131 航空郵便
エミスト女王解放を知ったルークドルク卿の対応は素早かった。
夏希が昼前になってようやく起き出した頃には、すでにリスオン市内にはルークドルク卿が部下を引き連れて慌しく王都を去った、という噂が流れていた。しばらく動静不明だったので、病に倒れたのではないかと噂されていたシェラエズ王女が、元気な姿を市民の前に見せた、という噂も、伝わってくる。
「エミストとシェラエズは、ルークドルク卿の逃亡を阻止しなかったのね。リュスメース王女を無事返してくれれば、穏便にことを済ませるという、明白なメッセージだわ」
遅い朝食を拓海と生馬と共にしながら、夏希はそう言った。
「だろうな。とりあえずリュスメースという切り札をルークドルクが後生大事に抱えている限り、女王様も無茶はできん」
無醗酵パンを小さく千切りつつ、拓海が言う。
「リュスメースの行方に関し、手掛かりとかはまだないのか?」
二日酔いらしく、珍しく食欲のなさそうな様子で先ほどから熱いスープばかり啜っている生馬が、訊く。
「ないみたいだな。まあ、ルークドルクは馬鹿じゃない。二枚の切り札を同じところに置いておくようなことはしてないだろう。リュスメースは王都から離れたところに監禁してあるだろうな。俺だったら、絶対にリスオン州内には置いてないよ」
「当然ね」
拓海の意見に、夏希は同調した。
その翌日、夏希、生馬、拓海の三人は、タナシス王宮へ客人として招かれた。
一張羅に着替えた夏希は、アンヌッカを伴い、迎えに来たタナシスの役人と兵士の一団に囲まれて街路を歩いた。同じように華美な服を身にまとった生馬と拓海……ふたりともあまり似合っていない……は、それぞれソリスとリダを従えている。
王宮に着いた三人は、すぐに奥まったところにある一室に招じ入れられた。待ち受けていたのは、エミスト女王とシェラエズ王女、それにいかにも軍人らしい雰囲気を発散している、どこかで見た覚えのある中年男性だった。数秒間頭の中で首をひねった夏希は、すぐに名前と肩書きを思い出した。ランブーン将軍。かつてタナシスが南の陸塊に侵攻した時に、シェラエズ王女の補佐をしていた軍人である。シェラエズと共に降伏し捕虜になった折に、顔を合わせたことがある。
エミスト女王に楽にするように言われ、夏希らは大きな角テーブルの一辺に並んで腰を掛けた。女官が二人入室し、反対側に掛けたタナシス人三人と客人三人に、お茶を注いでまわる。謁見の間ではなく、居間のような雰囲気の小部屋を使ったのは、気の置けない話し合いの場を設けたいというエミスト女王の意図と気遣いなのだろう。
「まず、最新の情報からお伝えしよう」
エミストのさりげない合図を受けて、シェラエズが口を開く。
ルークドルク卿の一派は、王都リスオンから完全に駆逐された。ほとんどの者は自主的に逃亡したが、一部の者はシェラエズの手配によりさまざまな容疑で捕縛、さらに少数がルークドルク卿を見限って赦免を条件に寝返ってきたという。
ルークドルク卿の行方は不明。ただし、情報では地元であるディディサク州に向かった可能性が高い。
リュスメース王女の正確な所在もつかめていない。
「捕縛した者および寝返った者……この中には数名の高位貴族も含まれるが……から得た情報で、ルークドルク卿がリュスメースをどう利用しようとしているかが判明した」
どちらかと言えば淡々とした口調で、シェラエズが続ける。
「ルークドルクは、新国家の元首にリュスメースを就けようと画策していたようなのだ。むろん、傀儡としてだろうが。形式的にでも、元首同士が血の繋がった国家……文字通りの姉妹国家だな……となれば、表立って対立するわけにはいかなくなるからな。憲章条約に対しても、タナシス王国から平和的に分離独立した国家と見てもらえる可能性が高くなる」
「なるほど、考えましたな。いや、話の腰を折って失礼」
おもわず口を挟んでしまった拓海が、シェラエズに謝る。
「お気になさらず、拓海殿。これは、気の置けない対話の場ですから」
エミスト女王が、例の慈母じみた笑顔を拓海に向ける。
「それと、リュスメースの居場所についての情報も入手した。どうやら、ディディウニ州内に監禁されていたらしい」
ディディウニは、リスオン州の北にある州で、山岳地帯を隔ててルークドルク卿の地元であるディディサク、ディディリア州と接している。
「そして、これは確実な情報だが……ルークドルクはこちらがリュスメース奪還に乗り出すことを危惧し、その身柄をスルメ王国内へと移送するよう命令を出した、ということだ」
「スルメ王国、ですか」
夏希は驚いて聞き返した。言うまでもなく、新生タナシスの国外である。
「そうだ。詳しい場所は定かではないが、スルメ王国内というのは、間違いない」
「カートゥール代表の、お膝元ですな」
生馬が、顔をしかめて言う。
「その通り。やはり、両者は繋がっているものと思われる」
シェラエズが、断言する。
