129 下準備と偽装
「こちらへどうぞ、殿下」
扉を開けた生馬が、シェラエズを食堂へ招じ入れる。
シェラエズの装束は、かなり怪しげだった。ファンタジー映画に出てくる魔女か悪の魔法使いが記号的表現として着ているような、黒っぽいフード付きローブをまとっている。足元は革製のごついブーツ。老女を装っていたのか、手には細い杖を握っている。
生馬が、扉を閉めた。廊下には、用心のために武装したソリスとマーラヴィが立哨している。ちなみに、厨房へ通じる扉の外には、同じようにアンヌッカとリダが立哨していた。
「会っていただけて深く礼を言う。拓海殿、生馬殿、それに、夏希殿」
フードを取ったシェラエズが、異世界人三人に軽く頭を下げる。
「お掛け下さい、殿下」
相変わらず女性には親切な拓海が、椅子を引く。シェラエズが、目礼して腰掛けた。その対面に拓海が、その隣に生馬が腰掛ける。夏希は手早く用意してあったお茶を出すと、シェラエズの隣に腰掛けた。
「それで、御用の向きはなんでしょうか?」
湯気の立つカップを前に、拓海が問いかける。
「まず、現在の王宮の異常事態について、説明させてもらおう」
シェラエズが、ルークドルク卿の企み……新国家樹立への動きと、エミスト女王とリュスメース王女の現状、それに自身が身を隠している事情など、縷々説明を始める。
「なるほど。それで王宮近衛隊がそっくり入れ替わっていたんですな。女王陛下が、拓海との会見で新国家に関して言及したのも、それが原因ですか」
深刻な表情で話を聞いていた生馬が、深くうなずく。
「正直に言えば、ルークドルク卿は憲章条約に敵対する意図は持っていない。一見すると、卿の企ては憲章条約の潜在的脅威といえるタナシスの国力を削ぎ、北の陸塊に信頼の置ける同盟国を持つ好機だと、思われるかもしれない」
真摯な表情でシェラエズが続ける。
「しかしながら、これを許してはいけない。もしルークドルク卿の新国家が遅滞なく成立すれば、中小の貴族領も独立を志向するだろう。わがタナシス王家に、それを抑えるだけの力はもはやない。タナシス王国は分裂し、各所で各種権益や領界をめぐって紛争が頻発するだろう。武力により、他国を取り込もうとする輩も出てくるに違いない。これを放置すれば、タナシス王国領は疲弊し、いずれ反憲章条約勢力を生み出す温床となるであろう。今の憲章条約の力を以ってしても、武力による介入は手に余るはずだ。違うかな?」
「仰るとおりですな」
拓海が、うなずく。夏希もうなずいた。戦争は単に終わらせただけでは意味がない。次の戦争を回避する形で終わらせなければならないのだ。第一次世界大戦はこれを怠ったがために、より大規模かつ長期に渡った第二次世界大戦を引き起こす羽目になった。その反省が活きたおかげで、第三次世界大戦はいまだ起きていない。そしておそらく、第三次世界大戦が生起するとすれば、それは第二次世界大戦の結果に起因するものではなく、戦後に生じた政治的変革の結果もたらされた政治勢力が引き起こすものとなるであろう。たとえば、1949年に建国した某人民共和国が暴走して合衆国と戦端を開く、とか。
「どうだろう。ルークドルク卿の企てを阻止する手伝いを、してはもらえないだろうか」
シェラエズが、居並ぶ三人の異世界人を順繰りに見る。
真っ先に口を開いたのは、生馬だった。
「ルークドルク卿の政治的意図はともかく、エミスト陛下やリュスメース殿下を人質に取るというやり方は卑劣すぎます。こんな男に国家を作らせるなど、許せるものではありません。だろ?」
生馬が、意見を求めて拓海を見やる。
「ルークドルク卿の行為は、明らかに停戦条件違反ですから、憲章条約としてはこれを支持するわけにはいきません。タナシス王家の権威を擁護することは、憲章条約の利益にも繋がります。我々としては、殿下のお考えを支持し、これを援助することは吝かではありません」
「わたしも、そう思うわ」
夏希はそう言った。法的にも、道義的にも、ルークドルク卿の振る舞いは問題があり過ぎる。
「ありがとう。では、具体的な話に入ろう。実は、明日あたり王宮から姉上を救出するつもりなのだ。それを、手伝っていただきたい」
