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白き巫女と蒼き巫女【改稿中】  作者: 高階 桂
第一章 高原編
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2 都市国家

 トンネルの出口は、山の中腹に設けられていた。

「暑い……」

 トンネルを抜けた途端に、夏希の身体はむっとする空気と眩しい日差しに包まれた。急いで着込んでいた薄手のセーターを脱ぎ、ドレスシャツ姿になる。気温は間違いなく、三十五度を超えているだろう。湿度は……パーセンテージはさすがにわからないが、ともかくむしむしする。お昼前に通り雨があったあとの、真夏の午後二時といった感じだろうか。

「坑道は涼しいのですぅ~。地面の下は冷えてますからぁ~」

 ふわふわと浮かびながら、コーカラットが夏希でも知っていることを解説する。

「そうだ。あの浮いている照明、魔術なの?」

「そうですぅ~。エイラ様が、以前に掛けたものですぅ~」

 夏希は納得した。魔術の明かりならば、電源コードがないこともうなずける。

 ……って、なに納得してんだろ、わたしは。

 コーカラットに従って背の低い樹林の間に拓かれた狭い道を下りながら、夏希はそう思った。魔術が当たり前に使われている王国。愛想のいい奇妙な魔物。ここにむりやり召喚されてから数時間しか経っていないのに、すでに馴染みかけている自分に気付き、苦笑する。

「亜熱帯っぽいわね」

 左右の樹林を眺めながら、夏希はつぶやいた。樹の枝からは薄茶色の綱のような蔓植物が垂れ下がっており、濃密な下生えの中には羊歯のような葉が多く見える。空気は梅雨時の雨上がりのように少し生臭く、わずかに腐臭さえ含んでいた。地面もぬかるみとまではいかないが、明らかにたっぷりと水分を含んでおり、足を踏み出すたびにサンダルの底にべちゃっとした感覚が伝わってくる。蝉の仲間なのだろうか、樹林のあいだから妙な唸るような鳴き声が重なり合って聞こえている。さながら、忙しい木工所で複数の電動鋸がいっせいに丸太を切断しているかのようだ。

「ねえ、コーちゃん。エイラ様のところに行くには、あとどのくらい歩けばいいの?」

「山を降りて、そこからしばらく歩きますぅ~。大丈夫です、そちらの世界の単位で一時間掛かりません~っ」

「一時間……」

 夏希はがっくりと肩を落とした。

「どうかしましたかぁ~」

「いや、のど渇いちゃって」

 夏希はそう答えた。最後に飲料を口にしてから、もう四時間近く経っている。かなり走り回ったうえ、この暑さだ。水でいいから、ひと口飲みたいところである。

「そうですかぁ~。よろしければ、一杯いかがですかぁ~」

 停止したコーカラットが、触手の一本を夏希に向け差し伸べた。先細りだったその先端の形状が、水飴のようにうにうにと変化して、柄杓みたいな形となる。

 半ば呆れて見守るうちに、コーカラットが触手柄杓のカップ部分を自分の顎下に入れた。じょろじょろという水音とともに、柄杓の中に液体が注ぎ込まれる。

「ど~ぞぉ~」

 液体を満たした触手が、夏希の眼前に差し出される。少しばかり白い泡が立った、黄色っぽい液体だ。

 ……どう見ても、尿である。

「え、遠慮しとくわ」

「おいしいですよぉ~。冷えてますしぃ~」

 触手が、勧めるかのように左右に揺れる。

「いや、ほら。慣れないところの水を飲むと、お腹壊すとか言うじゃない」

「水じゃありませんよぉ~」

「あ、気持ちは嬉しいけど……」

「そ~ですかぁ~」

 コーカラットが、液体を満たした触手を自分の口にあてがった。中身を、一気に飲み干す。


 樹林を抜けると、視界が開けた。

「この都市が、ジンベル王国ですぅ~」

 コーカラットが、教えてくれる。

「きれいなところね」

 足を止めた夏希は、そう評した。

 眼下には、それほど広くはない……直径三キロというところか……多角形の盆地が広がっていた。全体をほぼ二分するような感じで、日差しを浴びて銀色に輝く一本の川が右手から左手へと緩くうねりながら伸びている。黒々とした低層の建物が密集した市街地は右手方向にあり、川はその中を真っ直ぐに貫いていた。平地の半分くらいは耕作地か放牧地らしく、柔らかな緑色をしており、そこかしこに小規模な集落が点在している。それ以外の平地と、周囲を取り巻いている低い山は、もっと濃い緑色の樹林に覆われているようだ。……一見すると、東南アジアあたりの田舎の景観に近いだろうか。

