23 弾ける罠
肚の底から湧き上がって来るような興奮を押さえ込もうと努めながら、拓海は見張り台の上から戦況を見守っていた。
こちらの思惑通り、蛮族戦士は続々と東の城門から市街地へとなだれ込みつつあった。予備隊らしい数百名からなる一隊も、東の門目指して接近しつつある。別の一隊は、蛮族の掛けた橋を使って西岸から東岸へと渡っている最中だ。
罠を本格的に発動させるタイミングが、重要であった。早すぎれば得られる戦果が少なく、戦術目標である『敵野戦軍に対し多大なる打撃を与える』を達成できないし、遅すぎれば罠自体を喰い破られ、分散配置している戦力を各個撃破されて決定的敗北を喫してしまう。
細い棒材を用いた手すりにふと眼をやった拓海は、そこに黒々とした自分の手形がついていることに気付いて当惑した。手のひらを指先で擦ると、濡れた感触が伝わる。運動嫌いの割には、拓海は汗をかかない方である。暑さにも強く、夏は好きな季節なので、ジンベルの気候にもすぐ慣れた。
「冷静なつもりでいても、身体は正直だな」
冷笑気味につぶやいた拓海は、汗ばんだ手で手すりを握り締めながら、蛮族部隊の観測を続けた。
情勢は、拓海の決断が勝敗を分けると言っても過言ではない状態に移行しつつあった。
夏希が呆れるほど、市民軍の戦意は旺盛だった。
屋根の上の市民たちが、眼下に見える蛮族戦士目掛け、石を投げつけてゆく。その精度は酷いもので、命中するのはせいぜい十個にひとつくらいの確率だったが、なにしろ投げ手の数が多い。不用意に近づいた蛮族戦士には一度に三十個ほどの石が集中し、瞬く間に打ち倒された。非力な老人や女性、それに子供の投げたものとはいえ、一キログラム近くの硬い物体を高所から何個も浴びせられれば、屈強な蛮族戦士といえども耐えられるものではない。
夏希は手にした竹竿を振り回し、声を張り上げて市民たちを鼓舞した。蛮族が倒れるたびに、喚声が上がる。
だが、すぐに蛮族側も市民軍の実力を悟ったようで、投石が届く範囲には近づかないようになった。建物の陰や、かなり離れたところから矢を射って反撃してくる。
状況は膠着したかに見えた。
高原戦士が、続々と市街地になだれ込んだ。
ジンベル側が設定したキルゾーンの面積は、約一万四千平方メートル。ただし、そのほぼ三分の二は家屋で占められている。したがって、実質上その面積は五千平方メートル以下である。
その狭いスペースに、二千名を超える高原戦士が注ぎ込まれた。
混乱は、各所で生じた。退いて態勢を立て直そうとした隊が、後方から押し出してきた新手の部隊によって分断される。負傷者を門外へ運び出そうとした者が、入って来る戦士の流れに押し戻される。バリケードに阻まれ、いったん路地へ退いたある隊は、後ろからの人の圧力によって通りに押し出され、むざむざ投石の餌食となった。
指揮統制の難しさも、混乱に拍車を掛けた。低所得者層の多い地区なので、通りも路地も狭く、戦士がまとまって行動するのは困難である。しかも、ジンベル側はキルゾーン内にもいくつか簡易なバリケードを設置し、交通の妨げとしていた。高原戦士側は当然ジンベル市街地の地理など不案内だし、そもそも都市というものに慣れていない。あちこちで、本隊とはぐれた小部隊や戦士が、右往左往する姿が見られた。ただし、組織の柔軟さを欠いた正規の軍隊と違い、臨機応変に対処できるのが高原戦士たちの長所でもある。これらはぐれ戦士たちは、適宜手近な部隊に合流し、戦闘に復帰した。
その混乱のさなかに、リダはいた。
怒号と悲鳴、命令と叱咤、当惑の声と罵りが交錯する中、リダは必死になってツルジンケン氏族の者を探そうとした。だが、小柄な彼女では遠くを見通すことができない。
人ごみの中、様々なものが、リダの身体にぶつかってくる。肘や膝。投げ槍の石突き。先ほどは足を踏まれ、甲に激痛が走った。おもわず蹲りそうになったリダだったが、目尻に涙を浮かべながらぐっと堪えた。この状況でしゃがんだりすれば、たちまち踏みしだかれてしまうだろう。そうなれば、まず間違いなく命がない。
もはや敵と戦うどころではなかった。自分の身を守るだけで、精一杯だ。
……予想よりも蛮族軍の混乱が少ない。
市街地の戦況を見守りながら、拓海は内心で呻いた。
