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白き巫女と蒼き巫女【改稿中】  作者: 高階 桂
第三章 タナシス王国編
115/145

115 エミストの腹案

 二匹の魔物は、暇を持て余していた。

 タナシスの王都リスオン。そのほぼ中央部にある王宮で、二番目に格が高い謁見の間に通じる控え室のひとつである。謁見の間では、エイラとサーイェナのふたりが、エミスト王女とその補佐役相手に話し合いを続けている。

「暇なのですぅ~」

 歌うように言いながら、コーカラットが部屋の中をくるくると飛び回る。その下では、ユニヘックヒューマがテーブルの上に用意されているお菓子や果物の類を、端から貪り食っていた。魔物だから食べても滋養にはならないが、少なくとも暇つぶしにはなる。

「この王宮も、以前より活気がなくなったのですぅ~」

 中庭が見下ろせる窓のところで動きを止めたコーカラットが、言う。

「人手不足なのでしょうか、お庭も荒れ気味なのですぅ~」

「戦争中の国の王宮ですからね!」

 食べるのをやめたユニヘックヒューマが、掛けていた椅子からぴょこんと飛び降りると、壁の飾り帯に指を這わせた。嫁の掃除の仕方を咎める姑のように、埃の付いた指先をコーカラットに向け突きつける。

「ほら! お掃除も行き届いていないのです!」

「末期ですねぇ~」

「ところで、サーイェナ様とエイラ様はどんなお話をしていらっしゃるのでしょうか?」

 謁見の間へと通じる重厚な扉を見やりながら、ユニヘックヒューマが聞く。

「ちょっと聞いてみましょうかぁ~」

 コーカラットが触手を扉脇の壁に伸ばし、ぴたりと密着させた。先端が薄く円形に広がり、それがむくりと膨れ上がってベル状となる。

「……どうやら、捕虜交換についての話題のようですねぇ~」

「捕虜交換ですか! いいことなのです! 交戦中の両陣営が信頼関係を醸成するための常套手段なのです!」

「先ごろの戦いで、タナシス側も大量の捕虜を獲得したようですからねぇ~。お互い、交換する手駒には不自由しないはずですぅ~」

 すでに王都リスオンには、タナシス東部総軍がアノルチャ奪回を断念して退却したことも、セーラン将軍が憲章条約西部軍団と西部同盟軍に大勝したことも伝わってきている。当然その情報は二匹とも『耳』に入れていたし、リスオンの一般市民にも知れ渡っていた。



「エイラ殿、サーイェナ殿両名とも、わが方と憲章条約とのあいだで和平仲介役を務めることを快諾してくれました。時間さえ掛ければ、和平は可能かと」

「その時間が、あまり無いのだがな」

 エミスト王女の報告に、オストノフ国王が苦笑する。

「それで、お前は今後の情勢をどう読む?」

 椅子の背もたれに背中を預け、果実酒の入ったグラスを手にするという寛いだ格好のオストノフが、尋ねる。時刻は、すでに深夜に近い。就寝前の、私的な時間帯を使った気の置けない雑談に近い報告であった。

「西部での戦勝はたしかに朗報ですが、あちらは主戦場ではありません。アノルチャ奪回をシェラエズが断念した以上、わが方の劣勢は覆っておりません。セーランの勝利も、多少の時間稼ぎになっただけのことでしょう」

 きわめて冷静な口調で、エミストは父王の問いに答えた。

「だろうな。……ところで、有力貴族連中から、東部総軍の指揮をセーラン将軍に任せてはどうか、という進言が多く寄せられている。お前はどう思う?」

「シェラエズの解任は、政治的にまずいでしょう。なにより、王家の面子を潰すことになります。シェラエズを指揮官に据えたままで後方に置き、セーランに実働部隊の指揮を任せる、というのは良策であると考えます。勝てばそれでよろしいですし、負ければすべての責をセーランに押し付けることができますゆえ」

「……上手く幕引きをしたいと思っているお前にとっては、絶好の機会というわけか」

「御意」

 この戦争を終わらせる方法は、簡単である。タナシス王国が降伏すればいいのだ。そのための権限は、貴族から外交権を始めとする各種権限を委譲され、国政を担っている最高権力者であり、国軍の最高司令官を兼任しているオストノフ国王が握っている。

