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白き巫女と蒼き巫女【改稿中】  作者: 高階 桂
第三章 タナシス王国編
118/145

118 天王山であり天目山であり関が原

 多数の川船が、リスオン川をゆるゆると遡ってゆく。

「で、キュスナル市攻略の秘策は?」

 ちょっと肌寒さを覚えるほどの乾いた風に頬をなぶられながら、夏希は拓海にそう問いかけた。

「まだないよ。どのようにタナシス側が要塞化を進めたか、情報が不足しているからな。詳しい攻略作戦計画は、実見してから立てるつもりだ。まあ、予測に基づいた基本的な作戦計画は、立ててあるが」

「予測ねえ」

「地図と事前情報によれば、キュスナル市はリスオン川の東岸にある。川沿いには河港があり、その東側にほぼ正方形に市街地が広がっている。その南北には、運河代わりにも使われている用水路が、東へと伸びており、市街地西側の耕作地へと農業用水を供給している。運河の外側も、主に畑地と果樹園だ。要塞化するならば、この南側の用水路を活用するだろうな」

「あー、あったわね、そんな水路が」

 夏希は風景を思い出した。王都リスオンへ行き来する際にキュスナル市は何度も通過したし、宿泊したこともあるのでなんとなく覚えがある。たしか、両岸を切石で補強したかなり立派な水路であった。幅は五メートルはあっただろうか。たしかに、これを水濠代わりに使われたら、強固な防衛ラインを築けるだろう。

「西側が川、南側に用水路。となると、東から攻めるの?」

「当然そうなるな。ま、助攻部隊を南側に置いて敵を牽制、主攻部隊を東側に向かわせて敵主力を拘束、その上で生馬の予備軍を川船で河港に突っ込ませ、一気に市街地西部を制圧しつつ助攻部隊と連携。市街地北方へ抜けて不完全ながら包囲を完成させる。こんな作戦が、理想的だろうな。絶対に、無理だが」

「でしょうね」

 夏希は渋い顔で同意した。シェラエズならば、リスオン川が自軍の西側面を守ってくれる頼もしい存在であると同時に、敵の進撃路でもあることを十二分に承知しているだろう。まず間違いなく、川底に多数の木杭を打ち込むなどして、川船の遡上を妨害する対策を施しているはずだ。

「主力を二分し、市街南西の川沿いと、市街東方から進攻する。敵主力も、二分して対抗するだろう。生じた大きな隙間と言える市街南東部から、急速接近した生馬の予備隊を渡河突入させて、変則的な中央突破を狙う。今思いつく手は、こんなところだな」

「……ありきたりの、単純な手ねえ」

 拓海の作戦案に対し、夏希はため息交じりに感想を述べた。

「軍事作戦も、所詮は作業だ。作業ってのは、単純なほど失敗しないんだよ。複雑になればなるほど、ミスを犯す可能性が増えるし、変数の入り込む余地も多くなる。しかも、軍事作戦は相手がある作業だ。最大の問題は、敵が最善手を必ず選択するとは限らんことだ。双方が把握している情報内容には大幅に差異があることが普通だからな。将棋やチェスは模擬戦闘遊戯だが、戦力の規模や配置、移動が相手に丸見えという点で、実際の戦争、戦闘とは決定的に異なる。だから、プロ棋士やチェスの名手は相手が最善手を打つことを十二分に期待できるし、それに基づいて十数手先まで正確に先を読めるわけだ。実際の戦闘で限られた量と良質とは言えぬ情報に基づいて行動を選択すれば、むしろ最善手を打てるほうが難しいと言えるだろう。こうして、双方の予測は常に裏切られ、混沌とした戦場が現出することになる。いわゆる、『戦場の霧』、というやつだな」