城門というボトルネックを抜けた蛮族軍が、家屋や障害物によって分断されつつ市街地に浸透し、バリケードを守る市民軍によって攻撃され、勢いを失う。そこへ後方から状況を知らずに送り込まれた増援部隊がなだれ込み、混乱が広がる。蛮族軍の指揮統制が乱れたところで、生馬率いる精鋭部隊が前進し、各個撃破を図る。キルゾーンが孫子の言う『死地』にならないように、蛮族戦士の逃げ場は残しておく……。これが、拓海の目論見であった。
蛮族軍は正規軍ではない。その指揮系統も近代軍のように整っているわけでもない。したがって、いったん混乱させれば速やかに回復することは難しいはずだ、と踏んでいたのだが、予想よりも彼らの適応力は高いようだ。
拓海は迷った。戦果が少なくなることを承知で、早めに罠を発動させるべきか。それとも、増援部隊の流入が更なる混乱をもたらすことを期待して、しばらく待つべきか。
……安全策を取るか。戦術原則に忠実にいくか。
敵が充分に対応手段を取れる段階でこちらの決定的打撃戦力を投入しても、効果は薄い。一発しかない銃弾を、ろくに狙いもせずに発射するのは愚かである。必ず命中するタイミングまで待って放つのが、当然の策である。それが、急所を狙ったものであれば、さらに望ましい。
この場合の安全策……現段階での生馬率いる精鋭の投入は、いわば敵の手足を狙って撃つようなものだ。命中し、負傷させることはできるが、致命傷にはならない。もちろん、待ちすぎて銃を奪われたら元も子もないが。
額に矢が突き立つ。
石を握ったまま、ジンベル人おばさんが屋根の足場から転げ落ちた。
先ほど矢を肩に受けた少年は、足場を構成する丸太にもたれたまま泣き喚いている。助けに行ってやりたいが、路地を一本隔てた屋根の上なので、夏希にはどうすることもできない。
先ほどから、夏希目掛けて何本もの矢が飛来していた。どうやら、蛮族戦士も夏希が指揮官級のひとりだと見抜いたようだ。幸いかなり離れた位置から射てくるので、身を低くしていればまず当たることはない。
と、夏希は自分が至近距離から蛮族弓兵に狙われていることに気付いた。いつの間にか二十メートルほどの距離まで接近した戦士が、民家の脇に陣取って大盾の陰で膝をつき、鏃を夏希に向け弦を引き絞っている。
夏希はとっさに手近にあった足場の丸太をつかむと、それに身体を引き寄せるようにしながら身体を倒し、さらに身を低くした。
一瞬遅れて、矢が放たれる。
飛翔した矢は、夏希の頭上わずか十数センチのところを通過した。夏希の急激な動きが、弓兵の狙いを狂わせたのだ。だが、彼女のその動きは、別なところで問題を生じさせていた。
「あ」
いきなり、夏希が握っていた丸太が傾いた。
それに伴い、夏希が乗っていた足場板もぐずぐずと崩れ始める。もとより釘など使っていない、急造の足場である。丸太や竹と板は縄で縛ってあるだけだ。体格のいい……つまりは普通のジンベル人より体重のある夏希が無理に力を掛けたので、接合部分が緩むか何かしたのだろう。
夏希はあわてて屋根にしがみ付こうとした。このままでは、崩れる足場ごと地面に落下してしまう。
これが、失敗だった。
夏希の左手が、屋根をつかむ……はずが、その指は藁の中に埋もれただけだった。勢いあまって、身体が屋根にめり込む。さらに慌て、なんとか屋根にしがみ付こうと夏希が暴れた結果、その身体は切妻屋根の天辺を突き抜けて反対側に飛び出してしまった。
気付いた時には、夏希の身体は通りに面した屋根の上を滑り降りていた。焦って落下を止めようとするが、手がつかむのは藁だけだ。必死になって握っても、すっぽりと抜けてしまう。
大量の藁と埃を道連れにしながら、夏希の身体は通りに落下した。言うまでもなく、バリケードの外側、つまりはキルゾーンの内部である。幸いなことにジンベルの建物は短躯な住民に合わせて低く造られているし、勢いよく落ちたわけではないので、怪我をすることはなかった。
地面に叩きつけられた夏希は急いで身を起こした。落下した時に手放してしまった竹竿が眼の前にあったので、本能的に手を伸ばす。
「夏希様が!」
「夏希様が落ちたぞ!」
頭上で、いくつもの叫び声があがる。
立てた竹竿を手がかりに立ち上がった夏希は、慌てて遮蔽物を探した。もたもたしていれば、矢に貫かれてしまう。
「夏希様をお助けしろ!」
声と共に、屋根の上からばらばらと人影が降ってきた。止める間もなく、夏希の周囲に人垣が出来あがる。
蛮族も動いていた。接近戦ならば有利と見たのだろう、投げ槍や鉈を手に、走り寄ってくる。
