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白き巫女と蒼き巫女【改稿中】  作者: 高階 桂
第三章 タナシス王国編
109/145

109 持久戦の開始

 ノノア川憲章条約側の作戦は順調に推移した。

 ランクトゥアン王子率いる救援部隊海軍は、わずか五日間でタナシス海軍主力の約半数と見積もられる十八隻の敵船を破壊ないし拿捕した。残余のタナシス海軍艦艇はそのほとんどがアノルチャ港に逃げ込んだと推測された。これにより、大海の制海権はほぼ憲章条約救援軍の手に落ちた。

 敵海軍の妨害を受けることなく、多数の輸送船がラドーム-ペクトール間を往復し、救援軍東部軍団を北の陸塊に上陸させる。防衛隊二千名、高原戦士市民軍二万名は、順次川船によりペクトール川およびその支流であるイチア川を遡ってメリクラ王国(旧自治州)北西部に運ばれた。そこから街道を伝い、レムコ王国に入る。

 その頃には、救援軍西部軍団一万七千もそのほとんどがカレイトン王国への上陸を終えていた。こちらも川船で大河テマヨ川を遡り、クーグルト王国東部へと向かう予定である。



「これが、アノルチャ港およびその周辺です。『鳥の眼』になったつもりで見ていただくと、わかり易いかと」

 夏希は、居並んだ救援軍北部軍団の幹部たちに、参謀部の拓海直属の部下が作り上げた予定戦場の立体模型……いわゆる砂盤を披瀝した。地図の見方に慣れていない者には、このような多少デフォルメされた縮尺模型の方が地形を容易に頭に入れてもらえる、ということを、夏希ら異世界人はすでに経験から学んでいた。

「第一陣六千名は、防衛隊三千、高原戦士二千、海岸諸国市民軍一千で構成されます。主力の防衛隊二千、高原戦士一千、海岸諸国市民軍一千の合計四千は、アノルチャ港の西にあるこの漁村に上陸します。同時刻に、残余の防衛隊一千、高原戦士一千がアノルチャ港の東にあるこの砂浜に上陸。救援海軍艦艇はアノルチャ湾口を押さえるとともに、強襲上陸の姿勢を見せて敵戦力を拘束。上陸部隊は東西からアノルチャ市に迫り、北寄りの市街を攻撃。最初に抑えるのは河港です……」

 夏希は先端を目立つように赤く塗った細長い棒で砂盤の各所を指し示しながら、作戦の要領を順序立てて説明していった。助手であるアンヌッカが、味方船舶や部隊を示す鮮やかな色に着色された木片を、夏希の説明に合わせて手際よく砂盤上に配したり、移動させたりしてくれる。

「敵の兵力はどうなのです?」

 一通り説明が終わったところで、高原戦士のひとりが質問した。

「つかんだ情報では、市民軍が約二千。そのうち、まともに武装しているのは半数で、残りは兵站要員だそうです。あとは、海軍の陸戦要員が推定で五百名ほど」

「不意を衝けるならば、六千名でも短時間で制圧できそうですな」

 北部軍団の海岸諸国市民軍を率いる将軍の一人として、この作戦会議に加わっているワイコウ王国のグリンゲ将軍が、言った。ちなみに、甥のキュイランスは副官に復活して遠征に加わっているが、この会議には出席していない。

「情報の漏洩がなければいいのですが」

 防衛隊士官の一人が、言う。

「それには、万全を期しています」

 自信ありげに、夏希は言い切った。

「この作戦、レムコ同盟側や西部同盟側には一切漏らしていません。カートゥール代表にさえ、伝えてはいないのです。詳細を知るのは、参謀部とこの会議の出席者、それにランクトゥアン王子とその幕僚のみです。……本作戦は、対タナシス王国戦の要となる戦いになるでしょう。奇襲効果を損なう要素は、徹底的に排除しなければなりません」



 父王オストノフの言葉を聞いたエミスト王女は、驚きに眼を見張った。

「それは……大抜擢ですね」

「他によい人材も見当たらぬのでな。もうあとがない状態では、贅沢も言っておられぬ。実力があれば、誰であろうと使わざるを得ない」

 倦んだような笑みを浮かべたオストノフが、疲れたような口調で言う。

「賛成してくれるか?」

「もちろんです、陛下」

 オストノフの問いに、エミストは深くうなずいた。

 状況は悪化しつつあった。レムコ同盟に加わった憲章条約軍の数は二万を越えると推定されている。西部同盟に加わったのは、一万五千前後。さらに、一万とも二万とも噂される予備軍が、ラドーム島に控えているという。

