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白き巫女と蒼き巫女【改稿中】  作者: 高階 桂
第三章 タナシス王国編
126/145

126 後片付け

 通常、枢要な外交会談の前には、予備会談なるものが行われる。トップクラスの要人同士がいきなり顔を合わせても、話し合うテーマさえ決まっていないのでは、いたずらに時間を浪費するだけだからだ。それを防ぐために、多くの場合双方の下位権限者が会合の席を設け、話し合うべき事柄の細部や段取りを取り決めるのである。

 今回の場合も同様に、キュスナル市郊外に領地を持つかなり高位のタナシス貴族が、シェラエズ王女の代理として憲章条約軍陣地を訪れ、駿や拓海らと会談を行った。それにより、キュスナル市入りするであろうシェラエズ王女に関する詳しい情報がもたらされる。

 やはり、拓海らの予想した通りであった。シェラエズ王女の今回の肩書きは、エミスト女王の代理としての特命全権外交使節。そして、彼女は憲章条約側が提示した停戦条件を受け入れる旨の、エミスト女王の親書を携えている。

「まず確実だな。エミスト王女……もとい、エミスト女王はこちらが提示した停戦条件をほぼ丸呑みした。シェラエズ王女は、降伏文書にサインしに来たんだ」

 予備会談を終えた拓海が、そう夏希らに説明する。

「タナシス側の謀略という可能性は? あ、もちろんその可能性が少ないことは、わかってるけど」

 皆の怪訝そうな視線に晒され、質問した凛が慌てたように言い訳する。

「ほぼ無いな。ここで多少の時間稼ぎをしても、タナシス側が得られる戦略的な優位はわずかなものだ。むしろ、失われる外交上の利益の方がはるかに上だ。最悪の場合としてのタナシスの裏切りは警戒すべきだが、それを理由にして交渉開始を渋ったり交渉そのものを遅延させたりするのはナンセンスだ」

「同感だね。政治にも、勢いや潮時というものがる。外交も同じことだ。タナシスは、戦いを止めたがっているよ。ここは一気に講和まで持ち込むべきだね」

 駿が、拓海の見解に同意しつつそう意見を述べる。

「で、今後の予定はどうなんだ?」

 夏希と同様、予備会談には出席できなかった生馬が、訊いた。

「今夜中に、シェラエズ王女がキュスナル市に到着するそうだ。タナシスの貴族は、明日早朝、王女がここを訪問するという約束を取り付けていった。そこでエミスト女王の親書の手交、停戦条件の細部の詰め、そして停戦協定調印の段取りの決定、という形になるだろうな。正式な講和と平和の回復は、停戦発効後に改めて話し合うことになるだろう」

 拓海が説明する。夏希はため息をついた。

「戦争を終わらせるのも、難儀ね」

「始めるのは簡単だがな。まあ、何事によらず後片付けは面倒くさいものだ。まして、きれいに元通りに片付くことはめったに無い」

 拓海が、笑う。

「だが、この後片付けを手抜きすると、ひどい目に遭う。第一次世界大戦の後片付けに失敗したおかげで、第二次世界大戦がおっ始まったように」

 生馬が、言った。

「朝鮮戦争もインドシナ戦争も、中東戦争も印パ戦争も、いわば第二次世界大戦の後片付けの失敗から生起したようなもんよね。改めて考えてみると、戦争の終わらせ方って難しいものよね」

 凛が、感心したように言う。

「映画みたいに、『悪は滅びました、ばんざーい』で終わらないのが現実だよ。……ま、今日のところは、俺たちにできることは何もない。明日に備えて、今日はお開きにしようや。各自、英気を養うということで」

