132 女の子の匂い
「なかなか見つかりませんねぇ~」
「気長に探すのです! 時間はあるのです!」
コーカラットの愚痴めいた言葉を聞いて、ユニヘックヒューマが励ますように言う。
二匹の魔物は、ディディウニ州東部の山岳地帯上空を飛行していた。いや、正確には、飛んでいるのはコーカラットだけで、ユニヘックヒューマは触手の一本を左手で掴んでぶら下がっているだけだが。右手にはもちろん、例のステッキが握られている。
山地上空らしく、空気は澄んでおり、凍えそうなほど冷たかった。むろん二匹とも、それを不快に感じたりすることはない。
「お、街道上に旅人一名発見なのです! 行くのです!」
「はいぃ~」
ユニヘックヒューマの指示を受け、コーカラットが急降下を開始する。空から街道沿いを探し、歩いている人や沿道で作業中の人を見つけては、リュスメースを見かけなかったか、と尋ねるのがこの二匹が採っている捜索方法であった。
コーカラットが十分に高度を落としたところで、左手を離したユニヘックヒューマがぴょんと街道上に飛び降りる。ステッキを小脇に挟むと、ユニヘックヒューマは二匹の姿を見て硬直している旅人に向けてすたすたと近付いていった。コーカラットは、その場で滞空したままだ。……驚いて逃げられないための工夫である。ユニヘックヒューマは異形とは言え、一応二腕二肢で直立歩行するし、服も着ている。生首型水母もどきのコーカラットよりは、まだしも人間に似ていると言える。
「旅のお方! ちょっとお尋ねしたいことがあるのです!」
礼儀正しくぴょこんと一礼してから、ユニヘックヒューマは口を開いた。旅装姿の若い男性は、ユニヘックヒューマとコーカラットの姿を交互に見やっては、口をぱくぱくと開閉している。何か言いたいのに、言葉が出てこない風である。
「安心するのです! 魔物はみだりに人間に危害を加えたりしないのです!」
「そ、それは知ってるが、魔物なんて、生まれて初めて見た……」
ようやく、旅人が言葉を発した。
「何事にも、初めてというものはあるのです! ちょっと伺いますが、十五歳の小柄な少女を連れて東へと向かっている一行を見かけませんでしたか!」
「いや、見てないが」
旅人が、首を激しく振りつつ言う。
「そうですか! では、失礼するのです!」
再び一礼したユニヘックヒューマが、すっと左腕を上げる。音もなく背後から飛んできたコーカラットの触手の一本を、その手が掴んだ。旅人の眼前から、ユニヘックヒューマの姿がかき消したようにいなくなる。
ぐんぐんと、コーカラットが高度を上げる。その下にぶら下がっているユニヘックヒューマが、旅人に向けて別れを惜しむかのようにステッキを振った。旅人は、ぽかんと口を開けたまま、二匹の魔物の姿が青空に溶け込んで見えなくなるまで、それを見送っていた。
堂々たる隊列であった。
ランブーン将軍率いる『停戦監視団護衛大隊』のタナシス正規軍五百名。停戦監視団の東部出張分遣隊……拓海以下生馬、夏希ら十二名。全長百五十メートルを越える隊列が、中央山脈南嶺を越える曲がりくねった峠道を登ってゆく。
すでに高木限界を超えた高度なので、周囲に森林はなく、代わってハイマツのような低木針葉樹の塊と分厚い葉を持った草本の群落が、灰色の山肌のそこかしこに見られる程度だ。当然人家などもなかったが、街道自体はわりときれいに整備されており、水場などには差し掛け小屋程度ではあったが休息できる場所なども設けられていた。
「箱根越えの大名行列並みだな」
後方に続くタナシス軍兵士の群れを肩越しに見やりながら、拓海が言う。
「五百人越えとなると、大大名クラスだな」
寒風避けにまとっているマントがやけに似合っている生馬が、にやりと笑った。
