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白き巫女と蒼き巫女【改稿中】  作者: 高階 桂
第三章 タナシス王国編
105/145

105 イサマス村

「マジなのか、タナシス正規軍が敗れた、ってのは?」

 生馬が、拓海に確認する。

「確実だ。レムコ同盟側の発表。タナシス側の沈黙。海岸諸国からも同様な報告が入っている。オープァとルルトは、独自で北の陸塊に情報網を構築しているらしいからな。ともかく、アノルチャ市を進発したレジエ将軍率いる一万を超える軍勢が、戻ってきた時には三千以下に減っていたこと。現在バラ自治州主要部を抑えているのはレムコ同盟側だということ。アノルチャ州内にタナシス派のバラ人貴族が多数逃亡してきたこと。そして、カンラ市内でレジエ将軍が捕虜となっていること。以上四点は、確認が取れている」

「これで、東部地域の軍事バランスが大きく動いたわね」

 地図を睨みながら、夏希はそう言った。拓海が得た情報が確かならば、総兵力二万六千と見積もられるレムコ同盟側の損害は僅少。対するタナシス側の東部方面総軍は、推定一万五千の市民軍を加え四万の兵力を揃えていたが、今回の戦いで三万前後になり、その上最高指揮官を失った。いまだ市民軍の動員能力に関してはタナシス側に余力があるとはいえ、軍事的にはほぼ伯仲した、と言っていいだろう。

「レジエ将軍か。夏希は、会ったことがあるんだろ?」

 生馬が、夏希に振った。

「ラドームでタナシス王国との和平会談で会ったのが最初ね。エミスト王女の助言役だったわ。そのあとリスオンに行った時にも、何回か見かけたし」

「レムコ同盟はこの件を徹底的に政治利用するだろうね。初戦で一方的な勝利。タナシス正規軍の重鎮を捕虜にする。バラ自治州の掌握。宣伝材料には事欠かない」

 駿が、微笑みながら言う。

「で、このことはあたしたちの行動にどう影響してくるの?」

 凛が、他の者たちを見回しながら問う。

「そのことなんだが……」

 笑みを消した駿が、やや声をひそめた。

「今回のこの一件で、レムコ同盟-西部同盟側の軍事力が各国に再評価されているんだ。軍事的には、タナシス王国側がはるかに格上だと思われていたのに、初戦であっさりと大敗を喫したからね。このまま、レムコ同盟が戦勝を続けて、追い込まれたタナシス王国が大幅譲歩し、独立宣言した旧公国や自治州の独立を認めるのではないか、という観測もある」

「反タナシス側を勝ち馬と認めた、ということか?」

 生馬が、確認する。

「いや、そこまでは行っていないよ。だが、中立的な姿勢を崩してタナシス王国を支援する、という選択肢が消えかかっていることは確かだ」

「怖いのは長期化だな。だらだらと戦時体制が続けば、双方ともに疲弊してしまう。今はまだタナシス王室やカートゥール代表などという求心力があるからそれなりにまとまっているが、長期化すると政治勢力の分裂が始まるおそれが強い。下手をすると、群雄割拠の状態にもなりかねん。そうすると、手が付けられなくなる」

 地図に視線を落として、拓海が言う。夏希はため息をついた。

「誰か天下統一を果たしてくれる英雄が出てくるまで、だらだらと戦乱が続くのね。憲章条約の利益には繋がらないわね、それ」

「まったくその通りね。それに、長期に渡る戦乱を終わらせた人物や政治勢力は、たいてい外征思考だし」

 歴史通の凛が、そんなことを言う。

「いっそのこと、このまま強制的に和平に持ち込ませるのはどうだ? レムコ同盟と西部同盟各国は独立してノノア川憲章条約加盟。タナシス王国も憲章条約加盟」

 やや急いた口調で、生馬が言った。

「それじゃ、反タナシス派の思惑通りじゃない。タナシス王国のメリットはなに?」

 苦笑いしつつ、夏希は訊ねた。

「恒久的な安全保障は得られるだろう。タナシス側が自主的に譲歩し、旧公国や自治州の独立を承認した、という形ならば、面子もそれほど失わないだろうし」

「どうかな。征服王朝であるタナシス王室の歴史を鑑みるに、軍事力で獲得した領土である地方を手放し、独立を許すというのは厳しいものがあると思うが」

 拓海が、首を捻る。

「似たようなことを考えている憲章条約加盟国も多いよ」

 駿が、生馬に向かって言う。

「とにかく交戦状態を終わらせないと、前に進めないからね。現状維持のまま、強制的に停戦させようというプランだ」

「三十八度線で睨み合う形にするわけね。憲章条約が国連役で。で、タナシス王国と反タナシス派、どちらが北朝鮮役なの?」

 辛辣な口調で、凛が問う。

「オストノフよりもカートゥールの方が、カリスマっぽいかな? まあ、金日成のあれは、作られたカリスマなんだが」

 拓海が、笑いながら言った。

「高原諸族は、特に反タナシス派に肩入れする者が多いようだ。アフムツ氏族長の件もあるし」

 駿がそう言って、顔をしかめる。状況から推定すれば、ビアスコ王子とアフムツ氏族長を殺害した犯人の黒幕はレムコ同盟か西部同盟なのだが、決定的な証拠はない。ゆえに、高原諸族の非難の対象は、未だにタナシス王国となっている。