笑顔になったシェラエズが、明るい口調でそう言い出す。
「救出作戦ですか。……わたしたちに、何をしろと?」
夏希は内心首をひねりつつ訊いた。
「うむ。人手が足りぬのでな。十人ばかり、腕の立つ者を貸していただきたい」
「腕の立つ者……。殿下の部下に、大勢いらっしゃるでしょうに」
怪訝そうな表情で、生馬が問う。
「わたしが身を隠している事情は、先ほど話したとおりだ。立ち回りそうな先は、すべてルークドルク卿の手先が見張っている。部下の手を借りようとすれば、捕縛されかねないし、救出の企みを察知されるおそれがある。さしもの卿も、わたしがそなたらに助力を仰ごうとは予想していないようなのでな」
「腕の立つものを十人ですか……。ご用立てできないことはないですが、いささか少なすぎるのでは? 殿下が用意できる方は何人ほどですかな?」
生馬が、訊く。
「わたしと、今行動を共にしている護衛が二人。それに、昔わたしの警護役だった男の四人。多くは必要ないのだ。王宮に、秘かに忍び込む手立てがあるのでな。小競り合いを制するだけの人数がいれば充分。数が多いと、却って脱出の時に手間取ることになる」
「それにしても少ないですな。一昨日王宮を訪問した折に見た限りでは、警備の人員が削減されたようにも見えませんでしたが」
「王宮の最奥部まで、秘密のトンネルが通ってるんだよ」
訝しげな拓海に向かって、夏希は冗談めかしてそう言った。途端に、シェラエズが驚きの表情を見せる。
「……王族しか知らぬことを、なぜ……」
「あー、異世界じゃある意味常識だから」
苦笑いしつつ、夏希はぱたぱたと手を振ってシェラエズを安心させようとした。
「王宮のそばにあるとある商家から、王族用の風呂場まで抜け穴が設けられているのだ」
気を取り直したシェラエズが、説明した。
「わたしも幼い頃一度父上に案内してもらっただけなのでうろ覚えだが、かなり狭い穴なのだ。ゆえに、人数は必要ない。姉上の寝所を警護……もとい、見張っている連中を強襲し、逃げ帰ることができれば充分。協力していただけるだろうか」
「問題は、この行動が明らかに停戦監視団としての権限逸脱行為になることですな」
生馬が、指摘する。
「権限逸脱どころか、明白にタナシスの国内法をいくつか犯す行為でしょう。エミスト王女に即座に容赦をいただけたとしても、国際問題になりますな」
そう、拓海も指摘する。
「うむ。そこは身分を隠して協力していただきたい。こちらとしても、この一件なるべく穏便に済ませたいのだ。世間に公表するつもりもないのでな」
「それなら問題ないと思うけど……殿下、エミスト陛下をお助けしたとしても、リュスメース殿下はどうなるのですか? なにか手立てがおありで?」
「ないな」
シェラエズが、苦い笑みを見せた。
「だが、ルークドルク卿にとってリュスメースの価値は、姉上に言うことを聞かせるための人質に過ぎない、とわたしは見ている。つまり、本命たる姉上を失った状態で、最後の切り札たるリュスメースに危害を加えるようなまねはしないだろう、と読んでいるのだ。姉上に、今回の件を穏便に済ませ、ルークドルク卿に対する咎めは最小限にする、というメッセージを出してもらえば、卿は自身の保身にリュスメースを使うだけだろう。つまり、人質として身柄を拘束し続けるだろうが、彼女の安全は保障されるだろう」
「なるほど。そこは、殿下のご判断を尊重いたしましょう」
拓海が、納得のうなずきを見せる。
「では、協力していただけますかな?」
シェラエズが、異世界人三人に媚を含んだような笑みを見せる。
「あー、殿下。申し訳ありませんが、少しばかりわたしたちだけで相談したいのですが」
拓海が、その笑みを笑顔で受け止めつつ、言う。
「もちろん結構だ。では、わたくしは席を外そう」
「いえいえ。我々が外します。殿下はここでお待ち下さい」
立ち上がりかけたシェラエズを、拓海が押し止める。
夏希はシェラエズに対し一礼すると、厨房に繋がる扉を開けた。外にいたアンヌッカに、シェラエズにお茶のお代わりを出すように言いつける。
拓海と生馬が、厨房に入った。リダが、音を立てないようにそっと扉を閉める。
