113 冷血なる手段
……時間は多少遡る。
救援軍西部軍団と西部同盟の連合部隊は、夏希によるアノルチャ上陸作戦を間接的に支援するために、その数日前から攻勢に出ていた。北の陸塊第二の大河であるテマヨ川を遡るようにして、ディディリベート州内に侵入したのである。目指すのは、その州都クオーン市。そこから街道を東進すれば、王都リスオンへと至ることができる。
その戦陣の中に、生馬はいた。肩書きは、救援軍西部軍団参謀長。軍団のナンバー3である。総指揮を執るのは西部軍団長……高原のルバキエ氏族の氏族長……であり、西部同盟代表が実質的に副指揮官となるので、全体での席次は四番目、になろうか。
生馬は、この戦域が支作戦戦域であることを十分に承知していた。終局的な戦略目標であるタナシスの王都リスオン……拓海の全般的戦略構想では、そこへ至る前に戦争を終結させるつもりのようだが……攻略のためには、クオーン市-リスオン市間に陸路による兵站線を構築し、維持しなければならないが、それを行うだけの人的、経済的資源を西部軍団は当初から与えられていないのである。むろん、戦略方針が変更され、大量の人員とお金が西部軍団に供給されれば、王都リスオン攻略作戦の遂行は可能なので、タナシス側としても憲章条約軍の北進とクオーン市攻略作戦を座視するわけにはいかない。それゆえ、彼らも大量の軍事資源をこちらへの対応に割かねばならず、結果として正面戦域に貼り付ける兵力を減らすという支作戦の一義的な戦略目的を果たすことができるわけだが。
「明日はどうやら接敵しそうだな。今夜はよく寝ておけよ」
作戦会議から戻った生馬は、そう副官のソリスに声を掛けた。
「承知しました。いよいよ、謎の敵将と対面するわけですね」
ソリスが、まだ幼さの残る顔に似合わぬ不敵な笑みを見せる。
セーラン将軍。大抜擢のうえにいきなり西部方面総軍の指揮を任された男。
戦いにおいて、最も重要なことのひとつが、敵将の人となりを把握することである、と生馬は常々思っていた。戦国時代の名高い数多の合戦……厳島、沖田畷、桶狭間、長篠、三方ヶ原、耳川、山崎などなと……も、敵将の性格を知り、その弱点や虚を衝いたことが、勝利に結びついている。
それゆえ、生馬は西部軍団を実質的に拓海から『任された』当初から、西部同盟に依頼して敵であるタナシス西部方面総軍の主要な高位の指揮官に関するさまざまなデータを収集していた。ささいなこと……上戸か下戸か、女好きか否か、子供はいるのか、など……でも、さながら色々な角度から描いた素描をもとに立体像を作り上げるように、重ね合わせればパーソナリティが浮かび上がってくるものである。すでに生馬の手元には、数名の敵将と十数名の部隊長および高級参謀クラスのタナシス軍人に関するかなり詳しいデータが揃っていた。
だが。
肝心の、セーラン将軍に関するデータは皆無に近かった。噂程度のものはあったが、それもかなり少なく、しかも生馬のみるところかなり誇張されたものらしい。ほぼ間違いがないのは、まだ若い……三十前後らしい……ということと、かなり冷徹で切れる人物らしい、ということくらい。あと、確実なのは、性別が男性だということか。
やりにくい相手だ……。
生馬は漠然とした不安を抱えていた。今までは、常に後ろに拓海が控えてくれていた。生馬としては、自分の前線指揮官としての能力には自信を持っていたし、それなりに実績も積んできている。しかし、戦略家としての能力や長期的視野に立った戦術観は、拓海よりもはるかに劣ると自覚していた。拓海はそれら生馬に不足している部分を、作戦計画の作成や助言として補ってくれていたのである。今までの戦勝の積み重ねには、拓海に拠る部分が大きい、と生馬は素直に考えていた。