夏希は状況を見極めようと心持ち背伸びした。ジンベル人は短躯のうえ、ここに集められた人々は女性や老人、それに子供が多いので、夏希の視線の妨げにはならない。
周辺の屋根からは、続々と市民軍の人々が飛び降りつつあった。路地に築かれたバリケードからも、打って出る市民兵がいる。……夏希を守ろうと飛び降りた人々を見て、そのような命令が出たものと勘違いしているのだろう。訓練不足の、素人らしい反応である。
……いまさら止めようがない。
夏希は肚を括った。ここで持ち場に戻るように命令を出しても、すぐに応じてくれるのはそばにいる数十人程度だろう。それに、速やかに屋根の上に戻るのも困難だ。もたついていれば、蛮族戦士に容易に屠られてしまう。
「固まって! 正面の蛮族を蹴散らすわよ!」
夏希は竹竿を構え直すと、大声で叫んだ。
理由は定かではないが、キルゾーン内の蛮族に混乱が生じたことを、拓海は見て取った。東側のバリケードの真ん中あたりが、その混乱の中心地のようだ。
急いで望遠鏡を向ける。レンズの中に、キルゾーン内に入った大勢の市民軍の姿が入った。何かの手違いで入ってしまったのか、それともいったんバリケードを突破されたのち、反撃してここまで押し戻したのか。
市民軍は健闘しているようだった。身を寄せ合って固まり、様々な得物を振り回し、蛮族を寄せ付けていない。なかでも竹竿を振り回している背の高い女性が、ひときわ目立っている。
……って、どう見てもあの高身長は夏希じゃないか。無茶しやがって。
理由はどうあれ、蛮族軍が混乱しているのは確かである。そろそろ、潮時だろう。
「伝令! ラッシ隊長と教練隊長に合図! 赤と白!」
命令を受けた少年が、素早く紅白の旗を手にする。
「行くぞ!」
生馬は抜刀すると、それを打ち振った。
市民軍の投石による援護を受けながら、兵士たちが北側のバリケードを乗り越える。ジンベル防衛隊の兵士を主体とする、五百名の精鋭である。
隊列を整えた兵士たちが、数隊に分かれると、南へ向け通りの掃討を開始した。先頭に大盾を構え、腰を低くした市民軍兵士、その盾の隙間からは、二列目に並ぶ槍兵が腰の高さで構えた長槍が突き出ている。さらに三列目の槍兵が持つ槍の穂先が、盾の上から前方を狙う。そのあとに続くのは、長剣兵と短剣兵、それに槍で武装した市民軍兵士だ。
近づくジンベル側部隊に対し、蛮族戦士が弓矢で迎撃する。しかし、矢は大盾で大半が防がれた。曲射で放たれた矢も、鎧で身を固めた兵士にはほとんど効果がない。投げ槍はとっくに使い果たしているうえに、矢の方も手持ちはすでに尽きかけていた。焦れた蛮族戦士たちが、鉈を抜く。
そこかしこで、接近戦が繰り広げられた。蛮族戦士は果敢にジンベル側精鋭に挑みかかったが、突き出される長槍の穂先に妨げられて近接することができない。むりやり突っ込んだ者は、三列目の槍兵が突き出す長槍に貫かれた。何人かの蛮族戦士は突き出される槍を躱し、ジンベル側の隊列を乱すところまで接近したが、後ろに控えていた剣兵によってあっさりと屠られた。
バリケードを守っていた市民軍も、それぞれの得物を手に前進を開始した。精鋭のあとに続きながら、路地に残っている蛮族戦士を掃討してゆく。
ジンベル精兵たちは蛮族戦士を着実に倒しながら、じわじわと南下していった。
高原戦士たちの統制がさらに乱れた。
すでに、各支族の小部隊は正規の指揮系統から外れ、独自の判断で戦わざるを得ない状態である。
北からの新たなる圧迫に対し、小部隊指揮官の下した判断はまちまちであった。その場に止まって迎撃を命ずる者。いったん後退して戦力を糾合しようとする者。城門の確保のみを図ろうとする者。そして、組織的抵抗を諦め、城門の外へと逃れようとする者。
キルゾーンの中には、西側の第二陣八百名と、さらに増援として送り込まれた予備隊三百名を含む三千名近くの高原戦士が入り込んでいた。そのうち戦闘可能なのは、軽度な負傷者を含めて二千五百程度。数だけはジンベル側の投入兵力を上回っていたが、最初に市街地に突入した戦士たちはすでに矢も投げ槍も使い果たしたうえに、分断されて組織的戦闘力を失いつつあった。いわば、完全に勢いを失った状態である。
