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白き巫女と蒼き巫女【改稿中】  作者: 高階 桂
第三章 タナシス王国編
106/145

106 迂回包囲

 迂回包囲……敵主力を何らかの方法で特定の位置に拘束し、その間に味方主力、または別働隊が敵の存在しない、あるいは軽微な抵抗しか予想されないルートを使って敵主力後方ないし側方に戦略的機動を行い、その退路などを断ち、戦略的機動の余地を失わせた状態で包囲戦を仕掛け、これを殲滅せんとする運動……は、古来より行われてきたきわめて基本的な軍事作戦である。いや、軍事作戦どころか、群れで狩りを行う比較的知能の高い動物……ライオンなどのネコ科の大型獣、狼、犬、ハイエナなど……も、類似の方法を用い、獲物の退路を断ちつつ狩りをすることが知られている。もっと知能の低い動物……例えばイエネコなども、複数で鼠などの小動物を狩るときには、同じような行動が観察される。

 そのようなわけで、カートゥール代表もシェラエズ王女が上記のような作戦を行うことを十分に警戒していた。この辺りは比較的平坦な地形であり、疎林のあいだに村落と畑が点在しているような地域なので良路も多く、こちらの後背に回り込む戦略機動を行いやすい状況である。むろん良路とは言っても細い道であり、万単位の部隊が主侵攻路とするには無理があるルートなので、シェラエズ率いるタナシス軍主力が戦略的迂回に使用する可能性はほとんど無視できる。

 カートゥールが主力から割いて確保した予備部隊は、わずかに五千であった。いずれも市民軍である。ただし、比較的軽装備なので、機動力だけは高い。

 その中から五百の兵力を用いて、カートゥールはイサマス村前方側面に広く薄い哨戒線を形成した。もちろん、敵別働隊の迂回に備えてである。発見しだい、残る予備部隊を投入し、これを捕捉、迂回を阻止するつもりであった。



 イサマス村近郊で、両軍主力が激突した。

 タナシス軍主力は、一万九千の主力と、七千の予備部隊。対するレムコ同盟軍は、一万四千の主力と、四千五百の予備部隊。

 シェラエズは、損害を顧みずに激しい攻勢を持続させた。目的は、レムコ同盟軍に予備部隊を吐き出させることにある。予備部隊を使い果たした軍勢は、戦術の柔軟性を失う。つまりは、手の内を読まれやすい対応しか取れなくなるのである。そうなれば、叩くのは容易になるし、シェラエズの思惑である別働隊による迂回包囲も成功し易くなる。

「殿下、左翼が不安定となっております」

 側近が、そう報告する。

「一個団を投入しろ」

 シェラエズはすぐさま予備部隊の一部を派遣するように命じた。今は戦力の節約に務める局面ではない。



「代表、このままでは持ちこたえられません」

「仕方ない、もう一千名投入しろ」

 人気のもとでもあるいつもの飄々たる雰囲気を消し去ったカートゥールは、歯噛みしつつそう命じた。

 戦闘の様相は、凄まじいまでの消耗戦になりつつあった。レムコ同盟もタナシス軍も、大量の死傷者を出しつつ双方の戦線の維持に務めている。敵の予備部隊がまだ豊富であることを察知しているカートゥールとしては、ここで安易に退いて戦線を再構築することはできない相談だった。不用意に下がれば、タナシス軍にここぞとばかりに予備部隊を投入され、一点突破を図られてしまうだろう。そうなれば、確実に負ける。



「際限なく掛金を釣り上げてゆくギャンブルのようだな」

 暗い表情で、シェラエズはつぶやいた。

 両軍とも、退くに引けない状況に陥りつつあった。レムコ同盟側は……これはシェラエズの思惑通りなのだが……戦線を維持するのに必死で、予備部隊を五月雨的に投入しつつ死傷者の増大に耐えている。一方のタナシス軍側も、別働隊が迂回を完遂するまでレムコ同盟軍を拘束し続けるために、強攻を持続して大量の死傷者を出している。