今回、拓海は別行動である。一応、拓海が訓練した参謀役が数名付いてきてくれているが、その能力は師匠たる拓海には遠く及ばない。
救援軍西部軍団の総兵力は、一万七千。西部同盟の総兵力は、二万八千。今回の攻勢作戦に参加しているのは、西部軍団のすべてと、西部同盟総兵力の約半数、一万五千。合計三万二千である。対するタナシス西部総軍の総数は、推定で約二万。そのうち七割程度が正規軍と奴隷軍だと思われるので、質はかなり高いとみられる。
数的には、味方がかなり優勢である。西部総軍側には、さらなる市民軍動員という手段があるが、それでも増やせるのはせいぜい五千だろう。有利な守勢という立場を考慮しても、タナシス側の劣勢は明らかである。憲章条約側には兵站面の不安もない。
ま、悩んでも仕方がない。
生馬は頭を切り替えた。明日になれば、戦端が開かれる可能性が高いのだ。戦いの中で相手の力量を量りつつ、その特徴や癖を掴んでゆくしかないだろう。
生馬は従卒を呼ぶと、寝酒の準備を指示した。
丘の上に、タナシス軍主力は布陣していた。
実にいい位置に、タナシス軍は兵を展開していた。駆け下りるのが困難なほど急な斜面は持たぬが、駆け上るのが容易なほど低くはない、浅めのスープ皿を伏せたようなほぼ円形の丘。テマヨ川はその丘の東側を迂回するように、緩いカーブを描いて流れている。少し手前で川沿いを離れた街道は、テマヨ川の西岸にある沼地を避けて西へと曲がり、丘の南方にある戸数数百と思われる地方都市の中を突っ切ってから、北東に向きを変えて丘の麓でテマヨ川西岸沿いに戻っている。
憲章条約軍がテマヨ川を進むにしろ、街道を進軍するにしろ、丘上のタナシス軍を排除しない限り無理である。側面から攻撃され、たちまちのうちに大損害を蒙って敗走することになろう。
タナシス軍……セーラン将軍の意図はどちらであろうか。あくまで丘上に留まって、攻め上る憲章条約軍を迎え撃つのか。それとも、丘下に接近する憲章条約軍が陣形を整える前に打って出て、平地で勝負をつけようとするのか。
丘上の陣は固い、と憲章条約側は推定していた。正面攻撃を行えば、甚大な損害が生じるだろう。
そのようなわけで、憲章条約軍が採択した作戦は、古典的な迂回包囲であった。西部同盟の主力一万三千が迂回兵力となって、小道を伝い西方へ大きく迂回し、丘の北西にある街道沿いの小村を占領し、同時にその東方でテマヨ川を封鎖する。西部軍団一万七千と西部同盟軍二千は、丘下に進出し、タナシス軍主力を拘束する。
タナシス側が後方連絡線を断たれることを嫌って、迂回兵力を阻止するために部隊を分派……最低でも八千から一万は割く必要があるだろう……すれば、丘上の陣は弱体化するから憲章条約軍が正面攻撃を行っても突破に成功するはずである。丘上に布陣するのは、いわば諸刃の剣でもある。攻撃側の機動性を削ぐので守るには易しいが、守備側の機動性も同様に奪ってしまうのである。したがって、いったん陣を破られてしまえば、これを塞ぐことは困難であり、丘上から蹴散らされた守備側は小部隊に分断されたうえに殲滅させられる可能性が高いのだ。
一方、迂回部隊を無視して丘上に居座るならば、憲章条約側はそのままタナシス軍を拘束し続ければいいだけだ。水や食料を始めとする物資をどれほど丘上に溜め込んでいようとも、その量は無限ではあるまい。それに、西部軍団の当面の戦略目的はタナシス軍西部方面総軍を西部地域に引きつけておくことにある。どちらに転んでも、『勝利』は間違いない。