「そこで、みなさんに協力していただきたいのです」
エミスト女王が、話を引き取った。
「リュスメースが国外へ出てしまえば、現在のタナシス王国には手も足も出せません。先手を打って、スルメ王国の国境を固め、リュスメースの入国を阻止していただきたい。もちろん、奪回していただければ、さらにありがたいです」
「お言葉ですが、難しいですね、それは。スルメ王国は独立国です。憲章条約総会の権限を以ってしても、内政に干渉することはできませんし、ましてや国境警備に口を出すことは難しいかと。アノルチャにいる兵力をまわすにしても、スルメ王国政府の同意がなければ国内へ足を踏み入れることさえ困難です。無論、全面的にご協力したいのですが」
深刻そうな表情で、拓海が言う。
「やはりそうですか。ならば、みなさんに直接動いてもらうしかありませんね」
少しばかり狡いような笑みを見せて、シェラエズが言う。
「どういうことでしょうか?」
生馬が、不審げに問う。
「現在、わがタナシスは停戦条約下にあります」
シェラエズが、噛んで含めるように言う。
「したがって、治安維持その他の必要なない限り、正規軍を動かすことは条約違反となります。これは、司法警察部隊にも準用されます。そして、ルークドルク卿の悪事はいまだ表立ってはいないし、これからも公表の予定はない。だから、リュスメースの捜索と奪還に、正規軍を使用することは不可能だし、司法警察部隊も大規模に動かすことはできない。今現在、タナシス国内で自由に動ける武装集団は、停戦監視団がその任務遂行のために必要に応じて直接指揮する小規模な部隊しかない。というわけなのだ」
「はあ」
夏希は気の抜けた相槌をうった。どうも、話がよく見えない。
「そこで、本日早朝に特別命令を出しました」
エミストが、言った。
「国内情勢に鑑み、停戦監視団を護衛するために新たに一個団の正規軍を派遣する。同部隊は、停戦監視団長の指揮下に入るものとする。タナシス側の指揮官は、ランブーン将軍を任命する」
名前の出たランブーンが、夏希ら三人に対し一礼する。
「つまり、一個団五百名の兵力を預けるから、リュスメース殿下を捜索してくれ、ということですか?」
「その通りです。停戦条約を遵守する限り、我々には手が出ませんから」
生馬の問いに、エミストがしれっとした表情で答える。
「ルークドルク卿の勢力圏内で、正規軍が動いても妨害にあうだけでしょう。しかし、停戦監視団の行動の一環として動けば、その心配もありません。ルークドルクは、憲章条約を敵に回す気はないようですし」
シェラエズが、付け加える。
「協力するしかなさそうだな」
拓海が、夏希と生馬を見て言った。
「協力するのは吝かではありませんが……よい結果が出せるとお約束はできませんよ?」
夏希はそう釘を刺した。
「厄介な話になったわね」
地図を見ながら、夏希は愚痴った。
むろん、ルークドルク卿の企みは粉砕せねばならない。拓海の読みどおり、ルークドルク卿とカートゥール代表が裏でつるんでいたならば、最悪の場合は北の陸塊に旧レムコ同盟国家とディディリア、ディディサク両州を合わせた巨大な連合国家が出現する可能性がある。その国家の性格がいかに平和的であろうとも、これは憲章条約が目指す北の陸塊の国際政治秩序とは到底相容れない状況となる。
「ともかく、情報どおりリュスメースがディディウニ州にいたのならば、スルメ王国へ行くにはディディサクないしディディリア州内を通過するしかない。両州の州境あたりを南東に向け進むのが、近道だな。こちらは王都から東進し、中央山脈南嶺を越えてディディリアに出て、河川を利用すれば先回りできる可能性が高い」
地図を指し示しながら、拓海が説明する。
「先回りできたとしても、見つけ出すのは至難の業ね」
夏希は頭を抱えた。度胸はあるとは言え、リュスメースは小柄な少女に過ぎない。武装した大人が二名もいれば、連れ歩くことは可能だろう。そのような少人数の旅人など、山ほどいるはずだ。
「失礼します」
と、アンヌッカが戸口に姿を見せた。
「エイラ様とサーイェナ様がお見えです。お通ししてもよろしいでしょうか?」
「エイラとサーイェナ? 今頃はマリ・ハじゃないのか?」
生馬が、不審そうな表情でそう口にする。
「とりあえず、お通しして」
夏希も不審を覚えつつそうアンヌッカに指示した。
「ご無沙汰しております、夏希殿、拓海殿、生馬殿」
食堂に現れたのは、いつもの白い装束のエイラであった。蒼い装束のサーイェナが続き、同じように丁寧に挨拶する。続いて、ステッキを嬉しそうにぶんぶんと振り回しながらユニヘックヒューマが、そして例によってふわふわと飛びながら、コーカラットが入ってくる。
「エミストの親書を持って、マリ・ハに行ったんじゃないの?」
拓海と生馬が手早く持ってきた椅子に二人の巫女が座ったところで、夏希はそう訊ねた。
