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白き巫女と蒼き巫女【改稿中】  作者: 高階 桂
第一章 高原編
24/145

24 それぞれの決断

 機敏という言葉がある。

 軽快かつ迅速に行動する、などという意味で使われる場合もあるが、これは誤用である。本来の意味は、わずかな変化も見逃さずに、それに対応した方策や行動を素早く行うことだ。つまりは、『機を見るに敏』という意味合いの単語である。

 生馬は機敏であった。もとより戦国マニアとして、戦における勢いの重要性は心得ている。そしてもちろん、勝敗がしばしば指揮官の下す自軍が積極的攻勢に出るタイミング如何で決まることも、承知の上だ。

 後退を続ける蛮族戦士の姿を眼にした生馬は、戦場の空気が激変したことを感じ取った。

 ……ここは無理にでも押すところだ。敵は完全に浮き足立っている。

 生馬は部下を押しのけるようにして前に出た。

「俺に続け! 隊形は崩れても構わん! 蛮族を追い散らすぞ!」

 愛剣を振り回し、叫ぶ。

 生馬が現在直卒している兵は、四十名程度。キルゾーン内の最も広い通りを、南に向かって後退中の蛮族部隊を追っている。その後ろには、三十名ほどの市民軍が路地を掃討しつつ、付き従っている。

「走れ!」

 命ずると同時に、駆け出す。

 雄叫びと共に、ジンベル兵たちが生馬のあとに続いた。



「蛮族が逃げるぞ!」

「逃がすな!」

 市民軍の面々が口々に叫び、得物を手に走り出す。

「ちょっと! 待ちなさいってば!」

 夏希は慌ててその後を追った。

 すでに、状況は夏希の手を離れていた。もはや、作戦も何もあったものではない。素人丸出しの市民軍兵士たちが、退いてゆく蛮族を見て勝った気になり、その場の勢いだけで追撃に掛かっている。さながら田舎町の中学生の喧嘩レベルである。

 ……それが、結果的に功を奏することになるのだが。

 夏希の足は長い。気が付くと、彼女は市民軍兵士たちの先頭に出ていた。危険を感じて足を緩めようとした夏希だったが、すでにその背後には大勢の市民軍兵士が密集状態で続いており、足を止めるどころか速度を緩めるのも不可能な状態であった。言わば市民マラソンのスタート地点のような状況であり、夏希はやむなく先頭を走り続けた。幸いなことに、蛮族ははかばかしい抵抗を見せずに、どんどんと逃げ去ってゆく。たまに立ち止まって逆襲に転ずる者もいたが、調子付いている市民軍兵士の敵ではなかった。石を投げつけられて怯んだところへ、数名がかりで突かれ、叩かれ、斬り付けられる。ほとんど、嬲り殺し状態である。

「みんな夏希様に続け! 蛮族など、俺たちの敵じゃないぞ!」

 走りながら、夏希の背後で若い男性が声を張り上げた。すぐに、いくつもの賛同の声があがる。

 熱気に背中を押されるようにしながら、夏希は走り続けた。



 イファラ族戦士たちの、集団としての士気は崩壊した。

 こうなると、個々の戦士の闘志がいくら高くても無意味である。戦力の相乗効果が期待できないからだ。組織的戦闘とは、それが歩兵分隊同士の小競り合いだろうと機甲師団の激突だろうと、各戦闘単位が情報を共有し、相互支援を行いつつ、戦術目的を達成するために協力することが基本である。仮に十名からなる軽歩兵分隊の戦闘力を一と規定すると、そのうちの一名の戦闘力は十分の一ではない。それよりも、はるかに下である。

 一人の高原戦士が、数名の市民軍兵士に囲まれて嬲り殺されるシーンが、随所で見られた。鉈を振り回して必死に抵抗する者には、容赦なく石が飛ぶ。

 すでに弱気になっている高原戦士たちには、喚声を上げて突っ込んでくる武装市民……市民軍ですらない……でさえも、畏怖すべき敵に見えている。優秀な士官に率いられた、充分な訓練を受けた誇り高き軍隊ならば、ここで踏みとどまることも可能だったろう。だが、所詮高原戦士たちは……その勇気と技量は高いものの……アマチュアである。

