11 教育問題の解決法
「ねえ、夏希」
「ん?」
凛に呼びかけられて、夏希は夢中で食べていた炒飯から顔をあげた。どうやってかは知らないが、凛はジンベルにある香辛料や香草、野菜、根菜などを組み合わせて、お店で食べるような本格的な中華料理の味わいを出せる万能調味料を開発してしまったのだ。これをたっぷりと効かせ、卵や乾燥牛肉、数種の野菜とともに米を炒めた凛お手製の炒飯の味は、まさに絶品であった。
「夏希は、ジンベルをどうしたいの?」
珍しく深刻な表情で、凛が訊く。
「どうしたいって……どういう意味?」
冷たい水でのどを潤しながら、夏希は訊き返した。
「ごめん。質問の仕方が悪かったわね。夏希は、契約期間が終わったらどうするの? 一年で向こうへ帰るつもり?」
「う~ん。それは……」
そう問われて、夏希は悩んだ。
たしかに、ヴァオティ国王と結んだ契約は、双方の合意があれば延長可とはなっているものの一年である。
「まあ、もっと居てくれと頼まれたら、一年くらいは伸ばしてもいいと思うけど」
「そうよね。みんないい人たちだし」
『多国籍眼鏡』(ハンジャーカイのレンズ、ニアンの青銅フレーム、マリ・ハの天然樹脂を組み合わせてある)のずれを直しながら、凛が言う。
「それは同意せざるを得ないわね」
夏希はうなずいた。エイラ。アンヌッカ。人ではないが、コーカラット。助手の面々。シフォネ。国王陛下。市民たち。
みないい人ばかりである。
「あたし、思ったの。彼らの好意に応えるには、もっと根本的な改革が必要だって。お菓子や便利な発明品をもたらすだけじゃ、足りないわ」
凛が、大げさな手振りを交えて、力説する。
「で、どうしようというの?」
「鍵はやっぱり、教育よ」
きっぱりと、凛。
「あ~。そうきたか」
夏希も常々思っていることだった。鎖国していた封建国家が短い期間で国際連盟の常任理事国の地位にまで登りつめることが可能だったのは、江戸後期からの大衆への教育の普及と明治政府の文教政策が主因のひとつであろう。主要都市が焼け野原となり、餓死者が出るのが当たり前の状態から急速に国力を回復させ、アジア一の工業国の地位をあっさりと奪回できたのも、国民の大多数にかなり高度な教育が施されていたからだと言っても過言ではあるまい。
「じゃ、学校でも作ろうというの?」
「そう。とりあえず、教員育成が先ね。それから小学校を作る。そこから優秀な生徒を選抜し、高等教育を受けさせる。そんなシステムを、作り上げたいのよ。そうすれば、もっとジンベルは発展できるわ」
「……何年かかるのやら」
夏希はわざとらしくため息をついた。
「最大の問題は、あたしたちには教員育成を行う素養も時間もないってことね」
冷静に、凛が言う。
「同意するしかないわね」
凛が仕事を手伝ってくれているおかげで、いまのところ夏希の睡眠時間は充分に確保できている。もし凛が学校作りに専念し始めたら、またしても過労死の恐怖に怯えねばならない。
「唯一の解決策は……もうひとり召喚してもらうことよ」
指を一本立てつつ、凛が言う。
「国王陛下が納得するかなぁ」
夏希は苦笑した。
「納得させるわ。だいたい、お菓子でかなり儲けてるはずじゃないの」
「まあ……確かにね」
偽物羊羹や蒸し饅頭などの製法は、国王によって特定の商人に対し払い下げが行われ、すでにジンベル内で一般向けに販売が行われている。日持ちする米粉かりんとうもどきは、輸出品目のひとつに入っているくらいだ。夏希と凛のおかげで、ジンベルの国庫は多少は潤ったはずである。
「とりあえず、明日エイラに相談しましょう」
「また増員ですか。……なんだか、マルセル隊長を思い起こさせますわね」