防衛隊一千、市民軍五千……うち二千が高原弓兵……からなる前衛を率いる生馬は、望遠鏡で前方の地方都市……ユッカという名前らしい……をじっくりと観察した。すでに、偵察隊は派遣済みである。丘の周辺に、それなりの兵力を隠せそうな地形地物は、ここしかない。タナシス側がなんらかの奇策を講じているならば、ここに伏兵が隠れているはずだ。戸数は三百前後……人口は千数百人というところか……なので、やろうと思えば一万近くの兵を隠せるはずだ。
偵察隊から戻ってきた伝令が、生馬のところに報告をもたらす。
『市街地に敵影なし。住民の中に若年および壮年の男性少なし。多数の女性、老人、子供を含め残留住民は推定五百。敵意は無し。街道通過に障害を認めず』
主要進撃路として使っている街道は、市街地を貫いている。ユッカ市の周りは平地だが、ほとんどが耕作地であり、特にテマヨ川から水が得られ易い東側は大半が水田なので、迂回するのは困難だ。障害無し、との報告を受けて生馬は一安心した。これで、速やかに丘下に進出できる。
生馬は前衛部隊に前進を命じた。そのあとに主力部隊八千が、そしてさらに後方に後衛三千と西部同盟軍二千が続くことになる。
「報告にあった通りに、老人と女子供ばかりですね」
ソリスが、言う。
「ああ。体力のある男はみな徴集されたのだろう」
市民軍に徴兵されたか、あるいは兵站維持のための作業員として駆り集められたのか。
隊列を整えて街道を歩む憲章条約軍前衛を、多くの市民が眺めていた。杖を突いた老人。戸口でしゃがみ込んでいる兄弟らしい幼い子供三人。乳飲み子を抱いた若い母親。孫らしい幼女の手を引いた初老の女性。低い生垣の後ろから顔だけ突き出している女の子三人。商魂逞しく、籠を片手に兵士に果物を売りつけようと声を張り上げている中年女性。窓から身を乗り出してこちらを見ている女性は、明らかに出産間近の妊婦であった。彼らの大半が、顔立ちからするとタナシス人である。敵意は皆無であり、見つめる眼はどちらかと言えば物珍しげであったが、それでも無事に市街地を抜けることができると、生馬はほっと胸を撫で下ろした。
市街地を抜けた前衛部隊は、順次陣形を整えながら前進を続け、タナシス軍が陣取る丘から少しばかり離れたところに布陣してゆく。生馬は緊張してそれを見守った。ここが、一番脆弱な時間帯である。強力な六千の前衛とは言え、陣形を整えていない段階では脆い。タナシス側が好機と見て丘下に打って出てくれば、容易に蹂躙されてしまうだろう。
むろん、タナシス軍部隊が今ここで攻勢に出てくれば、生馬としてはすぐさま兵を引くだけである。後方のユッカ市街地に立てこもれば、易々と打ち破られることはない。主力が後方から増援としてきてくれれば、逆襲に転ずることも可能だろう。ゆえにまず間違いなく、タナシス側は出てこない、と生馬は踏んでいたが、戦場で想定が外れることは間々あることである。まして、相手は謎のセーラン将軍。用心に越したことはない。
生馬は額に湧き出した汗をそっと指で拭った。気温は高くないし、東から弱い風が吹いているので暑くはないのだが、緊張しているせいかなぜか汗が出てしまう。
やがて、前衛部隊の最後尾が市街地を通過した。陣形を整え、整然とした方陣を組む。
大きく息をついた生馬は、前衛に少しばかり前進するように命じた。主力が展開し、陣形を組む余地を与えねばならない。
「生馬様、敵陣に動きが見られます!」
望遠鏡で丘上を見張っていた兵士が、語気鋭く報告する。
生馬はすかさず愛用の望遠鏡を眼に当てた。ピントは、すでにタナシス陣地に合わせてある。
多数の兵士が、防柵の前に湧き出しつつあった。……どう見ても、攻勢の準備だ。
……タイミングがおかしい。なぜ、こちらの前衛が陣形を整える前に仕掛けてこなかったのか? セーラン将軍とやらは、危惧したほど有能ではないのか?
