136 魔物の小便
……さて、どうやってあの二十人を止めようか。
コーカラットに乗って飛行しながら、夏希は思案した。
力ずくで止めるのは不可能である。となれば、なんらかのハッタリか騙しのテクニックが必要だろう。例えば、逆らえばコーカラットが怒る、と信じ込ませるとか。
「魔物殿。力を貸してはいただけないだろうか」
夏希同様知恵を絞っているらしいランブーンが、コーカラットに頼み込む。
「せっかくですが、魔物は人間同士の争いには非介入なのですぅ~。お手伝いはできないのですぅ~」
「ふむ。どうだろう夏希殿。石か何かを集めて、空から攻撃するというのは」
「ですから、お手伝いはできないのですぅ~。おふたりを運ぶことは構いませんが、わたくしが間接的にしろ介入することはできないのですぅ~」
コーカラットが、申し訳なさそうな口調で言う。
「でもいずれにせよ、こちらの切り札はコーちゃんしかいないわよね」
夏希は考えを口に出した。コーカラットが恐ろしい存在だと連中に思わせれば、チャンスはあるかもしれない。例えば、そばに近付くだけで死んでしまう、とか。
なんだろう。眼からビームが出る? あるいは、眼に見えない『フォース』が存在する? それとも……。
コーカラットが、村を通り過ぎた。私兵たちは、まだ緩めの駆け足で村の中を通過中だ。とりあえず、先回りすることはできた。
夏希の視界に、先ほどコーカラットに驚いて桶の中身を浴びてしまった男が入ってきた。残念ながら、桶の中身は畑に撒く下肥だったようだ。とぼとぼと歩く黄金色に染まった男が近付くと、他の農民たちが慌てて逃げてゆくのが見て取れる。
……黄金色の液体。
これだ。
「コーちゃん、村に戻って」
「そんなもので、どうなさるおつもりですかな」
夏希が村で手に入れた……というか、黙って借りてきた木桶と柄杓を見て、ランブーン将軍が首を傾げる。
「まあ、見ていてください」
夏希は、先ほど発見した四つの死体があるところにコーカラットを降下させた。
「じゃ、コーちゃん。この桶一杯にコーちゃんジュースをちょうだい」
「よろしいですよぉ~」
夏希があてがった桶の中に、黄色い液体が注ぎ込まれる。
「なんですかな、これは?」
「切り札です」
夏希は微笑みつつ、ランブーン将軍の質問に答えた。
桶が満たされたところで、夏希はランブーン将軍に手伝ってもらって、倒れている死体に細工を施した。刀傷が見えないように並べ替えた上で、流れた血を土を掛けるなどして隠したのだ。
「では、行きますよ」
桶と柄杓を手にした夏希は、コーちゃんジュースを死体にたっぶりと掛け始めた。
「……訳がわからないのだが」
ランブーン将軍が、首をひねる。
「猛毒、魔物の小便ですよ。これを浴びた人間は、即死するのです」
「毒ではありませんよぉ~。それに、魔物は排泄しないのですぅ~」
聞いていたコーカラットが、すかさず抗議する。
「ちょっとしたお芝居よ、お芝居。ジュースの提供は、争いへの介入にはならないでしょ?」
「それは、そうなのですがぁ~」
四つの死体が、適当に黄色に染まる。夏希は地面に桶を置くと、私兵たちを待ち受けた。ほどなく、道を緩い駆け足で進んでくる私兵の隊列が見えてくる。
「数が増えているな」
ぼそりと、ランブーンが言う。
「村の分遣隊が加わったのね」
夏希は置いてあった桶を持ち上げた。柄杓に中身を掬い、私兵たちを待ち受ける。
夏希とランブーン将軍、そしてコーカラットを見て、隊列が脚を緩めた。死体に気付き、先頭を行く隊長がぎょっとした表情を見せる。
「女王陛下に逆らう反逆者は、殺します」
夏希は凄みのある表情を作ると、そう言い放った。
「魔物の小便を浴びる勇気のあるものは、前に出なさい」
「ま、魔物の小便だと?」
隊長が、半歩下がる。
「わたしも初めて見たが、もの凄い毒だ。悪いことは言わん。諦めろ」
ランブーン将軍が、悲しげな表情を作って話を合わせてくれる。
夏希はハッタリに信憑性を持たせようと、桶をコーカラットの下に置いた。小声で、コーカラットにジュースの補充を頼む。
コーカラットの体内から出た黄色い液体が、桶にじょろじょろと注ぎ込まれる。それを見た私兵たちにあいだに、動揺が広がった。