王宮の一郭で話を聞いたエイラが、口の端を歪めて苦笑する。
「マルセル隊長?」
「四百年ほど前に、わたくしの御先祖様が召喚した方です。その頃、蛮族との戦いが激化していたので、防衛隊の指揮を取ってもらうためにお呼びしたのです。その方が、戦うには優秀な部下が必要だとおっしゃって、何人も異世界の戦士を召喚させたそうですわ」
「へえ。マルセル隊長ねえ。どこの人だろう?」
「ルーアン、とかいう街でお生まれになったそうです」
夏希の疑問に、エイラがそう答える。
「ルーアンっていうと、中国? 韓国?」
凛が、首をひねる。夏希は凛の地理オンチぶりに思わず吹き出した。
「……たぶん、フランスのルーアンじゃないの? マルセルって、いかにもフランス人っぽいし。四百年前というと……こちらの一年はやや短いから……十七世紀始め頃かしら。そのころのフランスって……」
「ブルボン朝が始まったところね。リシュリューとかいた頃」
地理には疎いが歴史には強い凛が、言う。
「それで、蛮族との戦いはどうなったの?」
夏希はそう尋ねた。
「マルセル隊長率いる軍が、攻め込んだ蛮族を打ち破って追い返しました。南の城壁は、その時にマルセル隊長の指導で造られたものですわ。もっとも、それ以降も何度か改修を繰り返していますから、原型は留めておりませんけど」
「……なんか話がずれちゃったわね。で、エイラは追加召喚に賛成してくれるの?」
凛が問う。
「もちろんです。凛殿のお菓子は、わたくしも大好きですから」
珍しくいたずらっぽい笑みを浮かべたエイラが言って、こくんとうなずいた。
ヴァオティ国王の許可はあっさりと下りた。やはり、お菓子関連の臨時収入で、気を良くしていたせいだろう。ただし、増員分の報酬は夏希の二分の一、と契約前に決められてしまった。
「……まあ、そんなものね」
国王の前から辞し、王宮の通廊を歩みながら凛が肩をすくめる。
「蛮族対策で出費が嵩み、国庫も厳しいようです。最近、王宮でも他国の商人の姿をよく見かけますし」
エイラが言い訳がましく言う。
「仕方ないわ。ジンベルの人々の安全が最優先だもの」
夏希は本心からそう言った。
「召喚は明日とします。おふたりは、どのような人物を御希望ですか?」
足を止めたエイラが、夏希と凛を見据えた。
「聡明で知識が豊富。特に、歴史通だと嬉しいわ。教師タイプってわかるかな? 学究肌の人がいい」
凛が、言う。
「今回性別は問わないわ。年齢も……高齢じゃなければ問題なし。でも、日本人限定でお願い」
夏希も希望を述べた。やはり外国人では、いくら言語の魔術があるとは言え緊密なコミュニケーションを取ることは難しいだろう。
「承知しました」
翌日。
王宮の一室で、召喚の準備が始まる。凛を呼び出した時と同じ供物が、エイラの手とコーカラットの触手で、雛壇の同じ位置に据えられてゆく。
「では、召喚の儀式を執り行ないます」
エイラが宣言し、印を結び始める。
ぼん。
紫がかった黄色い光が部屋を満たす。夏希は素早く息を止めた。悪臭を伴う白い煙が、部屋に立ち込める。凛が、げほげほと咳き込んだ。
エイラの指図で、ジンベル防衛隊の兵士が、召喚された人物を探しに散ってゆく。
「どんな人が来るのかしら」
まだ悪臭の影響下にあるのか、顔をしかめた凛が言う。
「歴史学の大学教授とか来てくれると、心強いよね」
夏希はそう応じた。
別室でしばらく待つうちに、兵士の一人が帰ってきて、エイラに報告を行った。それによれば、見つかったのは若い男性で、逃走することもなく大人しく防衛隊の兵士に保護されたという。
「普通、逃げるもんじゃないの?」
凛が疑わしげに言う。
