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白き巫女と蒼き巫女【改稿中】  作者: 高階 桂
第三章 タナシス王国編
127/145

127 分離の動き

 王都リスオンは、夏希らが思い描いていたよりもはるかに平穏であった。

「むしろ、戦中よりものどかな雰囲気なんじゃないのか?」

 市街を歩む停戦監視団一行に対し目礼したり微笑みかける市民に対し、律儀にいちいち手を振ったり微笑み返したりしつつ、生馬が言う。

「内心ではどう思ってるかは判らないが、表面上はエミスト新女王に対する支持は高いようだな。いいことだ」

 街の様子を観察しながら、なにやらしきりにメモを取っていた拓海がそう言う。夏希は彼の手元を覗き込んだ。

「なにメモってるの?」

「見かける市民の統計を取ってるのさ。性別とおおよその年代別にね。統計学的には信用できないデータではあるが、以前のものと比べればおおよその傾向がつかめる。やはり、若い男性の数が増加しているようだな。市民軍の復員が順調に進んでいる証拠だろう」

「なるほど」

 タナシス兵に護衛された一行は、そのまま王宮へと案内された。待ち時間なしで、団長である拓海、それに夏希、生馬を含む主要メンバーは新女王エミストとの会見となる。

 久しぶりに見るエミストは、夏希の記憶にある姿よりもやつれていた。眼光も鋭さが増しており、以前の慈母じみた雰囲気は失われている。だが、終始にこやかであり、友好的な態度は崩さなかった。

 まず最初に拓海が団長として、前国王オストノフについて悔やみの言葉を述べる。一応、まだ喪の最中なのだ。

 儀礼的な挨拶が終わったところで、エミストが大臣や正規軍の高位の者を会見場に呼び入れ、実務的な意見交換が行われた。軍関係者が地図と図表を示して市民軍復員の進捗状態を説明し、さらに正規軍の配置状態も教えてくれる。こちらからは生馬が、憲章条約軍の撤兵状態を説明した。タナシス市民軍はすべて解隊。正規軍は治安維持等の必要が無い限り、従前の駐屯地に留まり、五千名以上の兵力を一ヶ所に集中する場合は事前に停戦監視団に対し許可を求める必要がある。奴隷軍は制度自体を廃止。憲章条約軍兵士は、停戦監視団およびその護衛以外は新生タナシス王国領土から退去する、などの停戦条件の細部が、双方で改めて確認された。意見交換自体は和やかな雰囲気のまま短時間で終わり、監視団一行はそのあとエミストにお茶のもてなしを受ける。


 停戦監視団に提供された宿舎は、高級住宅街の一角にある豪邸二軒であった。寝室は広かったが、数は少なく、幹部である夏希でも一人部屋はもらえそうにない。

「じゃ、わたしはアンヌッカと相部屋でいいわ」

 夏希はそう申し出た。

「俺もソリスとマーラヴィと相部屋でかわまんぞ」

 生馬もそう言う。タナシス人少年マーラヴィは、もともと素質もあったのだろうが、生馬とソリスによってみっちりと剣の扱いを仕込まれたおかげで、いまや生馬の護衛役として、そのあとを影のように付き従う存在になっている。

「じゃあ、俺もリダと相部屋だな」

 ごく当たり前の口調で、拓海が言った。

「そうね」

 夏希は同意した。もうすでに、このふたりは夫婦同然、と周囲も看做している。どうせなら、正式に結婚してしまえばいいのに、と夏希は思っていたが、拓海には彼なりの思惑があるらしく、そのあたりは曖昧なままに置かれている。リダの方も、その中途半端な位置……護衛兼副官兼友人兼恋人、という状態に満足しているようだ。夏希が同じ立場であれば、とっくに結婚を迫って夫婦になっているか、さもなければさっさと見限っているか、どちらかなのだが。



 リュスメース王女の乗った川船は、リスオン川の支流のひとつをゆっくりと下っていた。

 川沿いの地方都市のあいだを往復する、ごく普通の、乗り合いの川船である。リュスメースは身分を隠し、商人の娘を装って、数名の供……いずれも、商人やその妻、使用人、護衛などに扮している……と共に乗り込んでいた。他の船客も、行商人や近在の市民など、ごく市井の人々であり、リュスメースらはその中に上手に溶け込んでいた。

