135 岩山の麓で
「もうすぐですねぇ~」
夏希の上から、コーカラットののんびりとした声が降ってくる。
高度は五百メートルくらいだろうか。眼下には、物寂しい荒地が広がっていた。灰色の岩山が点在する、ところどころが禿げている草地。庭石をいくつも配した手入れの悪い日本庭園に、ランダムに砕石を撒き散らしたようにも見える。人家はもちろん、道や耕作地などの人の営みを示すものは一切見当たらない。
「イリリア村が見えてきましたぁ~」
コーカラットの触手の一本がすっと伸び、先端が矢印の形となる。その先が、北東方向を指した。……さして大きくない集落である。三十数軒が道沿いに寄り集まり、その郊外に畑地を伴った十数軒が点在している、といった程度だ。総人口は、推定三百名ほどであろうか。
「む、魔物殿。村の東側の道に、なにか見えないか?」
急に、ランブーン将軍がそう言い出した。
「はいぃ~。二十人くらいの人が、早足で歩いていますねぇ~」
「二十人? どんな人たち?」
夏希は眉根を寄せつつそう訊いた。
「全員武装していますねぇ~。ほとんどの人が、槍を持っていますぅ~」
夏希はコーカラットの触手に抱えられたまま、ランブーン将軍と視線を合わせた。
こんな辺鄙なところにいる武装集団。ルバンギィ卿の私兵以外に考えられない。
「コーちゃん。生馬のところに急いで」
「とりあえず、追い詰めたようね」
岩山の麓で対峙する人々を見て、夏希はそう感想を漏らした。
岩山を背に立っているルバンギィ卿とセーラン。そして、緊張した面持ちのリュスメース王女とユニヘックヒューマ。その四人を背に、剣を構えて立ちはだかっている三人……いずれも、ルバンギィ卿の部下。それと相対している、ソリス、生馬、マーラヴィ。その後ろにいるカリス。
「遅かったな」
正面に視線を向けたままで、生馬が言う。
夏希は抜剣しつつ、生馬に歩み寄った。ランブーン将軍とアンヌッカが同様に剣を抜き、リダが愛用の鉈を抜く。
「生馬。ルバンギィ卿の私兵らしき一隊二十名が、イリリア村の東にいるわ。こちらへ向かってる。早いとこ勝負をつけて、逃げ出しましょう」
夏希は生馬のそばに寄ると、そう耳打ちした。味方八人では、二十名を相手にしては勝ち目が薄い。ここは一気に攻めて、ルバンギィ卿ら五名を倒してリュスメースを救出すべきだ。幸い、こちらにはコーカラットとユニヘックヒューマがいる。彼女らに乗せてもらえば、素早い逃走が可能だ。
「だめだ。この三人、かなりの手練だ。広いところにおびき出せれば別だが、ここで戦ったら分が悪い。お前さん方が来てくれたから負けることはないとは思うが、まず確実にこちらに死人が出るぞ」
夏希にだけ聞こえる程度の小声で、生馬が言う。
「じゃ、どうするの?」
「将軍連れて、コーちゃんに乗ってその二十名を追い払ってくれ」
「無茶言わないでよ」
「なんとかハッタリをかませ。そいつらを追い払えるのは、ランブーン将軍とその後ろ盾のエミスト女王様の権威だけだろう。頼むぞ」
「……わかった」
夏希は剣を収めると、ランブーン将軍に合図した。歩きながら、事情を将軍に説明する。
「生馬将軍の意向はわかった。なんとかやってみよう」
コーカラットの触手に巻かれながら、ランブーン将軍が言う。
「じゃ、コーちゃん。イリリア村の東側に急いで」
「わかりましたぁ~」
二人を抱えたまま、コーカラットがふわりと浮き上がる。
「どうなっているのだ?」
ルバンギィ卿が、首をかしげる。
「あの男は、ランブーン将軍ですね。女性の方は、容貌と背の高さからして噂の竹竿の君らしい。女性剣士と高原の民のような少女は、彼女の部下でしょう。将軍と竹竿の君が、魔物に乗ってどこに行ったかですが……」
セーランは、思考をめぐらせながら魔物が飛び去るのを眺めた。高度を上げた魔物は、東の方へと飛んでゆく。
「……館からの増援を、阻止に行ったのですな」
時間的タイミング。飛んで行った方向。それに、ランブーン将軍の存在。そう考えれば、辻褄が合う。