 山を下りる道はほどなく平坦となり、畑の中を突っ切る狭い道へと繋がっていた。夏希は畑の様子を見て眉をひそめた。植えられている植物は、細長い葉の形状からしてイネ科らしい。しかも、畑の中には水が引き込まれ、作物の根元を完全に覆っている。

 ……どう見ても、田んぼである。

「ねえ、コーちゃん。これ、何を作ってるの?」

「もちろん、お米ですぅ~」

「……ファンタジーっぽい異世界なのに、お米なんだ」

 夏希は釈然としない思いのまま歩き続けた。

 十五分ほど田んぼの中を行くと、ようやく市街地が近づいてきた。立ち並ぶ家はどれも丸太で下駄を履かせた高床式だ。板張りの壁と、大きく設けられた開口部。屋根は藁や萱に似たなにかの植物で葺いてあるようだ。東南アジアの山奥か、南太平洋の鄙びた島嶼のような雰囲気である。

 そこかしこを歩んだり、立ち働いたりしている人々は、いずれも質素な身なりだった。女性は膝上十センチくらいの半袖ワンピース姿で、太い布ベルトを締めている。男性も同様の身なりか、ノースリーブのシャツにだぶだぶのショートパンツ姿が多い。上半身裸の人もいる。みな一様に髪が黒く、その顔立ちは東洋的だ。肌は浅黒い人が多いが、これが日焼けのためなのか元々の肌の色なのかは、よくわからない。日よけだろうか、多くの人が植物を編んだような陣笠みたいな被り物を頭に載せている。短躯の人種らしく、男性でも夏希より大柄な人はほとんど見当たらなかった。

 彼らは夏希を見てもコーカラットを見ても、特に反応を示さなかった。夏希はともかく、コーカラットの存在には慣れているらしい。しばらく市街地を歩んだ(?)二人は、かなり広い通りに出た。様々な物品を路上や出入り口の左右に並べた商店らしき建物が、通りの両側に密集している。人通りも、多い。おそらくは、この小都市の目抜き通りなのだろう。

 夏希は歩みながら、日除けの下で商われている物品を注意深く観察した。大半は、食品のようだ。枡を使って量り売りされている玄米。何かの雑穀。小麦粉なのか、白い粉末も売られている。大豆。小豆くらいの、きれいな緑色の豆。生鮮野菜は数も種類も豊富で、見慣れたホウレン草や大根、葉葱、人参といったところに混じって、サッカーボールくらいあるサトイモや、トマトと見間違わんばかりの鮮やかな赤いナスなどが並んでいる。乾物をあつかう店もあり、加工して干した肉のようなものや、茸類、それに薄切りの根菜類などを並べていた。なにやら怪しげな色とりどりの粉末や粒を少量ずつ量り売りしていた店は、香辛料などの調味料を商う店なのか、あるいは薬屋なのか。

 食品に比べると、その他の商品を商う店は少なく、またその品揃えもぱっとしなかった。目に付いたのは、布地を並べた店と、籠や桶などの木製品を商う店、それに皿や壷など焼き物を並べた店があったくらいだ。レストランや喫茶店に相当する飲食店も、ざっと見た感じでは一軒も見当たらなかった。外食産業が発展する段階まで、経済規模とその水準が達していないのだろう。自給自足からやっと抜け出し、分業を確立し、専門職も出現したが、まだ資本の蓄積とその活用段階までは至っていないようだ。日本で言えば、平安後期というところか。

「ここが、王宮ですぅ~」

 目抜き通りが尽きたところで眼前に現れた石造りの頑丈そうな建物を前に、やや自慢げにコーカラットが言う。

「ほー。さすがに立派ね」

 夏希は石造二階建ての王宮を見上げた。規模としては、田舎の町役場くらいの大きさだろうか。一階部分には開口部が少なく、窓はいずれもかなり高い位置に小さく付いているだけだ。もちろん、ガラスなどは嵌っていない。二階部分には建物を取り巻くように狭いベランダのようなものが取り付けられている。王宮というより、城砦か要塞といった佇まいである。

「そうですぅ~。その昔、蛮族対策で建設された砦がもとになっていますからぁ~」

 夏希がそう指摘すると、コーカラットが身体を揺らしながら答えた。

「蛮族?」

「ジンベル川の上流にある高原地帯は、蛮族の領域なのですぅ~。めったに争いにはなりませんが、用心に越したことはないのですぅ~」

「まあいいわ。とりあえず、何か飲ませてよ」

 夏希は入り口らしい扉に歩み寄った。中に入れば、水くらい置いてあるだろう。

 コーカラットがすっと前に出て、触手の一本で木の扉を押し開けてくれる。……見た目より、ずっと力がありそうだ。

 夏希は戸口をくぐり……慌てて外に飛び出した。

「なにこれ! 冷たいじゃない!」

「王宮内部は冷やしてありますからぁ~」

「まさか、魔術か何かで冷房してるの?」

「もちろん、魔術の力ですぅ~」

 さも当然、といった口調で、コーカラットが言う。

 夏希は戸口に身体を置いてみた。戸外に出ている部分は熱い空気に触れているが、王宮内にある部分はひんやりとした空気を感じている。温度で言えば二十五度程度だろうか。あらためて感じてみるとそれほど低温ではないが、炎天下の戸外を歩いてきた身体にはそうとう冷たく思える。

