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白き巫女と蒼き巫女【改稿中】  作者: 高階 桂
第一章 高原編
30/145

30 平原の激突

 第一次ジンベル南平原の戦いから二十七日後。サイゼン氏族長が率いる一万一千七百名の高原戦士が、ついに動いた。丸一日をかけ、軍用路を使い砦とその周辺に集結する。その間にも、多数の川船がジンベル川を往復して、食料を中心とする大量の補給物資が最前線に運び込まれた。

 この動きは、当然ジンベル側にも察知されていた。ラッシ隊長が放った偵察隊が順次帰還し、高原戦士の集結状況を報告する。

「やっと来たか。待ちくたびれたぞ」

 プチ会議の席で、生馬が不敵な笑みと共に両手を擦り合わせる。

「ねえ。あと半年くらい高原側が侵攻を手控えたら、ジンベルって自滅しちゃわない?」

 凛が、訊く。

「……可能性は、高いな」

 ぶすりと言った拓海が、意見を求めるかのように駿を見た。

「確かにね。派遣部隊諸経費は建前上各国の予算持ちだが、いちばんかさむ食費はジンベル持ちだからね。放置すれば、財政破綻は確実だ」

「何か手はあるの?」

 夏希は眉をしかめながら訊いた。高原戦士を撃退したはいいが、ジンベルが国家破産して、約束の報酬がもらえない、などということになったら、目も当てられない。

「戦時債の発行を考えていた。担保は金鉱と銀鉱だ。この採掘権を細分化し、担保として各国の政府や個人に対し低利で債権を発行する」

「債権の概念があるのか?」

 生馬が、訊く。

「初歩的なものはある。政府が王命で富裕な自国民から低利の融資を受ける程度だがね。商取引における債務は普通に発生し、処理されているし、原始的ながら貸金業者も存在するから、外国向けに戦時債を発行しても受け入れてもらえるはずだ。一時しのぎの方法だが、数年は戦えるだろう」

「やっぱり、根本的に戦争を終わらせなきゃだめね」

 夏希は肩をすくめた。

「どうやって終わらせるつもり?」

 凛が、夏希を見る。

「戦争が終わる方法は三つしかない。その一、どちらかが戦争遂行能力を喪失する。その二、講和が成立する。その三、戦争目的そのものが消滅する」

 拓海が口を挟む。凛が、首を傾げた。

「一や二はわかるけど、三はどういうこと?」

「限定戦争の場合だな。戦争はあくまで政治的行為であり、外交の延長に過ぎない。例えば、ある島の領有権を巡って戦争になったとすると、どちらかの勢力がその島を完全占領して支配権を確立し、もう一方の勢力が軍事力の行使による島の奪還を諦めた時点で、双方の戦争目的は消滅する。たいていは、そこで終戦だ。戦いは、軍人から外交官へと引き継がれるわけだ」

「その一による戦争終結は難しいな。イファラ族に他の氏族が協力しているとなると、これを滅ぼすのはジンベルの力じゃ不可能だ」

 腕を組んだ生馬が、言う。

「その三も、無理よね。魔力の源を捨てちゃうなんて、考えられないし……そもそも、簡単になくなったりしないでしょう、あれ」

 凛が、苦笑いを浮かべる。

「無駄に魔術を使い続けても……何十年も掛かりそうね」

 夏希も釣られたように苦笑いした。

「講和はすなわち政治的妥協だ。要点を整理しよう。イファラ族の戦略目的は、魔力の源の奪取。ジンベルの戦略目的は、イファラ族の侵攻阻止にある」

 拓海が指を立てる。

「外交交渉によって、イファラ族側の真の目的を聞き出し、こちらが譲歩するのがもっとも早いだろうね」

 駿が言った。

「あちらが強硬でなければな。魔力の源はイファラ族が管理、ジンベルには一切使わせない、とかになったら、ジンベルはおしまいだ」

 首をゆっくりと振りつつ、生馬。

「何らかの理由でジンベルとイファラ族の利害が一致しない限り、いずれにしろ争いになるのね」

 夏希は考え考えそう言った。駿がうなずく。

「社会というものは、対立の連続だからね。コンビニでの買い物にしても、商品やサービスの代価が適切だと客が考えるから商取引が成立するんだ。適切でない、つまり高いと客が判断すれば、対立となり、商取引は成立しない」