「なるほど、そうか。いや、これはまずいぞ」
ルバンギィ卿が、慌てる。
ルバンギィ卿の私兵は、領地管理の為の雇い人に過ぎない。武装し、領内の司法警察権を行使し、外敵に対しては武力を用いて抵抗することを期待され、なおかつ領主であるルバンギィ卿に対し忠誠を誓ってはいるものの、所詮は館の使用人の一種である。卿に対する忠誠心は、館の料理人や侍女や洗濯女や庭師と、大差はない。ここで剣を構えてルバンギィ卿らを守っている護衛と比べれば、段違いに低いと言える。正規軍の所属であるランブーン将軍に説得されれば、ルバンギィ卿を裏切るどころか、将軍の味方に付きかねない。
セーランは、改めて彼我の戦力を見積もった。わざわざ魔物に乗って現れたということは、竹竿に君の女性部下二人……背の高い女性剣士と、金髪の少女……もそこそこの腕前なのだろう。
実質的に三対六。しかし、他に手はあるまい。
「打って出ましょう」
セーランは決断した。館からの増援が阻止された上に、腕が立つことが判りきっている竹竿の君とランブーン将軍が戻ってきてしまっては、こちらの勝ち目はさらに薄くなる。
低い高度のまま、コーカラットが東へと飛ぶ。
夏希は、脇道の上で倒れている四体の死体を見つけた。事情はよく判らないが、生馬らが倒したのだろう。
さらに東に飛ぶと、眼下は畑地だらけとなった。農作業中の人々が、人間二人を抱えて飛ぶ魔物を見て、驚いている。大きな桶を運んでいた男性が、腰を抜かしたのかひっくり返った拍子に、桶の中に入っていた液体を頭からかぶってしまう。
……水でありますように。
夏希はそっと祈った。もし下肥だったら、悲惨だ。
イリリア村を通り越した夏希は、コーカラットに指示し、ルバンギィ卿の私兵二十名の隊列の鼻先に降ろしてもらうことにした。そのほうが時間が節約できるし、インパクトがある。魔物が夏希らの味方であることを示すのも、こちらに有利に働くだろう。
「では、降りますですぅ~」
すでに、接近する魔物に驚いたのか、私兵たちの隊列は停止していた。何人かは、肩に担いでいた槍を手にして、穂先をこちらに向けている。コーカラットが、その眼前にふわりと浮かび、夏希とランブーン将軍をそっと下ろした。
「……ランブーン将軍!」
先頭にいた隊長らしい風格のある中年男性が、叫ぶように言う。それを聞いた夏希は、安堵した。ランブーンがタナシス正規軍の将軍と名乗っても、信用してくれないのではないかと危惧していたのだ。将軍の顔を知っている者がいる……おそらく南の陸塊への侵攻や、先の戦争に従軍したときに顔を合わせたのだろう……ならば、身分証明の手間が省ける。
「諸君、わたしはタナシス正規軍将軍、ランブーンである。これ以上の前進はまかりならん」
威厳のある声で、ランブーン将軍が言い放った。槍の穂先をこちらに向けていた数名が、慌ててそれを引っ込める。
「失礼ですが将軍閣下。わたしはルバンギィ卿の命令で、お館様を迎えに行かねばならぬのです」
驚きから立ち直った隊長が、言い返した。
「わたしはエミスト女王陛下の特命で動いておる。わたしの言葉は陛下の言葉に等しいと心得てもらいたい」
ランブーン将軍の言葉に、私兵たちの間に動揺が走った。
「よいか、ルバンギィ卿は陛下に逆らう悪人なのだ。お前たちがこれ以上卿の命令に従うならば、お前たちも陛下に逆らう謀反人となろう。死罪を覚悟せよ」
将軍が、無情に言い放った。私兵たちの動揺が、さらに深まる。
……さすが将軍。
夏希は賞賛の視線をランブーンに送った。このまま行けば、私兵たちは前進を諦めて退き返すであろう。領地持ちとは言え、ルバンギィ卿は田舎貴族にしか過ぎない。その私兵が、女王陛下に逆らうことなど無謀極まりない行為である。
「おい、あのでかい女……」
「ああ。あれ、噂に聞く竹竿の君じゃないか?」
隊長の後ろに居並ぶ私兵たちから、そんなつぶやきが聞こえてくる。
「その通りだ。憲章条約軍の名将、ナツキ将軍殿だ」