 多数の死体や重傷者を置き去りにしながら、高原戦士たちは東の城門目指し後退を続けた。



「……何が起きたのだ、いったい」

 城門から続々と吐き出される高原戦士たちの姿を眼にして、サイゼン氏族長はうめいた。

 遠目にも、それら戦士たちが酷い状態であることは見て取れた。得物を無くし、血にまみれ、足を引きずりながら、前かがみになってよたよたと走ってくる。

 サイゼンは弓隊に援護を続けさせながら、城門から脱出してきた戦士たちの収容を急がせた。弓隊は予備の矢を与えられたから、まだしばらくは射続けることが可能だ。

 城門以外の箇所でも、イファラ族戦士たちの攻勢は続いていたが、すでにその勢いは失われていた。市街地に攻め込んだ主力が叩き出されたことを目の当たりにしているのだ。戦意が萎えるのは当然である。逆に城壁を守るジンベル兵は勝利を悟り、果敢に反撃を繰り返している。



 夏希の足が止まった。

 倒れ伏す蛮族戦士が邪魔で、走り続けるのが困難になったのだ。

 それでもぐいぐいと後ろから押されるので、夏希は竹竿を振り回しながら、大声で停止を命じた。

 夏希は状況を探ろうと、数名の市民軍兵士の手と肩を借りて、手近の建物の屋根に慎重に……屋根が脆いことはつい先ほど痛い思いまでして学んだばかりである……よじ登った。ざっと見渡すと、戦闘はかなり下火になっていた。東の城門付近ではまだ盛んに戦闘が行われているようだが、その他の場所は静かだ。

 通りや路地には多数の死体や重傷者が転がっていた。そのほとんどが、蛮族戦士だ。

 不思議なことに、凄惨さは感じなかった。走ったことで脳内麻薬でも出ているのか、夏希は妙に多幸感を覚えていた。



「よし、門を閉めろ!」

 拓海は伝令に命じた。まだ二百名ほど蛮族戦士が市街地に残っているが、その程度ならば簡単に掃討できると踏んだのだ。

 拓海の予想通り、すでに戦意を半ば喪失している蛮族戦士はもはや脅威ではなかった。一人ずつ、あるいは少人数で狩り立てられ、屠られてゆく。得物を捨てて抵抗をやめた者も多かった。

「さて、これで敵さんはどう出るか……」

 拓海は望遠鏡の筒先を本営に向けた。



 氏族長サイゼンはすべての部隊に交戦中止を下命した。

 とにかく、負傷者の救護を行わねばならない。続いて各支族に再編成を行わせる。

 手ひどい打撃を受けたものの、市街地侵攻でジンベル側もかなりの損害を出しているはずだ。陣容を立て直し、もう一押しすれば勝てる。この時点では、サイゼンはそのような状況判断を下していた。



「どうやら、終わったようですね」

 アンヌッカの声に、夏希は下を見下ろした。

 抜き身の剣を下げたアンヌッカが、夏希を見上げていた。

「なんとかね」

 夏希は慎重に屋根を降りた。最後は竹竿を地面に突き、棒高跳びの着地のような要領で飛び降りる。

 市民軍兵士たちは、自主的に残敵掃討に掛かっていた。死体をひとつひとつ検め、息があれば止めを刺してゆくのだ。降伏した者は、後ろ手に縛り上げられている。

「拓海のところへ行きましょう。蛮族が再度攻撃を掛けてくるか知りたいわ」

「お供します。でも、その前に」

 アンヌッカが言って、懐から手拭いを取り出した。腰に吊るした竹の水筒で湿らせてから、夏希に差し出す。

「お顔を拭かれたほうがよろしいかと」

 夏希は自分の頬に指を触れた。汗でべとべとの上に、ざらつきを感じる。砂だろうか。

「ありがとう」

 手拭いを受け取った夏希は、肌を傷つけないように優しく丁寧に顔を拭った。

「どう?」

「おきれいになりました」

 アンヌッカが応え、にこりと微笑む。

 夏希はついでに手も拭うと、礼の言葉と共に手拭いをアンヌッカに返した。

「では、参りましょうか。まだ、危険ですから、充分に注意して下さい」

 手拭いを懐に押し込んだアンヌッカが、剣を抜いたまま夏希の先に立った。死体や血溜まりを避けるようにしながら、ふたりで通りを歩み出す。

 城門に近づくにつれ、死体の数も増えていった。血の臭いも濃密になってくる。眼を背けたくなるような無残な死体も多かったが、夏希の多幸感は続いていた。普段なら足がすくんで動けないような眺めが広がっているのに、意外に平気で歩けてしまう。