 エミスト女王からの帰還指示は、停戦成立の報せに遅れること半日でリュスメースのもとに届いた。どちらも、彼女にとっては嬉しい報せであった。戦争が終わったことはもちろん喜ばしいし、王都へ戻れば姉上たちの顔を見ることができる。そして、その手助けができるのだ。オストノフ亡き今、たいへんな想いで国政を担っているであろうエミストと、その右腕となって動いているシェラエズ。このふたりの裏方として働き、その負担をできるだけ肩代わりしてあげたい。そのような想いで、リュスメースは一杯であった。

 聡明な彼女は、オストノフ暗殺がいわば『芝居』であることに気付いていた。あまりにも非情であるが、それだけに効果的だった政権移譲と停戦受け入れにつながる大芝居。

 リュスメースはいずれ自分がエミストから政権を譲られ、タナシス女王となることを、以前から悟っていた。すでに彼女は、姉たちのため、亡き父の名誉のため、そして国民のために、その運命を受け入れる覚悟を決めていた。自分が女王となることで、皆が幸せになるのであれば、たとえそれが苦難の道であっても、喜んで歩んでゆくつもりであった。

「なんだ、あの船は」

 船頭が上げた頓狂な声で、リュスメースは我に返った。

 こちらと同じくらいの大きさの川船が二隻、川を塞ぐように舫ってある。船上には、数名の人影が見えた。

「おおい、邪魔だぞ!」

 船頭が前方に声を掛けつつ、竿を立ててこちらの船の速度を落とす。

 と、二隻の船の乗員が、一斉に立ち上がって構えた。手には、弓。

 リュスメースは固まった。この辺りに、盗賊が出るような話は聞いていない。辺境州とは言え、すでにディディウニ州境に近い地域なのだ。治安は良好のはずである。

 となれば、狙いはリュスメース自身か。完全にお忍びの旅のはずだったが。

 十張りを越える弓に脅され、船頭が船を停めた。相手の船から、三人の男性が乗り移ってくる。二人は腰の剣を抜いていたが、先頭の一人は丸腰だった。浅黒い肌に、金茶色の短い髪。この辺りでは、きわめて珍しい風貌だ。

 その三人が、他の船客を掻き分けるようにしてリュスメースの前に立った。供の者がリュスメースを守ろうと、その前に割り込もうとしたが、彼女はそれを身振りで制した。明らかに、この者たちはリュスメースに用があってこのような行為に及んでいるのである。ここで無駄な抵抗をしても無意味だろう。

「リュスメース王女殿下とお見受けします」

 恭しい態度で、金茶色の髪の男が腰を折る。

 リュスメースは答えずに、男性をやや軽蔑したような視線で見上げた。

「わたくし、セーランと申します」

 悪びれた様子も無く、男が自己紹介する。

「セーラン……。セーラン将軍ですか?」

 リュスメースは少しばかり驚いて聞いた。このような風貌のセーランという軍人が、ごく最近将軍に抜擢されたという話は聞いたことがある。

「元将軍です。降格されましてね。今は軍を離れ、とあるお方のところで厄介になっております」

「とあるお方……」

「自分を高く評価して下さるお方に仕える性分でしてね。そのお方が、殿下にお会いしたいそうなので、お迎えに上がった次第です。同道いただけますかな?」

 慇懃な態度のまま、セーランが言う。

「お断りしたら?」

「縄など用意してありますが……高貴なお方には使いたくありませんな」

 ……では、体のいい誘拐というわけか。

 セーランの言う『お方』が誰だかはわからないが、ここは逆らっても無駄であろう。いずれタナシス王国女王とならねばならぬ身、無茶はできない。

「よろしいです。参りましょう」

 リュスメースは立ち上がった。その手を、セーランが恭しく取る。

「ありがとうございます、殿下。先に申し上げておきますが、我々には殿下に危害を加えるつもりは毛頭ございません。ある方に素直に動いてもらうために、しばらく身柄をお預かりするだけです」

