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白き巫女と蒼き巫女【改稿中】  作者: 高階 桂
第三章 タナシス王国編
108/145

108 ラドーム集結

 半月館。

 主棟と翼棟の配置がおおよそ半円状で、さながら半月のように見えることから、そのように呼ばれているリスオン郊外の邸宅は、公的にはタナシス王家の離宮のひとつである。しかし実際には質実剛健を旨とするタナシス王家が離宮を利用することはめったに無いので、今では公国や自治州のVIPが王都に長期滞在する場合の宿所のひとつとして主に利用されている。……いや、されていた、と言った方が正しいか。

 そこへ珍しくやってきた王族が、急遽ディディリベート州内の西部方面総軍駐屯地から呼び出されてきたリュスメース王女であった。慌ただしく出迎えてくれた館の家令に導かれ、居間のひとつに案内される。

 待ち受けていたのは、実姉エミストであった。

「お姉様……」

「お座りなさい、リュスメース。あまり時間がないのです。話は手短に済ませましょう」

 エミストが、革張りのソファを指す。訝りながらも、リュスメースは素直に腰を下ろした。

 ‥‥痩せた。

 すぐに、リュスメースは久しぶりに見る実姉が以前よりも体重を落としていることに気付いた。もともとやや細身ではあったが、それでもいかにも女性らしいふっくらとした柔らかそうな頬や腕の肉が、若干落ちている。美しさは相変わらずだったが、慈母じみた愛らしさは影を潜め、やや険のある顔立ちに見える。

「まずは、お父様からの命令を伝達します。リュスメースに、第八の魔力の源の捜索を命じます。すぐに、メジャレーニエ辺境州へ赴くこと」

「メジャレーニエ……」

 ディディウニ州の北に位置する辺境州である。

「では、第八の魔力の源の位置が絞られたのですか?」

「いいえ」

 エミストが、苦い微笑を浮かべながら首を振る。

「では、なぜわたくしがメジャレーニエに……」

「リスオンから、離れてもらいたいのですよ、お父様は」

 諭すように、エミストが言う。

 卒然と、リュスメースは理解した。

 タナシス王国とノノア川憲章条約所属国家群……これには新たに正式加盟したレムコ同盟および西部同盟の『諸国家』も含まれる……の関係は急速に悪化しつつある。このままでは、南の陸塊諸国による軍事介入……必然的にそれは、タナシス王国との直接交戦に発展するであろう……は避けられまい。

 オストノフ国王は、いわば『無傷』の王位継承権者を残したいのだ。なるべく身近な者で。

 エミスト王女は、すでにオストノフの補佐やその代理で動きすぎている。反タナシス派からすれば、オストノフ同様追い落としたい人物だろう。シェラエズ王女も、タナシス軍の指揮を執ることによって、すでに反タナシス派の市民たちを敵に回している。

 唯一、リュスメースだけが『汚れていない』のだ。表立ったことを嫌い、常に裏方に徹してきたし、今回の騒動でも目立った動きはしていない。西部方面総軍で短期間軍監など務めたが、その任期中にまともな戦闘は一度も起こっていない。『竹竿の君』の命を身を挺して救ったことで、南の陸塊諸国の心証も悪くない。

 ここで完全に表舞台から身を隠し、第八の魔力の源捜索というノノア川憲章条約諸国家にとっても懸案である事項に集中すれば、反タナシス派から糾弾されることもあるまい。事態が収まり、オストノフ国王が退位を余儀なくされた場合に、大きな反発を受けずに次期国王として即位することが可能だろう。