「大大名って言うと、百万石のあの藩とか?」
金沢土産の饅頭の味をかすかに思い出しながら、夏希はそう訊いた。
「いやいや。公的には、十万石以上の大名を大大名と言うんだ。五万石から十万石が中大名。五万石以下は小大名。ちなみに大名を名乗れるのは石高一万石以上。それ以下は旗本になる」
武家ネタには詳しい生馬が、ざっと説明してくれる。
「五百名程度というと、それほど江戸から離れていない大大名だな。会津藩ってとこか」
「会津じゃ箱根は越えないでしょう」
拓海の例えに、夏希はそう突っ込みを入れた。
「それもそうだ。……じゃあ、彦根藩くらいかな」
「あそこは三十万石に達したからな。もう少し派手だったんじゃないか」
生馬がすかさず口を挟む。
「そうだったか?」
「ひこにゃん……もとい、直孝の代に何度か加増されて、三十万石に達してるはずだ。幕末に、直弼が暗殺されたあとで、その専横が糾弾されて減封されてるが」
「桜田門外の変、ってやつね。しかしよく覚えてるわね。藩の石高なんて」
日本史の授業を思い出しつつ、半ば呆れ気味に、夏希は生馬を見やった。慌てて、拓海が口を挟む。
「よせよせ。こいつにその手の話をさせると、きりがないぞ。いつだったか、山中鹿介ネタで六時間喋られたことがあったからな」
「ああ、あの時か。たしか途中で邪魔が入って信貴山城のところまでしか喋れなかったかんじゃなかったか? 良かったら、続きを話そうか?」
「遠慮します」
「結構です」
夏希は拓海とともに被りを振った。ただでさえきつい上り坂なのに、生馬に得意げに語り続けられても、疲労が増すだけであろう。
「旅人発見なのです!」
コーカラットの触手にぶら下がるユニヘックヒューマが、ステッキで前下方を指す。
「商人さんのご一行のようですねぇ~」
コーカラットが、高度を落としながら言う。
二人の旅人が、荷物を積んだ小さな荷車を引いている。荷車の後ろには、押し役が二人。さらにその前方に、徒歩の男性が二人。
後方の二人が、ほぼ同時に低空に舞い降りたコーカラットに気付く。声が掛かったらしく、荷車に取り付いていた四人の動きも止まった。ユニヘックヒューマが、ぴょんと街道上に飛び降りる。例によってステッキを小脇に挟むと、ユニヘックヒューマはすたすたと一行に近付いていった。
荷車に取り付いていた四人は、いずれも若く逞しい男性だった。徒歩のうち一人は鼻の下に髭を蓄えた中年男で、額までも隠す大きな帽子を被っている。もう一人は若く、浅黒い肌をした金髪の男性だ。腰には、軽量細身の剣を下げている。
商人とその護衛、それに商品を積んだ荷車と四人の使用人、といった風情である。
「旅のお方! ちょっとお尋ねしたいことがあるのです!」
きちんと頭を下げてから、ユニヘックヒューマはそう切り出した。
「魔物か?」
商人を守るかのように半歩踏み出した護衛が、問う。
「そうなのです! しかしご安心を! 魔物はみだりに人間に危害を加えるようなことはしないのです! 今は人探しをしているのです!」
「人探し……?」
商人の方が、ちらりと後方に視線を送った。不安げな眼差しだったが、魔物であるユニヘックヒューマはそこまでは気付かない。
「そうなのです! 十五歳くらいの小柄な少女を探しているのです! 黒目黒髪で痩せています! 東へ向かう旅人と一緒にいると思われるのです! ご存知ありませんか?」
「知りませんな。お役に立てないようです、魔物殿」
慇懃に、護衛が答える。
「そうですか! お邪魔したのです! ……おや、コーちゃんどうかしましたか?」
辞去しようとしたユニヘックヒューマは、背後からコーカラットがかなりの速度で近くいてきたのを察知し、振り向いた。