「た、隊長。もう帰りましょう」
「死にたくねえよ」
「反逆罪なんて、いやだ」
「前からお館様は信用ならねえと思ってたんだ」
「母ちゃんの言うとおり、畑耕してればよかった」
「俺、このお勤めが終わったら、女房もらうはずだったのに」
「魔物に敵うわけねえ」
「さすが竹竿の君だ。やることがえげつねえ」
後ろの私兵たちから、泣き言が漏れ始める。
「さあ、大人しく館に帰りなさい。そうすれば、反逆罪には問われないわよ」
夏希は柄杓を構えたまま、ずいと一歩前に出た。何人かの私兵が、逃げ腰となる。
あと一息。一人でも逃げ出せば、部隊としての士気は崩壊するはずだ。
だが。
「えい、ハッタリだ、ハッタリ! 毒など嘘だ! 我々は、あくまでお館様に忠誠を尽くすぞ!」
いきなり、隊長が抜剣した。部下の方に振り向き、剣を振り上げる。
「この臆病者どもめ! 勇気のある奴だけでいい、わたしに続け!」
……やばい。
夏希は空気が変わりそうなことに気付いた。多くの人々が判断に迷うような切羽詰った状況においては、一人が突出したリーダーシップを発揮すると、その場の全員が付和雷同的にそれに従ってしまうことがままある。この隊長だけ、なんとか排除する方法はないものか……。
「行くぞ!」
隊長が、剣を振って前進を命ずる。半数ほどの私兵が、しぶしぶと動き出した。残る半数は、態度を決めかねて動かない。
「さあ、魔物の小便とやらを掛けてみろ!」
隊長が、煽る。
夏希は窮した。このままでは、まずい。
「きえーっ!」
いきなり、夏希の背後で奇声が発せられた。
夏希は振り向いた。
マーラヴィであった。剣を振りかざし、夏希に向け突っ込んでくる。
……!
一瞬、マーラヴィが裏切ったのかと思った夏希だったが、すぐに少年の思惑に気付いた。ことのなりゆきを知ったマーラヴィが、一芝居打とうとしているのだ。
「反逆者め!」
夏希は一声叫ぶと、柄杓の中身をマーラヴィに向けぶちまけた。黄色い液体が、少年の顔面を捉える。
「うわぁぁぁー!」
大げさな悲鳴を上げ、マーラヴィが剣を取り落とした。顔面をかきむしりながら倒れこみ、わずかにもがいたあと、ぴくりとも動かなくなる。
夏希は素早く柄杓を満たすと、今の一幕を見て凝固してしまった隊長に向けそれを突きつけた。
「見たか、悪魔の小便の威力を! 反逆者どもは皆殺しだ!」
最後尾にいた私兵が、そっと隊列を抜け出した。それに気付いた数名が、足音を忍ばせて離脱を開始する。釣られるように、さらに数名が逃走を始めた。
「おい、何してる!」
隊長が気付いた時には、すでに三分の二ほどの私兵が、東へと向かっていた。全力疾走している者もいる。
「隊長、魔物と竹竿の君には勝てませんよ」
年配の私兵……副隊長格だろうか……が諦め顔で言う。
残っていた私兵も、続々とこちらに背を向けて走り出す。隊長が、夏希とランブーンを交互に睨んでから、剣を収めた。最後に残った副隊長格に促されて、しぶしぶ走り出す。
「はあ。なんとかなったわね」
夏希は柄杓を桶に戻すと、しゃがみ込んだ。
マーラヴィが、むくりと起き上がる。
「どうでした、ぼくの演技は?」
「アカデミー賞ものね」
「あかでみぃ?」
「見事な演技だった、ってことよ。おかげで助かったわ」
立ち上がった夏希は、少年の肩に手を置くと、取って置きの笑みを見せてやった。
「じゃあ、コーちゃん。急いで生馬たちのところへ戻ってちょうだい」
「はいぃ~。ですが、余ったジュースはどうするのですかぁ~。もったいないのですぅ~」
コーカラットの黒い眼が、恨めしげに夏希を見上げる。
「あー、あれはあとでスタッフがおいしくいただくから。一刻も早く、わたしたち三人を生馬のところへ運んでちょうだい」
「生馬将軍! わたしは本気だぞ! 王女が死んでもいいのか!」
武器を置け、という要求に一向に応じない生馬らに切れたのか、ルバンギィ卿の口調が荒くなった。手にした短剣の切っ先が、リュスメースの細い首筋にさらに数ミリ近付く。
……やばい。眼がマジだ。
