表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
白き巫女と蒼き巫女【改稿中】  作者: 高階 桂
第一章 高原編
3/145

3 巫女少女

 不意に、夏希の耳に女性の声が届いた。慌てて顔を上げた夏希の眼に、歩み寄る妙な装束の少女の姿が飛び込んでくる。

 純白の浴衣のような服は裾が長く、足首までを完全に隠している。腰にベルトのように巻いているのは、どう見ても荒縄である。年の頃は十三、四というところか。ごく淡い褐色の丸顔に、胸の辺りまである真っ直ぐな黒髪。頭の天辺には、白いスカルキャップみたいな被り物がちょこんと載っている。顔立ちはきれいだが、いまひとつ表情に生気がなく、小柄で華奢な身体つきも相まってどことなく人形っぽい。

 その少女が、立ったまま夏希に向かって丁寧に一礼した。夏希は座ったまま礼を返した。

 少女が、何か言う。

 ……夏希にはまったく理解できない言葉である。

「エイラ様は、ようこそいらっしゃいました、とおっしゃっておいでですぅ~」

 うろたえかけた夏希に向け、コーカラットが通訳してくれる。

「お名前をうかがってもよろしいか、とも訊いていらっしゃいますぅ~」

「お名前……」

 夏希はちょっと思案した。ここは偽名でも名乗るべきだろうか。いや、そんなことしても意味ないか。

「えーと、夏希でいいわ」

 夏希の返答を、コーカラットが通訳する。わずかに笑みを見せたエイラが、数語喋る。

「エイラ様は、夏希様に対し魔術を掛けてよいか、とお尋ねですぅ~」

「魔術? だめよ、そんな」

 夏希は即座に拒否した。

「言語の魔術ですが、それでもだめですかぁ~」

「言語の魔術?」

「これを掛けてもらえば、ここの言葉が自在に操れるようになりますけどぉ~」

 コーカラットが、そう説明する。

「……それは便利ね」

 夏希はしばし考えた。コーカラットという通訳がいるとはいえ、ここジンベルの人たちと言葉が通じるのは大いに利点があるだろう。わざわざ夏希の承認を得ようとしていることから見ても、エイラが危ない魔術をむりやり掛けたいとか思っている訳ではないらしい。

「それならいいけど……その魔術、痛かったりやたら時間が掛かったり、変な副作用とか後遺症とか残ったりしない?」

「そういうことは、まったくないですぅ~。ちょっと眩しいですが、すぐに終わりますですぅ~」

 コーカラットが、請合う。

「じゃ、いいわ。やってちょうだい」

 夏希はコーカラットにそう言うと、立ち上がってエイラに近づき、正対した。そばに立つと、彼女の小柄さがはっきりとわかる。背は夏希よりも二十センチ以上低いだろう。おおよそ、百五十センチちょっとというところか。

