「よし、行くぞ!」

 生馬の命令で、ジンベル側精鋭五百名がわらわらと森を出て、突撃を開始する。

 生馬は二個小隊を率いて走った。敵方陣の高原戦士は、突っ込んでくる七個小隊三百五十名を迎え撃つのに必死で、こちらには投げ槍一本すら飛んでこない。

 生馬は長盾に囲まれるようにして走っていた。いささか格好が悪いが、死にたくはないので仕方がない。湿気の多い空気を吸い込みながら、視線を目標である敵本営に据え、走り続ける。流れ出る汗が、革鎧の下に着込んだ胴着を濡らしてゆく。

 本営側に動きがあった。弓を手にした数名が並び、射掛けてくる。十数名が、南の密林方向へ走り出しているのも見えた。おそらく、指揮官とその側近だろう。

 矢が降ってくる。一本が、生馬をカバーしている長盾に突き刺さった。誰かが矢を受けたらしく、生馬の耳に悲鳴が届いたが、構っている暇はなかった。走りながら長剣を抜く。

 弓を連射していた高原戦士が、数歩下がって得物を鉈に持ち替えた。代わりに前に出た二十名ほどが一本の投げ槍を手に、突っ込むジンベル側短剣兵に向かい穂先を突き出す。

 ……勇敢な連中だ。

 走りながら、生馬はそう思った。こちらは百名。相手は二十数名。ぶつかれば、瞬殺されることはわかっているのに、あえて捨石になろうとしている。

 両者の距離が縮まる。生馬は一人の投げ槍兵に狙いを定めると、前に出た。もう矢の脅威はない。

 狙った男が、身構える。燃えるような赤毛を、黒い布の被り物からはみ出させた、やや小柄な若い男だった。生馬は走りながら上段に構えた。男の目にわずかに怯えが走ったように、生馬には感じられた。

 男が投げ槍を突き出す。その軌道を予測していた生馬は、それを避けるようにやや進路を変えながら、長剣を振り下ろした。

 切れ味鋭い生馬の長剣が、投げ槍を握った男の左手首あたりをざっくりと切り裂く。男が突き出した投げ槍の穂先は、生馬の脇腹の左十数センチの空間を突いたに止まった。

 投げ槍を突き出した勢いと、生馬に切りつけられた衝撃で、男の身体が右斜め前によろめく。そこにすかさず、後続していたソリスが槍の穂先を浅く突き入れた。すぐに引き抜き、生馬のあとを追う。

 二十数名の高原戦士は、数秒と持たずに全滅していた。


 生馬による本営襲撃は、その時点では指揮統制上の打撃をさほど高原戦士側に与えたわけではなかった。上級司令部たる本営からはそれ以前に命令が下されており、それに従い各部隊は行動を継続すれば事足りたからである。

 だが、情勢が変転すれば、それに対応する手段も変化させねばならない。単なる戦術目標の転換や、戦闘方式の変更程度ならば、各部隊の指揮官が独自で行うことが可能だ。だが、複数の部隊の集中運用や、複雑な運動、予備隊の戦線投入タイミングなどを上級司令部の介在なしに行うには、方陣指揮官レベルの各部隊指揮官同士の緊密な連絡が必要不可欠である。これが近代軍隊ならば、暗号を使用した無線や衛星回線の使用により、カバーできたかもしれない。しかしながら、高原戦士前線指揮官が持っている最速の連絡手段は、音速ながら(笑)戦場の喧騒の中でははなはだ到達距離が短く、かつデータ欠損が多い大声であり、次善の手段である伝令は確実性は高かったもののはるかに遅い通信手段であった。そしてもちろん、ジンベル側の怒涛のごとき攻勢は、彼らに悠長な話し合いの機会など与えてはくれなかった。

 高原戦士各部隊の連携が、徐々にではあるが乱れ始めた。



 生馬の命令を受け、四百名からなる高原戦士方陣を粉砕し、戦線後方に突撃したジンベル側の長剣兵と長槍兵が、弓兵の方陣に背後から迫った。

 言うまでもなく、弓兵は接近戦に弱い。ゆえに、野戦では槍などを有する部隊の援護を受けるか、ある程度後方に置かれて運用される。

 各弓隊を指揮する指揮官が、陣形の変更と迎撃を相次いで下命する。これを受けて、短剣兵を先頭に接近するジンベル側に直射で弓が放たれる。大半は長盾で防がれたが、十数名が矢を受けてばたばたと倒れた。再び矢が飛ぶが、これも大半が長盾で防がれた。