 だが、あっさりと降伏したのでは王家の存続は不可能になる。有力貴族の大半を占める抗戦派は、タナシス王家に対し今のところ忠節を尽くしている。そしてそれは、王家が由緒ある誇り高き存在であると彼らが認めているからに他ならない。降伏という汚辱をオストノフが受け入れた途端に、すべての貴族が手のひらを返したように王家支持をやめるだろう。それだけではない。むしろ積極的に王家の敵にまわるはずだ。信じていた存在に裏切られた者の常として、その報復は苛烈を究めるだろう。オストノフ国王以下王家の者は遠戚に至るまでことごとく捕らえられ、処刑されることは、確実と言える。

 むろんエミストは死にたくなかった。そして、このままタナシス王国が現在の王家によって統治されることを望んでいた。有力貴族連中がどの家系を新国王に担ぎ出すにしても、タナシス王家ほどの支持は得られないだろう。下手をすれば内戦状態に突入し、王国の分裂を招きかねない。そうなれば、苦しむのは一般市民である。

 もはや、タナシス軍が憲章条約軍とレムコ同盟軍、そして西部同盟軍を蹴散らし、軍事的に勝利を収める可能性は皆無である、とエミストは見切っていた。抵抗を続けて時間を稼げれば、憲章条約側の厭戦気運を引き出し、和平に持ち込める可能性はあるが、それも難しい、と思っている。

 それゆえ、エミストはタナシスの軍事的敗北による和平成立の方策も早くから模索していた。鍵は有力貴族連中にあった。タナシス軍の敗北により、彼らが抗戦を諦めて降伏ないしそれに近い和平案を受け入れ、推進する立場を表明してくれれば、タナシス王家を見限ることはあるまい。ただし、その方法ではタナシス王家の面子は潰れることになる。戦後の国内統治に支障を来たすことは間違いない。