「コンビニなら他の店に行けばいいけど、国家間同士じゃそうはいかないものね」

 凛が、諦め顔で言う。拓海が、ぽんぽんと手を叩いた。

「とりあえず、今日は早めにお開きにしよう。明日は夜明け前に起きる必要があるからな。各自、準備は整ってるな?」

「俺の方はほぼ完璧だ」

 生馬が言う。

「僕も問題ない」

 駿がうなずく。

「市民軍はさっき陛下に動員令を発してもらったわ。明日早朝には、準備が整うと思う」

 夏希はそう言った。いささか訓練不足だが、明日の主役はジンベル防衛隊と救援軍だ。市民軍の出番は、少ないだろう。

「救護所も同じく、準備が整うのは明日早朝ね。下準備は今夜のうちに終わらせとくわ」

 凛が自信ありげに言った。

「よし。じゃあ解散だ。明日は頼むぞ、みんな。特に生馬。お前さんの部隊が、勝敗を分けると言っても過言じゃない」

 立ち上がった拓海が、生馬の肩に手を掛ける。

「任せろ」

 生馬が、親指を立てる。



 最初に動き出したのは、生馬率いる精鋭五百名だった。

 西の城門に通じる大通りに集められた五カ国混成の部隊は、長剣兵を主力に槍兵、短剣兵を加えて編成されている。夜明けまでは異世界の単位で三時間半はあり、空では未だ星が瞬いていた。あらかじめ開かれていた城門から、夜目の利く短剣兵数名に先導され、精鋭部隊は馬出しを迂回してジンベル南平原に出る。そのあとから、背に大きな荷物を負った市民軍兵士五十名が続く。

 一行は見通しを良くするためにあらかじめ刈り払われている草地を踏みしめ、やや西側へと迂回するようにして西の森へと向かった。事前に潜んでいた偵察隊に安全を確認してから、森の中と陰に隠れる。灯火の類は一切使わない。音も、なるべく漏らさぬように留意する。亜熱帯の夜は、かなり静かであり、遠くまで音が届いてしまうのだ。

 市民軍兵士たちは背中の荷を降ろすと、すぐに西の城門目指して帰って行った。荷物の中身は、二食分の食料と一日分の水である。戦況によっては、長時間の待機が必要とされる。暑さ対策の水はもちろん、体力を維持するための栄養補給もおろそかにはできない。

 生馬は部隊に休息を命ずると、士官全員を呼び寄せた。そこで始めて、作戦内容を詳細に説明する。驚きの吐息はいくつか漏れたが、皆プロの軍人である。すぐに生馬の意図を飲み込んでくれた。

「では、俺たちも休憩するか」

 ささやき声で、生馬は控えていたソリスに告げた。

「はい、生馬様」

 ささやき声で返したソリスが、生馬が地面に座るのを待ってから、腰を下ろす。

 生馬が訓練した伝令少年兵は二十人近くに上るが、今回の精鋭部隊に組み込んだのはソリスだけであった。かなり危険な任務であり、性根の据わった者でないと足手まといになるおそれがある。その点、ソリスは度胸もあるし、槍の腕前もなかなかのものだ。そばに置けば、生馬の背中を守ってくれるだろう。