 高原弓兵が弓を捨て、鉈を抜く。そこへ、長剣兵が突っ込んでゆく。

 平原諸国の長剣の切れ味は、鈍い。刃物と言うよりは、むしろ打撃兵器と言える。その重量と、打撃力を集中し易い平べったい形状を活かし、敵の手足を骨ごと叩き折ったり、頭部や胴体の内部に衝撃を与えたりするのが目的である。

 風車のように振り回された長剣が、弓兵の腕や胴に喰い込み、血しぶきがあがる。

 高原弓兵も必死に抵抗したが、鉈と鎧なしの彼らでは、胴や肩当てに板金を使った小札鎧をまとい、板金冑をかぶり、刃渡り一メートル三十センチにもおよぶ両手剣を振り回す長剣兵には近付くことさえ困難だった。

 そこへ、ジンベル側長槍兵が突っ込んでゆく。さらに多くの弓兵が屠られ、混乱が倍加した。何とか予備隊の投げ槍兵が若干駆けつけ、弓兵を援護しようとジンベル側兵士に挑んでゆく。


 弓隊が混乱し、支援の弓射が緩慢になったことにより、高原戦士投げ槍兵の戦列は危機的状況に陥った。

 救援軍長槍兵の方陣を支えきれずに、戦線の一部が崩壊する。新たに投入された市民軍長槍隊四百名が、さらに突破口を広げる。

 短剣兵二百名を率いる夏希の眼前に、さながら奇跡のように無人地帯が現れた。

「好機です、夏希様」

 アンヌッカが、前進を促す。

 夏希は軍事に関してはど素人だったが、折に触れ拓海や生馬、そしてアンヌッカの話を聞いて、今ではごく基本的な事柄は理解していた。だから、アンヌッカの言わんとしていることはわかった。

 ここを抜け、敵の背後に廻り込むのだ。

「伝令! 宛、ラッシ隊長。発、市民軍隊長。右翼中央にて突破成功。我、突入す。支援求む。以上」

 夏希は付き従っていた少年伝令兵にそう命ずると、自分の竹竿を振り上げた。

「短剣兵隊は前進!」



 密林方向へ逃げてゆく高原戦士たちの足は、かなり速かった。

 いったん長剣を収め、かなりの速さで走り続けている生馬は、ちらちらと左右をうかがった。ほぼ同速でついて来ているのは、ソリスを始め五名ほどのようだ。もちろん、あとの九十数名も続いているはずだが、少しばかり遅れている。

 ……なんとか足止めしないと逃げ切られる。密林に入り込まれたら、短時間で探し出すのは無理だ。

 生馬は全力疾走に移った。一回だけだが、百メートル走で十二秒を切ったことがあるほどの俊足である。逃げてゆく高原戦士たちの背中が、見る見る大きくなる。

 生馬の急接近に気付いた高原戦士の一人が、鉈を抜くと足を止めて向き直った。生馬はやや足を緩めて長剣を抜き放ちつつ、その男に向かって突き進んだ。高原戦士が、鉈を両手で握って身構える。生馬は男から視線を逸らさぬまま走り続け、直前で方向転換した。最初から、刃を交える気はなかった。いちいち相手にしていては、向こうの思う壺である。

 おそらくは刺し違える覚悟であったろう高原戦士が、怒りの声をあげて生馬に追いすがろうとする。しかしその頃には、後続の短剣兵たちがばらばらと駆け寄りつつあった。足を止めた二人の短剣兵に斬り付けられ、高原戦士が血しぶきをあげて絶命する。その両脇を、何十人もの短剣兵と長槍兵が息を荒げながら疾走してゆく。



