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白き巫女と蒼き巫女【改稿中】  作者: 高階 桂
第一章 高原編
20/145

20 高原の民

 十三の都市国家が散在する平原地帯の南方に位置するのが高原地帯である。丈の高い草で覆われた広大な大地は、低くなだらかな丘が点在するくらいで、起伏に乏しい。人が住まぬ箇所は常に密林に覆われている平原地帯と違い、木々は少なく、ところどころに疎林が見受けられる程度である。空気は平原地帯よりも乾燥しており、標高が高いことも相まって暑さも凌ぎ易い。

 ここに居住するのが、高原の民である。平原地帯の住人からは、『蛮族』と呼ばれている、狩猟と農耕の民だ。元来定住民族でなかった彼らは、いまだ国家と呼べる組織を形成してはいない。彼らにとって国家に相当する存在は、氏族である。これは、祖を同じくする人々の緩やかな連合組織、と言えるだろうか。氏族はさらにいくつかの支族に分かれる。支族は血縁ではなく、地縁によって結びついた互助組織であり、村や都市に相当するものだ。ほとんどの場合、ひとつの支族は同じ場所に大規模な集落を作り、そこを拠点として生活する。支族を束ねる者……支族長は、有力者の話し合いで選出される。

 氏族の長は、血縁を重視し、氏族長を代々輩出してきた一族より選ばれるが、その地位は象徴的なものである。名誉を重んじ、個人の権利を尊重し、なによりも平等を尊ぶ社会なので、合議制が好まれる。氏族がなんらかの方針を決める場合には、支族長会議が開かれ、そこで討議が行われる。投票に類する行為は、基本的に行われない。なにごとも話し合いで解決しようとするのが、高原の民の特徴である。



 リダは、土間で愛用の鉈を研いでいた。

 鉈は、高原の民にとって生活必需品である。狩りや農作業はもちろん、ありとあらゆる場面で活躍してくれる頼もしい道具だ。親から子供用の小さな鉈を与えられたら、『半人前』と認められた証だし、成人の儀に際しては支族長から大人用の鉈を手渡される。ゆえに、高原の民は自分の鉈を愛し、常に身に帯びている。老人でさえ、鉈は手放さない。『鉈を持てぬほど衰えたら、お迎えが来る』と信じられているのだ。

 鉈が砥石の上を滑るたびに、白っぽい金色の短い髪がわずかに揺れる。緑色の大きな目は、真剣そのものだ。いかなる時でも、刃物を扱う場合は真剣であらねばならない、というのが、高原の民の掟のひとつである。ふざけて鉈を振り回すような者は、子供であっても容赦なく大人にぶちのめされる。

 彼女は桶の水を手にすくうと、鉈に掛けた。持ち上げて、刃先をじっくりと見る。しっかり研ぎあげられたことに満足したリダは、鉈を振って水気を切ると、ぼろ布できれいに拭き上げ、鞘に収めた。

 丸い砥石を片付け、桶の水を捨てたリダは、自室に戻ると普段着であるワンピースを脱いだ。十六歳という年齢の割には身体つきは生硬で、胸も腰も張りがない。細身で手足が長いために華奢な印象を与えるが、実際には程よく筋肉がついており、狩りの腕にも自信があるほどだ。清潔な下着を着けると、その上から狩りの装束……タイトなショートパンツ状のボトムとノースリーブのシャツのようなトップ……を着込む。脱いだワンピースを丁寧に折り畳んだリダは、装備を身につけ始めた。普段締めている布ベルトを頑丈な革製のものに取替え、鉈の収まった鞘を下げる。胸部だけを覆う裏地付きの革鎧を着け、背に竹と革でできた円筒形の矢筒を背負う。入れてある矢は、きっちり三十本。数に関して特に決まりはないが、大人たちは普通四十本くらい入れている。

 リダは頭に布を巻きつけ始めた。ターバンに似ているが、帽子は伴わず、帯状の布を巻き上げてゆく高原の民特有の装束である。丈夫な荒織りの麻布で、いざという時にはロープの代用品から包帯まで幅広く使える便利な品だ。色は、リダの好きな色である深緑。あまった二十センチくらいの端を、左耳の前あたりに垂らす。端を完全に巻き込まないのが、未婚女性の証である。

 巻き終わったリダは、ベルトにいくつかの袋などをぶら下げた。細々とした道具類が入った小袋。食料などを入れる大きなもの。狩りの際に得物などを入れる網袋。竹製の水筒。寝具となる、巻いた革と麻布は、矢筒と同様負い紐で背中に負う。