 見張り台に近づくと、目敏く二人を見つけた拓海が、上がって来るようにとの身振りをした。城壁の上にいた兵士が、竹製の梯子を掛けてくれる。それを伝って城壁に登った夏希とアンヌッカは、続けて見張り台への梯子も登った。

 見張り台の上には、拓海と伝令兵の少年の他にラッシ隊長もいた。夏希は丁寧に挨拶すると、さっそく拓海ににじり寄った。

「どう?」

「とりあえず下がったが、退却するまでは行ってないな。俺が蛮族を指揮していたら、少なくとも砦まで退いて様子を見るがな」

「じゃあ、またすぐに攻めてくるかな?」

「わからん。とりあえず、現状のまま待機だ」

 拓海が言って、望遠鏡を眼に当てる。



 側近がまとめた損害報告を聞いたサイゼン氏族長の顔色が変わった。

 負傷者八百。死者行方不明合わせて千七百。合計二千五百。

 実に半数近くが、失われた。

 残る二千七百のうち、五百名ほどは軽い負傷者である。

 この状態でも、ジンベル側に深刻な打撃を与えたのであれば、まだ許容できる損失と言えよう。だが、市街地から生還した者の話を総合すると、はかばかしい戦果は挙げられなかったという。何人か倒したと報告する者もあったが、その大半は身なりからして武装市民のようだ。常備軍であるジンベル防衛隊は、ほぼ無傷らしい。

「……虫食いどもめ」

 側近のひとりが吐き捨て、地団駄を踏む。

「ビレットの部隊を合わせれば、まだこちらの方が有利です」

 別の側近が、言う。

「数はな。だが、戦争は数だけでやるものではない」

 低い声で、サイゼンは告げた。市街地から生還した戦士はみな心も身体も傷ついている。戦力にはなるまい。他の部隊も、すっかり戦意を喪失している。なにしろ、『弱い』はずのジンベル人に、しかも素人集団であるはずの市民軍に対し、一方的敗北を喫したのだ。意気の萎えた戦士をいくらつぎ込んでも、勝利はおぼつかない。

 サイゼンは決断した。

「退却する。ビレットの部隊はそのまま動かさず、占領した砦を守らせろ。主力は高原まで退く」

「……虫食いに背中を見せるのですか?」

 側近の一人が、唇を噛む。

「矢も不足気味だ。戦士たちに命を賭けさせる以上、万全の態勢で望むべきだ。残念だが、今回は目的を果たせなかった」

「あと数日で、他の平原諸国の部隊がジンベルに駆けつけますぞ」

 別の側近が、指摘する。

「やむを得ん。サーイェナ様にはわたしからお詫び申し上げる。決定は変えぬ。引き上げだ」



「おお。蛮族が引き上げてゆく。やりましたな、拓海殿!」

 望遠鏡を覗いていたラッシ隊長が、歓喜の声をあげる。

 夏希の眼にも、やや雑然とした隊列を組みながら密林の中へと消えてゆく蛮族軍の姿が見えていた。

「……勝ったのかな?」

「とりあえず作戦目的は達したな。ラッシ隊長、市民軍に片付けに入るよう命令を出してください」

 望遠鏡を下ろした拓海が告げた。

「心得た」

 ラッシ隊長が、控えていた伝令に命令を伝える。

「片付けって……なにするの?」

「戦場清掃さ。まず死体を埋葬せにゃならん。この気候で死体を放って置いたら、伝染病の元だ。武具の類も回収。使えるものは再利用。蛮族はまた来るよ。早ければ数日後。遅くとも数週間以内にね。それに備えないと。もう二度と、この手には引っ掛からないだろうからな」

 拓海が、死の罠となった市街地のキルゾーンを見下ろす。

「拓海殿。陛下に戦勝報告に参りましょう。見張りは部下に任せればいい」

 ラッシ隊長が、満面の笑みで拓海の腕を取る。

「夏希殿もどうぞ御一緒に。市民軍の先頭に立っての突撃。見事でしたぞ」

「……恐縮です」

 夏希は気恥ずかしさを覚えつつそう応えた。後ろから押されたのでやむなく走り続けただけなのだが、そんなことを話してラッシ隊長の機嫌を損ねるのも大人気ない。

 夏希らはラッシ隊長に促されるようにして見張り台を降りた。ラッシの副官も加え、五人で王宮を目指す。

「自分でやっておいてなんだが……酷いもんだな」

 夏希と並んで歩みながら、拓海が鼻に皺を寄せる。

「彼らが死んでくれたおかげで、ジンベルの人々が助かったのだと思うしかないわね」

「……ほう。そう悟ったのか?」

「自分をごまかしているだけよ」

 夏希はつぶやくように言った。彼女もこの殺戮に加担しているのだ。そうとでも考えなければ、やりきれない。

「見ろよ。あんな子供まで……」

 拓海が指差す。

 せいぜい十四、五歳に見える女の子が、仰向けに倒れていた。濃緑色の被り物が解け、金色の柔らかそうな髪がむき出しになっている。頬の傷から流れ出した血が、その可愛らしい顔の三分の一くらいを赤く染めていた。胴を覆った革鎧の下からも、かなりの血が流れ、地面にパン皿ほどの血溜まりを作っている。