「なるほど」

「近代戦だって、基本的には単純な戦略、戦術が選択されるもんだ。湾岸戦争でシュワルツコフが採った作戦だって、結構単純だったんだ。クウェート正面に主力がいると見せかけて、海兵隊による強襲揚陸作戦を偽装し、イラクの精鋭師団や共和国防衛隊を誘引し、そのうえで虎の子の機甲師団と機械化師団四個にイギリス機甲師団を加えた第7軍団をその西側の弱化した防衛線にぶつけて突破、さらに西側から回りこんだ第18軍団と連携してやや変則的だが古典的な迂回包囲を達成させた。まあ、戦力的に余裕があるからこそ、単純かつ簡明な作戦を選択できる、ということもあるがな。劣勢な方はまともに戦ったら勝てないから、どうしても巧妙かつ細緻な作戦を選択しがちだ。帝国海軍のレイテ作戦なんて、いい例だな。柔軟性の無い作戦だったから、アメリカ側のミスも多かったにも関わらず、自滅的に敗北してしまった。作戦に無理があった、と言うよりは、こんな手を打たざるを得ないまで帝国海軍を追い詰めたアメリカ海軍の、戦略的な勝利だったんだろうが」

「まあ、この戦いもかなり戦略的にタナシス王国を追い込んでいる、ということよね」

 夏希は『旧タナシス王国全図』を思い浮かべた。タナシス正規州七つのうち、東部のディディリアとディディサクは事実上レムコ同盟の占領下にある。アノルチャ州南部も、主要部は憲章条約軍が制圧中。キュスナル市が陥落すれば、タナシス王国の心臓部といえるリスオン州までは、あと一息である。

「気になるのは、キュスナル市民を避難させたという情報が皆無なことだ」

 拓海が、難しい顔をする。

「これ以上、一般市民の犠牲者は出したくないからな。市民が居座っている状態で、市街戦はやりたくない」

「シェラエズなら、開戦前に退去させると思うけど」

 夏希はそう言った。時に非情な手を打ってくるシェラエズだが、市民を巻き込むような手段を使った例はないし、これからも使うとは思えない。

「問題は、例のセーランがシェラエズの軍勢に加わっていることが確実視されることだ。ただ単に増援部隊を率いているだけならいいが、シェラエズを補佐する立場にいるとなると、生馬が嵌ったようなえぐい手を使ってくるかもしれない」

「えぐい手ねえ……」

 居残っている住民もろとも街ひとつを丸ごと焼き払ったセーラン将軍。たしかに、卑劣極まりないやり方ではある。

「でもまあ、よくよく考えてみると、ここでの戦争って、案外クリーンなのよねぇ」

 ぼやくように、夏希は言った。元の世界の二十世紀頃の戦争の方が、はるかに市民の犠牲が大きかったはずである。都市への絨毯爆撃、客船の撃沈。食料、燃料を始めとする消費物資輸送の妨害。容赦ない市街戦。そして、警告なしでの都市への核攻撃。

「まあな。市民軍は動員しているが、とても総力戦とは呼べぬレベルだし。……それはともかく、今後の予定を説明しておくぞ。俺たちは夕方上陸し、その場で野営する。川船は全部夜を徹してアノルチャ港に戻り、そこで生馬の部隊を乗せて引き返してくる。俺たちは川沿いの主街道をキュスナル市へ向かう。前衛部隊は、俺たち主力に半日先行する形で主街道を前進している。明後日のお昼ごろ、前衛部隊はキュスナル市の至近に迫り、そこに布陣する。俺たちが到着するのは、夕方だ。そこで前衛部隊と合流する。生馬の予備部隊は、主力を追い越して進み、日暮れ前に上陸。そこで支街道に入り、大きく東に迂回する形で夜通し進軍し、翌早朝キュスナル市の至近に現れる、という寸法だ。明け方から本格的な偵察行動を進め、敵陣の弱点を探る。開戦は、明後日のお昼ごろになるかな」

「首尾よくキュスナル市を陥としたら、そのあとは?」

「どれだけの打撃をタナシス軍に与えられるかで、方針は変わってくるな。殲滅に近い打撃を与えられたら、和平交渉に入ってもいいだろう。この四万名が、事実上唯一の敵野戦軍だからな。そりゃ、市民軍をさらに募ったり辺境軍をかき集めたり、ディディウニやディディリベートにいる部隊を移動させたりすれば、五万や六万の兵力は捻出できるだろうが、それを支えるだけの力がもうタナシスには残っていまい。経験を積んだ士官や、野戦軍の中核と言える下士官クラスも不足しているはずだ。外交的勝利の見込みがない状態で、消極的抵抗を続けても、無意味だからな。もし、アノルチャ市の時のように主力を取り逃がしたら、厄介なことになる。おそらく次の戦いは、リスオン州の高原地帯へと登る箇所を巡る攻防になるだろう。あの辺りは、リスオン川が穿った深い峡谷地帯だから、きわめて守り易い地形だ。そこに強固な陣を作られたら、簡単には突破できないだろう。いくつか迂回路はあるが、いずれも水路を伴っていないので、王都リスオン攻略のための兵站路には使えないし」