生馬は、ルバンギィ卿の眼から殺意を嗅ぎ取った。単なるハッタリではない。窮地に陥ったルバンギィ卿は、自らの身を守るためならリュスメース王女を殺しかねない。
「わかった、ルバンギィ卿。王女の安全を保障してくれれば、この場は見逃そう」
生馬はそう提案した。ここまで追い詰めて逃がすのは悔しいが、王女の命には代えられない。
「よし。では全員武器を捨てて下がれ!」
ルバンギィが、喚くように命ずる。
「ルバンギィ卿。本気で王女殿下を傷つけるおつもりですかな」
やんわりとした口調で、セーランは尋ねた。むろん、囲んでいる敵には聞こえぬ程度の小声である。
「この場を逃れるためであれば、傷つけるのはもちろん、殺すのも止むを得ない。貴殿も死にたくはないだろう」
同じく小声で、ルバンギィ卿が答える。
「そうですか。ならば、仕方ありませんな」
ほんのわずかに頬を緩めたセーランは、長剣を上げて切っ先をリュスメース王女に向けた。
「ルバンギィ卿。殿下はわたしが預かりましょう。このような汚れ仕事、卿にはふさわしくありません」
「どういうことだ?」
「わたしに考えがある、ということですよ。さあ、短剣を引いてください」
そうセーランに言われ、訝しげな表情ながらもルバンギィ卿が短剣を持つ腕を下ろす。
「御免」
ひとこと言ったセーランは、いきなり長剣をルバンギィ卿の腹部に突き刺した。
その場にいた全員が……ユニヘックヒューマも含め……凍りついた。
セーランは、ルバンギィ卿の腹部を貫いた長剣を、やや抉るようにして抜いた。崩れ落ちたルバンギィ卿の死亡を眼で確認してから、長剣を地面に置く。
「お前も、剣を置け。もはや勝ち目はない」
唯一残った護衛剣士にも、そう声を掛ける。驚きに眼をみはっていた剣士が、ためらいながらも長剣を地面に捨てる。
呪縛が解けたアンヌッカとリダが、すかさずリュスメース王女に駆け寄る。だが、それをあっさりと追い抜く小柄な姿があった。ユニヘックヒューマだ。ステッキを小脇に挟み、倒れこみそうになる王女の身体を両手でしっかりと支える。
「どういうことだ、セーラン。裏切ったことで俺たちに恩を売る気か?」
生馬将軍が、鋭い口調で訊いてくる。
「ほう。わたしの名をご存知か。まあいい。わたしは降伏する。勝ち目のない戦いはしない主義なのでね」
「降伏は受け入れよう。しかし……なぜルバンギィ卿を斬った?」
「わたしの雇い主は、王女殿下に危害を加えるつもりは毛頭なかった。しかし、卿は先ほど殿下を殺害する可能性を口にした。わたしは、雇い主の意向に従って殿下をお守りしただけだ」
「雇い主……ルークドルク卿だな?」
断定する口調で、生馬将軍が訊く。
「その質問には答えられない。貴殿に降伏したことで、雇い主との主従関係は切れたが、それでも道義的な責任はいまだ負っているのでね」
「こっちもなんとか片付いたみたいね」
コーカラットに乗って飛びながら、夏希はほっとして肩の力を抜いた。
ソリスが倒れているが、身動きしているので死んでいるのではないらしい。死体らしいのは三体で、うち一人がルバンギィ卿、二人はその護衛たちのようだ。残る護衛の一人はカリスに武装解除されている真っ最中。セーランは、生馬と相対しているが、抵抗はしていない。
肝心のリュスメース王女は、アンヌッカとリダ、それにユニヘックヒューマに囲まれている。こちらも、怪我などはないようだ。ただし、リダは血まみれに見える。どこか負傷したのだろうか。
「降りますですぅ~」
コーカラットが宣言し、ふわりと地面に降り立つ。触手から解放されると、夏希は真っ先にソリスに駆け寄った。
「大丈夫です、夏希様。ちゃんと息はしてますよ」
痛むのか、顔をしかめてはいるが、意外としっかりとした声で、ソリスが言う。
「無理しないで」
味方に死人が出なかったことに安堵しながら、夏希は次に生馬のもとに向かった。背後から、報告する。
「館からの増援はなんとか追い返したわ」
「ご苦労さん。こっちも、なんとか片付いたよ。こいつのおかげでな」
生馬が、視線をセーランに据えたまま言い返す。
「こいつのおかげ?」
頭から大きな疑問符を飛び出させたままで、夏希は続いてリュスメース王女のところに駆け寄った。