 しかし……。

 夏希は驚いた。冷たい空気と熱い空気が触れ合っているはずなのに、そこに空気の流れが生じていないのだ。もちろん仕切りなどないし、エアーカーテンなどもない。

「どうなってるの、これ」

「王宮の建物自体に空気交換と冷却の魔術をかけてあるのですぅ~。外気の冷たい部分と内部の空気の熱い部分がここで交換されるのですぅ~」

「なにそのヒートポンプまがいは」

「外気と内部の空気の境界面に魔力を作用させ、熱を吸い込んで反対側に出すのですぅ~。逆に外気の冷たさを吸い込み、内部に放出する仕組みですぅ~」

 コーカラットが解説する。

「むしろペルティエ素子っぽいわね。なんだかさらっと物理学の常識を否定された気がするけど……まあいいか」

 夏希はそう言いつつ涼しい王宮内へと足を踏み入れた。ふわふわと宙に浮いている妙に愛想のいい魔物と親しげに会話しているくらいなのだから、魔術のひとつやふたつ素直に受け入れるべきだろう。

「こちらへど~ぞぉ~」

 ほとんど人気のない薄暗い通廊をしばらく歩んだところで、コーカラットが石造りの階段を下りるように促した。

「地下ね」

「そうですぅ~」

 階段には、魔術の明かり……たぶん坑道にあったものと同じだろう……が灯っていた。降り切った先から伸びている通廊にも、等間隔で明かりが点いている。床は切石がむき出しになっているが、壁と天井には丁寧に板が張られていて、地下らしさを感じさせない造りになっていた。

「ここでお待ち下さいぃ~」

 コーカラットが、一室へと夏希を招じ入れる。

 それほど広くない部屋だが、調度はなかなか豪華だった。黒光りする凝った作りのチェストや、金色に光る金属で装飾された書き物机、金属鏡なのか、鈍い光を放っている鏡台などが壁際に並んでいる。夏希はコーカラットに勧められるままに、詰め物が入った布張りの椅子に腰掛けた。目の前にあるテーブルの天板には、色の異なる木片を埋め込んだモザイク画が描かれている。モチーフは、鳥と蝶だった。どうやらこの世界、木工系の手工芸はレベルが高いらしい。

 ほどなく戻ってきたコーカラットは、三本の触手で小さな盆を捧げ持っていた。ガラス製らしいコップと水差しが、載っている。

「エイラ様はすぐに参りますぅ~。もうしばらくお待ち下さいぃ~」

 そう喋りながら、コーカラットがコップに水差しの中身を注いでくれる。夏希は水差しの中に氷が浮かんでいるのに気付いたが、黙っていた。どうせこれも、魔術で作ったのだろう。こんなことでいちいち驚いていては、身が持たない。

「ありがとう」

 夏希はコーカラットが差し出したコップを受け取ると、中身を一気に飲み干した。味からすると単なる水だったが、驚嘆するほど旨く感じられた。夏希が握ったままのコップに、コーカラットがお代わりを注ぎ入れる。夏希はそれも一気に飲み干した。

 三杯目をゆっくりと味わいつつ、夏希はコップをしげしげと眺めた。感触も見た目もガラスだが、透明度がいまひとつで、おまけに分厚く、かたちもややいびつだ。ガラスの加工技術は、まだまだ未熟なようだ。

「そうだ、コーちゃん。わたし、元の世界へ帰れるんでしょうね?」

 夏希は肝心なことをコーカラットに尋ねた。

「もちろんですぅ~。希望すれば、エイラ様の魔術で帰ることができますぅ~。ただし、召喚とその取り消しにはかなりお金が掛かるので、頻繁に行き来したりするのはむりですぅ~」

「お金?」

「はいぃ~。召喚の儀式に使う植物や金属、あるいは細工物などの中には、ジンベルでは手に入らないものが多いのですぅ~。それらは高いお金を払って他所の国から分けてもらわねばならないのですぅ~」

「他所の国? 外国が、あるんだ」

「もちろんですぅ~」

 夏希はうなずくと、またひと口水を飲んだ。どんな国があるのだろうか。それらも、このジンベルと同様の文明レベルなのだろうか。


第二話をお届けします。事情によりいつもより早い時間となります。次回投稿は通常ならば一月二日の予定ですが、遅れる可能性があります。御了承ください。

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