つぶやきを聞きつけたランブーンが、さっそくそれを利用する。
「ナツキ将軍は、女王陛下から依頼されて、わたしと行動をともにして下さっている。よいか、わたしの指示に従わないとうことは、タナシス王国のみならず憲章条約軍までも敵に回すということになるのだぞ」
憲章条約軍を敵に回す、と聞いて、私兵たちがどよめいた。やはり敗戦のトラウマは大きいのであろう。
……だが。
「閣下のお言葉、信ずるわけには参りませんな。それに、ここはルバンギィ卿の領地。そしてわたしは、卿に忠誠を誓った身。陛下のお言葉よりも、卿のご命令に従いますぞ」
隊長が、ランブーンの眼を見据えて言い返す。その手は、剣の柄を握っていた。……退かねば斬る、といった構えた。
「女王陛下からお預かりした領地であろう。それに、ルバンギィ卿も陛下の臣下の一人に過ぎぬ」
将軍が、ぴしゃりと言い返す。
「問答無用! お退きくだされ! 行くぞ!」
隊長が言って、部下に前進を促しつつ、歩み出す。部下たちも釣られたように歩み出したが、その動きは鈍かった。
「よせ! 皆、あの男に付いて行けば死罪だぞ!」
将軍を身体で跳ね飛ばそうとせんばかりに突っ込んできた隊長を、身を躱して避けながら、ランブーンが叫ぶ。
……もう少しだったのに。
夏希も歩んできた私兵たちを避けながら、唇を噛んだ。私兵の多くは、将軍の説得に応じて引き下がりそうに見えたが、どうやら気の強い隊長に引き摺られているようだ。
「くそ。失敗だ」
隊列を見送りながら、口惜しそうにランブーンが言う。
「他の手を考えましょう。コーちゃん、とりあえず乗せて」
三人の護衛が、一斉に生馬らに斬り掛かる。
生馬は剣道の試合のように、すべての気を相手に集中した。左右はソリスとマーラヴィが固めているし、背後を衝かれる心配もない。新手が現れる気遣いもない。全力を、眼の前の敵に集中できる。
数合剣を交える。
……やはり、強い。
動きも早いし、打ち込みも鋭い。たちまち、生馬は防戦気味となった。
「下がれ!」
生馬は叫んだ。少しばかり後退し、アンヌッカとリダが戦いに参加できる余地を作らねば、こちらに勝ち目はない。
しかし、生馬の指示は間に合わなかった。
「うぉ」
控えめな悲鳴があがる。
ソリスが、脇腹に一太刀浴びせられて、倒れた。護衛が止めを刺そうとしたが、すかさず駆け寄ったリダが大きく鉈を振るい、これを阻止する。
アンヌッカは、押されてたまらず後退したマーラヴィの援護にまわっていた。二人がかりで、なんとか相手を押さえ込もうとしている。
「任せるのです!」
ユニヘックヒューマが、動いた。ステッキが素早く伸び、五メートルくらいの長さとなる。これを使い、棒高跳びの要領で剣戟の上を飛び越えたユニヘックヒューマが、倒れているソリスのそばにすとんと降り立った。手早く『ユニちゃんジュース』をソリスの脇腹に掛けてから、治療を始める。
「お嬢ちゃん、頭引っ込めて!」
カリスが、叫ぶように言った。リダが、暗緑色の布を巻きつけた頭をひょいと下げる。
その上を、銀色のきらめきが二条走った。
投げナイフだ。
不意打ちだったが、やはり護衛の男は手練だった。ナイフの一本を、剣で叩き落す。もう一本は、上体を沈めて躱した。
咄嗟の判断で、リダが愛鉈を投げた。脚を狙った一投だ。くるくると回転しながら、鉈が男のすねを直撃する。運悪く、柄の部分が当たったために大きな痛手とはならなかったが、バランスを崩した男が転びそうになる。
小振りなナイフを抜き放ったリダが、男の懐に飛び込む。その小さな身体を鞠のように丸め、リダが男に体当たりを喰らわせた。たまらず、男が仰け反る。リダもバランスを崩し、片膝を着いた。
男がなんとかバランスを取り戻し、剣を構える。だが、その腹にはリダのナイフが柄まで埋まっていた。
リダが、地面に転がっている愛鉈を取ろうと駆け寄る。男が、そうはさせじと走る。
リダの手が、愛鉈に伸びる。男の剣が、リダを切り裂こうと伸びてくる。
カリスがナイフを投げた。
ナイフが、男の肩に深々と突き刺さる。