「さて。ややこしいことになったな」
拓海が言って、頭をぼりぼりと掻いた。
「これがシェラエズの罠だ、って可能性は、ないよな」
夏希と拓海の顔を見比べるようにしながら、生馬が問う。
「ないと思う。シェラエズの性格からして」
夏希はそう言った。
「俺もその可能性はないと思う。ここで停戦監視団を嵌めても、タナシスに益はないだろう。エミスト王女が人質状態になっている、というのは本当だろう。ここは、手を貸してやるべきだと思うね」
拓海も、自信ありげにそう言う。
「よし。じゃあ、女王様救出作戦決定だな」
乗り気も露に、生馬が両手を打ち合わせた。
「異議ないわ」
夏希は同意した。
「じゃ、具体的な作戦を……と言いたいが、情報が不足しているな。もう少し、王宮内部の情報を収集しないと、救出作戦はできん」
生馬が、腕を組む。夏希は扉の方にあごをしゃくった。
「殿下に訊いてみましょう」
「うむ。そのことだが、すでに手は打ってある。それについても、協力してもらいたいのだが……」
生馬に王宮警備の詳細について問われたシェラエズが、言う。
「ルークドルク卿の部下が王宮に大挙して入ってから、警備の様相がかなり変わっているのだ。最奥部にいる女官たちならば詳細をつかんでいるだろうが、彼女らはめったに王宮の外に出ないのでな。連絡が取れぬ。そこで色々と手を回し、通いの洗濯女の一人を、こちらの手の者と入れ替える算段を整えた。わたしくしの手紙を持参すれば、詳しく警備の状況を教えてくれるだろうからな」
「それは、見事な手ですな、殿下」
生馬が、喜色も露に言う。
「だが、問題がある。洗濯女に偽装する若い女性がおらぬのだ。わたしの直衛は二人とも女だが、王宮では顔を知られすぎている。知り合いの若い女性は、みな手弱女ばかりでな。とてもこのような任務が務まるものではない。そちらで、都合してもらえぬだろうか。なに、王宮に入っていろいろ嗅ぎまわるだけの、度胸があって知恵の働く者であれば誰でもよい。偽装がばれる気遣いは皆無だからな」
「こちらで都合……ですか」
拓海が、夏希を見やる。
「いやいやいや。それ、無理だから」
「夏希殿では無理だ。顔を知られているし、背が高すぎる。雰囲気も、洗濯女のそれではない」
困惑する夏希を見て、シェラエズがすかさず言う。
「困りましたね。停戦監視団に女性はほとんどいませんし」
生馬が、首をひねる。
「アンヌッカは……」
「夏希殿の副官か。容貌はタナシス人に似ていて目立たぬが、雰囲気が軍人そのものだ。適切とは言えぬ」
夏希の提案を、シェラエズが即座に却下する。
「じゃ、リダは」
「拓海殿の護衛だな。あの頬の傷は目立ちすぎる。どう見ても、洗濯女ではない」
次の提案も、即座に却下される。
「……あと女性といったら……」
「アンダーレ女史くらいだが、御歳六十二歳の婆様じゃ、若い女性の代わりにはならんな」
拓海が、停戦監視団の一員であるニガタキの役人女性の名を口にする。
「困ったな。これでは、事前情報無しで踏み込むことになる。やってできないことはないと思うが……」
シェラエズが、柳眉を吊り上げて困り顔を見せる。
「……あー、今突拍子もないアイデアが浮かんだんだが」
しばらくして、生馬が遠慮がちに発言した。
「どうぞ。遠慮なく言って」
夏希はそう水を向けた。
「一人、適材を見つけたんだが、根本的なところで不適格なんだ……」
「どうして女共って、こういうことになるとノリノリなのかな」
生馬が、不思議そうに言う。
「同感だな」
拓海が、ぼそりと同意する。
夏希とアンヌッカ、リダ、それにシェラエズまで加わって、大改造が行われている。
改造されているのは、マーラヴィだった。体型の似ているリダの服を着せられ、顔に入念に化粧を施されている。
「こんなもんでしょう」
頬紅を刷き終わった夏希は、手を止めた。
「うむ。美しいぞ、少年」
シェラエズが、満足そうに言う。
改造が終わったマーラヴィの姿は、どう見ても美少女であった。もともと可愛らしい顔立ちだったうえに、まだ男らしさが顔付きや体型にはっきりと表れてこない年齢。服をもっと女性らしいものに変え、髪を長くすれば、完璧といえよう。
