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白き巫女と蒼き巫女【改稿中】  作者: 高階 桂
第三章 タナシス王国編
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143 ブランド

 真の闇。

 夏希は軽いパニックに陥った。……ラクラシャが、帰還の儀式に失敗したのか?

 瞬きを繰り返すが、一向に闇は晴れない。首を左右に動かしても、眼に入るのは漆黒だけだ。光は、ない。

 もしかして魔界に飛ばされたのだろうか。いや、魔界ならば、全身に異常を感じるはずだ。いまのところ、そのような感覚は、皆無だ。

 落ち着け。

 夏希は動きを止めた。とりあえず、冷静に事態を分析しようとする。

 夏希はまず自分の身体の状態を確かめた。何かの上に、腰掛けているらしい。手探りで、その『何か』の正体を突き止めようとする。

 滑らかな表面。固いが、金属やプラスチックの手触りではない。温もりのある感じ。

 木だ。木製の、何か。

 金の延べ板の入った箱か。

 とすると、ラクラシャの儀式は成功したらしい。夏希は少しばかり安堵した。おそらく、エイラに最初に召喚された時と同様、ちょっと予想外のところに『出て』しまったに違いない。光の差さぬところ……例えば、地下室とか。

 念のために明かりを持ってくるんだった、と悔やみながら、夏希はこの場所の正体を探ろうと周囲を手探りした。床面は、手触りからすると硬い板張りのようだ。

 と、右側にそろそろと伸ばした夏希の右手指が、何かに触れた。手のひらをその壁のような平面に当て、材質を知ろうとする。木よりも、柔らかい感じ。滑らかだが、つるつるした感触ではない。かすかに、ざらつきがある。

 その頃になって、夏希はようやく空気の臭いに気付いた。古い、としか形容できない臭い。倉庫とか、押入れとかに特有の、埃臭さ。

 夏希が触っている物体は、どうやら箱状らしかった。天面は、開放されている形状の、大きな箱。

 ダンボール箱だ。

 夏希はようやく物体の正体に気付いた。中に何が入っているかを確かめようと、手をそろそろと中に差し入れる。

 柔らかいものが、夏希の指先に触れた。密生した毛のような、感触だ。一瞬びくっとした夏希だったが、指先は引っ込めなかった。温もりはないので、生き物とは思えない。

 ……この感触、覚えがある。

 夏希の胸中に、懐かしさがぱっと広がった。小学生の頃の映像が、脳裏に浮かび上がる。

 『ももべぇ』だ。この感触は。

 小学校五年生まで添い寝し、中学二年の頃まで夏希の部屋の中にさながら主のように鎮座していた、ふわふわとした長毛のピンク色の熊のぬいぐるみ。

 『ももべぇ』がいるということは……。

 夏希はげらげらと笑い出した。ここは、森家の納戸にちがいない。

 ラクラシャはなるほどかなりの力量の持ち主だったようだ。納戸は廊下を挟んでダイニングキッチンの向かい側にある。夏希が召喚された朝食の席からは、いくらも離れていないのだ。

「ありがとう、ラクラシャ。無事に、帰してくれて」

 なおも『ももべぇ』の毛を撫でながら、夏希は闇に向け礼の言葉をつぶやいた。


 ようやく探り当てた引き手に手を掛け、納戸の引き戸を開ける。

 闇に慣れた眼には眩しい光の中に、夏希は歩み出た。眼を細めながら、板張りの廊下を横断しダイニングキッチンに入る。

 食事用のテーブルの上は、夏希が召喚された直前とそっくりそのままだった。ハムエッグの載った皿。濃い狐色のトーストが載った皿。しなびかけたレタスとスライスした胡瓜、それにプチトマト三個が入っている小鉢。ファットスプレッドの容器。三分の一くらい中身が残っているマヨネーズのチューブ。折り畳まれた朝刊。テレビのリモコン。箸が一膳。この光景は、召喚された直後に何度も思い起こしたから、間違いない。