「ここキュスナルを、天王山にしないとまずいわけね」

 夏希は深くうなずいた。拓海が、夏希の眼を見据えるようにしてうなずき返す。

「天王山であり天目山であり関が原だ。ここで憲章条約軍が勝てたら、タナシスは詰むよ」



 タナシス軍主力が、キュスナル市南方の街道上に布陣しているとの報せがもたらされたのは、憲章条約軍中央軍団主力がリスオン川沿いの街道を進み始めた日の午前中であった。

「ちょっと信じがたい情報だな」

 いったん進軍の列から外れ、少数の司令部要員とともに木陰で休憩しながら、拓海が言う。

「悪くない場所ね」

 伝令が持ってきた偵察将校の手書き地図と、数枚のイラストを、小縮尺の作戦地図を見比べながら、夏希はそう判断した。リスオン川の流れに立ちはだかるように存在する直径二キロほどの丸くなだらかな丘。丘の麓を西側へと迂回する川の流れ。丘を北西から南東へと直線的に突っ切っている主街道。そして、丘の北西、麓付近に幅広く布陣しているタナシスの大軍。

「確かにな。迂回はしにくい場所だし、西側を川に守られた形になっている。丘の麓という不利な位置なのがちょっと引っ掛かるが……最大の疑問は、連中がなぜ有利なはずのキュスナル市籠城という作戦を放棄したかだ」

「要塞化が間に合わなかったから、時間稼ぎのために出てきたとか?」

「それなら、全軍出してくることはない。推定四万、であるからして布陣しているのはほぼシェラエズの主力全部だろう。遅滞行動ならば、その三分の一で十分任務がこなせるはずだ。その程度ならば、残り三分の二を築城の労働力として使える」

 拓海が、夏希の見解を否定する。

「なら、野戦で勝ち目があると判断して出てきた、ってことかな」

「たぶんな。何らかの成算があるのだろう。シェラエズのやり口っぽくないな。これは、セーランの入れ知恵の可能性が高いぞ」

「この丘が、罠なのかな」

 夏希は手書き地図を指し示した。常識的に考えれば、この地に布陣したタナシス軍に対峙する憲章条約軍が陣を敷くのは、丘の上になる。

「……タナシス側にもっと兵力があれば、こちらが丘上に布陣したところで包囲する、という手もありえるだろうな。だがしかし、それだけの兵力はない。偵察報告でも、丘上に何らかの罠の兆候はないそうだし。ま、用心するしかないな」

「こうなると、作戦計画の見直しが必要ね」

 地図から眼を上げた夏希はそう言った。こちらはタナシス軍がキュスナル市に籠城すると想定し、それに基づいた作戦計画しか持ち合わせていない。

「そうだな。今日中に、前衛部隊主力がこの位置まで到達する。念のため、丘を挟んだ南側に布陣させよう。この段階での交戦は避けたいからな。明日の昼前には、我々主力が到着できるはずだ。生馬の予備軍が船で到着するのは、午後半ば頃になるかな。……となると、明日の開戦は難しいな。こちらの錬度に問題がある以上、夜戦はやりたくない。明後日の早朝、開戦という運びになるだろうな。それまでに、向こうが仕掛けてこない限りは」

「作戦としては……やっぱり、東側に延翼運動を行いつつ敵を誘い出して、敵左翼の陣形を薄くしておいてから生馬の予備軍を投入して中央突破、西へと転じてリスオン川に押し付けるような形で敵主力を片翼包囲、殲滅にかかる……ってとこかな?」