 セーランが、言う。その言葉だけで、リュスメースはおおよその事態を推測することができた。身柄をお預かり、ということは、つまりは人質なのであろう。彼女のことをもっとも案じてくれている、重要人物。

 彼らの狙いは、実姉エミスト女王なのだ。



 何かがおかしい、と気付いた時には、もう手遅れであった。

 直属の護衛と切り離されたエミスト王女は、五人の武装した下級貴族に一室へと連れ込まれた。エミストは、とっさに殺されることを覚悟した。直接手を下したわけではないが、父王暗殺を行った身である。碌な死に方はしないと思ってはいたが、いざ死を眼の前にすると、さながら水を含んだ布のように、気力が萎えるのを感じた。

 だが、全員男性の下級貴族はエミストに静かにするように懇請しただけで、危害を加えるつもりはないようであった。エミストは思案した。大声を出せば、王宮の警護が駆けつけてきてくれるであろう。しかし、そうなった場合にこの下級貴族たちがどう反応するかが読めない。下手をすれば、刺し殺されるかも知れない。

 そこまで思案を巡らせたところで、部屋の扉が開いた。足早に入ってきたのは、ルークドルク卿と、見覚えのある卿の側近のひとり……たしか、ルバンギィとかいう名だった……であった。

「手荒な真似をして申し訳ございません、陛下」

 ルークドルク卿が、謝る。

「しかしながら、わたしの部下は本気です。陛下が抗えば、容赦なく刃をそのお体に突き立てることでしょう。どうか、逆らわないでいただきたい」

王位簒奪クーデター、ですか?」

「めっそうもありません」

 ルークドルク卿が、大げさに手を振って否定する。

「陛下は今後もタナシス王国を率いていただきます。ただし、少しばかりわたしの利益となる政策を行っていただきたい。わたしの望みは、ただそれだけです」

「ただそれだけ、のために叛逆行為を行ったのですか?」

 殺される心配がないと悟ったエミストは、皮肉な口調でそう問いかけた。

「わたしの望みはささやかなものです。ですが、それを実現するのはかなり困難でしてね。下手をすれば、タナシス王国とノノア川憲章条約を同時に敵に回しかねない。ですから、このような失礼なやり方を取らざるを得なくなったのです。まあ、陛下が急に憲章条約と停戦したことに、原因があるのですがね」

「……よく判りませんわ」

「説明は、あとでゆっくりとさせていただきます。まず、これだけは申しあげておきましょう。現在、わたしの信頼できる部下が、リュスメース王女の身柄を確保しています。王女を確保したのは、昨日の昼過ぎ。メジャレーニエ辺境州南部のワハトとセンジェルムのあいだ。王女は商人の娘に偽装して、川船に乗っていたそうです」

 ……はったりではない。

 エミスト女王はそう判断した。王都帰還予定日時からすれば、昨日リュスメースはそのあたりにいたはずである。商人の娘に偽装するようにアドバイスしたのも、事実である。

「繰り返しになりますが、わたしの部下には陛下が抗った場合、理由の如何を問わずお命を頂戴せよ、と命じてあります。どうか、抵抗しないでいただきたい」

「あなたの望みの内容によりますわね、ルークドルク卿。わたくしはタナシス王国女王です。王家の名誉や王国の利益、臣民の幸福を損なうような望みは、たとえ命を失おうとも叶えてさし上げるわけにはいきません」

 きっぱりと、エミストは言った。それを聞いたルークドルク卿が、少しばかり歪んだような笑みを見せる。

「たいした願いではありませんよ。ディディリアとディディサクの二州を統合し、タナシス王国から分離独立させていただきたいのです」


「わがルークドルク家は、タナシス王国最大の貴族として、常に王家のために先頭に立って働いてきました」

 王宮の一室で、エミスト女王はルークドルク卿と差し向かいでお茶を飲んでいた。

 すでにエミストは、ルークドルク卿の要請で王宮最奥部の警備を卿の部下に任せる、という命令書にサインしていた。リュスメースを人質に取られている以上、下手に逆らうわけにはいかない。いざという時には死を覚悟で騒ぎ立てれば、いつでもこの陰謀を潰すことは可能だろう。とりあえずおとなしく従って様子を見るのが得策である、とエミストは考えていた。