「殿下!」
「ありがとうございます、夏希殿」
左右をアンヌッカとリダに支えられたリュスメースが、夏希に笑顔を向けた。
「おかげで助かりましたわ」
「あたいも頑張ったのです!」
ユニヘックヒューマが、褒めてくれといわんばかりに胸を張る。
「はいはい。ユニちゃんもでかしたわよ。……殿下、早急にわたしが責任を持って、殿下をリスオンへとお送りする予定です。準備ができるまで、しばらくお待ちいただけますか?」
「もちろんです」
夏希は一礼すると、再び生馬のところへ走り寄った。
「どうなったの?」
問われた生馬が、相変わらず視線をセーランに据えたまま、経緯を説明してくれる。
「なるほど。雇い主にあくまでも忠実。評判どおりの男ね」
「お褒めの言葉と受け取っておきましょう、竹竿の君」
視線を夏希に当てたセーランが、無表情のまま言う。
「さて。あんたの処分をどうするかだが……ランブーン将軍?」
生馬が、セーランから視線を逸らし、背後に立っていたランブーン将軍を呼ぶ。
「なにかな?」
「セーランをタナシス軍に引き渡した場合、どんな処罰が待ち受けておりますかな?」
「……難しい質問ですな。陛下はこの一件、公けにはしたくないとのご意向ですし……そうなれば、彼を公的に裁くのは無理でしょう。軍籍離脱は重罪ですが、それでも数年間牢に入れば済むこと。叛逆者としての罪に比べれば、はるかに軽い」
「なるほど。実は、彼には恨みがありましてね。しばらく、眼をつぶっていてくれませぬかな? お礼に、今回の王女殿下救出劇、ほとんどが閣下の功績と陛下に報告させていただきますぞ」
「生馬将軍の頼みとあれば、断れませんな」
ランブーンが、にやりと笑った。
「セーラン。俺は、ユッカ市の戦いに参加していた」
セーランに向き直った生馬が、言う。
「あの戦いでユッカ市を焼き払ったのは、お前の作戦の一環だな?」
「そうだ」
生馬の質問に対し、セーランが素直に認める。
「なぜあのような非道な手を使ったのだ?」
「他に方法を思いつきませんでしたのでね。あれが効果的なやり方であったことは、戦果が証明していると思うが」
「効果的だったことは認めざるを得ない。だが、あれはあまりにも非道だ。武人の執る手ではない。いったい、何人の市民が犠牲になったと思う?」
「わたしがオストノフ国王から命じられたのは、憲章条約軍と西部同盟軍に対し大きな打撃を与えることだった。ユッカ市民の命を守ることではない。あくまで、雇い主に従ったまでのこと」
相変わらず表情を変えぬまま、セーランが答える。
「ロボットみたいな奴だな。まあいい。俺は、ユッカの焼け跡で、この報いをお前に受けさせると誓った。故に、お前を斬らねばならない」
静かに言い放った生馬が、すっと愛剣を抜いた。切っ先で、いまだ地面に置かれているセーランの剣を指す。
「剣を拾え。俺と勝負しろ」
……また少年マンガみたいなことを。
夏希は半ば呆れたが、生馬としては無抵抗の相手を斬る気にはなれないのであろう。夏希は用心のために自分の剣をいつでも抜けるように準備した。リュスメース王女の方に視線を送ると、状況を見守っていたアンヌッカとリダも油断なく身構えているのが判った。
その場にいる全員の視線が……カリスにしっかりと見張られている生き残りの護衛剣士を含め……セーランに注がれる。宙に浮かんでわずかに上下運動を繰り返していたコーカラットまでも、静止して事の成り行きを見守っている。
そのセーランが、ゆっくりと首を振った。
「悪いが、断る。わたしは剣の腕に自信がなくてな。先ほど生馬将軍の腕前は、存分に拝見させてもらった。勝ち目のない戦いは、やらない主義なのだ」
「貴様……」
「いや、勝負を断っただけだ。貴殿が報復のためにわたしを斬りたいというのであれば、甘んじて受けよう」
セーランが、言う。その表情は、冷静そのものだ。怯えも畏れも、それどころか怒りも焦りもない。
「喰えない奴だ。たしかに、俺には無抵抗の相手を斬るほどの胆力はない。だが、これで命を永らえられたと思うなよ」
苦々しげに言い放った生馬が、振り返った。
「マーラヴィ。来い」
第百三十六話をお届けします。