 即位。

 リュスメース女王。

 まさか、そんな。

「お姉様……」

 そこまで考えが至ったリュスメースは、唖然としてエミストの美しい顔を見つめた。エミストが、にこりと微笑む。

「王家存続のためです。あなたには、蚊帳の外にいてもらわねばなりません」

「ですが、わたくしにそのような大役は……」

「あなたもオストノフの娘でしょう? 覚悟なさい。資格も、度量も、あなたには備わっています。よろしいですね」

 笑みを消し、厳しい表情になったエミストが、凛として告げた。急に自分が幼くなってしまったような錯覚に囚われつつ、リュスメースは気圧されるようにしてうなずいた。

「よろしい」

 エミストが、厳しい表情のまま小さくうなずく。

「しかし……ノノア川憲章条約による介入を防げないのですか?」

 リュスメースは当然の疑問を口にした。

「現状では、軍事衝突を防ぐのは難しいですね」

 寂しげな笑みを浮かべたエミストが、言う。

「タナシス貴族の大半、タナシス人の多くが、今回の憲章条約によるレムコ同盟および西部同盟叛徒どもの加盟認可を、わがタナシスに対する裏切り行為と受け取って、憤慨しています。お父様に対する支持は、急上昇したのです。今ここで、融和政策を打ち出せば、お父様は恥辱にまみれて王宮を追われるはめになるでしょうね。下手をすれば、クーデターを起こした貴族連合に吊るされる可能性すらあります」

「そんな事態に至っていたのですか」

 リュスメースは驚きに目を見張った。中央の情報が得られにくい地方にいたあいだに、情勢は急展開していたようだ。

「求心力を高めようと、政治宣伝に力を入れすぎましたからね」

 ため息混じりに、エミストが言う。

「タナシス人の愛国心と同胞愛、それに自己防衛の本能に火が点いてしまっているのです。もともと、大タナシス主義など、他民族の国家に軍事侵攻し、服従させる行為を正当化するための大義名分、つまりは嘘八百に過ぎなかったのですが。それがいまは、わたくしたちの自縛となっているのです」

「戦争になれば、こちらに勝ち目はありませんよ」

 軍事には疎いが、それくらいはリュスメースにもわかっていた。兵力も経済力も、今となってはノノア川憲章条約の方がタナシス王国よりも上だ。

「政治的勝利を得られる可能性はあります。積極的な防衛を持続すれば、南の陸塊諸国も厭戦気分に陥るでしょう。徹底抗戦を唱えているタナシス貴族たちも、しばらく戦えば納得するはずです。適当なところで和平交渉を行い、叛徒たちを正式な国家として承認する形で幕を引く。それがたぶん、もっとも理想的な解決方法でしょう」

「大勢の兵士や市民が犠牲になりますよ」

 リュスメースは、エミストが百も承知であろう事実をあえて指摘した。

「タナシス王国とタナシス人の名誉。それに、王家の存続を考慮すれば、他に方法はありません」

 寂しげに微笑みつつ、エミストが言った。

「リュスメース、すぐに旅立ちなさい。王宮はもちろん、王都に寄ってもいけません。そして、事態が収まるまで辺境州で大人しくしているのです。ひょっとすると、そのころにはお父様もわたくしも、シェラエズもすでにこの世にはいないかも知れませんが。あとは、任せましたよ」

 リュスメースは、無言でうなずいた。声を発したら、泣き出してしまいそうな気がしたからだった。



 タナシス王国との外交交渉が暗礁に乗り上げたことを受けて、ノノア川憲章条約総会は憲章条約防衛隊本部に対し憲章条約救援部隊の編成を命じ、所属各国に対し市民軍の動員と編成を要請した。



「救援軍東部軍団の市民軍二万は、すべて高原諸族からなる。西部軍団一万五千が、海岸諸国と平原の混成。北部軍団一万五千は、一万が高原から、残る五千が海岸から供出される」

 編成表を掲げながら、拓海が説明した。

「高原だけで三万か。凄いね」

 駿が、感心したように言う。

「これだけじゃないぞ。兵站担当の一万人も、八割を高原が負担してくれた。この他に、ランクトゥアン王子麾下の海軍にも、五千名の高原戦士が補充兵力として配属される」

「海軍の編成は? これには書いてないけど」

 夏希は配られた編成表を見ながら言った。いまだ文字はちゃんと読めないが、見たところ『海軍』とか『船』とか、海洋や船舶に関する単語はないようだ。

「まだ未編成だ。海岸諸国の海軍はいいんだが、新たに編成される武装船舶や徴用民間籍船舶の把握がまだできていないんでね。一応、正規の海軍艦艇が三十前後、武装船舶……これは主に先のタナシスとの戦いで拿捕した船を改装したものだが……が十二隻。これに、確保できる民間籍船舶がおそらく三十程度。西部同盟とレムコ同盟も民間籍船舶を若干乗員ごと提供してくれるから、総兵力は軍船四十以上、輸送船五十以上というところだね」