生馬はすぐさま対応策を取った。前衛部隊すべてに警報を発し、その場で迎撃準備を行わせる。本隊にも伝令を飛ばし、状況を報告させる。
どうやら、タナシス側の攻勢は確実のようだった。生馬は望遠鏡で敵勢力を推し量ろうとした。推定、一万五千以上か。
やれる、と生馬は踏んだ。主力が市街地を抜け陣形を整えるまで、前衛だけで敵を支え切れると判断したのだ。街道の両側にあるのは、わずかな畑地と放牧地、それに草原である。地形は平坦で、機動戦にはうってつけの地形だ。戦術レベルでの迂回包囲を行って敵を殲滅できるだけの条件が、すべて整っている。
そんな中、異変が生じたのは、思いもよらぬところからであった。
「生馬様、ユッカ市で火災です!」
見張りの声に、生馬は慌てて振り向いた。
太い煙の柱が、ユッカ市街地から二本上がっていた。見る間にそれが、三本、四本と増えてゆく。
火計か。いや、まさか。
煙の柱は、唖然として見守るうちにさらに増加した。何本かの煙の柱がまとまり、東風に煽られて西の方へと流れてゆく。
偶然の火災ではありえない。発生箇所が多すぎるし、通常の火災にしては燃え方が激しすぎる。事前に、天井裏などの見つかりにくいところに可燃性の物質を隠しておいて、一斉に着火したに違いない。
馬鹿な。大勢のタナシス人市民がいたのに。それも、子供たち、赤ん坊、妊婦までいたのに。
火の勢いはさらに増していた。煙の柱を追うように、火柱までもが数本上がり始める。火災によって風が巻き起こったのが、ごうっという音が生馬の耳に届いた。
生馬の脳裏に最前見かけた市民の姿が浮かんだ。杖をついた老人や幼い三兄弟。乳飲み子を抱いた母親。それに妊婦。彼らがこの業火から助かる可能性は、はなはだ僅少であろう。
……セーラン将軍か。
冷徹をもって知られる切れ者ならば、多くの市民を巻き込む奇策くらいやりかねない。
生馬は必死に頭を働かせた。タナシス軍部隊は丘から駆け下り始めている。火災はますます激しさを増している。こちらの主力部隊の一部はすでに市街地を抜けているが、多くは火災に巻き込まれて慌てて逃げている最中だろう。おそらく、本営も同様だ。いずれにしろ、憲章条約軍は燃え盛る市街地で二分されてしまった。市街地を迂回して北進するとなると、時間が掛かる。畑地は土が柔らかく歩きにくいし、運の悪いことに東風が吹いているから市街西方は煙に覆われている。東方はクリーンだが、そちらの大半は水田だ。もちろん水が張られており、迂回路に使うわけには行かない。
生馬の選択肢はふたつあった。この場でこのままタナシス軍を迎え撃つか、それとも速やかに西方に退避するか。
……退避しても、主力とうまく連携できなければいずれ各個撃破されるだろう。そうなれば、憲章条約軍本隊の脅威を払拭した敵は丘上を退き、余裕を持って迂回部隊……すなわち西部同盟主力を叩きに行ける。そうなれば、味方は二度と攻勢に出られないほどの打撃を受けるだろう。タナシスは一万以上の兵力を引き抜き、中部戦域に転用するゆとりを得てしまう。そうなれば、拓海や夏希の負担となる。下手をすれば、夏希の北部軍団による作戦行動が蹉跌しかねない。
むしろ、この場で抵抗した方がいい。十分に時間を稼げれば、いずれ再編成した主力部隊や無傷の後衛が駆けつけてきてくれるはず。平地でのぶつかり合いとなれば、こちらの方が有利だ。
「前衛全部隊に通達! この場でタナシス軍を迎え撃つ! 市街地から抜け出した主力部隊の各隊はその場で編成させ、予備部隊とする!」
生馬は大声を張り上げた。
……勝算はゼロだが、引き分けくらいには持ち込んでやる。
第百十三話をお届けします。