 夏希は指を伸ばすと、トーストに触れてみた。……まだ、熱い。

 召喚された直後に、戻ってきたのだ。

 ……しかし。

「寒っ」

 夏希は身体を震わせた。むき出しの二の腕を掴み、さする。着ているのは、向こうでは普段着だった、ちょっとサブリナパンツを思わせるボトムスと、オーバーサイズのTシャツのような組み合わせ。色は、いずれも生成りの白だ。

 壁のカレンダーに眼をやる。たしか、召喚されたのは十月半ばだった。こんな真夏向きの格好では、寒いに決まっている。

 と、気配を感じた夏希は視線を落とした。

 愛猫の『ミオ』が、ダイニングキッチンへ入ってきたところであった。白地に控えめな黒ぶちのほっそりとした雌猫で、もうかなり高齢のおばあちゃん猫だ。

 そのミオが、夏希の姿を見て硬直した。眼を見開いてこちらを凝視しながら、頭をわずかに下げて警戒の姿勢を取る。

「ミオ~。わたしだよ~」

 夏希は呼びかけながら、腰を落としつつ近付いた。だが、ミオは警戒を解こうとしない。さらに姿勢を低くし、半歩後ずさりする。

「こんな服着てるからか」

 ……あるいは、二年間で雰囲気が変わりすぎたのだろうか。

「とりあえず、着替えましょうか」



 二階の自室で着替えを済ませた夏希は、なんとなく疲れを覚えてベッドに腰を落とした。

 見慣れた……だが、ほんの少し違和感を覚える室内を、ゆっくりと眺める。

 壁に貼られた、雪に覆われた高峰とその手前の森林地帯を写した大判のポスター。淡い青のカーテン。メイク道具が林立しているサイドテーブル。古風な、昔の刑事ドラマの取調室に置いてあるようなデスクライト。

 窓外からは、雀らしい鳥の鳴き声が時折聞こえてくる。すぐそばに公園があり、そこの木々が彼らのお気に入りの場所となっているのだ。近くに幼稚園があるので、普段ならこの時間帯は甲高い声が寄せ集められた可愛らしい騒音が聞こえるのだが、今日は日曜日だからそれもない。住宅街なので、自動車の通行すらあまりない。住宅街の休日らしい、静かな午前中である。

 時間が、ゆっくりと流れてゆく。

 ……いつも、なにしてたっけ。

 夏希は普段の生活を思い起こそうとした。日曜日は遅く起きて、朝食のあとは……。

 ……って、ご飯食べてないや。

 帰還の儀式が行われたのが向こうの時間でお昼ごろ。昼食は採ってないから、夏希のお腹の感覚は昼食を抜いた日の午後一時半、といったところである。

 もったいないから、朝食をいただきますか。

 夏希は腰を上げた。


 たっぷりとコーヒーを淹れ、冷めてしまったトーストとハムエッグを胃に流し込む。

 見慣れた服装……トレーナーとミニスカート、それにハイソックスの組み合わせ……になったおかげか、ミオも夏希のことを警戒しなくなったようで、足元に寄って来た。夏希は食事を中断すると、再会祝いに猫缶をひとつ開けてやった。ミオが、すぐさま専用皿に盛られた鮪入りキャットフードを食べ始める。

 食事を終え、皿を洗い終わった夏希は、納戸に戻った。蛍光灯のスイッチを入れてから、床にでんと置かれている木箱を前にして腕を組む。もちろん、中身は大量の金の延べ板である。……女子高生が、普通所有しているものではない。両親に見つかる前に、隠さねばならない。

「ベッドの下……とか、ありきたりだよね」

 興味を持ったのか、納戸に入ってきて木箱をふんふんと嗅ぎまわっているミオを眺めながら、夏希はつぶやいた。しばらく思案したあげく、妙にこそこそと隠すよりもありきたりの物に見せかけたほうが無難だと結論付ける。

 夏希は空のダンボール箱を持ってくると、延べ板を五回に分けて自室に運び入れた。古い本や捨てられないがらくたの類が入っていた網籠や箱の中に、小分けにして古新聞紙で包んだ延べ板を並べる。その上にもともと入っていた古い本やがらくたを載せる。こうしておけば、家捜しでもしない限り簡単に見つかることはあるまい。