「タナシス海軍はどうなってるの?」

 凛が、訊く。

「いまだ先の戦いの痛手からは立ち直っていないようだ。予算不足で新規船舶の建造はなし。数の不足を補うために、中古の民間船を三隻ほど買い上げて、アノルチャとサマトスで軍船に改造していたようだが、未完成らしい。サマトスの方は、バラ王国に接収されちまったみたいだしな。というわけで、軍船が十四隻、輸送船が八隻というところだ。民間船舶を借りまくっても、総数四十は超えられないだろうな。海軍に関して言えば、こちらが圧倒的優位になる」

「兵站面はどうなんだい? きちんとした策源地は得られそうかな?」

 駿が、地図を参照しながら訊く。

「すでに、カミュエンナ・パパにグルージオン港を自由に使っていいと許可を得てある。カートゥール代表からも、サマトス港の使用許可は得た。当面、この二港が救援海軍の母港となるだろうな。タナシス海軍艦艇は、アノルチャに集中している。これを叩いて、大海の制海権を掌握するのが、救援海軍の当面の目標だ。こちらのSLOCを脅かされるわけにはいかない」

「すろっく?」

「sea lane of communicationのことだ。要するに、洋上補給線だな。食料の大半は現地調達できそうだが、それでも南の陸塊から運んでやらねばならぬ物資は多い。それに、アノルチャ市奇襲上陸作戦を成功させ、そこで抗戦を継続するには、膨大な物資と追加兵力を海上経由で送り込む必要があるからな」

 夏希の問いに、拓海が手早く説明してくれる。



 救援軍派遣の準備が、着々と整ってゆく。

 三万を超える高原戦士が、続々と川船でノノア川を下って行き、ルルト市に入った。そこで順次輸送船に乗せられ、海岸諸国海軍船舶に護衛されてラドームへと向かう。

 ラドームには、すでに多くの救援軍兵士を受け入れるための天幕や仮小屋が多数建てられていた。そこへ収容された救援軍兵士たちに供された食事は、米ではなく、パンや乳製品、加工肉などを中心としたいかにも北の陸塊風のものであった。北の本土に上陸すれば、米はめったに口にできなくなる。一日も早く、北の陸塊の食に慣れてもらおうという配慮である。高原の兵士たちは、見慣れぬ奇妙な食物を戸惑いながら腹に収めた。



 夏希がラドーム入りしたのは、救援軍全軍……海軍や兵站担当を含めれば、実に八万五千を超える……がラドーム島に集結したあとになった。

「たしか、ラドームの人口って、五万くらいだったよね」

 出迎えてくれた拓海に、夏希はそう確かめた。

「だな。基地の島、どころの騒ぎじゃないな」

 拓海がくすくすと笑う。

 夏希はとりあえずアンヌッカを伴ってカミュエンナ王女を表敬訪問した。

 迎えてくれたカミュエンナの表情は暗かった。

「すみません、ご迷惑をお掛けして」

 夏希はとりあえず謝った。

「いえ、迷惑だなんて。ラドームが、そして他の各国が独立を回復するためなら、このくらいの負担ならば喜んで負わせて頂きます。しかし、この先何万もの人命が失われることを考えると、ついつい憂鬱になってしまうのです」

 可愛らしい顔をわずかに歪めて、カミュエンナが言う。

「ご懸念はもっともです。タナシス王国が折れてくれればいいのですが、どうやらそうもいかないようですし……」

 夏希は語尾を濁した。伝わってくる情報では、タナシス王国の抗戦意欲は旺盛らしい。追い込まれたことで、却って民族意識に目覚め、オストノフ国王への支持も強固になっているようだ。

「とにかく、夏希殿のご無事をお祈りしております」

「ありがとうございます、王女殿下」

 夏希はやや気まずい思いで、王宮をあとにした。



 その翌日、ラドーム島の王都グルージオンに設置された解放軍合同司令部は、憲章条約救援部隊海軍を率いるランクトゥアン王子に対し、タナシス海軍の一掃を目的とする作戦行動開始を命じた。これを受けてさっそく、大型軍船を主力とする第一戦隊と、比較的高速な軍船を主力とする第二戦隊、低速だが大型で多数の陸戦要員が乗り込んでいる第三戦隊、それに小型高速艦を多数揃えた偵察戦隊が出航する。