「気になる匂いがするのですぅ~」
ユニヘックヒューマの隣で停止したコーカラットが、触手をゆらゆらと揺らす。その姿に、相対している六人の男性が一斉に警戒の色を浮かべた。
「気になる匂いとは、なんですか?」
「女の子の匂いがするのですぅ~。どう見ても、この方々は全員男性なのですぅ~。女の子の匂いがするのはおかしいのですぅ~」
コーカラットの言葉に、商人と護衛が素早く視線を合わせる。
「そ、それはこういうことなのだ、魔物殿」
あからさまに慌てた口調で、商人が言い訳を始めた。
「わたしは香料も扱っている。中には、女性が化粧に使うような物もある。たぶん、荷物からその匂いが漂っているのだろう」
「そうなのですかぁ~。でも、この匂いは女の子そのものの匂いで、香料の匂いではありませんよぉ~」
そう言いながら、コーカラットが荷車にふわふわと近付いた。
「ちょっと、魔物殿。わたしの商品をどうしようというつもりなのです!」
商人が、声を荒げる。
「ちょっと、確認するだけなのですぅ~」
コーカラットが、荷車の至近に達する。四人の使用人が、それ以上近付くのを阻止しようと前に出たが、その前にユニヘックヒューマが動いた。するするっとステッキが伸び、四人の前方を塞ぐ。さながら、踏み切りの遮断機の虎縞ポールに歩行者が阻まれたような感じで、使用人たちの動きが止まる。
「失礼しますですぅ~」
コーカラットが、触手の一本を荷車の中央部に立てて縛り付けてある大きな樽に伸ばした。極細にした先端が、樽の中に入り込む。
「中に誰か入っていますねえぇ~。体温を感じるのですぅ~」
触手を抜いたコーカラットは、その先を口の中に突っ込んだ。
「この味は、リュスメース殿下の味ですねぇ~。樽の中に、リュスメース殿下がいらっしゃることは、間違いないのですぅ~」
「セーラン! どうする?」
慌てた表情で、商人に変装したルバンギィ……ルークドルク卿の側近の一人……がセーランに詰め寄る。
「魔物相手に戦っても無駄です。ここは、諦めるしかないですな」
相変わらずの感情のこもらぬ口調で、セーランは応じた。
「しかし……」
「大丈夫です。魔物は人間同士の争いには介入できません。リュスメース王女の奪回など、しませんよ」
「そうだろうか……」
ルバンギィが、心配げに荷車の方を見やる。
セーランは、前に進み出た。ユニヘックヒューマと睨み合っている四人……ルバンギィの部下……を手で制し、コーカラットを見据える。
「いかにも。樽の中にいらっしゃるのは、リュスメース殿下だ。で、どうなさるおつもりかな、魔物殿?」
「わたくし、夏希様よりリュスメース殿下宛にお手紙を持ってきたのですぅ~。お渡しするために、樽から殿下を出してさし上げて欲しいのですがぁ~」
「手紙だと?」
ルバンギィが、口を挟む。
「構いませんね? よし、お出ししてさし上げろ」
セーランは、一応ルバンギィの意向を確認してから、そう四人の男性に命じた。魔物に逆らっても、無駄である。
樽の蓋が外される。すぐに、中からリュスメース王女が勢いよく飛び出した。……夏希や拓海がいれば、ト○ーのロングセラー玩具を連想したであろう光景である。
「コーちゃん!」
リュスメースが、コーカラットに抱き付く。
「お久しぶりなのです、リュスメース殿下ぁ~。その後、お加減はいかがですかぁ~」
執刀医らしく、コーカラットがまず健康状態について尋ねる。
「リュスメース殿下! 始めまして! あたいはユニヘックヒューマなのです! コーちゃんのお友達なのです!」
すかさず、ユニヘックヒューマが自己紹介する。
リュスメースが落ち着いたところで、コーカラットがボディの下に触手を突っ込み、夏希から託された手紙を取り出した。受け取ったリュスメースが、それを丹念に読む。
