29 囚人と軍師
その男は、タクミ、と名乗った。
リダは眼に警戒心をあらわにしながら、枕元に立った男性をじっくりと観察した。背は他のジンベル人と大して変わりないが、肌の色は白っぽく、顔には先日の異世界人女性がつけていたと同じような針金をくっつけている。体型はやや太っており、ぽこんと突き出した腹の上で組まれている手は明らかに戦士のそれではない。針金の奥の眼にも鋭さがなく、どちらかといえば柔和だ。
リダの命を助けた男。そして、耳にした噂を信ずるとすれば、イファラ族のジンベル侵攻を頓挫させた男。
「あー、こんにちは」
気恥ずかしげに、男……タクミが挨拶する。
瞬時迷ったリダだったが、すぐに笑顔を作ると挨拶を返した。命を救った以上、この男はリダに好意を抱いていると踏んだのだ。囚われの身なのだから、それなりの地位にいる人物に媚を売っておいても、損はないだろう。
それに、うまく行けば貴重な情報を搾り取れるかもしれない。
リダの笑顔に気を良くしたのか、タクミが相好を崩す。
「あなたがわたしの命を救って下さった方ですね。ありがとうございます。適切かつ丁寧な治療も施していただき、重ねてお礼申し上げます。看護人の方も皆親切で、優しい方ばかり。本当に、ありがたいです」
リダは畳み掛けるように礼の言葉を乱発した。
「いや、きっかけを作ったのは俺だけど、実際に命令を下したのはラッシ隊長だし、手術したのはコーカラットだし、凛ちゃんも……」
タクミが照れたように言って、わたわたと手を振る。
「ひとつお聞きしてよろしいですか?」
「なんなりと」
「どうしてわたしを助けたのですか?」
「……罪滅ぼし、かな」
意外な言葉に、リダは眼を見開いた。
「詳しくは話せないけど、イファラ族との戦いで多くの死者が出た原因の一部は、俺に責任があるんだ。だから、一人でも助けたいと思っていたら、ちょうど君が倒れていた」
とつとつとした口調で、タクミが語る。
「それだけですの?」
「それだけだ」
そう短く答えたタクミの眼を、リダはじっと覗き込んだ。気恥ずかしげに、タクミが視線を逸らす。
……嘘だ。
そうリダは見抜いた。罪滅ぼしという理由が主なものだというのは、本当だろう。だが、それ以外にも思惑はあったはずだ。例えば、いかにも男性らしい、若い女性に対する感情とか。リダも、自分が未熟ながらもかなり美しい部類に入る女性だということくらい、自覚している。
もっとも、今は頬の傷のせいで台無しになっているかもしれないが。
右頬の切り傷はとっくに抜糸され、完全にふさがっている。引き攣れたような感覚はすでになじみのものとなったし、痛みも感じない。鏡を覗く勇気はないが、縫合跡は畝のように盛り上がっており、指でなぞると縫い目まではっきりと感じ取れる。
「この傷、どう思います?」
半ば衝動的に、リダはそう問いかけた。首をわずかに傾け、右頬を突き出す。
タクミが強張った笑みを見せる。
「ええと……古強者の戦士みたいだね。若い女の子には、ちょっと似合わないかな。でも、それでも可愛いよ、君は」
……嘘は言ってなさそうね。
リダは安堵した。狩猟民族である高原の民、その中でも、主に狩猟にたずさわる狩人たちにとって、怪我は日常茶飯事だ。若く経験の浅い者はともかく、それなりに経験を重ねた者は、必ずといっていいほど古傷持ちである。顔や頭部など、目立つところに傷跡を持つものも少なくないし、それがあるせいで特別扱いされたり禁忌されたりするようなことはありえない。リダも集落に戻れば、顔に傷があろうとなかろうと、気にすらされないだろう。
だが、リダの感情は別である。高原の民だろうと、狩人だろうと、若い女性の顔に大きな傷跡が残れば、心にも同じくらいの傷跡が残るものだ。事実上初対面の人物とはいえ、異性から傷があろうとも可愛い、と言われたことは、リダの心の傷を多少なりとも癒す効果はあった。
「えーと、今日来たのは、君の今後の処遇に関してなんだ」
