表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
白き巫女と蒼き巫女【改稿中】  作者: 高階 桂
第三章 タナシス王国編
116/145

116 北上再開

「本当に、すまん」

 夏希と拓海の顔を見るなり、生馬がそう大声で謝罪しつつ頭を下げる。

「生馬のミスじゃない。戦闘詳報を読ませてもらったが、むしろあんたが前衛踏ん張らせてくれたおかげで、憲章条約軍の方は完敗を免れることができたんだ。むしろ、勲章ものだよ」

 拓海が珍しく慈愛を込めた声音で言って、腕を上げて生馬の肩に手を置いた。……拓海は慰めているつもりなのだろうが、身長差がありすぎるのでなんとなく滑稽な画になる。夏希は思わず頬を緩めた。

「もう少し予備兵力があれば、ユッカの街の北側で粘ることができたはずだ。そうすれば、西側から迂回してきた味方後衛と連携を取ることができた。そこから攻勢に出れば、劣勢であった局面を打開できたはずだ。あと一個大隊、精鋭一千名の予備があれば……」

 悔しげに、生馬が説明する。

「あと一個大隊って、あんたはパウル・カレルか、という突っ込みはさておき……俺が頼んだ準備は、整えておいてくれたろうな?」

「問題ない。すべて終えてきたよ。ランクトゥアン王子との調整も済ませた。……おっと、その前に」

 生馬が振り返り、戸口の方に声を掛ける。

「マーラヴィ、持って来い」

 呼ぶ声に応じて現れたのは、一人の少年だった。年の頃は十二から十三歳といったところか。目が細く、目尻が吊りあがっているという典型的なタナシス人らしい風貌だが、顔の造作自体は整っており、やや小柄なことも相まってなかなかに可愛らしい。手にしているのは木製の盆で、その上に封の切られていないガラス瓶が二本立っている。

「なんだ、ソリスをお払い箱にしたのか?」

 歩んでくる少年を見ながら、拓海が茶化す。

「ソリスの部下兼俺の従僕だ」

 いささかむっとした表情で、生馬が応じた。少年……マーラヴィが恭しく差し出した盆の上から瓶を取り、夏希と拓海に一本ずつ差し出す。

「賄賂か?」

 瓶を受け取った拓海が、胡散臭げな表情で中身を透かし見ようとする。

「お詫びの印だよ。カレイトン自治州……おっと、もとい。カレイトン王国の最高級ワインだ。飲んでくれ」

 生馬が、受け取るのをためらっている夏希の手に、残る一本を押し付ける。不承不承、夏希も受け取った。

「ま、ここは生馬の気持ちも汲んでありがたく受け取っておくべきだな」

 にやにやしながら、拓海がワインの瓶をテーブルに置いた。

「それはそうだけど……お酒もらってもねえ」

 夏希も瓶を置いた。慣れとは恐ろしいもので、夏希も酒宴の席などでは相当飲めるようになったが、習慣としての飲酒はしていない。

「それより……大丈夫なのか、あの少年は?」

 マーラヴィが立ち去ったのを確認してから、拓海が小声で問う。

「生粋のタナシス人だが、問題ないよ。戦災孤児なんだ。俺とソリスに忠誠を誓ってる。裏切ったりすることは、ないよ」

「本当に?」

 夏希もそう問いかけた。

「大丈夫。むしろ、タナシス軍を恨んでいるくらいだ」

「……ひょっとして、ユッカの街で拾ったのか?」

 拓海の問いに、生馬が無言でうなずく。

「あー、なるほど」

 夏希は納得した。

「両親、祖父母、兄弟は一番上の兄貴以外、ガールフレンド、友人、さらに愛犬までみんな焼け死んでいる。彼だけは、早朝から一人で川に釣りに出かけて、難を免れたんだ。いきなり、天涯孤独の身だ」

「一番上のお兄さんは?」

「市民軍に取られて、西部同盟との小競り合いで戦死している」

「あれま」

「焼け跡で途方に暮れていたのを拾ってやったわけか。生馬らしいと言えばらしいが……」

 茶化すような口調で、拓海が言う。

「しかし美少年だったな。俺はてっきり、生馬がお稚児さん趣味に目覚めたのかと思ったぞ」

「おい」

 生馬がどすの利いた声でひとこと言って、拓海を睨む。

「ほら、あんたは戦国武将に憧れていたろ? だから、形から入ろうと……」

「拓海。斬っていいか?」

「冗談だ。あんたがノーマルなのは判ってる。ま、おふざけはこの辺にして、本題に入ろうか。明日早朝、憲章条約軍中央軍団本隊は、ここアノルチャ市を進発し、アノルチャ川沿いに北上する。そののち、前衛部隊と合流、アノルチャ州北西部に進攻する。夏希、地図を頼む」