 弓を手にする。もちろん、弦は張られていない。すべての支度を調えたリダは、兄のいる部屋に赴いた。戸口から、声を掛ける。

「兄上。そろそろ参ります」

 寝台に腰掛けて瞑目していたベンディスが、静かに目を開いた。褐色の長い髪と、薄茶色の眼。実の兄だが、容姿はリダに驚くほど似ていない。

「やはり、行くのか」

 視線を妹に向けないまま、ベンディスが問うた。

「はい。わたしも支族長の娘。お父さまの代わりに、戦場に立ちたいと思います」

 リダは兄をしっかりと見据えながら言った。

 二人の父、アフザルはイファラ氏族に属するツルジンケン支族の支族長であるが、二ヶ月ほど前から病に臥せっており、現在支族は氏族長代理が率いている。名誉職でもある支族長の地位を退くのは、死んだ時か弾劾される場合のみである。ツルジンケン支族も当然、対ジンベル戦役に動員されており、すでに多くの者が軍用路建設のために集落を出ていた。

「無理することはないんだぞ。叔父上も、従兄弟たちも戦いに行く。一族の名誉は、守られる」

 ベンディスが、言う。彼自身は、有能な狩りのリーダーとして名が知られており、その聡明さを買われてサイゼン氏族長の本営に側近として仕えるように命じられている。一族とともに行動することはできない。

「いえ。わたしも一人前の戦士としての自覚があります。サーイェナ様とも、お約束しましたし」

「巫女様か」

 そう言ったベンディスが、立ち上がった。身長は、リダよりも頭ひとつ分高い。

「いいだろう。戦って来い。だが、無理はするな。戦場は狩場とは違う。得物を仕留めたら終わりではない。狩人が瞬時に狩られる獲物に入れ替わってしまうのが、戦場だ。油断するな。気を抜いたら、狩られるぞ」

 ベンディスがリダに正対し、膝を曲げて眼の高さを妹と同じにした。鮮やかな緑色の瞳を、覗き込む。

「兄上」

 リダが、弓を手にしたままベンディスを抱擁した。



 ジンベル川……高原の民は別の呼称を用いているが……が穿った渓谷の、高原側の出口からさほど遠くない集落に、本戦役の高原戦士たちの根拠地は置かれていた。周囲には急造の小屋がいくつも立ち並び、遠方の集落から運ばれた米や乾燥肉、芋類などが大量に納められている。

 そのような小屋のひとつに、十数名の高原戦士が集っていた。本作戦の総指揮を執る氏族長サイゼンと、その側近たちによる作戦会議である

「では、敵の状況を概説してもらおうか」

 禿頭と鋭いまなざしが特徴的な氏族長サイゼンが、先鋒を務めるレンルーム支族の有力者を促した。立ち上がった中年の男が、ジンベル王国が川の途中に設けた砦について詳細な説明を始める。

「かなり有力な砦のようだな。先鋒の兵力だけでは、抜けないだろう」

 聞き終えたサイゼンが言って、居並ぶ側近に対し意見を求めるかのように見回した。今回の戦役には、イファラ族を構成する支族十七のすべてから、その規模に応じた数の戦士が参加している。その総数は、実に七千名を超える。これには、軍用路建設に従事した者や、兵站を担当する者は含まれていない。純然たる戦闘要員だけで、この人数である。