「弱気になった方が負けだ。こちらが苦しい時は、敵も苦しいものだ。耐えてこそ、勝利が生み出される」

 無理に明るい表情を作ったシェラエズは、側近たちに向かってそう言った。いや、自分にそう言い聞かせたのかも知れないが。



 人間は、ミスを犯す生き物である。

 戦場においても、それは同様だ。いや、むしろ猛烈に忙しく、死の恐怖に晒され、指示連絡系統が常に乱され、そして予定や計画が思惑通りに進むことが稀な戦場の方が、一般的な生活活動よりもはるかにミスが起きやすい環境であるといえる。

 そのような戦場におけるミスのひとつに、道に迷う、あるいは道を間違える、というものがある。日常生活でも、不慣れな場所であれは時折犯す間違いだが、よほど時間に追われているか、あるいは厳冬期の登山でもなければ大事には至らないミスである。しかしこのミスは、戦場においては致命的なものになりかねない。だからこそ、近代軍隊でも地図判読や航法の訓練に長い時間を割くのである。

 だが今回は、そのミスが思わぬ幸運を呼び込むことになる……。


 シェラエズ王女が送り出した兵力六千の別働隊は、順調に進軍を続けていた。

 予想通りレムコ同盟側の哨戒線に引っ掛かったものの、難なくこれを排し、田舎道を速いペースで突き進む。このあたりの地理に詳しい者を金で雇ってあったし、詳細な地図もあらかじめ入手していたので、道に迷うこともない。しかしながら、この地理に通じていたという点が、後々仇となる。

 一方、タナシス軍別働隊接近の報せを受け、カートゥール代表が送り出したなけなしの予備部隊二千は、全く無関係な道……別働隊が絶対に通らないであろうルート……に布陣してしまう。これは、接敵報告をもたらした伝令のミスであった。

 いつまで待ってもタナシス軍別働隊が現れないことに首をひねっていた予備部隊の長は、ようやく自分たちがとんでもない処に布陣していたことに気付く。慌てた彼は、地図を見直すと、もっともタナシス軍別働隊が通りそうなルート……南方からイサマス村への最短路……へ、疎林を突っ切って向かうように部下に命じた。

 タナシス別働隊を率い、イサマス村方面へと進軍を続ける将軍は、なかなかに慎重な人物であった。三叉路に行きあたった彼は、レムコ同盟側の迎撃を避けようと、最短の迂回路を使わず、次善のルートを進撃路に選択したのだ。もちろん、六千の兵力を持ってすれば、千や二千程度のレムコ同盟軍など易々と打ち敗れるが、それには時間が掛かる。さらに、敵の指揮官が優秀であれば、効果的な遅滞行動を実施されて、さらに時間を稼がれてしまうだろう。彼がシェラエズ王女に命じられたのは、あくまでレムコ同盟本隊の後背へと速やかに移動し、迂回包囲を完成させることにある。少数の敵部隊を血祭りに上げることではないのだ。目前の戦術的勝利に目が眩み、大局を誤って、戦略的勝利をふいにするなど、愚か者の所業である。

 かくして、タナシス軍別働隊は、『急がば回れ』の諺のごとく、最短路を避けて別のルートを進撃し始めた。前方に敵の姿はなく、このまま順調に迂回包囲が完遂されるのでは、と思われたその時……。

 その横腹に、突如レムコ同盟予備部隊が出現することとなる。

 まさに不意打ちであったが、驚いたのはレムコ同盟側も同じであった。タナシス軍が、この道を使うとは想像だにしていなかったからだ。

 田舎道を突き進んでいたタナシス軍別働隊と、疎林から文字通り湧き出してきたレムコ同盟軍部隊。

 両者はなし崩し的に戦闘に突入する。兵力はタナシス側が優勢だったが、タナシス側は前方警戒を主眼とした行軍隊形であったのに対し、レムコ同盟側は疎林を突き進むやや密な散開隊形であり、なおかつ進路前方での遭遇戦ということで、序盤は有利に戦いを進める。行軍隊形を真ん中で食い破られ、兵力を二分されたタナシス軍別働隊は、苦戦を強いられた。