「上手い幕引きは困難だな。王家の面子。有力貴族の支持。国土の維持。それら諸条件を汲みつつ、戦争を終わらせるなど、不可能に等しかろう」

 果実酒を飲み干したオストノフが、嘆息した。

 ……そろそろ、この案を披露してもいい頃合か。

「実は……ひとつだけ、良い方法がございます」

 エミストは、思い切って申し出た。

「良い方法?」

「はい。タナシス王家の面子を損なわず、陛下の名誉も維持し、この戦争を終わらせ、有力貴族の支持も失わず、なおかつタナシス王国を存続させる方法がございます」

「聞こうか」

 疑わしげな表情のオストノフが、空になったグラスをサイドテーブルに置く。

 エミストは腹案を述べ始めた。聞いていたオストノフの表情に驚きの色が浮かぶ。やがてそれは微笑に変化し、最終的には哄笑にまで至った。

「……わが娘ながら恐ろしい女だな、お前は」

 哄笑をやめ、真顔になったオストノフが、言う。

「他によい案も思い浮かびません。もちろん、これは最後の手段です」

「お前が泥を引っ被ることになるが、いいのか?」

「タナシス王家存続のためならば、汚名程度甘んじて受けましょう。むしろ、陛下の方が……」

 エミストは、語尾を濁しつつ父王の厳つい顔を見上げた。

「わしは構わんぞ。玉座に就いた時に、ある意味覚悟はできている。名誉を保ったまま、その在世を終わらせることができるのならば、本望である」

「お覚悟のほど、感服いたしました」

 エミストは、深々と頭を下げた。

「……いいだろう、エミスト。その案、進めてよろしい。言うまでもないが、内密にな」

「御意」



「セーラン将軍、陛下のご命令により出頭いたしました」

 金茶色の髪と褐色の肌を持つ男が、シェラエズ王女に対して深々と頭を下げる。

「ご苦労。貴殿はこれより東部総軍副指揮官となる。実質的に、東部総軍の総指揮を任せる。頼むぞ。……ただし」

 シェラエズは、鋭い目つきで眼前の男を睨みつつ、付け加えた。

「市民を戦いに巻き込むな。これは、厳命だ。もしユッカの戦いのような事態が再び生ずるならば、わたし自らの手でそなたを処刑する。よいな」

「承知いたしました、殿下」

 再び、セーランが深々と頭を下げた。相変わらずの無表情なので、反省しているかどうかは外見からではわからない。

「それで、なにか策があると聞いたが?」

 口調を少しばかり砕けたものに変え、シェラエズは訊いた。

「畏れながらその前に、全般的な情勢について再確認しておきたいのですが」

 セーランが、言う。シェラエズは幕僚を呼び、地図を開いて情勢の説明を行わせた。

 リスオン川沿いの戦況は、相変わらずタナシス側にとって不利なのもであった。憲章条約側は、すでにアノルチャ州南部の要地を完全制圧し、アノルチャ市内に東部から転用した憲章条約軍推定二万以上を入れていた。総計すれば、四万に近い勢力である。これにおそらく、若干のレムコ同盟軍が加わるので、侵攻再開時にはその兵力は五万は確実に超えるだろう。

 対するタナシス軍は、ここキュスナル市にシェラエズ直卒の二万四千名が布陣。これに、王都リスオンから予備の奴隷軍五千名、西部方面総軍から九千名が引き抜かれて加わる予定である。数の上ではなんとか対抗できるだけの規模だが、これはディディリア、ディディサク両州を放棄したことにより、戦線を縮小できたからである。ちなみに、ディディウニ方面への侵攻を阻止するためにシェラエズが分派した兵力は約五千。今のところ、レムコ同盟軍主力はディディリア、ディディサク両州の制圧に傾注しており、そちらで目立った戦闘は生じていない。

「で、そなたの策は?」

「これであります」

 セーランが、手まねで部下を呼ぶ。

 シェラエズの前に進み出たセーランの部下が、恭しい態度で小さな木の盆をシェラエズに差し出した。その上には、何の変哲も無い短い木の枝が載っている。

「なんだ?」

 シェラエズは木の枝をしげしげと眺めた。太さは男性の親指程度。生木らしく、切断面は瑞々しい。

「メジャレーニエ辺境州で自生している低木の一種です。火に投じますと、有毒な煙を発します」

 淡々と、セーランが説明する。

「有毒……」

「たいした毒性はありません。煙を吸っただけでは、死に至ることは皆無。しかし、動悸が激しくなり、わずかですが吐き気も催します。混乱させるには、最適かと」

「姑息な手段だな。一回限りの奇策だ。それにしても、そなたは物を燃やすのがよほど好きと見える」

「恐れ入ります」

 セーランが、シェラエズの皮肉を受け流す。

「それで、どこで仕掛ける?」

「憲章条約軍は、こちらがキュスナル市に立てこもることを想定しているでしょう。地図によれば、そこから半日行程ほどのところに、適当な丘陵があります。そこへ誘い込み、煙を浴びせかけます。天候が荒れない限り風向きも一定のようですから、成功の確率は高いかと」

「運頼みの作戦だな。本来ならば認可できぬところだが、他に良い方法もない。いいだろう。任せよう」



「あ~、電卓が欲しい……」

 ぼやきながら、夏希は紙束と格闘していた。

 憲章条約北部軍団は、東部地域より移動してきた東部軍団と糾合され、中央軍団と改称されていた。その総兵力は三万九千。元北部軍団一万八千は前衛としてリスオン川とアノルチャ川の合流点付近に布陣しており、ここアノルチャ市には主力である元東部軍団二万一千が駐屯している。

 夏希が取り組んでいたのは、食料を中心とする兵站物資の目録の整理と、兵站計画の再検討であった。レムコ同盟や西部同盟の支配地域に近いところでは、地元の組織を兵站支援に協力させることができたが、ここアノルチャ州と、これから進攻しなければならないリスオン州はいわば敵地である。限られた期間とはいえ大軍を運用するには、自前でしっかりとした兵站組織を作っておかねばならないし、事前に大量の物資をアノルチャ市に集積しておく必要もある。さらに、アノルチャ市でタナシス野戦軍を捕捉することに失敗したおかげで、予定よりも兵力を増やさねばならぬ羽目になり、兵站計画の細部は見直しが必要となっていた。そんなわけで、憲章条約軍の進攻作戦は一時停滞を余儀なくされている。