 拓海が、提案した。凛が、鼻に皺を寄せる。

「英気を養う? どうせ、生馬と呑んだくれるだけでしょ?」

「身も蓋もない言い方だな。優秀な兵站計画担当者がいてくれたおかげで、酒類まで潤沢に供給されるようになったことを感謝しつつ、杯を重ねているんだがな」

 言い訳がましく、拓海が言う。

 確かに、ここ数日兵站……特に食料品の供給は劇的に改善されていた。主食は毎食米が出されるようになったし、乾燥品や塩漬けなどの加工品が多かった副食物も、新鮮な野菜や肉類に切り替わっている。果物類や酒類なども、無制限ではないが手に入るようになった。やはり、戦闘が一時中断状態にあることと、主力部隊が一ヶ所に留まっているために兵站担当部門への負担が減っていることが大きいのだろう。



 翌日早朝やってきたシェラエズ王女は笑顔であった。だが、付き合いの長い夏希はその笑顔が作り物であることを即座に見抜いた。明らかに、『営業スマイル』である。ただし、緊張の色は見られないからこちらを担ごうとしているのではないらしい。あくまで、友好的雰囲気を作り出すための芝居であろう。

 会議用の大きな天幕の中で、お互いの代表メンバーが挨拶を交わす。こちらはゴドウミ全権特使と、その補佐官二名と駿。タナシス側は、シェラエズ王女とそのお付き二名、それに王女代理を務めたキュスナルの貴族。夏希らは、天幕の隅に並べられた椅子に腰掛けた。むろん、単なる立会人であり、発言権などない立場だ。カートゥール代表も同じところに腰を下ろしていたが、あからさまに不機嫌な表情をしていた。いまだに、停戦には反対しているようだ。

 さして大きくはない長テーブルに設えられた席に着くと、シェラエズがさっそくエミスト女王の親書をゴドウミ代表に差し出した。ゴドウミが内容を確認し、シェラエズに対し停戦受け入れの意向の有無を確かめる。

 シェラエズが、受け入れを正式に表明した。

 停戦交渉が、始まった。


 交渉自体は、夏希が拍子抜けするほどさくさくと進められた。憲章条約側が提示した停戦条件の内容を、ほぼ全面的にタナシス側が受け入れたからだ。ただし、一般に公表される手筈になっている停戦条件の文言に関しては、厳しい注文が付けられた。どうやら、タナシス側は面子に拘っており、敗北を印象付けるような表現の撤廃ないしは緩和を求めているらしい。

 意外なことに、両者がもっとも激しく対立したのは、停戦後に行われる講和会議の場所に付いてであった。憲章条約側が今現在会談を行っている場所を主張したのに対し、タナシス側はキュスナル市内を推したからだ。両者は譲らず、手詰まり状態となったので、会談はいったん休憩となった。

「どうして会議の場所程度のことで揉めるのかしら? やっぱり面子の問題?」

 休憩のために他の天幕へと移動しつつ、夏希は拓海に訊いてみた。

「だろうな。憲章条約軍陣地で交渉では、どうしてもタナシス側が和を請うたように見えてしまう。逆に現在もタナシス軍が確保しているキュスナル市で交渉すれば、憲章条約側が停戦を求めてきたように装える。朝鮮戦争の時の開城ケソンと板門店みたいなもんだ」

「政治は基本パフォーマンスだからね。外交も、おんなじよ」

 やり取りを聞いていた凛が、口を挟んだ。

「だな。卑弥呼の時代から、いや、ファラオの時代から政治はパフォーマンスだ。まつりごととはよく言ったものだ」

 拓海が、くすくすと笑う。


 休憩後も、講和会議の場所に関して両者は譲らなかった。結局、駿がゴドウミ特使の許可を得て披露したアイデア、『キュスナル市付近のリスオン川上に浮かべた川船の上』で行う、という奇策が、採用されることとなる。川船はタナシス側が提供することとなったので、タナシスは面子を保てるし、憲章条約側もタナシスの勢力圏内に入らずに済む。

 日没前に、双方の外交団は停戦条件すべてに合意し、発表用の文書の作成を終了した。列席者が順次署名してゆく。ゴドウミ特使とシェラエズ王女が文書を交換し、テーブルの上で堅い握手を交わした。