「どうぞ。遠慮しないで、掛けていいわよ」

 通じていないことを承知で、夏希はそう呼びかけた。同時に促すかのように、小さくうなずいてやる。

 エイラが何かひとこと言ってから、胸の前で手指を動かし始めた。いわゆる印を結ぶ、とかいう動作なのだろうが、夏希には見えない糸で一人綾取りをしているようにも見えた。

 と、いきなり夏希の視界が赤い光に包まれた。それは一瞬で消える。回転赤色灯を眼前に突きつけられたかのような感じだった。

「いかがですか?」

 エイラが訊いてくる。

 わお。日本語じゃないのに、なに言ってるかわかる。

「すごい。ねえ、わたしの言ってること、わかる?」

「はい、理解できます」

 夏希の喋る日本語を聞いたエイラが、こっくりとうなずく。

「まず最初に謝罪させていただきます。わたくしの未熟さゆえ、夏希殿を坑道の中などという妙な場所に召喚してしまい、ご迷惑をお掛けしました」

 深々と、エイラが頭を下げる。……いささか愛嬌に乏しいが、悪い娘ではなさそうだ。

「おおよそのところはコーちゃんからお聞き及びと思いますが……いかがでしょう、夏希殿の知識と経験を我らジンベルの民に分け与えてくださいませんでしょうか?」

「そう言われても、わたしここの事よく知らないし……」

 夏希はそう言葉を濁した。

「ご安心下さい。夏希殿が望めば、いつでも元の世界へ送り返してさし上げます」

 エイラが請合う。

「でも、元の世界の方で、親とか友達とか色々心配してるんじゃないかと……」

「それは、大丈夫ですぅ~」

 コーカラットが、口を挟んだ。

「お帰りになるときには、召喚された直後に戻すことができるのですぅ~。だから、心配ないのですぅ~」

「そういうことなら、あなた方に協力してもいいと思うけど……」

 夏希は考え考えそう言った。とりあえず身の危険はないようだし、せっかく異世界に来れたのだから、すぐに戻ったりせず、色々と見てまわったりもしてみたい。

「では、さっそく国王陛下に謁見していただきます」

 エイラが、扉の方を手で指し示した。

「国王陛下? ジンベルの、国王に?」

「そうです。契約内容を詰めねばなりません」

 相変わらず無表情なまま、エイラが言う。

「契約内容?」

 夏希は首を傾げた。

「夏希様はジンベルに先進文化と技術を伝授するために召喚されたお方なのですぅ~」

 コーカラットが、再び口を挟んだ。

「だから、契約しなければならないのですぅ~」

「わたくしたちは文明人です。労働と献身には、報酬をもって報いるのが、常識ではありませんか?」

 エイラがその細い眉を上げて、夏希を見上げた。


「ようこそジンベルへ。夏希殿」

 ヴァオティと名乗った国王が、明るい口調で歓迎の言葉を述べる。

 なんとも気さくな『謁見』であった。ちょっと固い感触の詰め物が入った布張りのカウチに座った夏希の前には低い大きなテーブルがあり、正面に同じようなカウチに掛けた国王がいる。国王の左方にはエイラが、肩の上あたりにコーカラットを従えて座り、右方には王妃か王女か、それとも愛妾か、あるいはひょっとして高位の廷臣なのかも知れないが、髪の長いきれいな若い女性が座っている。

 夏希と国王の目の高さは一緒だし、状況からして直答も許されるらしい。謁見と聞いて平伏とかさせられるのかと危惧していた夏希は、安堵すると同時に、いささか拍子抜けしていた。侍女らしい中年の女性が冷たい飲み物を注いでくれたので、貴人への謁見と言うよりはちょっと気取ったお茶会程度の雰囲気だ。

「……あー、お目にかかれて光栄です、国王陛下」

 夏希はなんとかその場に相応しそうな返答をした。ヴァオティ自体も、目尻の下がった柔和な丸顔で小太りという威厳というものが微塵も感じられない中年男なので、なおさらお茶会度は高くなる。

「紹介しておこう。娘のイブリスだ」

 国王の言葉に、長い黒髪の女性が微笑みながら夏希に向かって鷹揚にうなずく。年齢はおそらく夏希よりも少し上だろう。眼が細く、ややきつい顔立ちだが、なかなかの美人だ。夏希は座ったままぺこりと礼を返した。

「詳細はエイラから聞いていると思うが……わがジンベルは夏希殿がいた世界よりも相当遅れている。そなたの経験と知識を活かし、わが民を教え導いて欲しいのだ」

 飲み物が入ったガラスコップ……オニオンスライスそっくりなものがたっぷりと底の方に沈んでいる冷水……からひと口飲んだ国王が、そう切り出した。

「わたしにそのような大役が務まるでしょうか?」

「謙遜することはない」

 国王が、軽く首を振る。

「エイラの腕前は確かだ。高い知能と見識を持ち合わせた善良な人物を召喚してくれたはず。そうだな?」

「はい。もちろんです、陛下」

 国王の言葉に、エイラがうなずく。

「当然ながら、待遇はそれなりのものを用意させてもらう。まず、夏希殿を貴族として迎えよう」

「……貴族」

 夏希は面食らった。現在の日本には、皇族を別格とすれば貴族はいない。ジョークであれ何であれ、貴族を自称している人はいるが、一部の芸能人を除けばみんな痛い人たちだけである。いきなりそんなものに取り立てられても、別にありがたくはない。

「相応しい住居と召使も与える。もちろん、食費その他の経費も支給しよう。その上で、報酬だが……」

 国王が、ぽんぽんと手を叩いた。すぐに二人の男性が現れ、テーブルに木箱を置いた。持ってきた際の様子と置いた時のテーブルの揺れ方からして、中身は相当重いものだと夏希は見当をつけた。