言いにくそうに、タクミが切り出した。
「あ……家族のもとへ帰してはくれないのですか?」
あやうく『兄上のもと』と言いそうになったリダは、急いで言いつくろった。
「戦時捕虜、という単語はこの世界にないと思うけど、一応君は囚われの身だからね。気の毒だけど、単純に帰すわけにはいかない。イファラ族との戦争が終われば、別だけどね」
「戦争が終われば……。いつ終わるのでしょうか?」
「それはこっちが聞きたいよ。イファラ族がジンベル侵攻を諦めてくれれば、終わるんだから。だいたい、なんで魔力の源なんて欲しがるんだ? 持ち運べもしないのに」
……この人も、知らないのか。
怪我人たちの会話を丹念に盗み聞きしたおかげで、このタクミという異世界人に関するリダの知識はなかなか豊富だった。ジンベル防衛隊に属する高位の人物だが、自ら先頭に立って剣を振るうようなタイプではなく、作戦を立案し、指揮官に助言を与えるようないわば軍師のような役割だという。見た目はぱっとしないが、そのまなざしはなかなかに知的で、優しげだ。
悪い人ではないのかも知れない。
「ジンベルが魔力の源を諦めれば、戦争は終わるのではないですか?」
「そりゃ無理だよ。魔力の源を使わなきゃ、ジンベルの主要産業である金鉱と銀鉱が維持できない。例えて言えば、イファラ族に狩りを禁ずるようなものだ」
タクミが苦笑いする。
「本当は、戦争なんてやりたくないんだがな。まあ、君たちが攻めてきたおかげで、俺はこの世界に召喚されたし、重要人物として扱ってもらっているんだが……やっぱり人が死ぬのは良くないことだ。ジンベル人であろうと、イファラ族だろうとね」
……戦争を望んでいないのか、この人は。
「では、もし戦争を終わらせる手立てがあるとしたら……」
「ぜひ教えて欲しいものだね。君が思いついたら、真っ先に知らせてほしいね」
冗談めかした口調で言ったタクミが、急に真顔になった。
「そうだ。君の処遇について話をしていたんだっけ。……看護人の話によれば、君の腹部の傷の回復具合は順調ということだ。もうそろそろ、起き上がっても構わない段階まで来ている。そこで、君を別の場所へ移す必要があるんだが……」
言葉を切ったタクミが、指を三本立てた。
「選択肢は三つある。ひとつは、他のイファラ族捕虜と同じ待遇を受けること。これは、お勧めしない。調べたけど、女性の捕虜は他にいなかったんだ。同族とはいえ、百数十人の男性の中に歳若い女性が一人だけ混じるというのは、トラブルの種だからね。それに、捕虜の待遇は決して良いとは言えないし。ふたつ目は、王宮預かりとなること。つまりは、一般の囚人と同じ身分だ。もちろん、待遇はそれよりもはるかにいいけどね。三つ目は、ジンベル防衛隊預かり。これは、俺が個人的にいわば身元引受人となる。軟禁状態に置かれるが、待遇はなるべく良くしてあげるつもりだ。どれを選ぶかは君の自由だが、俺としては三番目を選んで欲しいね」
選択の余地があるとは思えなかった。イファラ族の社会的規範は高度なものだが、戦に敗れて囚われの身となり、不遇を託つている戦士たちならば、そうとうすさんでいるに違いない。リダがその中に放り込まれれば、不埒者の手に掛かることは火を見るよりも明らかだ。ふたつ目の、囚人扱いもできれば避けたい。
リダはタクミを見つめた。
……こいつになら、勝てる。
そう、リダは判断した。仮に貞操の危機に見舞われても、この男相手なら素手でも返り討ちにできるだろう。少なくとも、健康体ならば。
それに、なるべく好待遇のほうが、情報の収集にも都合がいいに違いない。軟禁状態でも、捕虜や囚人扱いより自由は利くだろう。
リダは決断した。
「ジンベル防衛隊預かりにしてください」
「結構」
タクミが、相好を崩す。
「で、俺が身元引受人になるんだが……ひとつだけ、約束して欲しい」
……来た。
リダは身構えた。何を言われるのだろうか?