「明日、残りの船に護衛してもらって、東部軍団の第一陣がペクトールへと向かう。おれも、これに乗り込む予定だ。現地でレムコ同盟軍と合流したら、すぐに北上し、メリクラ王国経由でスルメ公国入りする。ディディリア州方面に、タナシス軍東部総軍主力を引き付けるのが狙いだ。もちろん艦隊はラドームに取って返し、第二陣を運ぶ。東部軍団を運び終えたら、今度は西部軍団をカレイトン王国に運ぶ。それが終わったら、ルルト-ラドーム間の物資移送と、ラドームと北の陸塊間の物資移送開始だ。アノルチャ奇襲上陸作戦は、その後だな」

 夕食の席で、拓海が説明した。

「しかし、この食事は何とかならんのか? 平原や海岸の市民軍兵士は、不満たらたらだぞ」

 同席している生馬が、パンをかじりながら言う。

「米を南の陸塊から運ぶとなると、輸送力の深刻な不足が生じかねないからな。我慢してもらえよ」

 ぶすりとして、拓海が言った。

「しかし、高原戦士はタフよね」

 あらためて感心しつつ、夏希は干し肉をかじった。米と野菜、わずかな畜肉と川魚を主に食べている平原の民や、同じく米と野菜、それに魚介類を食べ慣れている海岸諸国の人々は、パンを主食とし、ハムや乾燥肉などの加工肉、乳製品が多い北の陸塊風食を好まなかったのに対し、高原の民は当初こそ戸惑っていたが、すぐに慣れてしまったのだ。

「まあ、米がパンに置き換わっただけで、高原の民は肉をよく食していたし、もともと狩猟民族は食に頓着しない傾向があるからな」

 お気に入りのクリームチーズをパンに塗りつけながら、拓海が言う。

「そうなの?」

「そうだよ。定住性に乏しいから重い調理器具を使わず、なおかつなるべく簡便な調理方法を選ぶしか無い。狩りの最中に何時間も掛かる煮込み料理など、作っていられないだろ?  手に入る食材もいきあたりばったりだから、凝った料理を作るのも難しい。勢い、塩を振った焼きたての肉が最高のごちそう、といった食文化になってしまう。贅沢を言っていたら、狩猟民族としてはやっていけないからな。いや、別に高原の民の食文化を貶しているわけじゃないぞ。その地の気候風土や手に入る食材以上に、住民の生活習慣が食文化を規定するわけだからな」

「輸送力に余裕ができたら、米を運ばせてくれよ。勝てば米が喰える、となったら、うちの市民軍は凄い底力を発揮するかもしれん」

 笑い混じりで、生馬がそう提案する。

「俺としては、食に関する不満が吹き出す前に、この戦争を終わらせるつもりなんだがな。というか、南の陸塊から大量の米を運ばねばならぬ事態に至ったら、事実上俺たちの負けだよ。今のタナシスは、リストラを終えた企業みたいなもので、規模は縮小したが無駄を省いて強靭な体制を作り上げている。長期戦になったら、先にくたばるのはこっちだ。いくらノノア川憲章条約でも、八万五千の兵力を大海を隔てた北の陸塊で、長期間運用出来るだけの力はない。全面的に食料の供給を得られたとしてもね」

 不満気な口調で、拓海が言った。

「タナシス王国は時間切れを狙うだけでいいのよね」

 箸を置いた夏希は、コーヒーカップを手に取った。

「そうだ。だからこそ、アノルチャで罠を仕掛け、早期にタナシス野戦軍の数を減らし、一気に王都リスオンを窺って、停戦に持ち込もうという肚なんだ」

「うまく行くといいけど」

「うまく行かせるさ。そして、これを最後の戦争にする。まあ、永遠に戦争をなくすことなど不可能だが、南北両陸塊を糾合した形での集団的安全保障体制を構築することは可能だろう。それが、軍事担当として俺ができるこの世界に対する最大の貢献だと思う」

 拓海が力強く言って、夏希と生馬の顔を代わる代わる見た。

「そうだな。俺も最大限努力しよう」

 生馬が力強くうなずいた。

「わたしも協力するわ。……正直、今に至ってもタナシス王国と戦うのは気が進まないけど」

 不承不承、夏希は言った。


第百八話をお届けします。

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