 夜明け前に、高原戦士も動き出した。盛んに斥候を放ちながら、ジンベル南平原を目指す。

 呼応するように、ジンベル側も動いた。東西両門から兵を繰り出し、槍兵を前面に押し出した方陣を作り上げる。

「……平原で決着をつける気か?」

 斥候からの報告を聞いたサイゼン氏族長は、首を傾げた。

「こちらの予想よりも敵は兵を集めたようですな。おそらくは、一万に近いかと」

 報告をまとめていた側近の一人が、言う。

「どう思う、ビレット?」

 サイゼンが、意見を求める。

「こちらに前回のように、川に橋を掛けさせたくないのでは?」

「それも考えられるな」

 一応、密林の中に橋を掛けてあるが、そこを利用しての兵力移動は、遠回りになるので時間が掛かってしまう。前回掛けた橋はジンベル側によって撤去されているので、予備隊は東西両岸に二分せねばなるまい。

「何か意見は?」

 サイゼンが、側近を見回した。

「西の城門前の土盛りが気になります。なにかの罠ではないでしょうか」

「前回のこともあります。ここは慎重に行くべきでしょう」

「同感です。焦る必要はありません。じっくり攻めましょう」

 いくつか進言がなされたが、いずれも消極策であった。

「うむ。いずれにしろ、敵が積極的に出てきたのはなにか策があってのことだろう。数百名におよぶ精鋭からなる予備隊を組織していたという情報もあったからな。それで、東西どちらの敵が多いのだ?」

「城壁の外に出てきた兵は、明らかに西岸の方が多いです」

 サイゼンの問いに、斥候の報告をまとめていた側近が即座に答えた。

「わかった。計画を変更せず、わたしが直接西岸の部隊を率いる。ビレット。君は東岸を頼む」

「心得ました」



「よろしく頼むわね」

 夏希は副官の肩を優しく叩いた。今回は、アンヌッカと行動を共にすることになる。

「お任せ下さい。夏希様の身はしっかり守ります」

「まあ、今回は矢面に立つことはないと思うけど」

 夏希は願望も含めてそう言った。拓海の作戦がうまく行けば、戦いは救援軍に任せて、市民軍はせいぜい残敵掃討くらいの役目で済むはずだ。そのような訳で、夏希自身も今日は、革鎧と腰に吊った長剣、それに水筒だけという軽装である。

 夜明けにはまだ間があるが、空はすでに白んでおり、星々は暗いものから順番にその姿を隠しつつあった。空気は重苦しい湿気を含んではいるものの温度は低めで、爽やかだ。

 夏希が直卒する兵力は、市民軍一千名。これを、二百名ずつの五隊に分けてある。得物は四隊が長槍、一隊が短剣だ。武器は長さや質がほぼ同じものを支給できたが、防具に関してはばらつきが多く、中古の金属鎧をまとった者から普段着に革を縫いつけただけの者までバラエティに富んでいる。いずれにせよこの一千名は、比較的若い男性が中心の、市民軍にしては錬度の高い部隊である。以前の呼称を用いれば、カテゴリーAとBに相当する。

 市民軍大部隊は、市街地の通りに密集して待機していた。救援軍部隊は、もうすでに門を出て平原に展開し、方陣を築いている。救援軍が前進を開始したら、市民軍も速やかにジンベル南平原に進出し、陣形を整え、追随しなければならない。今回の作戦、高原戦士側に時間的余裕を与えたら、失敗である。

「夏希様!」

 いきなり、路地から声が掛かった。夏希が訝りつつそちらに眼をやると、十名近くの少女たちが立っているのが見えた。みな小柄で、年齢は十三、四というところか。ぺこぺこと頭を下げつつ、こちらを上目使いに見ている。

「何か用かしら?」

 戦闘前でちょっと気が立っていた夏希は、少しばかりぶっきら棒に尋ねた。

「どうぞ、これをお使い下さい!」

 一人の少女が進み出て、夏希に向け両手で捧げ持ったものを突き出した。

 竹竿である。

 夏希は生じかけためまいをぐっと堪えた。

「いや、あの、今回は必要ないから」

「わたしたち、まだ子供だから、戦わせてもらえないんです」

 別の少女が、両手を胸の前で組み合わせ、哀願口調で言った。

「でも、なんとかして夏希様のお手伝いがしたくて……」

「みんなで選んで、丁寧に加工した竹です!」

「お願いです、使ってください!」

「気持ちだけでも、夏希様と一緒に戦いたいんです!」

「お願いします、夏希様!」

 口々に、少女たちが哀願する。

 ……これって、ファン、ってこと?