「ジンベルの不利益になることは、一切しないと誓って欲しい。もちろん、解放されるまでの話だけどね。これを、自分の鉈に掛けて誓ってくれ」
「鉈に掛けて……」
高原の民のあいだでは、よく使われる誓いの言葉である。鉈は言うまでもなく、高原の民にとっては身近で頼れる道具であり、一生涯を共に過ごす相棒といっていい存在だ。愛用する鉈に掛けての誓いは、それなりに重みを持っている。誓いを破ったとしても、社会的にペナルティーを課されるようなことはないが、少なくとも評判を落すし、それが頻繁であれば誰からも信用されなくなってしまう。
「わかりました。わたしの鉈に掛けて、解放されるまではジンベルの不利益になることは一切いたしません」
リダは本気で誓った。情報収集そのものは、ジンベルの不利益になりようがない。その内容を活用するのは、解放されたあとの話だ。誓いは守られる。
「それで、損害は?」
「行方不明三名、負傷二名です。行方不明は二名がおそらく死亡、一名は不詳です。負傷者二名はいずれも軽傷、命に別状はありません」
部隊指揮官が、きびきびと報告する。
「ご苦労だった。下がってくれ」
ビレットが命ずる。一礼した部隊指揮官が、部屋を出て行った。
「何か企んでますな、敵は」
手書きのジンベル南平原の地図を眺めながら、ベンディスは腕を組んだ。
ジンベル側は、南平原はもとより、その南方の密林にもかなりの兵を潜ませていた。先ほどの部隊指揮官も、偵察隊を率いて密林を北上中にそれらジンベル兵と遭遇し、交戦して撃退されたのだ。
「またよからぬ罠を、今度は平原で仕掛けるつもりなのかも知れぬな」
ビレットが、言う。
「困ったものです」
相手が平原の民であれば、その思考を読むことも可能だろう。住んでいる地域や生活様式、肌の色などが異なるとはいえ、同じ世界の人間同士なのだから。だが、異世界人の頭の中身や考え方など、想像すらできない。そのような頭脳が作り上げた作戦や罠を、どうやって事前に察知し、対処すればいいのか?
きめ細かく偵察を繰り返し、情報を集めるしかない。そう、ビレットとベンディスは判断していた。手強い猛獣を狩るときのごとく、丹念に足跡や糞を探し、踏み分け道をたどり、餌場を突き止め、寝床を見つけ、油断する時と場所を探り出すのだ。
しかしながら、その努力は報われていなかった。ジンベル人が市街地南方に築いた城壁……その西門の前に妙な土塁のようなものを新たに建設中であることはわかったが、詳細を調べようと偵察隊を派遣すると、平原に出る前に阻止されてしまう。
明らかに、ジンベル側は平原を詳しく調査されたくないらしい。
「しかし、前回の戦いの時のような罠を平原に作れば、すぐにわかりますし……やはり、西門の前の土塁が気になりますね」
地図を見つめつつ、ベンディスは言った。
「罠にしても、部隊の動きで仕掛けるような罠なのか」
ビレットも、地図を睨んで考え込む。
「いずれにしても、情報不足ですな」
ベンディスは苦い顔でこぼした。ビレットが、同意するかのように唸る。
「はい。発表します」
プチ会議の席に皆がつくと、凛が芝居がかって挙手した。
「どうぞ」
いつの間にやら議長役と皆が看做すようになっている拓海が、討論番組の司会者張りの大げさな身振りで凛を指名する。
「例のクッキー、今日の午前中に焼いて生馬に渡しました!」
凛が生馬の横顔を見つめながら、嬉しそうに報告する。
「ほう。それで、首尾はどうだった?」
拓海が身を乗り出す。すでに生馬とイブリス王女が付き合っているという話は、拓海や駿はもちろん、王宮関係者ならば誰もが知る噂となっている。
「あー、とりあえず喜んでもらえた。凛に礼を言っといてくれ、とのことだ」
生馬が言い、改めて凛を見据え、ぺこりと頭を下げる。
「それだけか? なんだ、つまらん」
「そういうお前はどうなんだ? 囲っている金髪少女との仲は進展したのか?」
からかうような拓海の物言いに、生馬が反撃に出る。
「囲っているとは人聞きが悪いな。保護しているだけだ」
「で、どうした? 手ぐらい握ったのか?」