「一年で、これを与える」

 国王が手ずから木箱を開ける。

 眩い輝き。

 どう見てもきんであった。ぴかぴかした光り方ではない、むしろやや赤みがかったような、独特の輝き。延べ板というのだろうか、手のひらサイズのものが、ぎっしりと詰まっている。

 夏希の眼が輝いた。やはり女性、光り物は大好きである。大の男二人がかりで持ってきたと言うことは、低めに見積もっても十キログラム以上はあるだろう。となれば、総額数千万円は下るまい。

 いやいや。

 夏希は自分を戒めた。江戸時代の小判の中には、金の含有率が二分の一程度の粗悪なものもあったはずだ。この延べ板もそんなまがい物なのかもしれない。

「よろしければ、手にとってご確認くださいぃ~」

 夏希の心を読んでいたかのように、コーカラットが説明を始めた。

「純度に関しては、申し分ありませんですぅ~。魔術で精錬しますからぁ~。フォーナインレベルですぅ~」

「フォーナイン……って、なんでそんな言葉知ってるの?」

 フォーナインとは、純度99.99%の事実上の純金を指す用語である。

「魔物ですからぁ~」

 夏希の突っ込みに、コーカラットがおなじみのフレーズで答える。

 一年でこの報酬なら、悪い話ではない。いや、むしろおいしい話と言っていい。時給に直すと一万円くらいになるのではないだろうか。

 夏希は頭の中で電卓を叩いた。総額を控えめに見積もって三千万円だとして、これを三百六十五で割って……。

 まてよ。

「あのー、陛下。一年って、何日ですか?」

 夏希は遠慮がちに訊いた。異世界なのだから、暦が違っている可能性は高い。こちらの一年が元の世界の三十年に等しい、などということならば、向こうでバイトでもしたほうがよっぽどお金になるだろう。

「うむ。一年は四百五日だ」

「やっぱり……」

 夏希は安堵した。確かめて、良かった。

「ご安心下さい、夏希様ぁ~」

 コーカラットが、言う。

「確かに一年の日数はこちらの方が多いですが、一日の長さはこちらの方が短いのですぅ~。おおよそ、二十一時間半で、一日が終わりますぅ~。ですから、一年の長さは夏希様のいらっしゃった世界よりも若干短いのですぅ~」

「へえ。そうなんだ」

 眩い金の輝きを前にして、長時間抵抗を続けられる者はそう多くないだろう。夏希もそれなりに俗物である。口頭での契約ではあったが、いつでも彼女の意向(意向内容の如何を問わず)で解消できるというオプション付きで、夏希は一年間に渡り、双方の合意があれば延長可能との条件も入れて、ジンベルに文化と技術を伝える役目を担うことを承諾した。


「とりあえずお住まいなど決めねばなりませんね。担当の者を付けましょう」

 王宮の通廊を歩みながら、エイラが言う。

「……その前にお願いだから、ごはん食べさせて」

 夏希は搾り出すようにそう言った。国王の前では我慢していたが、もうそろそろ限界である。先ほどから腹は鳴りっぱなしだし、わずかだが胃痛さえ感じている。

「空腹でしたか。失礼しました。コーちゃん、夏希殿をお願いね。わたくしは手続きをしてまいりますから」

「承知しました、エイラ様ぁ~」

 夏希に目礼してから歩み去るエイラに向け、コーカラットが高く持ち上げた触手の一本をひらひらと振る。

「では、小食堂のひとつを借りますですぅ~。こちらへど~ぞぉ~」

 夏希はコーカラットに導かれるままに、一室へと足を踏み入れた。四人掛けくらいの角テーブルと腰掛が置いてあるだけの、簡素な部屋だ。

「しばらくお待ちくださいぃ~」

 そう言って消えたコーカラットが、十分ほどで大きな盆を持った若い女性を連れて戻ってきた。コーカラット自身も、五本の触手で陶製らしいポットとカップ、それに果物らしい鮮やかな色彩の物体が盛られた籠を支えている。