 夏希は強張った笑みを浮かべたまま手を伸ばし、竹竿を握った。

 少女たちの表情が、一挙に明るくなる。

「ありがとうございます、夏希様!」

 口々に礼を言い、ぺこぺこと頭を下げる。中には、嬉し泣きしている娘さえいた。

「竹竿は使わせてもらうから、みんな決められた場所に戻って。城門近くは危ないから」

「はい、夏希様。わたしたち、凛様の救護所でお手伝いすることになっているんです。すぐに、戻ります」

 笑顔を見せながら、少女たちが路地を奥へと駆け出す。夏希は手を振ってやった。気付いた少女たちが、嬉しそうに手を振り返す。

「……疲れた」

 少女たちの姿が消えると、夏希は竹竿にもたれて大きく息をついた。

「人望がおありになるのは、よろしいことです」

 頬をぴくぴくと痙攣させながら、アンヌッカが言う。笑いを堪えているのだろう。

「ま、せっかくだから持っていてあげましょう。今回は、使う機会はないだろうけど」

 夏希は苦笑いしながら、アンヌッカにそう言った。

 予想は間違っていた。



 東の門から繰り出された兵は、救援軍千八百と、ジンベル市民軍五百。門の内側には、さらにジンベル市民軍五百が控え、城壁には救援軍市民部隊八百が守備についている。

 西の門から出撃した兵は、救援軍三千。こちらも門の内側にジンベル市民軍一千が残り、城壁と馬出しは別のジンベル市民軍一千が守る。そしてもちろん、西の森には生馬率いる多国籍精鋭部隊五百が潜んでいる。

 総指揮官であるラッシ隊長は西側の救援軍を直接率い、拓海は東の城門近くにある見張り台の上で待機。夏希は、西門内側の市民軍一千と共にあった。

 夏希は城壁の上に登ると、前方の様子をうかがった。百人ごとの方陣を築いた救援軍が、二段になって左右に広がっている。前段は、矢避けの長盾を持った短剣兵、重武装の長剣兵、それに長槍兵が主力で、後段は弓兵とそれを援護する長槍兵で構成されている。

 西岸と同様、東岸でもジンベル側部隊は整然たる方陣を築き、待機していた。両岸の方陣の列は、片側を要害であるジンベル川にぴたりと着けるようにして布陣している。もちろん、両翼包囲を防ぐための方策である。

 夜明け間近なので、すでにジンベル南平原は明るかった。朝靄が薄くたなびくそこに、いまだ高原戦士を見出すことはないが、偵察結果からするとすでに密林内を北上中であり、あと少しで先鋒がその姿を現すはずだ。満足した夏希は、竹竿を肩に階段を降り、アンヌッカのところへと戻った。

 早朝の平原で、様々な音が重なり合う。武器や鎧が発する金属音、革の擦れる音、緊張をほぐすための小声での雑談。

 朝の爽やかな空気が、徐々に硬質なものに変化してゆく。居並ぶ兵士たちの醸し出す、緊張と恐れと逸り立つ心が入り混じった体臭を吸い取ったかのように。

 やがて、朝日が方陣を形作る兵士たちを照らし出した頃、偵察隊からの報告を受けたラッシ隊長が、伝令に合図の旗を振らせた。

 西岸のジンベル側方陣が、一斉に南下を始めた。ゆっくりとした歩調で、陣形を保ったまま前進する。これに呼応して、城門から市民軍部隊が続々と現れた。城壁前で二百名ずつの横に長い長方形の方陣を作ると、救援軍部隊のあとを追い始める。