「いや。指一本触れてないよ」
「……律儀だな。お前らしくもない」
生馬が、笑う。
「ということで、世話好きの凛ちゃんが、拓海君にもいい物をあげましょう」
そう言い出した凛が、ごそごそと小さな布袋を取り出した。テーブルに置き、拓海の方に押しやる。
「なんだ?」
「クッキーよ。イブリスにあげたのと基本的にはおんなじもの。形が悪かったり焼き色が濃すぎたりしてるやつだけど、味は変わらないわ。明日その娘に持っていってやりなさい」
「ああ……すまん」
戸惑ったように言った拓海が、布袋におずおずと手を伸ばす。
「羨ましいねえ。生馬にも拓海にも春が来て」
駿が、にやにやしながら言う。
「ほんと、羨ましいわ。こんな非常時だというのに、恋愛だなんて」
夏希も皮肉めいた口調で言ってやった。毎日忙しく、眼の前に突き出された問題をひとつひとつ解決してゆくだけで精一杯の夏希には、彼氏を作る余裕など物理的にも精神的にも取りようがない。
「生馬はともかく、俺のほうは断じて恋愛じゃないぞ」
拓海が主張する。
「でも、その娘に惚れられたいと思ってるんでしょ?」
凛が突っ込む。
「……まあな」
「その娘が実はイファラ族の氏族長の孫娘、とかだったら面白いね」
駿がにやにやしながら言った。
「悲恋物語が書けそうね。ジンベルの軍師と、高原戦士の指揮官の孫の恋愛」
夏希も笑った。
「許されざる恋。引き裂かれるふたり。まるでできの悪いラノベだわ」
凛も笑う。
「本題に入るぞ」
不機嫌そうに言った拓海が、テーブルの上に数枚の紙を置いた。おなじみのジンベル南平原の地図だったが、方眼紙のように縦横に多数の線が等間隔に引かれている。
「なに、これ」
「ジンベル南平原に二次元座標系を設定した。東西のグリッドと南北のグリッドで、特定の位置……この場合は升目だが……を表現する。東西は城壁が00、最も南が99。南北は東から00だ。先に東西の数字、あとに南北の数字を言う。例えば、西の城門の位置を表すには、00-62となる。この方法なら、四桁の数字だけでジンベル南平原の任意の場所を正確かつ簡潔に伝達することが可能だ」
「へえ。面白いアイデアね」
「……軍用地図の基本だがな。本来はライトアップだから、数字は西から東、南から北へと増えていかなきゃおかしいんだが、感覚的には城壁を手前側にして見るほうがわかり易いからあえて逆にしておいた」
拓海が説明する。
「戦争映画なんかでよく見るやつね。仕組みはわかったけど、何でこんなものが必要なわけ? 大砲でも発明したの? それとも無線で呼ぶと爆弾抱えたジェット戦闘機が飛んできてくれるのかしら」
凛が、皮肉めかして訊く。
「主に生馬のためだな。俺が敵の本営を見張り台の上から見つけても、指差して教えるわけにはいかないからな。で、小道具その一だ」
拓海が、小旗を三本取り出す。白と青と緑だ。
「また旗? 覚えきれないよ」
凛が、愚痴る。
「簡単明瞭だから覚えてくれ。白が一、青が五、緑が区切りおよび終了だ。先ほどの00-62を表すには、緑、緑、青、白、緑、白、白、緑二回、となる。56-78なら、青、緑、青、白、緑、青、白、白、緑、青、白、白。白、緑二回だ。緑と白同時は、再送せよ。青と白同時は、了解」
「緑と青は?」
「未設定だ」
「ひとつ訊きたいんだが……見張り台の上から目標の位置を正確に測定するのはどうやるんだい? ま、拓海のことだから手立ては考えてあるだろうが」
駿が、訊く。
「良くぞ訊いてくれた。小道具その二、方位板を作ったんだ」
「方位板?」
聞きなれない単語に、夏希は首を傾げた。
「まあ、分度器の親玉だと思ってくれればいい。城壁の東端と西端に、これを置く。城壁を基線長とした三角測量をするわけだ。要員の訓練もすでに開始した。念のため、見張り台にも同じものを置き、俺が角度を測って誤差を修正する。敵本営を識別できれば、かなり正確に位置をグリッド上で特定できる」
「確かにこれなら、方角と距離で示されるよりわかりやすいな」
地図を手にして、生馬が言う。