 若い女性が、盆から食器類をテーブルに移し、一礼してそそくさと出て行く。

「どうぞ、お召し上がりくださいぃ~」

 ポットから湯気の立つ液体をカップに注ぎ入れながら、コーカラットが勧める。

「……て、牛丼?」

 夏希はメインらしい陶器の鉢を見て眉をしかめた。やや褐色がかった米飯が盛られた上に、加熱処理されたと思われる肉の薄切りが載っている。しかも、鉢の隅には紅生姜ならぬ『がり』にそっくりななにかの薄切りが添えられている。

 夏希は他の皿に眼を移した。パン皿ほどの平皿には、小ぶりな焼き魚の切り身が三つ載っている。小皿ふたつには、茹でた青物と得体の知れない黄土色のペースト。……ひょっとして、味噌か?

 とにかく空腹である。夏希は添えられていた箸で食事を開始した。牛丼もどきの上に載っていた肉は牛肉の味がしたものの硬く、安い輸入牛の赤身を思わせた。味付けは塩と、なにかの香辛料を使ったと思われる辛味だけ。……焼き過ぎた安い焼きタン塩に山椒を軽く振った感じ、と言えば近いだろうか。米はいわゆる長粒種らしく、粘り気が少ないぱさぱさとしたものだったが、変な臭いもなく、普通に食べることができた。『がり』らしきものはやはり味からして生姜で、おそらくは単なる塩漬けと思われた。

 箸も曲者だった。竹製のようだったが、やたらと長いのだ。よく中国の庶民が握り箸でどんぶり飯を掻き込んでいるのを映画などで見かけるが、あのような感じに使うためだろうか。

 夏希はコーカラットの注いでくれたお茶で喉を潤しながら、食事を続けた。お茶は色といい味といい緑茶だった。ただし甘味がほとんどなく、中途半端に花のような香りがする。茶葉自体の香りが良くないので、なにか混ぜているのだろうか。

 焼き魚は川魚らしく淡白な味わいでそこそこおいしかった。青物はほうれん草に似た味だったがえぐ味が強く、また青臭さが鼻について食べにくかったが、黄土色のペーストを添えて食べると結構おいしく食べることができた。ペーストは細かく刻んだ大豆のようなものがたくさん入っていて、見た目や食感は手作り味噌風だったが、味はまろやかな塩気と焦がした醤油のような香ばしい香り、それにこくのある旨みがあった。

「果物はいかがですかぁ~」

 おおよそ平らげ終わったあたりで、コーカラットがそう声を掛けてきた。

「いいわね」

 夏希は果物籠に眼をやった。柑橘類らしいオレンジ色の球体。それよりもやや小ぶりな真紅の球体。かぼすにしか見えない緑色の小球。小玉西瓜サイズのレモン。薄紫色の洋梨。淡いピンク色の胡瓜がバナナのように房状に固まったものなどが、盛られている。

「どれがおいしいの? 甘いのが、いいな」

「それでしたら、これですねぇ~」

 コーカラットが、触手を伸ばして薄紫の洋梨を取り上げた。

「ちょっと待っていてくださいぃ~」

 コーカラットが、二本の触手で洋梨を支え持った。伸びてきた別の触手の先端が、すっと紙のように薄くなる。

 二本の触手が、洋梨をくるくると回し始めた。薄くなった触手がそれに触れると、洋梨の皮が削られ始める。ものの三秒ほどで、洋梨の薄紫色の皮は剥かれて、薄いクリーム色の果肉が露になった。

「……コーちゃんの触手って、便利ね」

 あまりの早業と切れ味に半ばびびりながら、夏希はそう言った。

「魔物ですからぁ~」

 コーカラットがもう一本触手を追加し、ふたつ割にした果肉の中心部にあった梅干大の種を取り除く。さらにもう一本の触手がテーブルから空いている小皿を取り上げる。先端がナイフ状になった触手が素早い動きを見せ、八切れくらいに分割された洋梨がきれいに皿の上に盛り付けられた。

「ど~ぞぉ~」

 コーカラットが、小皿を夏希の前に置く。夏希は礼を言ってから一切れ箸でつまんで食べてみた。食感はアボガドに似ていたが、味は洋梨と同じだった。


第三話をお届けします。お正月特別体制につきやはり二日には投稿できませんでした。お詫び申し上げます。四話以降は通常どおり土曜日投稿に戻る予定です。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