「あー、魔物殿。何が書いてあるんだ?」
遠慮がちに、ルバンギィが訊く。
「わたくしも中身までは存じ上げないのですぅ~。しかしながら、いずれにしろ信書の秘密は守られねばならないのですぅ~」
「女の子同士がやり取りするお手紙の中身を知りたいなど、変態行為なのです! いけないことなのです!」
二匹の魔物にやり込められて、すごすごとルバンギィが引っ込む。
「それでは、お返事をしたためていただきたいのですぅ~」
二度読み返したリュスメースに、コーカラットが体内物入れから出した筆記用具を渡す。
「これをお使い下さい!」
ユニヘックヒューマが、ステッキを地面に突き刺した。それが変形し、小さな書見台のような形となる。
「何とかならんのか、セーラン」
それらを苦々しげに見守りながら、ルバンギィが訊く。
「こちらの位置が露見するのは避けようがないですね。ですから、このままスルメ公国内に行くのは危険すぎます。あの空を飛ぶ魔物は、南の陸塊平原地帯の小国、ジンベルのエイラという巫女に仕えている奴です」
「瀕死のリュスメースを救った魔物だな。話は聞いている」
「つまり、あの魔物は憲章条約側と繋がっている。おそらくは、エミスト女王が憲章条約側に助力を求めたのでしょう。先ほど魔物の口から、夏希様……竹竿の君の名前も出ましたしね。このままスルメ公国を目指せば、憲章条約の罠に嵌りにいくようなものです」
「では、どうすれば……」
「あの魔物たちが去ってから、善後策を協議しましょう」
「では、お預かりしますですぅ~」
コーカラットが、書き上がった返書をしまい込む。
「念のために、夏希様のお手紙は処分した方がいいのです!」
書見台をステッキに戻したユニヘックヒューマが、そう進言する。
「そうね。燃やしましょうか」
リュスメースが、いったん懐にしまった夏希からの手紙を取り出した。
「処分なら任せるのです!」
ユニヘックヒューマが、リュスメースから手紙を受け取った。そしてそれを口に突っ込み、むしゃむしゃと咀嚼する。
「では、わたくしはこれで失礼しますぅ~。お返事は可及的速やかに夏希様の元へ届けますぅ~」
コーカラットが、ぺこりとボディを前に傾けた。手を振るリュスメースに触手を振り返してから、高度と速度を上げつつ西方へと飛び去る。
「やれやれ。やっと行ってくれたか」
ルバンギィがほっと息をつき……当たり前のようにリュスメースの傍らに突っ立ち、あまつさえ手まで握っているユニヘックヒューマを見て、目を剥く。
「ま、魔物殿。なぜ帰らないのです?」
「あたいは、しばらくリュスメース殿下と一緒にいるのです!」
ステッキを振り、嬉しそうにユニヘックヒューマが宣言する。
「あたいは殿下のお友達になったのです!」
「セーラン!」
ルバンギィが、助けを求める眼でセーランを見た。
「どうしようもないですな。まあ、王女に危害を加えようとしない限り、魔物もこちらの邪魔はしないでしょう。急いで移動しましょう。荷車は捨てていきます」
「王女を歩かせるのか?」
「無論です。いざとなれば、あの魔物に背負わせましょう。それくらい、できるはずです」
「で、どこへ向かうのかね?」
やや落ち着いたのか、考え深げな表情になったルバンギィが、髭に手をやりながら訊く。
「ルークドルク卿の勢力圏内です。その中でも、一定の信頼できる戦力が得られるところ。そこに王女と共に立てこもれば、エミスト女王も憲章条約も簡単に手出しはできないはず」
「具体的に、どこだ?」
ルバンギィの問いに、セーランが珍しくわずかに笑みを見せる。
「お忘れですかな、グルシーの手前に、貴殿の領地があることを」
第百三十二話をお届けします。