 短い討議の結果、レンルームを含む五つの支族が協力して砦の攻略に当たることとなった。総兵力は、約二千八百。残余の主力は、ジンベル攻略に備えて待機となる。

「砦攻略の指揮は、ビレットに任せる」

 サイゼンが、副将格の側近を指名した。有力支族バチーラの氏族長の甥にあたる壮年の男である。バチーラ支族の戦士は先鋒に加わっているから、妥当な人選だ。

「誰か、補佐役を選ぶといい」

 サイゼンが言って、側近たちに視線を走らせた。

「では、ベンディスを補佐としてお借りします」

 ビレットがうなずきつつ言った。サイゼンが、わずかに顔をしかめる。

「……ツルジンケン支族は先鋒に加わっていないが、よいのか?」

「承知しております。ですが、わたしはこの若者を高く買っておるのですよ、氏族長」

 笑みを湛えつつ、ビレットが答える。

 サイゼンが、ベンディスに眼を当てる。ベンディスは、軽く目礼すると、ビレットを見た。

「光栄です、ビレット殿。喜んであなたの補佐を務めさせていただきます」



 高原の民の戦士の隊列が、渓谷に拓かれた軍用路を進む。

 長大な列であった。最後尾の者が渓谷に入った時には、すでに先頭が全行程の四分の一ほどを消化しているくらいだ。

 その列の中ほどを、ツルジンケン支族の戦士集団が行軍していた。総勢約八百名。リダの姿も、そこにはあった。

 弓と矢筒を始めとする自分の荷物の他に、割り当て分の食料が入った重い網袋を背にして、リダは黙々と歩んでいた。支族長の血縁であろうと、女性であろうと、また成人の儀を済ませていなくても、従軍を志願した以上一人前の戦士として扱われる。それが、高原の民の決まりである。狩りに参加すれば、例え子供でも……もちろんその能力に応じた働きが必要だが……平等に獲物を分けてもらえる。それと同様、人並みの戦士として認められたければ、他の戦士たちと同じ苦労を分かち合わねばならない。

 行軍中、休憩は一度も取られることはなかった。休息を挟んだ方が疲労しにくいことは、狩猟民族である高原の民はもちろん理解している。だが、狭い軍用路に長大な隊列がひしめいている状態で休憩を取るのは至難の業だ。戦士たちは時折水筒でのどを潤すことはあっても、足を止めることはなかった。

 歩き続けるリダもそれほど疲労は覚えていなかった。行軍自体が比較的ゆっくりとしたものだったし、常日頃から狩りに参加して足腰は鍛えられている。汗はたっぷりとかいたが、樹木の天蓋で日差しが覆われているせいか、それほど暑苦しさは感じなかった。

 しかしながら、軍用路自体は決して歩き易いものではなかった。啓開に要する日数を短縮するために、時間の掛かる木の根の掘り起しなどを行わず、枝などを敷き詰めた上に土を被せて踏み固めただけの道だからだ。とりあえず表面は均されてはいるが、まだ充分に土が締まっていないので軟らかく、踏み出すたびにわずかに足を取られるような感触がある。

 午後も半ばになって、隊列が止まった。先頭が、先行していた先鋒と接触したのだ。切り拓かれた密林は、ごく一部である。ジンベルの砦近くには、先鋒の戦士たちを収容するだけの余地しかない。本隊は、軍用路に留まるしかなかった。

 何人かの戦士たちがさっそく愛用の鉈を抜き、軍用路の左側……川の方向……の下生えを刈り始めた。リダは鉈を抜かなかった。刈り払っている人数が充分だと見て取ったのだ。狭いところで大勢が鉈を振るうのは効率が悪いし、第一危険ですらある。

 リダは他の者とともに、刈り払われた植物を運び、分類する作業を行った。薪になりそうな細い枝や枯れた葉などを取り除け、蔓で縛っておく。柔らかいが水分の多いシダ類、下生えの茎、細すぎて焚き付けにすらならぬ細い枝なども、取っておく。残りは嵩張らないように小さくまとめる。これら一見役立たぬ刈り払い屑にも、重要な役目があるのだ。いずれも、狩りの時の野営準備で手馴れた作業だった。

 スペースに充分なゆとりができると、鉈を持った戦士たちの半数ほどがそれを鞘に収めた。残りの者は、川への道を造り始める。リダら他のものは取っておいた柔らかい植物を地面に敷いて寝床作りに掛かった。一番下に水分を含んだ植物を敷き、その上に細枝を重ねる。さらに水分の少ない植物の茎や葉を乗せ、最後に持参の革を広げる。リダはすぐそばにもうひとつ寝床をこしらえた。むろん、鉈を振るっている誰かのための寝床である。命令や指示がなくても、ごく自然に各人が役割分担をして、各自の仕事をこなすことが、身についているのだ。

 寝床を作り終わったリダは、自分の荷物から米の入った皮袋を取り出した。立ち働いている人々の間を回り、さらに米を集める。すでに、川へと通じる小道は完成していた。そこをたどって川岸に出たリダは、皮袋に入れたままの米を研ぎ始めた。左右の川岸には、同じように米を研いでいる戦士たちが点々と見える。水を汲みに来る者も多い。

 リダは米の研ぎ汁を密林の中に撒いた。川を汚してはいけない。下流でも同じように多くの戦士が米を研いだり、煮炊きや飲用の水を汲んだりしているのだ。

 研ぎ終わった米を持ち帰った頃には、すでに竈の準備ができていた。水が張られた大きな鍋が、石を三つ置いただけの簡素な竈の上に置かれ、すでに沸き立っている。リダは皮袋の中の米をその中に一粒残らず注ぎ入れた。高原の民の米の調理法は、基本的に湯取り(沸騰した湯で米を茹で上げる方法)である。