 真面目な口調に戻った拓海が、テーブルの上の瓶を片付けながら夏希に頼んだ。うなずいた夏希は、大判の地図を広げた。アノルチャ州とその北のリスオン州、それにディディリア州の一部が描かれたものだ。

「まず、全般的な状況をおさらいしておこう。タナシス軍はここ、キュスナル市の要塞化を進めていると思われる。総兵力は、推定で約四万。同市は見ての通り、リスオン川沿いの中堅都市で、主要街道はみなここを通っている。ここを戦略的に迂回し、王都リスオンを目指すのは、兵站の上で不可能だ。よって、是が非でもキュスナル市を攻略しなければならない」

「要塞化の時間的余裕を与えちゃったのは、痛かったわね」

 夏希はそう言った。アノルチャ市の攻防でシェラエズを罠に掛けることに失敗し、さらにレムコ同盟から兵力の提供を得られなかったために、当初の進攻計画よりもたっぷり五日は遅れている。

「戦略目標は、王都リスオンのままでいいのか?」

 生馬が、聞く。

「それは、問題ない。こちらの戦争目的は、有利な条件での講和だ。それには、タナシス王家の権力とその力の源である野戦軍を葬り去らねばならない。たしかに、タナシスには最北部のディディウニ州という後背地があるが、すでに東の二州がレムコ同盟に占領されている現状でリスオンが陥ちれば、国土は事実上二分されてしまう。タナシスはリスオン市の防衛に全力を注ぐだろうし、そうなれば野戦軍撃破の機会が生ずる。情報では、タナシス国内の貴族の中にも厭戦気運が高まっているようだ。野戦軍が大敗すれば、王家の権威も傷つくだろう。講和に応じてくれる可能性は、高まる」

「問題は、こちらの兵力よね」

 地図を睨みながら、夏希は唸った。

「そうだ。本隊が二万一千。前衛が一万八千。合計三万九千。もちろん、アノルチャ市を空にするわけにはいかないから、実際に運用できる兵力はこれより少なくなる。タナシス側と、ほぼ同等の兵数だ」

「しかも、正規軍兵士の割合が大きいタナシスの方が、質も優れている、と」

「その通りだ」

 夏希の言葉に、拓海が同意する。

「でまあ、その対策として……まず第一に、本作戦においてアノルチャ州内の面的な制圧は一切行わないこととする。兵站線の防御も、極力手を抜く。幸いにして、アノルチャ州内の一般市民は、我々に敵意を見せていない」

「そのあたりが、いまだによく判らないのよね。一応敵国に占領されたり、占領されそうになっているんだから、もっと反抗的でもおかしくないのに」

 夏希は首を傾げつつそう言った。

「そいつは、近代の市民らしい考え方だよ。古代や中世の専制国家や封建国家では、愛国心は生まれにくいんだ。だいたい、愛国心なんてものは教育や啓蒙の結果、後天的に身に付くものだしな。初等教育さえ行われていないこの地で愛国心が涵養されるわけがない。郷土愛や同胞愛はあるだろうがね。もともとタナシス王国は多民族国家だから、異民族による侵略という図式ではないし、こちらも略奪や暴行は厳禁している。王家や貴族に対する敬意は持ち合わせていても、それだけでは命がけで憲章条約軍に楯突こうという気にはなれないだろう。むしろ、占領をありがたがっているんじゃないかな。市民軍に取られなくて済むし、物資の供出もしなくていいし、税金すら今は免除状態だからな」

「国がでかすぎるんだよ」

 生馬が、口を挟んだ。

「例えばジンベルなら、事実上ひとつの都市とその郊外で国家が成り立っているから、いわば郷土愛の延長で愛国心が生まれる。王族の姿もしょっちゅう見かけるしな。それがタナシスだと、一般市民にとって隣の州は遠い異国も同然だろう。これじゃ、愛国心は生まれないよ」

「まあとにかく、そのおかげでこちらとしては兵力の節約ができるわけだ。そしてふたつ目の対策……生馬に任せる予備部隊だ」

「本当に、上手く行くのか?」

 生馬が、珍しく気弱な表情を見せる。

「たぶんな。しばらくは好天が続きそうだから、海は荒れないはず。川船も、十分な数を集めてある。ランクトゥアン王子も、自信満々だったしな。タナシスの連中に、シーパワーというものはこうも使えるんだ、というところを見せ付けてやる」