「よし。完了」

 先ほどまで着ていた衣類も隠し終わった夏希は、満足すると再びベッドに腰を下ろした。

 しかし……。

 こうして自室でぼんやりと座っていると、二年間の異世界での冒険生活がまるで夢だったかのように感じられてしまう。ついさっきまで、大量の金の延べ板というリアルな証拠を手にしていたというのに。

 脳が、こちらの生活にあっさりと順応してしまったのだろうか。異世界モードから、こちらの世界モードに、スイッチが切り替わったようにも思える。

「長い夢、といえばそう思えても仕方ないよね」

 夏希はつぶやきつつ、身体を倒してベッドに仰向けになった。そっと、眼を閉じる。

 ユニークな魔物たち。魔術。『竹竿の君』などという二つ名。人を殺めたこと。

 とても現実とは思えない。

 だが……。

 夏希は眼を開け、むくりと起き上がった。トレーナーの左袖を、捲り上げる。

 手首近くの前腕部に、それは厳然と存在していた。白く細長い、傷跡。ランクトゥアン王子の艦隊に参加し、ルルト船籍の武装商船に乗り組んでいたときに、タナシス兵の長柄刀に斬り付けられてできた傷である。

「現実だったんだよね、みんな」

 夏希は顔をあげた。

 部屋の中は、がらんとしていた。静かに佇んでいるアンヌッカの姿も、開け放した扉の影から顔を覗かせているシフォネの姿もない。部屋の隅に浮かんでいるコーカラットの姿も。その下で、ステッキを振り回しているユニヘックヒューマの姿も。手を繋いでいるエイラとサーイェナの姿もない。見上げるような生馬の姿。笑みを浮かべている駿の姿。猫背で常になにか企んでいるかのような拓海の姿。さばさばとした表情の凛の姿も、ない。

 ……あれ。

 夏希は、自分が涙を流していることに気付いて当惑した。特に悲しいと思っているわけではない。しかし、なぜだか涙が溢れてきてしまう。

 別れの時は、我慢できたのに。

 やはり脳が、異世界モードからこちらの世界モードに切り替わってしまったのだろうか。意思が、弱くなってしまったのか。向こうでは、戦場で人を殺しても平然としていなければならなかった。取り乱してしまえば、次に死ぬのは自分だからだ。同じように、常に自分を律していなければならなかった。『竹竿の君』として、そして多くの人々に頼られている存在として、涙など見せるわけには行かなかったのだ。

 常に被っていた仮面を、取り去った自分が、ここにいる。

 夏希は、しばらく静かに涙を流し続けた。



 月曜日は、快晴であった。

「違和感あるなぁ……」

 明るい日差しの下、夏希はぼやきながら通学路を辿っていた。

 毎日のように歩んでいた道のはずだが、二年ぶりとなるとかなり異様に見えてくる。ちなみに、夏希の学校の制服は、淡いブルーのシャツに青系チェックのスカート、胸元にリボン。これに濃紺のブレザーというよくあるタイプである。

「おはよっ!」

 いきなり肩を叩かれ、夏希は文字通り飛び上がった。

「ん? どうしたの?」

 夏希よりも頭ひとつ小柄な少女が、不思議そうな顔で夏希を見上げている。

「あ、びっくりした。亜実か」

 櫛田亜実。クラスメートの女の子だ。凛と同じく、小学生からの付き合いがある友人である。

「うわ。どうしたの? 日サロ?」

 もともと大きな眼をさらに見開いて、亜実が訊いてくる。

「あ、これね」

 夏希は苦笑しつつ日焼けした手の甲を見下ろした。

「そう。ちょっとイメチェンしようと思って。はは」

 夏希はそう笑ってごまかした。今年も……もちろん、この世界の時間軸での夏のことだ……積極的に肌を焼かなかったから、夏希の肌は白いままだった。

「色白自慢の夏希が日サロでイメチェンねえ。まさか、失恋でもしたの?」

「ないない」

 夏希は笑顔で否定した。

「ベスト、暑くない?」

 語尾を上げる言い方で、亜実が訊く。

「そう?」

「今日はかなり暖かいよ。天気もいいし」

 夏希がブレザーの下に着込んでいるクリーム色のベストをつつきながら、亜実が言う。夏希は内心で苦笑した。亜熱帯でしばらく過ごしたせいで、高温多湿に慣れてしまい、秋晴れの日本の外気温が肌寒く思える身体になってしまっている。