「わたしも最初は逃げたけど……よほど度胸の据わっている人か、あるいは逃げても無駄だと読み切った頭のいい人か……」
夏希も首をひねった。
「探しに行かなくて済むのは楽でいいですぅ~」
エイラの頭上に浮かぶコーカラットが、くすくすと笑う。
十五分ほど待っただろうか。やって来た兵士が、保護した人物の到着を告げた。エイラが入室を許可し、下がった兵士が二人の兵士に挟まれた若い男性を連れて戻ってくる。
身長は、夏希よりやや低いか。女性的と言えるほど、整った目鼻立ちの細面。いわゆる、優男っぽい風貌だ。
顔に、思いっきり見覚えがあった。夏希にとっても、凛にとっても。
「宮原君……」
同じクラスの、宮原 駿だった。成績は学年でもトップクラスの知性派。だが、秀才タイプではなく、野球部のレギュラーだったりもする。もっとも、部員が二十人に満たない弱小野球部ではあるが。
「おやおや。森さんに藤瀬さんか。どうなってるんだ、これは?」
にやにやと笑いながら、駿が訊く。
「あー、エイラ?」
「なんでしょうか?」
「どうしてあなたは、わたしのクラスメイトしか召喚できないの?」
「この男性も、夏希殿のお知り合いなのですか?」
エイラが、驚きに目を見張る。
「まあ、とりあえず条件は満たしてるんじゃない?」
苦笑交じりに、凛がフォローする。
「とりあえずね」
夏希は、不承不承うなずいた。
夏希と凛は、交代で事情を説明した。
「異世界ねえ……」
駿が、皮肉めいた笑みを浮かべる。
「信じられないかもしれないけど、現実なの」
夏希は力説した。
「まあ、信じるしかないだろうね」
駿の視線が、夏希の頭上でふわふわと浮いているコーカラットに注がれる。
「こんな奇妙でかわいい生き物がいる世界。異世界以外に考えられないじゃないか」
「お褒めいただき、恐縮ですぅ~」
コーカラットが、触手をくねくねさせて喜ぶ。
「まあ、歴史好きとしてはこの状況は興味深いと言わざるを得ないね」
「じゃあ、わたしたちに協力してくれる?」
夏希は身を乗り出した。
「期間限定で報酬あり。かなりの好条件じゃないか。喜んで協力するよ」
駿が、力強くうなずく。
「ありがとう、宮原君」
「どういたしまして、森さん、藤瀬さん」
「あ、さん付けはやめてよ。夏希と凛でいいわ」
夏希はそう言った。
「じゃあ、僕のことも駿でいい」
白い歯を見せて、駿が笑う。
「ところで、なんで駿は逃げなかったの? 普通、見知らぬところに飛ばされて変な連中が近づいてきたら逃げるもんじゃないの?」
凛が、首を傾げつつ訊く。
「これじゃ、逃げられないよ」
駿が、片足を上げてみせる。
……灰色のソックス履きだ。たしかに、靴なしで走って逃げるのはきついだろう。
「それに、現れた連中の姿が、いかにも役人らしかったからね」
駿が、続けた。
「揃いの服。統制の取れた動き。地元の官憲だと考えて、逆らわないようにしたんだ。抵抗したり、逃走すれば犯罪者扱いされるだろうが、無抵抗でいれば不審者止まりで接してくれるだろうと期待したのさ」
「……知性派らしい対応ね」
夏希は感心した。
「とりあえず、教員の育成が必要だと思う」
駿が、組織図を描いた『ホワイトボード』を手に説明する。
この『ホワイトボード』は、夏希と凛の共同発明品である。ハンジャーカイからの輸入品である紙の消費量が馬鹿にならないので、その代用品として作り上げたものだ。板切れに石灰塗料を塗り、その上からマリ・ハ産の半透明な樹脂を塗り重ね、表面をハンジャーカイ産の磨き砂で微妙な滑らかさ……インクを弾くほどではないが、湿らせた布でふき取ればきれいに消すことができるくらい……に磨き上げてある。