剣先が、リダにわずかに届かない位置で止まった。鉈を拾い上げたリダが、低い姿勢から伸び上がるようにして、刃を上向きにした鉈を振り上げる。
鉈の刃が、男の股間から腹部、胸部、そして顎までを、一気に切り裂いた。噴き出した鮮血が、リダを濡らし、真紅に染め上げる。
生馬の相手の剣捌きが鈍った。
同僚の死を知るとともに、側面から攻撃されることを恐れ、守りの態勢に入ったのだ。
……いけるか。
生馬は攻勢に出た。体格は、生馬のほうがはるかに上回る。男は身長百六十五センチ程度。タナシス人男性としては並み以上の背丈だが、生馬から見ればはるかに小柄だ。
生馬の重い打ち込みを受けて、男の動きがさらに鈍る。
生馬の視界に、赤黒い物体が入ってきた。その物体が、手にした鉈で男に斬り付ける。
リダだ。
男が動揺した。鉈は躱したものの、正面で隙が生じる。
生馬は突きを放った。頭で考えたわけではない。生じた隙に対し、もっとも効果的な手段を身体が自動的に選択した、といった攻撃であった。
剣先が、男の左上腕部を浅く切り裂いた。
リダが近接し、さらに鉈を振るう。男が、後退しようとして利き脚を引いた。身体が開いたところへ、生馬も斬り込んだ。
リダの鉈と、生馬の剣が、ほぼ同時に男の肉体に叩きつけられる。鉈によって右手首から先をほぼ失い、剣によって左太腿を骨まで切り裂かれた男が、鮮血を吹きながら仰向けに倒れた。
ルバンギィ卿が、短剣を抜いた。
激闘を慄きの視線で見つめていたリュスメース王女を後ろから抱きかかえるようにして、その細い首筋に剣先を突きつける。
「剣を引け!」
ルバンギィが、怒鳴る。
「……どうされるおつもりですかな」
セーランは、低い声で尋ねた。
「ハッタリをかますだけだ」
吐き捨てるように、ルバンギィが答える。
ルバンギィの声を聞き、死闘は休止状態となっていた。こちらの護衛二人は、絶命かそれに近い状態で地に伏している。生き残った一人は、油断なく剣を構えながら数歩後退した。
敵は五人が残っていた。生馬将軍の剣は、血にまみれている。左方で剣を構えている女性剣士と少年。右方には、先ほどナイフを投げた女性と、鮮血にまみれて鬼気迫る姿の鉈使いの少女。槍使いは倒れているが、死んではいないようだ。
「やめるのです! 殿下を傷つけたら、あたいが容赦しないのです!」
その槍使いを治療していた魔物が、怒ったようにステッキを振り回す。
「魔物殿。あなたが動いても、殿下の命はありませんぞ」
ルバンギィが、脅す。
「退きなさい。こちらの要求は、それだけです」
「よせ。殿下にもしものことがあれば、ルークドルク卿もただでは済まないぞ」
生馬将軍が、そう言ってくる。
「黙りなさい、将軍。殿下が、どうなってもいいのですか?」
ルバンギィが、短剣の切っ先をさらにリュスメースに近づける。
……まず間違いなくハッタリだろうが、リュスメース王女の安全が最優先だ。
「マーラヴィ。夏希とランブーン将軍を呼んできてくれ」
生馬はそう命じた。今ここでルバンギィ卿を説得し、あるいはエミスト女王に代わってなんらかの譲歩を約束できるのは、ランブーンだけであろう。力ずくでいけば、王女が危ない。交渉によって、解決するしか手はあるまい。
生馬は数歩退くと、剣を納めた。視線でアンヌッカとリダ、それにカリスに警戒を続けるように合図すると、倒れているソリスの傍らに膝を着く。
「申し訳ありません、生馬様」
ソリスが、意外にしっかりした声で謝った。
「長い傷ですが、深くはなく、命に別状はないのです! 内臓も傷ついていないのです! 完璧に縫ってあげたのです! しばらくは、安静が必要なのです!」
ユニヘックヒューマが、そう報告する。
「ありがとう、ユニちゃん。ソリス、気にするな。とりあえず、寝ていろ」
部下の肩をそっと叩いて労った生馬は、立ち上がると東方を見やった。
……頼むぞ、夏希。ソリスが戦えない状態で、二十名と戦うのは無理だからな。
第百三十五話をお届けします。