 正面から戦うのならば、すでにタナシス側に勝ち目はなかった。どのような策を弄したとしても、いずれ兵力差で押し切られてしまうはずだ。

 最終的に勝利する方法は、持久戦しかない。

 オストノフ国王とエミスト王女、それにこの場にはいないがシェラエズ王女の意見は、一致していた。兵力を温存し、侵攻してきた敵を適宜叩きつつ後退し、時間を稼ぐ。大海を越えて大軍を運用する以上、南の陸塊諸国の経済的負担は、かなり大きいはずである。長期化すれば、厭戦気運が高まるのは必至であろう。撤退に追い込めれば、現状を維持できる。そこで講和を持ちかければ、南の陸塊諸国は自分たちの利益……事態を早期終結させて第八の魔力の源問題に集中したい……を優先させるために、多少反タナシス勢力に不利になる条件でも飲んでくれるはずだ。結果として、タナシス王国は存続できるし、国内の貴族も王家を支持したまま納得してくれるであろう。

 そして、長期にわたる持久戦を行うには、有能な指揮官が必要である。

 レジエ将軍は、いまだレムコ同盟に捕らえられている。シェラエズ王女は、東部方面総軍の指揮で手一杯。タナシス王国には、他にも優秀な将軍が何人かいるが、いずれも血気盛んな攻勢型の指揮官ばかりで、持久戦向きとは言い難い。

 そこでオストノフが目をつけたのが、ある人物であった。

「セーランを、ここへ」

 オストノフが、控えていた秘書官に命じた。


「お召しにより、セーラン参上いたしました」

 きわめて珍しい風貌の男性が、オストノフの前に跪く。浅黒い肌に、彫りの深い目鼻立ち。髪は金茶色で、ごく短く刈ってある。瞳の色は漆黒。異世界で言えば、北アフリカあたりの少数民族とノルディック系ヨーロッパ人の血が混じれば、このような混血男性が生まれるであろうか。年齢は、三十前後。美しい、と言えるほどの顔立ちだったが、きわめて無表情に近いので、男性としての魅力には欠けている。

「遠路ご苦労だった。楽にしてくれ」

 オストノフの言葉に応じて、衛兵が椅子を置いた。セーランが、深々とお辞儀してから、椅子に浅く腰掛ける。

「さっそくだが、そなたを将軍に任ずる」

「ありがたき幸せ」

 セーランが即座に答えて、再び頭を下げた。だが、表情に変化はなく、声にも喜色はない。

 ……噂どおりの人物。

 父王の傍らに座ったエミストは、内心で半ば呆れつつ感心した。氷にも例えられる冷徹な指揮官。しかし、部下には絶対に慕われない男。

 セーランの出自は、奴隷である。父親は、カレイトン人。母親は、エルフルール辺境州の蛮族。幼くして奴隷として王都に連れてこられ、その適性を認められて奴隷軍人となり、辺境軍に配属される。そこで頭角を現し、奴隷身分を脱し、指揮官にまで出世する。

「セーラン将軍。そなたに新たな命令を与える。西部方面総軍指揮官に命ずる。西部同盟と憲章条約遠征軍から、タラガン州とディディリベート州を守り切るのだ」

「御意」

 セーランが、無表情のまま頭を下げた。

 ……これでも笑みを見せないとは。

 エミストは呆れを通り越して、笑い出したくなるのを堪えた。奴隷出身で、なおかつタナシス人の血が一滴も入っていない者が将軍に任じられることなど、きわめて稀な事である。老いた高級士官が、引退前に花を持たせてやるために形式上将軍の地位を与えられるケースを除けば、前代未聞であろう。さらにその上、国家危急の際に方面総軍などという大軍の総指揮を、昇進直後に任されるとなれば、大抜擢どころの騒ぎではない。航海士見習いがいきなり船長になるくらいの出世振りだろうか。

 ……だがしかし、この男が辺境軍の指揮ぶりで見せた冴えを西部方面総軍を率いて発揮してくれたとしても……戦局は覆らないでしょうね。そろそろ、次の手を打つとしましょうか。

 エミストはそう決断した。



「……という編成で、当面のあいだ軍事行動を行います。ディディサク州とディディリア州を守備するタナシス東部方面総軍に圧力を掛け、機会を捉えて野戦による撃破を狙います」

 カートゥール代表に対するブリーフィングを終えた拓海は、腰を下ろした。断りを言ってから水差しに手を伸ばし、カップ半分ほどの水を飲み干す。

 アノルチャ川へと流れ込む支流があり、交通の要衝でもあるここレムコ市に、救援軍東部軍団は暫定司令部を置いていた。兵站拠点となるこの都市には、連日スルメ王国内の各地やメリクラ王国、ペクトール王国から、食料を主とする大量の物資が運び込まれている。

「拓海殿の簡潔にして要を得た説明、しかと理解しました」

 柔和な笑みを浮かべたカートゥールが言って、深く何度もうなずく。

「時に……救援軍はサマトスで軍船を一隻建造させているそうですな。あれは,何にお使いになるつもりですかな?」

 笑みを消さぬまま、カートゥールが訊ねる。

「あれは……いずれ戦いはアノルチャ川やリスオン川の争奪戦に発展するでしょう。その際に使用する川船です」

「それにしては、建造を急がせすぎているようですな。三日後くらいには、もう進水する予定とか。海港であるサマトスで建造している以上、簡単にはアノルチャ川に乗り入れられないと思いますが」