「まいったな、こりゃ」

 手紙らしい折り畳まれた紙を手に、拓海が部屋に入ってくる。

「どうしたの?」

 夏希は顔を上げた。

「キュイランスからの報告だ。レムコ同盟が、アノルチャへの兵力供出を渋っている」

「え。そんな。レムコ同盟の兵力を当てにして作戦立ててたのに」

 シェラエズの手元には、まだ二万五千程度の兵力が残っていると見積もられている。王都リスオンから若干の兵力が送られる予定との情報も入ってきているし、例のセーラン将軍がかなりの兵力とともに、シェラエズの元へ合流するとの観測も、西部同盟から伝わってきている。おそらく、シェラエズは最終的に四万近い兵力をかき集めるだろう。これを打ち破るには、こちらも一兵でも多く集めねばならない。

「表向きは、ディディリア、ディディサク両州の制圧に兵力を取られているから、余裕がないということだが、それはもちろん嘘だ。だいたい、制圧の必要が無いんだからな。カートゥールに与えられた役割は、中央山脈北東嶺方面に向かって、ディディウニ州侵攻の構えを見せて敵兵力を誘引するだけだ。直接的に一万。側面の防御に五千もあれば十分だろう」

 拓海が、手紙をテーブルの上に投げ出す。

「……カートゥール代表の思惑は何かしら?」

「兵力の温存だろうな。戦後を睨んでの。それと……気になることを、キュイランスが書いている。レムコ同盟が、ディディリア、ディディサク両州の行政組織の解体を進めているそうだ」

「行政組織の解体? 何の目的で?」

「まあ、自前の組織に置き換えようという魂胆だろうな。普通、占領地の行政組織はよほどのことがない限り従前の組織を流用する。その方が、混乱が少ないしな。やるとしても、トップのすげ替えと強硬派の排除くらいだ。単なる占領ではなく、恒久的に支配しようと言うのならば、解体と再構築が必要だが」

「……まさかとは思うけど、レムコ同盟はタナシス本国の領土を、一時的な占領ではなく併合しようとか考えてるとか……」

 夏希は眉をしかめながら、そう口にした。

「可能性はあるな。思いっきり憲章条約違反だし、憲章条約軍との参戦の取り決めにも違反している。ひょっとすると、西部同盟の敗戦がカートゥールの野心に火を点けちまったのかもしれない」

「政治力のバランスが崩れかけているのね」

 ユッカの戦いで、西部同盟はその兵力の過半を失ってしまった。すっかり気弱になった西部同盟首脳部は、ディディリベート州進攻計画を断念し、クーグルト王国とカレイトン王国の防衛に汲々としている。このまま戦争が憲章条約側の勝利に終わったとしても、西部同盟の政治力はレムコ同盟のそれにはるかに及ばないものになるだろう。

「まあ、地力の差はあるにしろタナシス王国、元西部同盟諸国、元レムコ同盟諸国という三者鼎立状態を作り出し、北の陸塊の安定を図るというのが俺の目論見だったんだが、それがどうやら崩れてきそうだ。カートゥールがかつての大国スルメ王国復活を企んだりすると、えらいことになりかねん。もともと信用できない奴だしな。例のリスオン王宮テロの黒幕だと言う噂もあるくらいだし」

「……そうだったわね」

 夏希の脳裏に、凄惨な光景が鮮やかに蘇った。血まみれで倒れ伏すビアスコ王子とハルントリー王子。アフムツ氏族長。腹部を紅に染めたリュスメース王女。一瞬だが、鮮血の臭いさえはっきりと嗅ぎ取れた。

「とにかく、レムコ同盟抜きで戦う方策を考えなきゃ。……しかし、そうなるとユッカの戦いで生馬が負けたのが痛いわね。あそこで最低でも引き分けに持ち込んでくれれば、シェラエズのところに西部総軍からの増援は届かなかったでしょうに」

「まあ、痛いが想定の範囲内だしな」

 苦い笑みを浮かべた拓海が、こともなげに言う。

「そうなの?」

「当然だろ? 何もかも思惑通りに上手くいって連戦連勝、なんて夢みたいなことを前提にして長期戦略を組み立てるなど、愚かなことだ。中学生が初デート初エッチを妄想しているんじゃないんだから。おっと、これはセクハラ発言だな。謝罪して撤回するよ、すまん」

「言いたいことはよくわかったから、謝罪はなしで結構よ」

 夏希はくすくすと笑った。


第百十五話をお届けします。

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