「教科書どおりの立派な戦法だな。花丸あげるぞ」

 夏希が開陳した漠然とした作戦案を、拓海が笑顔で承認する。



「敵前衛部隊の規模は二万前後。警戒しつつ、野営準備に入っている模様です」

「ご苦労さまでした」

 報告をもたらした情報幕僚に対し、セーランは丁寧に労いの言葉を掛けた。ただし、無表情で。

「状況から見て、今夜仕掛けてくることはまずないでしょう。見張りは最小限に止め、なるべく多くの兵を休養させるように。では、解散」

 居並ぶ幕僚と、部隊長クラスに対し、セーランはそう告げた。十数名の部下たちが、ぞろぞろと司令部用天幕を出てゆく。

 すでに、外は薄暗かった。赤味を増した太陽はリスオン川の対岸、西に遠く見える低い山々にその姿を半分隠している。そのはるか上には、その筋状の姿をオレンジ色に美しく染め上げた雲が、いくつも浮かんでいる。北から吹いていた風は、今はぱったりと止んでいた。

 セーラン率いるタナシス軍部隊は、すでにすべての準備を終えていた。総兵力は、三万八千。丘の北側に、味方の南進を妨害しない程度の間隔を開けて三段に木柵を設置してある。例の木の枝は、柵の内側に隠した約三十の薪の山の脇に、等分されて置いてある。

 ……明日は必ず勝つ。抜擢してくださったオストノフ陛下のために。

 セーランの出自は、やや複雑である。エルフルール辺境州の蛮族女性と、カレイトン人商人のつかの間の恋の落とし子として生を受け、幼いうちに奴隷として王都リスオンに連れてこられる。基礎教育中に軍事的適性に目覚め、奴隷軍人を志すものの、その外貌の良さからとある下級貴族の屋敷に奉公するはめになる。彼が感情を隠すようになったのは、その貴族に仕えるようになってからである。精神的に常に不安定であった主人は、使用人たちに辛く当たることが頻繁だったのだ。主人をなるべく刺激しないように、きわめて無表情に、かつ淡々と接する。そんな召使生活が、セーランの少年時代であった。

 その灰色の人生からセーランを救い出してくれたのは、客として屋敷を訪れ、偶然セーランの軍事センスを知るところとなったとある退役将軍であった。各方面に働きかけてセーランを譲り受けた退役将軍は、彼を辺境軍に勤務する昔の部下の元へと送り込む。

 天賦の才能と精勤ぶりで、セーランは辺境軍で出世を重ねた。特に評価が高かったのは、上官への無類の忠誠心であった。退役将軍のように、自分の実力を認めて取り立ててくれた相手に対しては、絶対の忠誠を貫く。これが、セーランのスタイルであった。奴隷身分を脱してからも、セーランのこの姿勢は継続された。出自の卑しさゆえ、正規軍には配属されず、中央に呼ばれることもなかったが、セーランは己の境遇に満足しつつ、辺境軍で軍功を重ねた。

 そして今、オストノフ国王によって大抜擢され、大軍を率いて国家の命運を左右するような大会戦に挑もうとしている。

 ……心配なのは、天候だな。

 セーランは、天幕を出た。すでに地元の者から、天気は下り坂であることを告げられている。明日いっぱいは持つはずだが、明後日には雨が降り出すらしい。

 好天が崩れれば、風向きが変わる。夜間も風向きが変わるので、毒枝を使った作戦が決行できるのは、明日の日中しかない。

 すでに、憲章条約軍主力はここまであと半日程度の位置にいるとの情報が届いていた。進軍が滞りなく進めば、明日の昼ごろには到着するだろう。そのまま戦闘に持ち込めれば、作戦通りとなる。

 ……敵の順調な進軍を願わねばならぬとは、皮肉なものだな。

 セーランは心の中で苦笑した。

 この地で大勝し、憲章条約軍主力を屠ることができれば、近日中にアノルチャ市奪回も可能だろう。情報では、最近憲章条約軍とレムコ同盟の関係がやや悪化しているらしい。そこへ付け込めば、最終的な勝利は無理としても、有利な条件で講和できる。

 セーランは、丘を眺めた。明日になれば、四万の憲章条約軍がここを駆け下りてくるだろう。そこへ浴びせられる、毒性を含んだ煙。混乱する敵。タイミングを見計らって、突入するタナシス軍。セーランが狙っているのは、中央突破であった。敵を二分させ、まずは左翼を集中的に攻撃し、追い散らす。しかる後に、右翼部隊をリスオン川河岸に追い詰め、殲滅する。あとは、追撃戦である。指揮系統が混乱し、敗走する敵を、ひとつひとつ叩き潰してゆく。すべてが上手く行けば、日没前には凱歌を上げられるはずだ。


第百十八話をお届けします。

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