「あまりにも多くの若者が、タナシス王国軍兵士として戦い、そして斃れました。わたしの周りの者も、同様です。もう我々は、タナシス王国に奉仕することに飽いたのですよ。これからは、独立独歩でやって行きたいのです。タナシス王家のために、一滴の血も、一粒の麦も捧げるつもりはありません。汗すら、流す気はないのです」

 ルークドルク卿が、淡々とした口調で続ける。

「……たしかに、ルークドルク家はディディリア、ディディサク両州に広大な領地を有していますが、そのすべてを押さえているわけではないでしょう。独立など、できはしないはずです」

 エミストは、冷静にそう指摘した。

「いや、すでに多くの貴族領が我々に同調することになっているですよ。タナシス王国直轄領を除けば、ディディリアの七割、ディディサクでは実に八割の土地が独立を望んでいるのです。陛下が独立を認めて下されば、平和裏に分離独立がなされるでしょう」

「無理です。仮に、わたくしが認めたとしても、憲章条約が許さないでしょう。明白な、停戦条件違反です」

「陛下が停戦しなければ、わたしもこんな手段を取らずに、速やかに独立を成し遂げられたはずだったのですがね」

 苦い表情で、ルークドルク卿が言う。


 先代から領地を引き継いだその時から、ルークドルク卿はタナシス王国からの分離独立を模索していた。

 だがそれは、荒唐無稽な夢であった。武力を用いての独立は、不可能である。挙兵したその瞬間に敗北が確定するほど、戦力差があるのだ。政治的闘争による独立も、また不可能であった。他州の貴族が承知するはずがない。

 レムコ同盟と西部同盟の反乱は、ルークドルク卿に希望の芽を与えた。戦乱のどさくさに紛れて、分離独立を成し遂げる可能性が出てきたのである。卿は秘かに根回しを始めた。ディディリア、ディディサク両州の貴族たちを、味方に引き入れる。秘かに、武力を蓄える。ルークドルク卿は、先祖伝来の宝物まで売り払って裏金を作り、それを惜しげもなく投入して独立準備を整えた。

 憲章条約軍の参戦は、ルークドルク卿にとって朗報であった。これを味方に付ければ、確実に独立できると踏んだのだ。卿はレムコ同盟のカートゥール代表と接触し、協力を依頼する。戦後の勢力バランスを見据えて影響力の拡大を模索していたカートゥールは、ルークドルク卿を味方に付けることは得策と判断し、これを承諾する。

 こうして両者が練り上げた作戦が、ディディリア、ディディサク両州の突然の分離独立宣言と、タナシス王国への宣戦布告、そしてノノア川憲章条約への加盟申請であった。この二州が味方となれば、レムコ同盟主力が直接タナシス王国の後背地であるディディウニ州に十分な兵站条件で侵攻できる状況が作り出せる。これほどおいしい戦略的状況が生まれるのを、憲章条約側は無視できるはずがない。独立承認と、憲章条約への加盟は速やかに行われるはずだ。あとは、レムコ同盟軍に多少の義勇軍でも参加させて、タナシス王国と戦った実績を作ってやれば、『ルークドルクの王国』は戦勝国の一員となれるであろう。

 ルークドルク卿は着々と準備を進めた。タナシス王国と憲章条約軍が停戦に合意したのは、独立宣言予定日の三日前であった。


「もはや引き返せないところまで準備が進んでおりましてね」

 申し訳なさそうに、ルークドルク卿が言う。

「計画を中止しても、いずれどこからか情報が漏れて、わたしは叛逆の罪で告発されていたことでしょう。わたしも、切羽詰っているのですよ。是が非でも、独立を果たさなければならない。ぜひとも、協力していただきたいのです」

 ルークドルクが、エミストを見据える。エミストは、わずかに視線を逸らした。内心で、妹たちに助けを求める。

 ……どうしたらいいの、シェラエズ、リュスメース。


第百二十七話をお届けします。

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