 憲章条約軍……レムコ同盟と西部同盟軍を含む……とタナシス王国軍の正式な停戦が、発効した。北の陸塊で荒れ狂っていた戦争は、ひとまず終わりを告げた。



 外交文書を携えてキュスナル市に戻ったタナシス外交官を除き、会議に参加および列席した全員が、停戦発効を祝う宴席へと移動した。戦陣ゆえ、立食形式のささやかなものではあったが、戦争終結という慶事ゆえに皆の表情は明るく、天幕内の空気は陽気な雰囲気に満ち溢れていた。

「おい、川船の上というアイデア、ミズーリ号のパクリだろ」

 拓海がさっそく、そう言って駿を茶化す。

「もちろんそうだよ。ま、あれほど露骨なことはしないけどね」

 駿が、にやにやと笑う。

「ミズーリ号?」

「USSミズーリ。アメリカの戦艦だ。日本の降伏文書調印式が船の上で行われた映像なんかは、見たことあるだろ? あの船だよ」

「あ、あるある」

 夏希はうなずいた。白黒の映像で、小柄な紳士が大勢のアメリカ人の見守る中で、文書にサインしているところを、テレビか何かで見た覚えがある。

「詳しく話すと長くなるので省略するが、わざわざアメリカ側がミズーリ号を調印式の舞台に選んだのは日本側を愚弄するためだったんだ。使われた星条旗の由来とか、停泊位置とか、トルーマンの出身地がミズーリ州だった、とかね。お、そろそろ空いたようだぞ」

 夏希が先ほどからシェラエズ王女に話しかけるタイミングを計っていたことに気付いていた拓海が、合図してくれる。夏希は視線で礼をすると、果実酒の入ったグラスを手にシェラエズの元へと歩み寄った。

「殿下。停戦成立、おめでとうございます」

 夏希はグラスを掲げつつ、そう話しかけた。

「ありがとう、夏希殿。お互い、生き延びることができたな。こうして一緒に酒が飲めるとは、嬉しいことだ」

 会談中とは違い、心からのものと思われる鮮やかな笑みをこぼれさせたシェラエズが、夏希のグラスに自分のグラスを軽く打ち合わせる。グラスの中身は夏希と同じ果実酒だったが、かなり水で薄めてあることに、夏希は気付いた。ちなみに、グラスを打ち合わせても、ワイングラス同士で聞けるような澄んだ『チン』という音はしなかった。ガラス製造技術が未熟なので厚手のものしかできないから、ビールジョッキ同士のような鈍い『ごつん』という音しかしない。

「殿下には、いろいろお尋ねしたいことがありますが……まだその時期ではないようですね」

 オストノフ前国王の一件。今後のエミスト女王の思惑。そして、シェラエズ自身の身の振り方。聞きたいことは、山ほどある。だが、今は一日も早い講和と、戦後復興、それに強固な安全保障体制の構築が求められている。夏希も忙しくなるし、シェラエズはそれ以上に多忙となるだろう。のんびりと話を聞いている暇は、ない。

「ま、そのうち時間も取れるであろう。寝台の中ででも、じっくりと語り合おうではないか」

「殿下……」

「いや、今のは失言だな。寝台の中で、ではなく、寝台の上で、であった」

「どちらも同じ意味だと思いますが」

「ことの最中が、事後かでかなり意味は違うと思うが」

 いたずらっぽく眼を輝かせながら、シェラエズが言う。

「いずれにせよ、殿下と褥を共にするつもりはありません」

「残念なことだ。ま、冗談はこれくらいにしておこう。夏希殿。これからタナシス王国はきわめて困難な時期を迎えることとなろう。正直に言うが、姉上の政権基盤は磐石とは言い難い。怪しい動きをしている大貴族は多いし、今回の停戦を快く思わぬ国民も少なからずいるであろう。散々戦っておいて、このような頼みをするのは心苦しいが、どうかわたしを助けて欲しい。友人として」