 東岸でも、やや遅れながらも同様の動きが見られた。



『敵部隊緩歩にて前進開始』の報告は、すぐにサイゼン氏族長の元に届いた。

 戦闘開始前から、サイゼンは重大な決断を迫られることになった。

 選択肢はふたつしかなかった。本日の交戦を断念し、後退すること。前進して密林を出て、速やかに陣形を整えて迎撃準備を整えること。

 妥協案は愚策と言えた。様子を見ながら前進などしていては、平原南部にジンベル側が強固な陣形を保ったまま展開する余裕を与えてしまう。そうなれば、密林から出てきたばかりで陣形の整っていない高原戦士たちの小部隊が、各個撃破されることになる。まさに、敵の思う壺である。

 なんとも極端な二択であった。戦わず退くか、急いで前に出て、戦闘態勢を整えるか。

 前者ならばリスクは零だが、士気の大幅な落ち込みは避けられない。なにしろ、前回は一方的敗北を喫しているのだ。後者のリスクは大きいが、いずれにせよジンベル側とは戦わねばならない。むしろ、正面切って戦えるのならば、好機と言える。

 怯懦きょうだとも言うべき安全策を取るか。無謀かも知れぬ強行策を取るか。

 行くしかない。

 そう、サイゼンは決断した。やはり狩人である。巣穴を飛び出し、牙をむく獲物を前にして、背を向けることは難しかった。

 サイゼンはすべての部隊に急速前進を命じた。速やかに密林を抜け、ジンベル南平原南端で陣形を整えさせるのだ。むろん、罠を警戒して多数の偵察隊を放つよう命ずることも忘れなかった。



 ジンベル南平原南部では、双方の偵察隊同士の静かな死闘が繰り広げられていた。

 むろん、ジンベル側の思惑は西の森に隠れる精鋭五百の存在を敵に悟られないことにある。一方の高原戦士側は罠の兆候を探りながら、ジンベル側主力の布陣状況を調べ、味方の展開を妨害しようとする散兵を阻止するのが目的である。

 身を低くし、遠距離で弓を射ち合いながら、両者は必死に与えられた任務を続けていた。



「敵方陣、東西両岸とも速度を上げました! 速歩で前進中!」

 伝令からの報告を伝達した側近が、やや上擦った声で報告する。

 ……やはり敵の狙いは平原南端での迎撃にあったのか。あるいは、他の方策があり、この行動はその布石に過ぎないのか。

 サイゼン氏族長は密林内に設けられた進撃路を足早に歩みながら思案した。

 ……いや、仮にジンベル側が何かしらの策を考えていたとしても、今現在こちらが取れる手はひとつしかない。

 東岸でビレットが率いている兵力が、主力四千四百と予備隊千八百。西岸でサイゼンが率いる兵力が、主力四千六百に予備隊二千。なんとか、数の優位を活かせる状態に持っていかねばならぬ。

「全軍に伝達。可及的速やかに平原南端に到達し、陣形を整えよ。交戦開始は各指揮官に委任する。ただし、他の部隊との連携に留意せよ」

 サイゼンは新たな命令を発した。



 前進を続けるジンベル側方陣が、待ち構える高原戦士弓手の射程内に入り込んだ。

 命令一下、一斉に矢が放たれる。だが、その数は多くない。高原戦士主力はまだ半数以上が密林内におり、陣形を整えていないのだ。

 前に立つジンベル側短剣兵がかざす長盾に、次々と矢が突き立つ。曲射された矢を受けて倒れる者も出たが、救援軍の方陣は崩れることなく前進を続けた。

 陣形前縁の高原戦士が、一斉に投げ槍を構える。

 と、そこに曲射された多数の矢が降り注いだ。矢の射程距離に達した二列目の方陣が停止し、そこから矢の速射を開始したのだ。高原投げ槍兵の持つ角盾は、格闘戦時に敵の槍や剣を防ぐのに適している小さく丈夫なものであり、矢を防ぐには有効とは言えない。多数の投げ槍兵が、矢を受けて得物を取り落とす。

 長盾を前面に押し立て、一列目の方陣がいまだ陣形を整えていない高原戦士たちに迫る。投げ槍の投擲を受けて損害を出しつつも、ジンベル側は近接戦闘を目論んで速歩で前進を続けた。