駿が召喚されてから、すでに三日が経っている。異世界人三人は、王宮の仕事部屋にある大きなテーブルを囲むように座っていた。
「まず、教員候補を募集する。ジンベルの水準から言えば、貴族の子弟か富裕層から募るしかないね。かなり名誉な職業だという前宣伝を行えば、それなりの数は集まると思う。彼らには、僕が直接指導する。いわば師範学校だね」
眼鏡を外しながら、駿が言う。彼もコンタクトレンズ愛用者なので、掛けていたのは凛が貸した予備の眼鏡である。度が合ってないから……凛の方が強度の近視である……長時間掛けていると疲れるらしい。
「とりあえず基礎的な知識を伝授したところで、初等学校を開設する。生徒は……こちらも富裕層に限られてしまうだろうな。ジンベルでは、幼い子供も労働力にカウントされてしまうレベルだから」
「仕方ないわね」
夏希は軽く首を振りつつ言った。二十一世紀でも、発展途上国の大半では同じような状況なのだ。『貧乏人の子沢山』という言葉は、子供が経済的負担になる先進国やそれに準ずるライフスタイルを送れる国においてのみ通用するいわば『ぜいたくな』言葉なのである。本当に貧乏な国ならば、子沢山は労働の担い手が多いことを意味するのだ。……もっとも、そのような国ではいくら働き手が多くても貧困生活から抜け出すことは難しいが。
「とりあえず、初等学校の教員には師範学校生を充てる。ごく基礎的な教育内容……読み書きと加減算、道徳程度を教えるだけで事足りるからね。まあ、教育実習みたいなものだ。もう少し進んだら乗除算、物理と化学、生物なども必要になるね。国語教育もより高度なものにしたい。スポーツも広めたいね。地理と歴史も教えたいが、こればかりは僕の知識が不足しているからね。頑張って勉強しないと」
駿が、白い歯を見せる。
「順調に行けば、美術や音楽なども教えたいが……これは中等教育になるだろうね」
「……こうしてみると、日本の教育システムって、凄かったのね」
しみじみとした口調で、凛が言う。
「同感ね」
義務教育をまともに受けてさえいれば、わずか九年で凄まじい量の知識を幅広く身に付け、そして応用することができるほどの能力を得られるのだ。そのレベルは、ジンベルならば賢者として崇められてもおかしくないほどである。
教育が知識を貪欲に求め、さらに知を蓄積させる世代を育てる。進んだ知が更なる知恵と知識を生み出し、それを吸収した若い世代がこれを発展させる……。素晴らしく効率的な知の拡大再生産である。
「問題は、時間だ」
駿が、言う。
「師範学校の卒業生が自らの手で教員を育てることができるようになるまで、下手をすれば一世代はかかるだろう。残念ながら、僕はそこまで付き合うつもりはない」
「まあ、ある程度形だけ整えてやれば、あとは自助努力してくれるんじゃないの?」
やや投げやりな口調で、凛が言う。駿が、呆れたように首を振った。
「それにしても、何年も掛かるだろうね」
「あと問題は、お金よね」
夏希はため息混じりに言った。ジンベルの主要産業は金鉱と銀鉱である。両方とも埋蔵量は潤沢なようだが、金に関しては商取引に使われている関係上、その流通量の上限が平原都市国家間で規定されているのだ。だから、採掘すればするほど儲かるというわけではない。銀の方はそのような制限はなく、細工物や高級食器類などが輸出されているが、その単価は金製品に及ぶべくもない。
学校建設の費用。その維持費。師範学校の学生も、小学校の教員兼任となれば、それなりの手当てを払わねばならないだろう。
「まあ、教育費は最も優れた先行投資であることを、ヴァオティ国王にわかっていただくしかないな」
駿が言って、ホワイトボードを静かにテーブルの上に置いた。
第十一話をお届けします。