 拓海がふてぶてしい笑みを浮かべて言った。

「分進合撃ねえ」

 つぶやきながら、夏希は地図を睨んだ。

 大兵力の移動は、基本的に困難である。例えば、一万人の軍勢をひと一人通れるだけの狭隘な道を通過させるとなると、各員の間隔を一メートルと計算すれば、実に全長十キロメートルにもおよぶ長大な隊列となってしまう。

 もちろんこれは極端な例ではあるが、よほどの良路でない限り、大兵力の移動は長大な隊列とならざるを得ない。そしてその隊列が一塊となって、戦闘力を十二分に発揮できる陣形となるには、かなりの時間が掛かってしまう。

 それをある程度緩和できるのが、分進合撃である。複数のルートに分かれて進軍し、敵と接触する寸前にひとつにまとまるのだ。これは、よく川の流れに例えられる。本流の流れがそれほど強くなくても、いくつもの支流が合流することによって、川の流れは勢いを増し、やがては堅固な堤防を打ち破って洪水を引き起こすことができるのである。

 もちろん、この方法には弱点がある。合流のタイミングを間違えば効果は激減するし、各個撃破のおそれもある。

 拓海の作戦では、生馬が率いる一万名の予備部隊が、前衛および本隊とは別の街道を進軍することになっていた。キュスナル市の至近で両者は合流し、共に攻略戦を行う手筈である。

「肝は存在しない予備軍だ、というところなんだがな」

 顎を撫でながら、拓海が言う。

 生馬が率いるはずの予備軍は、西部軍団の所属であり、いまだカレイトン王国にいた。タナシス王国側の諜報組織に、この部隊は西部地域から動かない、と思わせるためである。

 拓海は本隊がキュスナル市前面に展開するのは、進発してから四日目のこと、と想定していた。生馬の予備軍は、川船でテマヨ川を下り、外洋船舶に乗り換えてアノルチャ市に入り、そこでまた川船に乗り込んでアノルチャ川およびリスオン川を遡って上陸、支街道に入ってキュスナル市前面に展開する、という移動を三日間で行うのである。かなりの強行軍だが、悪天候に邪魔されなければ、十分な船舶数を持ちなおかつ完全な制海権を有する憲章条約軍にならば、可能な作戦であった。タナシス側にしてみれば、存在しないはずの予備軍一万が忽然と現れれば、かなりの脅威となるに違いない。



「ここで、罠に掛けます」

 セーラン将軍が言って、地形を手で指し示す。

 シェラエズ王女は、手にした地図と見比べながら、あたりの地形を詳細に検めた。立っているのは、大きいが低くなだらかな丘の上だ。北西方向から流れてきたリスオン川は、この丘にぶつかってその麓に沿うように大きく西の方へと弧を描いて迂回し、また元のように南東方向へと流れている。川沿いの主街道は、ここでは流れに沿わず、近道である丘上を突っ切って真っ直ぐ伸び、元へと戻った流れにまた寄り沿って南東方向へと向かっている。

「北西側の丘下に陣を構えます。敵が丘を下りてきたところで例の枝に火を放ち、煙に巻きます。敵が混乱を来たしたところで、丘上に攻め上り、これを蹴散らします」

 例によって無表情のまま、淡々とセーランが説明する。

「枝は十分な量を確保したのか?」

「はい。数分は煙が持続する程度には」

「憲章条約側に迂回される危険性は?」

「敵はこちらがキュスナル市を要塞化しつつあることをすでに掴んでいるはずです。我々が野戦を望んでいると知れば、積極的に交戦を求めてくるでしょう。細い街道は何本かありますが、いずれもキュスナル市に通じるもの、あるいはこの丘の南側で本街道に合流するもので、この場での戦術的な迂回には適しておりません。」

「どうやらそのようだな」

 地図を検めながら、シェラエズはそう言った。たしかに、迎撃に最適な場所をセーランは選択していた。上へと昇り易い煙を敵に吹き付けるために、丘下という不利な位置に陣地構築をせざるを得ないのが、唯一の弱点であろうか。

「風向きも良さそうだな」

 シェラエズは、手を宙に差し伸べて風向きを確かめた。それほど強くは無いが、おおよそ北ないし西からの風が、丘下から萱のような草をなびかせつつ吹き上がってきている。

「晴れていれば、日中はほぼ恒常的にこの風が吹いているそうです」

 セーランが、説明する。

 ……ここでも運頼みか。

 シェラエズは内心でため息をついた。天候が悪化すれば、風向きが変わるだろう。雨なら、枝を燃やすのに苦労するはず。風が強ければ、せっかくの煙が吹き散らされてしまうかもしれない。もし、憲章条約軍が夜戦を選択したら? こちらを無視し、キュスナル市に真っ直ぐ向かったら? そもそも、戦略方針を転換し、リスオン川沿いに進軍してこなかったら?