「もったいない。美少女なのに」

 心底惜しそうに、拓海が言う。夏希は突っ込む気にもなれずに、少女の死体を見つめていた。背格好が、エイラとよく似ている。年齢も、おそらく同じくらいだろう。そんな子が、槍だか弓だかを手に、攻めてきたのだ。……ジンベルを占領するために。

 と、死体が身じろぎした。ごほごほっと、力なく咳き込む。

「生きてるわよ、あの子」

 夏希は死体だとばかり思っていた金髪少女に歩み寄った。苦しげな咳を続けていた少女だったが、夏希が近づくと急に静かになった。……気絶でもしたのだろうか。

「かなりの重傷だな」

 用心深く、近くに落ちていた鞘付きの鉈を足で蹴り飛ばしてから、拓海が少女の傍らに膝をつく。

「ちょっと診てみましょうか」

 ラッシ隊長が腰の短剣を抜いて、片膝をついた。脇腹にある革紐を断ち切り、少女から革鎧を剥ぎ取る。

「出血はかなりひどいですが、深い傷ではありませんな。いずれにしろ、苦しんでいる様子。早く楽にしてやった方がいい」

 少女の腹部に指を走らせていたラッシが言って、短剣を逆手に持ち替えた。祈りの言葉か、それとも許しを乞うたのか、何か短くつぶやいてから、少女の胸の上で短剣を振り上げる。

「ちょっと待ってください、隊長。治療すれば助かる傷ですよね?」

 拓海が、ラッシを押し止める。

「まあ、致命的な傷ではありませんが……この少女を助けるおつもりですかな?」

 ラッシが、訝しげな視線を拓海に投げる。

 やり取りを見ていた夏希は、思わず口を挟んだ。

「拓海。わかってるの? 凛たちが対処できる怪我人の数には限りがあるのよ。この子を助ければ、確実にジンベル人の負傷者の命がひとつ救えなくなるわ。それでもいいの?」

「……それはわかってるが……こんなにかわいいのに」

 拓海が珍しく気弱そうにつぶやく。

「かわいいからって……子猫拾うんじゃないんだから」

 夏希は半ば呆れながら倒れている少女をあらためて眺めた。苦しげな表情だが、顔立ちに鋭さがなく、とても戦士には見えない。呼吸のたびに、薄い胸が上下する。

「ふむ。かなり身なりはいいですな。それなりの家系の者でしょう。ひょっとすると、氏族長クラスの係累かもしれません」

 いったん短剣を収め、少女の手首や首にある装身具……鈍く銀色に光る金属に、色鮮やかな石が嵌め込まれている……を検めていたラッシが、拓海を見た。

「拓海殿。どうしてもこの娘の命を助けたいのですか?」

「……はい」

 ほんの一瞬だけ逡巡した拓海が、大きくうなずいた。

 ラッシ隊長の目が、和らいだ。

「いいでしょう。此度の勝ち戦、一番の功労者は拓海殿です。褒美と言ってはなんですが、この娘の命、助けてさし上げましょう」

「ありがとうございます、隊長」

 拓海が、膝をついたまま深々と頭を下げる。

 隊長副官が、市民軍兵士二人を連れてくる。そのあいだに、ラッシ隊長とアンヌッカが少女に応急手当を施した。手拭いを折り畳んで出血のひどい腹部にあてがい、少女の被り物の布を使って胴をきつめに巻き上げる。

「まったく。拓海もなに考えてんだか」

 市民軍兵士の手によって運ばれてゆく少女を見送りながら、夏希はぼやいた。

 夏希のぼやきは聞こえていたはずだが、拓海の反応はなかった。呆けたように、救護所へ運ばれてゆく少女を見送っている。

「さあ、参りましょう。陛下がお待ちですぞ」

 ラッシ隊長が、拓海の肩に手を置く。

第二十四話をお届けします。

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