「……てか」

 歩む夏希にまとわり付くようにして、亜実が不審そうな表情で見上げつつ言う。

「夏希、背伸びてない? 髪も長くなったような気が……」

「はは。気のせいよ気のせい」

 夏希はさらに笑ってごまかした。実際、身長はここ二年で一センチ半程度は伸びているはずだ。

「あれ、何でこんなに痛んでるの」

 亜実が、今度は夏希の長い髪を弄り出した。

「毛先なんて、こんなにぱっさぱさじゃない。黒髪自慢の夏希らしくない……」

「あー、まあ、いろいろあってね」

 とにかく、ごまかすしかなかった。異世界で紫外線に当たりまくって日焼けしました。同じく日差しと手入れ不足から髪も痛んじゃいました。二年も経ってるので、背も伸びました。だから、亜実より二歳も年上になってしまいました、などと言えるわけがない。



「えーと」

 教室に一歩入ったところで、夏希は立ち止まった。

 自分の机がどれだか、思い出せないのだ。

 下駄箱の位置も忘れていたが、これは亜実にくっついていたおかげで、すぐそばに『森』とネームプレートが貼り付けてある箱を見つけることができた。教室の位置もうろ覚えで、二階の東棟のどこか、としか記憶になかったが、いわば亜実に先導してもらう形でたどり着くことができた。

 だが、机の位置がわからない。たしか、廊下寄りの真ん中あたりだと思うのだが……。

「どうしたの?」

 すたすたと歩み出しながら、半ば振り返って亜実が訊く。

「机、どこだっけ?」

 曖昧な笑みを浮かべつつ、夏希は仕方なくそう訊ねた。

 心配そうな顔になった亜実が、戻ってきて夏希のおでこに手を当てる。

「熱はないみたいね。あの日?」

「……ちょっと、ど忘れしてるだけ」

「わたしの隣でしょ? もう」

 すこしむくれ気味に言った亜実が、指差して教えてくれる。

「そうだった」

 夏希は指し示された机に腰を下ろした。亜実が、自分の席に鞄を置き、座る。

 すぐに夏希は、自分が他の生徒から注目されていることに気付いた。もともと、夏希はクラスでは目立つ存在であった。女子では一番長身だったし、成績も良い方で、ルックスも悪くないから男子にも『人気』がある。その夏希が、いきなり日焼けして現れたのである。気にならない方が、おかしい。

 まだ早い時間なので、登校してきている生徒は三分の一程度であったが、そのほとんどが夏希をちらちらと見ながら、ひそひそと周囲と会話している。夏希は急に気恥ずかしくなった。