 幸運が続いて、ここでセーランの策が成功したとしても、それでタナシス側の勝利が決定的となるわけではない。相手は、あの竹竿の君と、その知恵袋たるタクミという男なのだ。油断はできない。

「結構。全面的に、指揮を任せよう。わたしは手出しをせず、後方で見守らせてもらう」

 シェラエズは、強いて微笑みを浮かべた。

「恐れ入ります、殿下。このセーラン、王家の威信と陛下の御為ならば、死をも厭わぬ覚悟。必ずや、勝報を殿下にお伝えさせていただきます」

「うむ。期待しているぞ」

 ……ここで負けたら、姉上のあの厭わしい計画の出番になりそうじゃな。



「捕虜交換の件、大筋で合意に至りました」

 オストノフ国王に対し、エミストはやや喜色をあらわにして報告した。

「それは結構」

 同様に喜びの表情で、オストノフが応じる。

「憲章条約側としては、案件自体を憲章条約総会に諮らねばならないとのことですが、まず間違いなく承認は得られるだろう、との話です。レムコ同盟、西部同盟は全面的に賛成。すでに、第一陣の名簿作成に掛からせております。規模は、一千名ずつ」

「よろしい」

 エミストは、続けてそのほか数件の報告を行った。戦争中とは言え、国王は国家運営のためには戦争関連以外の多数の案件について熟知し、それに基づいて適切な判断を下さねばならないのだ。

「それで……例の件はどうなった?」

 一通り報告が終わったところで、声を低めてオストノフが問う。

「順調に進んでおります。各貴族の動向に関しても、調査を進めております。すでに反戦派と思われる数名を洗い出しました。有力貴族の中にも、声高に抗戦を主張しなくなった者も出始めました。ルークドルク卿などが、代表格ですが」

「本当か? いや、卿の領地のことを考慮すれば、当然と言えるかもしれないが」

 オストノフが言う。タナシス王家に次ぐとも言われるほどの大貴族、ルークドルクだが、その広大な領地はディディリア州とディディサク州にまたがって存在する。両州がレムコ同盟によって占領された以上、気弱になるのは当たり前かもしれない。

「ルークドルク卿あたりが反戦派に回ってくれれば、同調する者も多く出るでしょう。特に、ディディリアとディディサクの中小貴族は、卿の言いなりの者が多いですから」

「うむ。それで……実際に手を下す者の選定はどうなった?」

「レムコ同盟側より提出された捕虜交換の第一陣予定者名簿の中に、レジエ将軍の名がありました。彼ならば、王家に忠実ですし、色々と名目が立つでしょう。帰国したら、依頼しようと思います」

「よろしい。相手がレジエなら、わたしも本望だ」

 オストノフが、深くうなずく。

「どうやら、そろそろ憲章条約側も侵攻を再開しそうです。おそらく、次の会戦が勝敗の分かれ目になりそうです。わが方が勝利し、この計画を屑篭に投げ入れることができればいいのですが……」

 エミストは、語尾を濁した。我ながら、ひどい計画だ、と未だに思っている。だがしかし、タナシス王家とオストノフ陛下の……父王の名誉を守るためには、他に方法がない。

「わしももちろん勝利を願うが……最悪の場合も想定して対応策を準備しておかねばならぬ。引き続き、頼んだぞ」

 オストノフが優しげな笑みを浮かべつつ、手を伸ばしてエミストの肩をそっとつかむ。

「御意」

 エミストは、目を閉じて頭を下げた。



 アノルチャを巡る攻防戦から十二日後、ようやく憲章条約軍中央軍団本隊二万名が、街道とアノルチャ川を使って北上を開始した。先行して布陣している前衛一万八千からは、多数の偵察隊が派出されて、主にリスオン川沿いに敵影を捜索する。

 決戦の時は着々と近付きつつあった。


第百十六話をお届けします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