 両者が、激突した。

 長盾を持つジンベル側短剣兵が停止し、前に出た長槍兵が槍衾を形成しつつ歩調をそろえて前進する。高原戦士は重い投げ槍を振るって対抗したが、槍衾の前では分が悪い。何人もの高原戦士が長槍の穂先に刺し貫かれ、絶命した。

 歩兵が緊密な陣形を保ちつつ、集団戦闘する場合は、先に陣形が崩れた方が負けである。最初から時間不足でしっかりとした陣形を組めていなかった高原戦士たちは、瞬く間に圧倒された。生じた綻びから重装備の長剣兵が切り込み、高原弓兵に襲い掛かる。血しぶきがあがり、叩き折られた手足が地面に転がる。悲鳴をあげて倒れた高原戦士を容赦なく踏みつけながら、長剣兵が前進し、無傷の弓兵に斬りかかる。

 高原戦士側は早くも戦線崩壊の危機を迎えていた。


 続々と、高原戦士が密林から出て、陣形を整える。投げ槍兵、弓兵ともに、二百名を基準とするかなり大きな方陣である。

 サイゼンはこれら新たな部隊を、戦闘準備を整えた順に前線に送り込み、代わりにばらばらに戦っている戦士たちを下げ、再編成を行わせた。

 その結果、かなりの犠牲を出したものの、高原戦士たちは戦線を崩壊させることなく立ち直り、ジンベル側に対し逆襲に転じた。数的に劣勢であるジンベル側が、不利を悟ったのか後退を始める。

 サイゼンは迷った。常識的に考えれば、ここは勢いに任せて押すところである。ジンベル側に与えた損害はいまだわずか。今後の展開を考えれば、多少無理にでも追撃して更なる戦果をあげておくべきだ。

 だが、これは罠なのかもしれない。調子に乗って追って来たこちらを、何らかの罠に嵌めてしまう策の可能性もある。

 サイゼンはジンベル南平原の地形を頭に浮かべた。そこに高原戦士側とジンベル側の部隊を付け加える。北へ向け後退するジンベル人と、その味方である平原諸国の軍隊。それを追う高原戦士たち。この状態で、ジンベル側が罠を仕掛けるとすれば……。

 ……西の森か。

 ジンベル側が、地面などに何らかの大規模な罠を仕掛けたとは考えにくい。妨害を受けたとはいえ、こちら側も断続的に平原の偵察は行っている。だが、西の森に夜陰に乗じてある程度の部隊を隠すことは可能だったはずだ。

 もしジンベル側が西の森に精強な部隊を潜ませているならば、このまま高原戦士たちが追撃を行えば、伏せている敵に対し脆弱な側面や背面を晒すことになる。

「西の端にある森の偵察結果は?」

 サイゼンは偵察担当の側近に語気鋭く尋ねた。

「派遣しましたがいまだ帰還しておりません。敵と交戦し、未帰還となったと思われます」

 ……自重するか。いや、罠が杞憂であった場合、それではせっかくの好機を無視することになる。

 ここは慎重かつ大胆にいくべきだ。予備隊の一部を割いてでも、西の森対策をすべきだろう。問題は、どれだけの兵力を指向するかだが……。

 サイゼンはしばし考えた。予備隊には余裕があるとはいえ、手元には一兵でも多く残しておきたいところだ。敵が伏せていなかった場合は、その兵力は遊兵となってしまう。西の森に隠せる兵力は、最大でも四百から五百程度であろう。とすると、方陣二個四百名なら対抗可能だ。予備隊の二割に当たる兵力である。

「各部隊は敵を追え。陣形を保ちつつ圧迫せよ。西の森に敵一隊が伏せている可能性を考慮し、予備隊の方陣二個をその対策に割く。前進して、捜索に当たらせろ」


第三十話をお届けします。今週も評価を入れていただきました。評価してくださった方、ありがとうございます。

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