 だが、いったん混乱が収まってしまえば、やはり兵力の優位さと練度の高さが物を言い出す。方陣を調え、組織的に戦いだしたタナシス軍の前に、未熟な市民兵ばかりのレムコ同盟側は押され出す。やがて、レムコ同盟側は疎林の奥へと退いた。タナシス側は深追いせず、隊形を調えて前進を再開しようとする。

 そこへ、少数のレムコ同盟兵が襲いかかってくる。典型的な、遅滞防御行動である。戦闘に引きずり込んで、前進を妨害しようとする意図だ。タナシス別働隊は、これを排除しつつ、しゃにむに前進を強行した。



「まだ別働隊は着かぬのか」

 シェラエズは歯噛みした。

 タナシス軍本隊は、つい今しがた最後の予備部隊を戦線に投入したところであった。死傷者の数は、膨大なものに膨れ上がっている。おそらく、二度と攻勢的な作戦は行えないであろう。

 もちろん、対するレムコ同盟側の被害も甚大なはずだ。だが、迂回包囲を完成させて彼らの野戦軍を文字通り殲滅しない限り、政治的勝利には結びつかない。この損害では、敵野戦軍がわずかでも生き残った場合、敵地であるスルメ公国にシェラエズが留まって政治的影響力を行使し続けることは困難だからだ。敵対的な住民が多数居住する地域に、たとえ少数でも組織的抵抗を継続できる武装集団が存在する場合、その地の軍事占領を持続するには莫大な兵力を必要とされるのである。

 ……負け戦だ。

 シェラエズは悟った。

 表面的には、こちらの勝利だろう。敵はもう持ちこたえられず、早晩戦場を引き払って退却するはずだ。損害は双方ともに甚大なもので、残っている兵力は間違いなくこちらの方が多い。しかしこちらも予備部隊を使い切ってしまい、追撃の余力を余してはいない。作戦目的を果たせないまま、ディディリアに戻って戦力の回復に努めるしか、シェラエズに手は残されていなかった。

 ……戦術的勝利が、必ずしも戦略的勝利に結びつくものではない。

 シェラエズは、昔習い覚えた格言を思い起こした。

 ……さて、この失敗をどう取り繕うべきかな。

 シェラエズは思案した。



 カートゥール代表が総退却を命じたのは、絶妙なタイミングであった。

 追撃するだけの余力のないシェラエズ王女は、それを黙って見送るしかなかった。しつこい遅滞行動を仕掛けるレムコ同盟部隊を振りきって、タナシス軍別働隊が迂回を果たしたときには、すでに戦場にレムコ同盟軍の姿はなかった。

 死傷者は、膨大な数に上った。タナシス軍側は、総兵力三万二千のうち、半数近くの一万五千名を失った。レムコ同盟側の被害も一万三千を超える。

 タナシス侵攻軍は、すみやかにディディリアに退却した。そこでシェラエズは一部の市民軍の動員を解く。タナシス東部総軍の兵力は、二万八千五百と、大幅に減少した。内訳は、正規軍五千五百、奴隷軍二千、市民軍二万一千である。

 レムコ同盟軍は、若干の市民軍を加えたものの減少し、三万三千となった。

 この拮抗した軍事力が、睨み合いという名の均衡状態を作り出す。



「乾坤一擲の戦いに打って出て、失敗したわけだ、シェラエズは。戦略的意図は正しかったがな。やや兵力不足ゆえ、ゆとりのない作戦計画を行わざるを得なかった、というのが敗因だろうな」

 拓海が、イサマス村の戦いをそう分析してみせる。

「じゃあ、拓海だったら、どんな作戦を立てたの?」

「俺でも、あの兵力ならシェラエズと同じ作戦を使っただろうな。単純な作戦ほど、齟齬が生じにくいものだ。もちろん、敵に読まれ易くなるが、作戦など読まれてなんぼだ。むしろ、見え見えの作戦でも難なく敵を打ち破れるだけの戦力の時間的、空間的集中を行うことが、指揮官の努めだよ。理想論だがね」