「やっぱおかしいよ。週末、なんかあったの?」

 その様子を見ながら、亜実が訊く。

「ちょっとね。ながーい、妙な夢を見てたのよ」

「長い夢?」

「妙な魔物とか、出てきてね……」

「おはよっ!」

 いきなり威勢のいい声とともに、夏希の肩が音高くぱしんと叩かれた。

 声に驚いた夏希は、驚きの表情で手荒な挨拶をしてきた相手を見上げた。

「凛!」

 思わず、大きな声が出てしまう。

「なに驚いてるの、夏希」

 凛が、にやにやと笑っている。亜実は、当惑顔だ。

「だって、あなた、半年残るって……」

「ちょっと来なさい」

 凛が、夏希の襟首を掴んで立ち上がらせようとする。夏希は大人しく立ち上がると、凛に連れられるままに教室の隅に向かった。

「あのね。あんた、自分が召喚された直後に戻ってこれたでしょ? それとおんなじよ。あたしも、昨日召喚されて昨日戻ってきただけ。わかる?」

 小声で、凛が説明する。

「じゃ、半年間向こうで滞在延長してから、戻ってきたわけ?」

 無言のままうなずいた凛が、顎で左方を指す。

 ちょうど、教室に駿が入ってきたところだった。夏希と凛の姿を捉え、微笑を見せてから自分の席……教卓のすぐそば……に鞄を置く。

 納得した夏希は、凛と別れて自分の席に戻った。亜実が、怪訝そうな表情をしている。

「なに、藤瀬まで日焼けしてるじゃないの。一緒に日サロ?」

「まー、そんなところね」

「よ、夏希!」

 再び、夏希の肩が叩かれたが、ある程度予期していた夏希は驚かなかった。拓海の声だ。

「おはよう!」

 さわやかな生馬の声とともに、その大きな手が夏希の頭をさっと撫でる。

「……あれ、あなた桧山の奴と仲良かったっけ?」

 隣同士の席に着く拓海と生馬を見やりながら、亜実が眉根を寄せる。

「境君ともずいぶん馴れ馴れしかったわね。……やっぱり、なにかあったんでしょ?」

「ないない」

 夏希は笑ってごまかした。



 ……ある意味職業病ね。

 夏希は自嘲気味に微笑んだ。

 英語の授業で新しい単語が出てくると、それを無意識のうちに異世界の単語に置き換えてしまう。地図を見ればいつの間にやら適切な進撃路だの迎撃ポイントだのを見出してしまう。風景画を見ればどの位置で布陣すべきか、あるいは見張りをどこに置くべきかを判断してしまう。清掃の時間に竹箒を握った時は、妙に血が騒いでしまった。

「疲れた……」

 ようやく訪れた放課後。夏希は自分の机にうつ伏せになってへたっていた。

「夏希。四時から駅前のファミレスでプチ会議だ。いいな」

 拓海がそう言い置いて、生馬と連れ立って教室を出てゆく。

「は~い」

 顔をあげ、気のない返事を返した夏希の肩を、凛がちょんちょんと叩いた。

「なに?」

「ファミレス前にちょっと付き合いなさい」

 夏希は凛に引っ張られるままに廊下を歩んだ。人気のない踊り場まで、連れて行かれる。

「なに、内密の相談?」

「ま、そんなところね。事後承諾を得ようと思って。悪いけど、名前使わせてもらったわ」

 ちょっと済まなそうな表情で、凛が言う。

「名前? 名義貸しとか、やだよ」

 例の服飾事業関連の話だろうか。出資はしたが、経営に口を出すつもりは、夏希にはない。あくまで、自分はサイレント・パートナーの立場を貫くつもりである。

「あー、独自ブランドを立ち上げる必要があってね。そのイメージキャラクターとして、あんたを借りたというわけ」

 言い訳がましく、凛が言う。

「ブランドのイメージキャラクター?」

「やっぱり、イメージ戦略ってのは大事でしょ? 誰か具体的にイメージが惹起できる有名人の名前を借りると、ブランドイメージが確立しやすいわけ。許可が出れば王族や有名貴族でもいいんだけど、まず無理だから。あんたなら、知名度抜群だし、大衆に好かれてもいるしね。『ハ○エ・モリ』ならぬ『ナツキ・モリ』ブランドを作ったわけ」

「……すっごく恥ずかしいんですけど」

「テーマは、強さと美しさを兼ね備えた、自立した女性ね。貴族や上流市民相手の普段着と、一般市民向けのおしゃれ着を作ったわ。売れ行きは、なかなかのものよ。ロゴマークも作ったのよ」

 凛が、スカートのポケットをごそごそとまさぐった。引っ張り出した紙片を、広げて見せる。

 女性の横顔のシルエットであった。顔の前に垂直に突っ立っている黒い線は、竹竿なのだろう。下部には、夏希の名がかなり装飾された文字で記されている。

「……ま、いまさら撤回しろと言っても無駄でしょうから、名前貸しは承認するけど……これ以降向こうへ行ったら、ダサい格好して外を歩けなくなっちゃったわね」

 渋々と、夏希は言った。ファッションリーダー的存在に祭り上げられてしまった以上、センスの悪い服を着ていたりしたら笑いものになりかねない。

「大丈夫。衣服に関しては下着までひっくるめてわが商会が供給するから。あんたは謂わばファッションモデルみたいなものよ」

「歩く広告塔というわけね」

 夏希は苦笑した。


第百四十三話をお届けします。

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