 ……この親父、感付いてるな。

 拓海はそう気付いた。

 北の陸塊随一の造船都市、サマトスで金に糸目を付けずに建造させている川船……セレンガⅡは、アノルチャ市上陸作戦成功後に、アノルチャ川制圧戦隊の旗艦として使おうと予定している船である。そしてもちろん、その後に生じるであろうリスオン川をめぐる戦いでも、活躍してくれるはずの船だ。先代よりも一回り大きく、帆走機能も備えているので沿岸ならば海でも航行可能であり、かつ遡上能力も優れている。

「拓海殿が説明してくれた救援軍東部軍団の戦略も、中途半端だ。まるで、タナシス東部方面総軍を北東方向へと釣り出すことを主目的としているかのようだ」

 ……喰えない親父だ。

 相変わらず柔和な笑みを浮かべているカートゥールを見ながら、拓海は内心で舌打ちした。サンタクロースのような無害そうな外見に騙されそうになるが、カートゥールはかなりの策士であり戦略家だ。

「仕方ありません。救援軍北部軍団が予定している作戦について、お話しましょう。申し上げるまでもありませんが、これは極秘事項です。東部軍団司令部でもこの作戦の詳細を知る者はごく一部です……」

 拓海はアノルチャ奇襲上陸作戦について、簡潔にカートゥールに説明した。憶測に基づいた噂を流されるくらいなら、他言無用との釘を刺してから情報を与えたやったほうがまし、と判断したのだ。ただし、本作戦の真の目的……タナシス軍にアノルチャ奪回作戦を行わせて、兵力を消耗させる……は、伏せておく。

「なるほど。タナシス東部方面総軍の補給路を断ったうえで、東部軍団と北部軍団で挟撃するわけですな。最大の野戦兵力である東部方面総軍が消滅すれば、タナシスは和平を請うしかなくなる。いや、たいへんに優れた戦略です」

 笑みを深くしたカートゥールが、褒める。しかし、その眼は笑っていないことに、拓海は気付いた。

 ……得体の知れない爺様だ。敵に回したら、厄介な存在になっただろうな。



「……消極的防御の連続が、これほど兵力を消耗させるとはな」

 天幕の中で、シェラエズ王女は愚痴った。

 タナシス東部方面総軍の総兵力は、現在のところ二万七千。対する敵……レムコ同盟軍を含む憲章条約東部軍団は、推定で六万を超える。

 シェラエズは、持久戦に持ち込んで時間を稼ぐとの戦略方針に基づき、あえて兵力を分割し、小出しにして拠点防御を行わせるという作戦に出た。もちろん拠点の死守などさせずに、不利になればさっさと退却してこちらの損害は僅少に留めさせる。

「そろそろ反撃に出ませんと、アノルチャ川を押さえられますな」

 側近の一人が、そう指摘する。

「そうだな」

 シェラエズは同意した。

 敵は多方面から侵攻を続けていたが、主攻は明らかにディディリアとディディサクの州境付近のアノルチャ川沿岸あたりを狙ってきていた。その戦略は、明白であった。ディディリア州とディディサク州の切り離しと、アノルチャ川の交通遮断。つまりは、東部方面総軍の分断と、ディディサク州内の部隊に対する兵站の妨害である。

 ……兵力が足らぬ。

 反攻に使える兵員数は、せいぜい一万であろう。敵主力にぶつけるには、せめて一万五千は必要である。

「アノルチャ州内で市民軍五千を徴用せよ。アノルチャの守備はそれらに任せて、州内の部隊はディディリアへ入れるのだ」

 シェラエズは命じた。側近が、命令を伝達するために慌しく天幕を出てゆく。

「ところで、竹竿の君の行方はどうなっている?」

 残った側近に、シェラエズは問いかけた。

「は。いまだラドーム島におられるようです」

「……解せぬな」

 シェラエズは指を顎先に当てて考え込んだ。つかんだ情報では、竹竿の君は救援軍北部軍団に加わっているという。その名称が、どうやら欺瞞らしいことに、シェラエズはすでに気付いていた。おそらくは、戦略予備部隊なのだろう。ラドーム島に控置しておき、戦況の進展に応じて、東部軍団または西部軍団の担当地域に派遣し、それらを超越する形で展開し、深部への浸透を図るのが目的に違いない。

「解せぬ」

 たしかに、切り札的な予備部隊を竹竿の君に任せる、というのならば筋は通る。しかし、あの才能をそれまで遊ばせておく、というのはいかにももったいない話である。あるいは、憲章条約側になんらかの政治的思惑があって、竹竿の君に活躍の場を与えないようにしているのか? それとも、体調不良などの事情があるのか。

 ……いずれにせよ、近いうちに直接対決しなければならない、とわたしの勘は告げている。それがどこになるのか、そしてどちらが勝利するのかまでは、わからないが。

「まあ、いい勝負になることだけは、間違いないな」

 側近に聞こえぬ程度の小声で、シェラエズはつぶやくと、うっすらと笑みを浮かべた。


第百九話をお届けします。

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