 別の鍋では、おかずとなるスープが作られていた。持参した芋や野菜、密林の中で採取された食用になる葉や木の実などが、煮込まれている。

 リダは濡れた革袋を手近の木の枝に掛けて干すと、軍用路の方へと戻った。探しているものは、すぐに見つかった。密林の奥へ向け、切り拓いたばかりの細い道がある。リダは地面に置いてある葉付きの枝を手にすると、それを道の真ん中に突き刺した。これが、使用中の合図となる。

 細い道はすぐに横に折れ、地面に穴が開けられた狭い空間に続いていた。その脇に、先ほどまとめておいた刈り払い屑の塊が置いてある。

 トイレである。

 小用を足したリダは、刈り払い屑をひとつかみ取って穴に投げ入れた。臭い消しのためである。これも、狩猟民族の知恵と言おうか。狩りの獲物は人間よりも鼻が利くし、尿の臭いにも敏感である。


 野営地に戻ったリダは、自分の寝床の上に腰を落ち着けた。多くの者が、同じように休んでいる。残っている仕事は鍋の番くらいであり、人手は充分に足りている。やるべき作業がない場合は、努めて身体を休めておくことも、狩猟の際の基本である。

 スープの煮えるいい匂いに混じって、蚊遣りの煙のきつい臭いが流れてきた。水袋を持った戦士が、各人の間を巡って水筒に水を足してくれる。リダも自分の水筒を満たしてもらった。米の鍋についていた戦士が、笊で茹で上がった米をすくい始めた。人々が三々五々立ち上がって、自分の木椀に米をよそってもらう。リダも自分の木椀を出した。四つの木椀が入れ子になった、持ち運びに便利な軽い食器は、狩りに行く高原の民ならば必ず持っている道具のひとつである。一番小さな木椀だけきっちりと閉められる蓋がついており、たいてい持ち主が好きな日持ちする食品や好みの調味料を入れてある。リダのそれに入っているのは、柑橘類の皮に果汁を混ぜ、糖蜜で煮たものだ。リダのお手製で、甘酸っぱく、兄のベンディスの好物でもある。

 大きな碗に米を、中くらいの碗にスープを、そして小さな碗に湯通しして柔らかくした干し肉をよそってもらったリダは、寝床に戻ると食べ始めた。いつの間にか、あたりは薄暗くなっていた。西の方に眼をやると、木々のあいだのかなり低い位置にオレンジ色の太陽の姿があった。

 ……ベンディス兄さんも、この夕日を見ているのだろうか。

 先鋒に属している兄に思いを馳せながら、リダは食事を続けた。



 ジンベルの砦は静まり返っていた。だが、煌々たる魔術の明かりがいくつも灯っており、十二分に警戒していることをうかがわせた。

「奴らめ。魔術の無駄使いをしている」

 憤然として、ビレットが鼻を鳴らす。

「何としてもやめさせねばなりませんね」

 ベンディスも同意した。

 先鋒を率いる二人は、密林の際に半ば身を伏せていた。眼前には、ジンベル人によって中途半端に切り拓かれた平地があり、その向こうに魔術の白っぽい明かりに照らされた砦が、蹲る獣のような畏怖すべき姿を見せている。

「明日は多くの戦士が倒れるだろうな。奴らの戦術眼は確かだ。本当に厄介な場所に砦を築きおった」

 ビレットが、毒づく。

「致し方のない犠牲です。このままでは、高原の民に未来はないのですから」

 ベンディスはそう応じた。破滅が訪れるのは、まだまだ先の話だ。だが、早めに手を打たねば、いずれ高原の民と平原の民の全面戦争に発展しかねない。今ならばまだ、それを防ぐことができる。きわめて少ない犠牲で。

「そろそろ戻ろう。よく寝ておかねばならない」

 ビレットが、伏せたままそろそろと後退した。ベンディスも続く。暗い上に、密林に半ば隠れている状態だが、ジンベル弓兵の射程内である。用心に越したことはない。

 砦の監視を続けている一隊に労いの言葉を掛けてから、ビレットとベンディスは野営地に戻った。軍用路は、ほとんど完成している。あとは、明日の未明から工事を再開し、大部隊が待機できる大きさまで密林を広く切り拓く。そして、そこに先鋒二千八百を集結させ、一気に攻撃する。うまく行けば、一日で砦を落せるだろう。


第二十話をお届けします。すべて『敵側』視点の異色回であります。

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