攻勢中の軍隊がその勢いを失った瞬間というものは、サッカーで例えればキーパー以外の全員が敵陣内に入り込んだ状態のようなものだ。その攻撃をシュートで終わらせることができれば……たとえゴールを決められなくとも……時間を稼いでディフェンスを下げ、相手チームのゴールキックに備えることができるが、シュートに至る前にボールを奪われた場合は、得てしてピンチに切り替わる。
ジンベル側は、生馬率いる精鋭部隊の投入で、戦いの主動を掴みつつあった。シュートを打たせることなく、ボールを支配したのだ。逆襲の時であった。
南へ向け前進するジンベル精鋭部隊の攻撃に耐えかねて、一部の高原戦士たちが退却を開始する。
その動きは、すぐに各所に飛び火した。実のところ、高原戦士は勇敢だが、防御戦闘を苦手としている。基本的に狩りと言うものは、攻勢だからだ。罠を仕掛けたり、獲物を待ち伏せたりすることもあるが、それらはあくまで攻撃の一種としての『待ち』の姿勢であり、純然たる防御ではない。ましてや、狩りの場合その主動は常に狩人の側にあり、数的劣勢で戦った経験のあるものなど皆無に等しい。勢いを得て、局地的とはいえ数的に優位を保ったまま前進してくるジンベル精鋭部隊を前に、一部の高原戦士が戦意を喪失し、後退を始める。
なおも踏みとどまる高原戦士たちは、連携の取れないままジンベル兵の隊列に挑みかかり、あっさりと跳ね返された。広い場所ならば、まだ高原戦士たちに勝ち目もあったろうが、さして広くない通りの戦いでは、盾と鎧でがっちり固め、隙のない隊列を組んでいるジンベル側が圧倒的に有利だ。戦術的状況における数的優勢はすなわち、攻撃手段とその回数の多さと言い換えることができる。狭く、一次元的とも言える戦場では、いくら大兵力を集中しようとも一度に交戦できる部隊はごく一部でしかない。三次元的運用が可能な長距離砲兵や航空戦力などが実用化された現代ではそのような制約は弱まりつつあるが、依然としてそのことは兵法の基本原則のひとつである。
多数の高原戦士が、敵わぬと見て東の城門目指し、後退を開始した。そしてそれは、次第に壊走に近いものへと変化してゆく。
リダは躓いた。
だが、身体は倒れなかった。すでに、人の流れの中に完全に入り込んでいたからだ。もはや自分の意思とは関係なく、身体が運ばれてゆく。
完全な負け戦だ、とリダは理解していた。すでに彼女の手に、弓は握られていなかった。人ごみで揉まれるうちに、失われてしまったのだ。矢筒を始めとする装備も、いくつかなくなっている。
と、彼女の身体に激痛が走った。何か硬いものが、脇腹に打ち込まれたのだ。
思わず身体が折れる。
続いて、背中と腰にも打撃が来た。
一瞬、意識が遠のきかける。たまらず崩れ折れそうになったリダだったが、歯を食いしばって耐えた。ここで気絶でもしたら、生きて帰れない。
「城門だ!」
何人かの戦士が、叫んだ。
リダはわずかに安堵した。ここを抜けさえすれば、助かるのだ。
だが、ジンベル側は高原戦士を易々と逃がすつもりはないようだった。城壁の上に陣取ったジンベル人が、後退する高原の民に向け石や矢を盛んに放ってくる。ほとんど隙間なく高原戦士が密集している状態である。石も矢も、必ず命中した。そして倒された者の肉体が障害物となり、後退する高原戦士たちの流れを阻害した。
リダは自分の背が低いことを秘かに感謝した。周囲の戦士がいわば盾になっているので、矢も石も当たらない。
だが、リダの幸運もここまでだった。
すぐ前にいた青年の頭部に、矢が突き刺さる。斜め前に倒れかけたその身体は、他の戦士たちの動きに突き飛ばされるようにして、リダにのし掛かってきた。
リダは避けようとしたが、右も左も他の戦士たちの身体によって阻まれていた。後退するのも無理だった。すでに、後ろにいる人たちによってぐいぐいと押されている。
逞しい青年の死体が、リダに覆いかぶさった。なんとか腕で受け止めたが、凄まじく重い。饐えた汗の臭いが、彼女の鼻をつく。
と、誰かの足か何かがリダの右膝の裏に激しくぶつかった。鋭い痛みが走り、右足から力が抜ける。
青年の死体に半ば抱きついたような格好で、リダは倒れた。すぐに、何本もの足によってリダは踏まれた。必死になって立ち上がろうとするが、青年の死体が邪魔になってなかなか身を起こせない。
様々な箇所を踏まれ、蹴られる。左脚、右肩、胸部、頭部、そして、腹部。
脳に直接鉈を叩き込まれたかのような鋭い痛みが、リダの細い身体を貫く。
リダの意識が遠のいた。
第二十三話をお届けします。