 真顔になったシェラエズが、ぐいと身を乗り出して、夏希を凝視した。

「微力ながら、お力添えいたします、殿下」

「そうか。さすがわたしが惚れただけのことはある。ありがとう、夏希殿」

 そう言ったシェラエズが、不意に顔を近づけてきた。夏希の警戒心が喚起される前に、シェラエズの唇が夏希の唇にさっと重なる。

「停戦祝いだ」

 困惑する夏希をよそに、シェラエズがしれっとした表情で言う。



 ほぼ丸三日をかけて、停戦成立の報せは北の陸塊全土に広まった。

 すでにそれ以前から、タナシス軍は停戦条件に基づき市民軍部隊の解隊と復員を開始していた。それを確認した憲章条約軍も、南の陸塊から派遣された市民軍をアノルチャ市へ集結させ始める。ランクトゥアン王子率いる憲章条約海軍も、輸送船をアノルチャ市へと向かわせた。当面、この港が基幹港となり、南の陸塊への人員と物資の引き上げを担うこととなる。

 夏希は、生馬とともに停戦条約に基づく停戦監視団の一員に選ばれた。団長に就任したのは、拓海である。駿はそのままゴドウミ全権の補佐役に留まり、川船上で行われる講和会議に臨むこととなった。凛はアノルチャに戻り、人員と装備、余った物資などの引き上げの調整という難事を捌くこととなる。

 停戦監視団を乗せた二隻の川船は、タナシス正規軍に護衛されてリスオン川を遡った。途中、川沿いに設けられたタナシスの兵站拠点を視察し、停戦条件違反が無いかどうかを確認しながら進む。タナシス側はきわめて協力的であり、王都リスオンへ至る道中条件違反行為は一件もみられなかった。



「ご苦労さまでした、シェラエズ」

 エミスト女王が、労いの言葉を掛ける。

「恐れ入ります、陛下」

「ふたりきりのときには気さくに接するようにと、言ってあるではないですか」

 堅苦しく応えたシェラエズを見て、エミストが微笑む。

「いくつかお知らせしたい情報がございます」

 なおも堅苦しい態度を崩さぬまま、シェラエズは言った。

「聞きましょう」

「メジェレーニエ辺境州で、不穏な動きがあるそうです。謎の武装勢力が、動いているとのこと。ナス・イ市の近くだということです」

「ナス・イ? リュスメースが滞在している貴族領の近くですね」

 エミストが、形の良い眉をひそめる。

「はい。万が一、ということもあります。そろそろ、リュスメースを王都へと呼び戻した方がいいのではないでしょうか」

「そうですね。即刻、手配しましょう」

 シェラエズの提案に、エミストが同意を与える。

「もうひとつ、ルークドルク卿がまた妙な動きを見せております」

「妙とは?」

「復員した市民軍兵士の中から、優秀なものを選んで雇い入れているとの話です。法律法規に触れる行為ではありませんが……」

 シェラエズは、語尾を濁した。

 タナシス王国東部……いわゆる東部地域ではなく、現在の小さくなってしまったタナシス王国の東の部分……に広大な領地を持つ大貴族、ルークドルク卿。かなり以前から、彼は妙な動きを続けていた。その企みを知るべく、エミストもシェラエズも公安組織を動員して色々と探らせてはいたが、いまだにその意図は探り出せていない。レムコ同盟とのつながりの噂もあるが、真偽のほどは不明だ。

「それと、これは余談でありますが、例のセーラン元将軍が、逐電いたしました」

「……どこへ行ったのでしょう」

 エミストが、首を傾げる。

「停戦を聞いて、錯乱したのかもしれません。どこかの貴族領にでも、潜り込んだのでしょう。一応、脱走兵扱いで手配しておきましたが……見つけるのはまず不可能かと」

「放置しておきましょう。こちらも、暇ではないのですから」

「御意」


第百二十六話をお届けします。

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