「人間界縮退が停止したとの報せを聞いて、急いで引き返してきたのです。停止自体は喜ばしいことですが、これが新たな展開の前触れで、事態がより悪化する可能性も捨て切れませんから。親書は、とりあえず総会に託しておきました。……まあ、あれから情勢が急変しましたから、内容も陳腐化してしまっていましたけれども」
サーイェナが、言う。夏希はうなずいた。二人の巫女がエミスト……当時はまだ女王ではなく王女であった……の親書を託されたのは、セーラン将軍との丘での一戦のあとのこと。それ以後、オストノフ国王暗殺、エミストの即位、停戦の成立、そして、公にはなっていないがルークドルク卿の行動などがあり、タナシス王国との関係は激変している。
「ナイスなタイミングだな。コーちゃんに手伝ってもらえば、空からリュスメースを探せるぞ。エイラ殿、コーカラットをしばらく貸してもらえませんか?」
手を打って喜んだ拓海が、そう頼み込む。
「お貸しするのは構いませんが……どういうことですの?」
エイラが、首を傾げる。
拓海と生馬が、状況をざっと二人の巫女に説明した。
「なるほど。そのような事態であれば、構いませんが……」
そう言ったエイラが、背後で浮いているコーカラットを振り向く。
「わたくし、リュスメース様とは懇意なので、お助けしたいのはやまやまなのですぅ~」
触手を振りながら、コーカラットが言う。
「しかしながら、お話から察しますに、リュスメース様を探し出すという行為は、人間同士の争いに介入しないとの魔物の方針に抵触すると思うのですぅ~。わたくしには、できないのですぅ~」
「そうだった。忘れてたぜ」
拓海が、頭を抱えた。
「うーん、そうかぁ」
夏希も頭を抱えた。空から探す、という拓海のアイデアは良かったのだが、魔物の掟に反するというのであれば無理な話である。
「便利なんだけどなあ、コーちゃん」
夏希は思い起こした。抱えて空を飛んでもらったり、高速を活かして遠方まで連れて行ってもらったり、秘かに手紙を運んでもらったり、傷の手当をしてもらったり……。
待てよ。
「閃いた」
夏希は、素早くコーカラットに向き直った。
「ねえ、コーちゃん。リュスメース王女に、お手紙を届けてくれないかしら。それだけならば、魔物の掟に触れないでしょ?」
「それでしたら、問題ないと思いますぅ~」
「ついでに、お返事ももらってきてくれる?」
「はいぃ~」
役に立てることが嬉しいのか、楽しそうにコーカラットが触手を振る。
「なるほど、手紙の配達にかこつけて探させようというのか。やるな、夏希」
生馬が、夏希に向けて親指を立ててみせる。
「で、コーちゃん。今リュスメース王女は旅行中で、どこにいるかわからないのよ。だいたい、この辺りだと思うんだけど」
夏希は、地図でディディウニ州の東半分と、中央山脈北東嶺の南側を指し示した。
「ずいぶん、広いですねぇ~」
「どう? 見つけられそう?」
「ちょっとお時間が掛かりそうですが、大丈夫だと思いますぅ~」
コーカラットが、請合う。
「よし、俺たちも時間節約のためにディディリアに向かおう。コーちゃん、悪いが返事は俺たちに直接届けてくれ。この辺りを東へと向かっているはずだから」
拓海が、リスオンとディディリア州内を結ぶ山脈越えの街道を指差す。
「承知いたしましたぁ~」
「あたいも、お役に立ちたいのです! サーイェナ様、よろしいですか!」
ユニヘックヒューマが、主に向かい許可を求めた。
「もちろん結構です」
即座に、サーイェナが承認する。
「ということなので、あたいもコーちゃんと一緒に行くのです!」
「お前さんが行っても、役に立たないんじゃないのか?」
生馬が腰をかがめ、指でユニヘックヒューマのおでこをちょんと突く。
「そんなことはないのです! あたいは優秀なのです! 役に立つのです!」
ステッキをぶんぶんと振り回して、ユニヘックヒューマが抗議する。
「あ、そうだ。コーちゃんにリュスメースの護衛を頼みましょうよ」
夏希はそう提案した。ただ単に傍らにいるだけであれば、人間同士の争いに介入したことにはならないはずだ。
「それはいい考えですぅ~。ユニちゃん、リュスメース様はわたくしの患者のひとりなのですぅ~。お友達になってあげてくださいぃ~」
「もちろんです! 友達の友達は皆友達なのです! リュスメース様とあたいはすでに友達なのです!」
すっかりやる気になったユニヘックヒューマが、ぴょんぴょんと飛び跳ねる。
「よし。夏希、エイラ殿とサーイェナ殿に手伝ってもらって手紙を書いてくれ。生馬、あんたは旅支度と同行者の人選を。俺はディディリアで停戦監視の仕事をでっち上げて、事務手続きをしておく。ランブーン将軍への連絡も、俺がやっておくよ。コーちゃんにユニちゃん、手紙が書きあがったら、そいつを持ってさっそく出発してくれ。頼んだぞ」
「お任せ下さいぃ~」
「あたいがいれば大丈夫なのです!」
二匹の魔物が、触手とステッキを振りながら応える。
第百三十一話をお届けします。