「生馬様……」
半ば泣きそうな声で、マーラヴィが上官に助けを求める。潤んだ眼が、さらに少女っぽさを醸し出している。その姿が壷に嵌ったのか、拓海が口に手を当てて必至に笑いを堪え始めた。
「しっかりしろ、マーラヴィ。先ほど説明したとおり、お前の任務は先行偵察だ。成功したら、お前も救出任務に連れてってやる。一国の女王様を救出するという、子々孫々まで語り継げる一世一代の重要任務だぞ。気をしっかり持て」
真剣な口調で、生馬が説く。だが、肩が震えているところをみると、生馬も笑いを堪えているのだろう。
「明日は頼んだぞ、少年」
シェラエズが、大胆にもマーラヴィの手を取った。マーラヴィが、眼に見えて緊張する。この世界、王女と一般市民とでは、身分の隔たりはそれこそ滝くらいの差はある。
「……恐縮です、殿下」
緊張のあまり硬直しかけたマーラヴィが、ようやくそれだけ口にする。その様子がさらに壷に嵌ったのか、拓海と生馬が身をよじって笑いを堪え始めた。
「女官の皆様から聞いた話は、これで全部です」
いささかくたびれた表情のマーラヴィが、報告を終えた。ちなみに、王宮に洗濯女として潜入した衣装とメイク、それに鬘姿のままなので、どう見てもちょっと声の低い美少女にしか見えない。
「ご苦労だった。約束通り、今夜の救出作戦にお前も連れてってやる。俺の背中を任せるぞ」
細かくメモを取っていた生馬が、笑顔でマーラヴィの肩を叩いた。
「ありがとうございます、生馬様」
美少女……もとい、少年が、ぱっと顔を輝かせた。
「よし、元の姿に戻っていいぞ。武器の手入れもして置けよ」
「はい、生馬様」
マーラヴィが、勢いよく立ち上がった。陪席していた拓海と夏希に一礼してから、弾むような足取りで食堂を出てゆく。
「女装を解いちまうのはもったいないな。男の娘、で充分通用するのに」
後姿を見送りながら、拓海がぼそりと言う。
「誰得よ、それ」
呆れたように、夏希は言った。
「ともかく、これで警備の詳細はわかった。じゃ、作戦を立てるぞ」
二人の呆けたやり取りに気付かなかったのか、真面目な口調で生馬が言う。
「救出作戦のメンバーは、タナシス側がシェラエズ、その直衛女性剣士二名、それに協力者の男性一名の計四名。こちらからは、俺とソリス、マーラヴィ、監視団の護衛副隊長クラッシカとその部下三名、夏希とアンヌッカ、リダ、合計十名。総計十四名だ」
「拓海は行かないの?」
「……足手まといになるだけだが」
夏希の問いに、拓海が肩をすくめる。
「タナシス側に気付かれないように、宿舎からの出発は二人一組、約十ヒネごとに行う。集合場所は、この地点」
生馬が、手書きの市街地図の一点を指した。
「ここに、シェラエズの護衛の一人が迎えに来る。その案内で、抜け穴の入口になっている商家……ここに移動。あとは、シェラエズの指示に従って行動。無事に脱出できた場合は、エミスト女王の身柄はシェラエズに任せて、また二人一組で解散。順次宿舎に戻る。こんな段取りだな」
「追っ手が掛かったりしたらどうするの?」
夏希は訊ねた。
「ここに兵舎がある。そこまで逃げ込めば問題ない。こちらにはエミストとシェラエズがいるんだからな。女王と王女が命令すれば、即座に二百名の兵士がこちらの手勢となる。ルークドルクの部下くらい、簡単に圧倒してしまえるよ」
地図を指し示した生馬が、鼻で笑う。
「そうそう、覆面の用意は?」
拓海が、訊いた。
「もう出来てると思う」
正体を知られないために、夏希はアンヌッカとリダに人数分の覆面を作らせていたのだ。粗雑な物でいいと言っておいたので、器用な二人ならばすでに作り上げている頃だろう。監視団の護衛役などはタナシス側にそれほど知られているわけではないので、夜間でもあり本来は覆面は必要ないのだが、一団の中に数名だけ素顔を晒している者がいるのはおかしいので、一応全員に行き渡るだけの数を作らせている。
「今回は、竹竿を使えないぞ」
笑みを見せて、拓海が言う。
「そうね」
夏希も笑みを見せた。竹竿を駆使する背の高い女性なぞ、この世界にはそうそういない。使えば、正体バレバレであろう。
第百二十九話をお届けします。