「通信は簡明が原則だからな。夏希も一枚持っとけ。市民軍を率いるのなら、使うことがあるかもしれん」
拓海が、地図を夏希の手に押し付けた。
天幕に現れたタクミは、二人の兵士を伴っていた。
寝台から降りたリダは、ぺこりと一礼した。すでに、看護人から渡された服に着替えてある。ジンベル人女性がよく着ているような生成りのワンピースだが、いささかオーバーサイズで、裾はふくらはぎの半ばまである。
「じゃ、行こうか」
タクミが、手招いた。リダは着替えの入った布袋を持つと、素直に従った。
「俺が持とう」
タクミが、布袋に手を伸ばす。
「作戦隊長。わたしが持ちます」
兵士の一人が言ったが、タクミが首を振りつつ、リダの手から布袋を取った。
「諸君らの任務はこの娘の護送だ。気を遣わんでいい。では、行こう」
リダの歩みは、遅かった。
昨日から歩く練習を始めていたが、二十日以上も寝たきりだったので、脚の筋肉はそうとう衰えており、加えて体力も戻っていないので、どうしてもぎこちない歩き方になってしまう。寄り添うように歩くタクミは穏やかな表情だったが、護送役の兵士二人はあからさまに不機嫌な表情を浮かべていた。
そんな中、リダはなるべく周囲を観察しようと努めながら、とつとつと歩みを進めていた。前方には市街地が見え、結構広い道の両側には田んぼが広がっている。どうやら、市街地東側に設けられた天幕に収容されていたらしい。
「大丈夫か?」
タクミが、訊いてくる。
「大丈夫です」
リダは作り笑顔で答えた。親切にしてもらっているとは言え、敵なのだ。安易に手を借りるわけにはいかないし、狩人としてのプライドもある。もう傷は塞がっているのだ。高原の民の基準で言えば、リダはすでに怪我人ではない。
市街地に入ると、ジンベル市民の姿が目に付くようになった。多くの人が、通り過ぎるリダの姿を眼で追っていたが、その視線に敵意はなかった。むしろ浴びせられたのは、哀れみのこもった眼差しであった。惨めな敗北を喫した囚われ人、と看做されているのであろう。
やがて一行は、市街地の一角にある一群の建物の前にたどり着いた。戦士らしき人々が、大勢出入りしている。何らかの軍事施設なのだろう。リダはその中の一棟に連れ込まれた。狭い廊下を抜け、一室に案内される。
「ここが君の部屋だ。食事は一日三回運ばせる。運動は……当面はいらないだろう。何かあったら、大声を出せば誰か来てくれる。悪いが、これで失礼するよ」
寝台の上にリダの荷物を載せたタクミが、腰に下げていた小さな布袋を外す。
「そうそう、これを受け取ってくれ。ちょっとした、贈り物だ」
ぎこちない口調で言って、その布袋をリダに渡してくれる。礼を言って、リダは受け取った。
「じゃあ」
タクミが去る。扉が閉められ、さらにカンヌキが外から掛けられる音が続いた。
リダは部屋を見渡した。狭苦しいほどではないが、小さな部屋だ。寝台がひとつに、腰掛がひとつ。テーブルはなく、一辺の壁に作り付けの長く低い棚がその代わりをしている。窓はあったが、太い角材が十文字に打ち付けられており、細身のリダでも抜け出すことは敵わないだろう。もちろんトイレもなく、蓋付きの壷が置いてあるだけ。棚の上にある壷には、きれいな水がいっぱいに入っていた。リダはタクミがくれた布袋を置くと、さっそく壷から竹の柄杓で水を汲み、久しぶりの運動で乾いた喉を潤した。
……何をくれたのだろうか。
リダは寝台に腰を下ろすと、布袋を開いてみた。中には、リダの手のひらより一回り小さいくらいの平べったい焼き菓子が十数枚入っていた。一枚とって、匂いを嗅いでみる。甘い香りが、リダの鼻をくすぐった。思わず、口中に唾液が湧き出る。
いや、食べてはいけない。
リダは自制心を発揮すると、焼き菓子を袋に戻した。
水分が少ないので、この菓子は日持ちするだろう。ここを抜け出したあとで、この菓子は貴重な行動食になってくれるはずだ。脱出できる日が来るまで、これは大事に取っておかねばならない。
兄上に会うためにここを抜け出す、その日まで。
第二十九話をお届けします。また新たに評価点を入れていただきました。ありがとうございます。