 ……逃げ切れない。

 サイゼンはそう悟った。

 逃走を図った本部要員の中で、彼が一番の高齢である。狩人としてはまだ現役だが、若い頃に比べ体力は格段に落ちている。

 むしろ、側近たちを逃がすべきだ。自分を犠牲にしてでも。

「お前たちは逃げろ!」

 足を止めたサイゼンは、そう部下に怒鳴った。走るのをやめ、戸惑いの表情を浮かべた者に対し、荒い息をつきながら絞り出すように告げる。

「これは氏族長命令だ! 逃げろ!」

 狩りのリーダーには絶対服従、というのが、高原の民の掟のひとつである。側近とその補佐たちが、悲壮な表情で再び走り始める。

 サイゼンは鉈を抜くと、追っ手に向き直った。ひときわ背の高い、革鎧姿の若い男を先頭に、百名前後の兵士たちが走り寄ってくる。

「イファラ族氏族長サイゼンである! 名のある戦士との戦いを望む!」

 サイゼンはそう怒鳴った。部下を逃がす時間を稼ぐには、こうやって敵の指揮官級の者を足止めするくらいしか、方法はない。

 先頭を行く背の高い戦士が、足を緩めた。おそらくは指揮官なのだろう、頭上で長剣を振り回し、周りの者に追撃を続行するように命じている。

 ……虫喰いどもめ。

 サイゼンは内心で舌打ちした。自分が犠牲になることによって、追撃が中断することを期待したのだが、少々甘かったようだ。

 背の高い戦士が立ち止まった。その後ろに、短い槍を持った少年が付き従っている。

 サイゼンは鉈を握ったまま、背の高い戦士を睨んだ。

 佇む三人を、ジンベル側の兵士たちが続々と追い越してゆく。

 奇妙な戦士だった。背はサイゼンよりも頭ひとつ分高く、やけに肌の色が白い。顔立ちも、平原の民らしくない。少しばかり顔かたちが違う高原の民、と言っても通用しそうな顔つきだ。

「わたしはイファラ族氏族長サイゼンだ。名のある戦士とお見受けする。貴殿の名を聞こう」

 追撃を阻止できなかったことに落胆しながらも、サイゼンは威厳を持ってそう問うた。

「ジンベル防衛隊教練隊長、サカイ・イクマ」

 背の高い戦士が、名乗る。

「イクマ。異世界人か!」

 報告にあった異世界人の名前だ。サイゼンは納得した。平原の民と異なる風貌。身体の大きさ。異世界人ならば、当然か。

「一対一での勝負を申し込む、イクマ殿」

 鉈を両手で構えつつ、サイゼンは言った。長剣と鉈では明らかにこちらが不利だが、いたし方あるまい。それに、死ぬのならば愛用の鉈を握ったまま死にたい。

「いや、降伏していただきたい」

 イクマが言った。威圧感のない、優しいと言えるほどの口調だった。

「お断りする」

「俺はジンベル人ではない。高原の民に、悪感情は持っていない。むしろ、高原戦士は尊敬に値する勇敢な人々だ。その長たるあなたを倒すのは、忍びない」

「今の言葉、侮辱か」

 明らかに、サイゼンが倒されることを前提にした言葉だ。

「侮蔑に思われたのであれば謝罪する。俺は、あなたと戦いたくない」

「いや。勝負していただく」

 イファラ族の名誉を守るためにも、氏族長として最後まで誇りを失うわけにはいかない。

「参る!」

 一声掛けてから、サイゼンは猛然と踏み込んだ。繰り出される鉈を、イクマが飛び退いて避ける。

 サイゼンは矢継ぎ早に鉈を振るった。避けてばかりいては不利だと悟ったのか、イクマが反撃に出る。サイゼンは突き出された長剣を、鉈で払った。

 息が上がる。かなり走ったせいで、サイゼンの体力はそうとう消耗していた。もはや、若くはないのだ。気力はいまだ充実していたが、身体の衰えは隠せない。

 腕の力が弱まり、鉈を振るう速度が鈍った。それを補おうとして、つい大振りになってしまう。

 鉈を構え直すのが、数瞬だけ遅れる。

 好機と見たイクマが、踏み込んだ。

 長剣が、サイゼンの腹に叩き込まれる。

 サイゼンの身体が、くの字に折れた。手から鉈が落ち、膝が地面を打つ。

 ……いい腕だ、異世界人。

 視界が暗転し、サイゼンの意識が飛んだ。



 生馬は激しく呼吸しながら、長剣を鞘に収めた。

「お見事です、生馬様」

 ソリスが、賞賛の言葉を贈る。

「縛っておけ。ただし、丁寧にな」

「は?」

 生馬の命令に、ソリスが怪訝な表情をする。

「斬っちゃいないよ。峰打ちというやつだ。俺の長剣は片刃だからな。刃の付いていない方で引っ叩いただけだ。この勇敢なおっさんを殺したくはなかったし、長剣と鉈じゃとうてい公平な勝負とは言えないからな。俺にも、侍の子孫としてのプライドはある」

「左様でしたか。では、さっそく」

 ソリスが腰に下げた袋から細い麻縄を取り出し、倒れているサイゼンを後ろ手に縛り始める。

 生馬はサイゼンの鉈を拾い上げた。見事なまでに使い込まれた鉈だった。持ち主同様、古強者の風格がある。

 逃げ散った高原戦士を追っていた兵士が、三三五五戻りつつあった。生馬はそこから二人を選び、サイゼンの護送を命じた。

「残りの者は俺に続け。背後から、高原戦士を叩くぞ」


第三十一話をお届けします。

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