 夏希の問いに、拓海が諦め顔で答える。

「兵力に余裕があれば、マルゲーン市方面に助攻部隊を送ってレムコ同盟軍を誘い出すこともできたろうし、複数のルートでイサマス村に接近することも可能だったはずだ」

 生馬が指摘する。

「拓海の読みじゃ、しばらく均衡状態が続くんでしょ? 戦争が長引くのであれば、憲章条約の利益には繋がらないわ」

 凛が、そう言って肩をすくめる。

「ひょっとすると、介入のチャンスかも知れないね。双方ともにかなり兵力を減らしたから、いま憲章条約による軍事介入をちらつかせればかなりの圧力になるはずだ。停戦に持ち込めるかも知れない。総会でも、海岸諸国を中心に軍事介入やむなしとの意見が出ていたからね。単なるブラフだとは思われないだろう」

 駿が言う。夏希はうなずいた。

「そうね。総会で何らかの決議を出してくれれば、外交部で双方に強い調子の書簡を出してもいいわ」

 不意に、扉が外から控えめな調子で叩かれた。一番近くにいた駿が、扉を開ける。

「失礼いたします」

 入ってきたのは、いまや生馬の副官にまで出世したソリスであった。折りたたまれた紙片を、生馬ではなく拓海に手渡す。

 紙片を開いた拓海の口が、あんぐりと開いた。拓海の手元を覗き込んだ生馬の顔色も、変わる。

「どうしたの?」

「駿、事務局の方に報告は入ってないのか? 人間界縮退に関して?」

 夏希の問いかけを無視し、拓海が駿に尋ねる。

「いや、聞いていないが……どうしたんだい?」

「高原支隊参謀部からの急報だ。人間界縮退のペースが、昨日未明より急速に早まったそうだ。原因は不明」

「どこかの馬鹿が第八の魔力の源を無駄遣いしてるんじゃないの?」

 顔をしかめて、凛が言う。

「おそらくそうだろうね。で、どのくらい早まったんだい?」

 駿が、訊いた。

「聞いて驚くなよ。七ヒネで一キッホのペースだそうだ」

 夏希は暗算を始めた。一ヒネを百秒として、一キッホが六十センチとすると、七百秒……十一分半ほどで六十センチとなる。一日がほぼ二十一時間半だから……。

「一日で百十キッホほどか。メートルに直すと、六十六メートルだね」

 一足早く計算を終えた駿が、言う。

「凄まじいペースじゃない。今までは一日五キッホほどだったはず。ざっと二十二倍のスピードね」

 呆れたように、凛。

「まずいぞ、これは」

 生馬が、顔をしかめた。

「従前の人間界縮退のペースなら、高原の民の居住域に直接影響が出るまで十数年、高原全体が魔界に飲み込まれるまで五十年、と言われてきたはずだ。このペースだと、それが来年と数年後に前倒しされちまう」

「まあ、他の魔力の源がすべて人間界縮退対策本部とタナシス王国の管理下にある以上、高原全域が魔界になっちまう可能性は少ないと思うが……高原の民は焦るだろうな」

 拓海が、深刻な表情で言う。

「焦るのはタナシス王国も同様でしょうね。すべての辺境州が、数年後には魔界に飲み込まれるかもしれないんだから。ねえ、この事態を上手く利用できないかしら。南部にあるレムコ同盟や西部同盟は、人間界縮退のペースが早まってもそれほど苦労しないよね。だから、タナシス王国にこの事態に対する共同対策行動を提案し、その代償に戦争に関して譲歩を迫れるかも知れない」

 ふと思いついた夏希はそう提案した。

「いい案だと思うけど……人間界縮退のスピードアップが憲章条約の陰謀だとか、勘ぐられないかな?」

 駿が、疑義を示す。

「とにかく、外交部として正式に書簡を送ってみようと思うの。反対の人は?」

 反対意見は出なかった。


第百六話をお届けします。

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