「とにかく、我々が最優先すべきは、ノノア川憲章条約の結束の維持と、その利益だ。これだけは、肝に命じておいてくれ」

 拓海が言って、なぜか夏希の顔をじっと見据えた。

「なによ」

「他意はない、と言いたいところだが、この五人の中でもっともタナシス王国に馴染みのある人物はあんただからな。シェラエズ王女のようなVIPの知己もいるし。気をつけてくれよ。俺たちの地位は決して盤石なのもじゃない。ジンベルという小国の、一代限りの新米貴族に過ぎないんだ。多勢に逆らえば、あっさり首を刎ねられてもおかしくない立場なんだ。正義感や倫理で行動するのは、きわめて贅沢な行為だ、ということを、忘れないでいて欲しい」

 珍しく真剣な面持ちで、拓海が言う。夏希は無言でうなずいた。



「お久しぶりです、お姉さま」

 シェラエズ王女に対し、リュスメースは深々と頭を下げた。

「ご苦労様です、リュスメース」

 労いの言葉を返したシェラエズが、実妹の顔を見やって、にこりと微笑む。

 港町アノルチャの、州政府庁舎の一室である。開け放たれた窓からは、潮の匂いを含んだ微風が穏やかに吹き込んでくる。天候は、晴れ。家並み越しにわずかに見通せる海原も静かで、暖かな日差しを浴びていささか眠そうにも見える。

「まずは、オストノフ国王陛下からのお言葉をお伝えします。シェラエズ王女は、王都に帰還することなく東部方面総軍の指揮を執れ。戦略目的は、アノルチャ、ディディリア、ディディサク三州の防衛と、叛徒であるレムコ同盟部隊の駆逐である。同三州に限り、市民軍の無制限動員権を付与する。武運を祈る。以上です」

 リュスメースは、感情を交えずに淡々と告げた。

「そうか。あい判った」

 そのような命令が下されることを予期していたのだろう、シェラエズの応えも、きわめて淡々としていた。表情にも、変化はない。微笑を湛えたまま、実妹を見つめている。

「全般的な情勢もお伝えしておきます。詳細は、これに書いておきました」

 リュスメースは、あらかじめ用意してあった紙束を差し出した。受け取ったシェラエズが、視線を落としてそれをぱらぱらとめくる。

「要点は?」

「辺境州が動揺しています。このままでは、反乱が起きかねません」

「だろうな」

 リュスメースの答えに、シェラエズが笑みを消して嘆息した。

 辺境州の貴族。今はタナシス王室から爵位を与えられ、貴族を名乗ってはいるが、彼らや彼らの父祖は、タナシス王国に逆らうことを諦めて帰順した蛮族の有力者に過ぎない。タナシスの国力……特に軍事力が低下すれば、反抗する者も出てくるだろう。

 政治は力学である。国家をまとめ上げている力の均衡が崩れれば、歪は大となり、いずれ分裂するのだ。卓越した軍事力で北の陸塊を統一したタナシス王国……。その軍事力が反タナシス派との戦いに張り付けられている現状は、さながらたがが緩んだ樽のようなものだ。今はまだ水漏れ程度で済んでいるが、このままいけば箍を引きちぎってばらばらになりかねない。

「早期にレムコ同盟の野戦軍に対し打撃を与える必要があるな。憲章条約諸国の動向も気になることだし」

「同意します」

 シェラエズの言葉に、リュスメースはうなずいた。

「そろそろ昼だな。久しぶりに、差し向かいで食事といこうか」

 微笑を戻したシェラエズが、言う。

「喜んで。ですが、あまりゆっくりもしていられないのです。国王陛下から、西部方面総軍に加わるように命じられておりますので」

「指揮を執るのか?」

 シェラエズが、笑みを消した。

「いいえ。一応、軍監的な役割を担うようですが、あくまでお飾りですわ。わたくしの軍事知識など、姉上の足元にも及びませんし」

「卑下するでない。たしかに従軍経験はないが、そなたの知識はわたしと同等だろう。頭の切れは、そなたのほうが上だしな。だが、姉として一言だけ助言させてもらおう。無理はするな。そして、見栄を張るな。戦場においての虚勢は身を滅ぼすぞ」

「肝に銘じておきます」

 リュスメースは、微笑みつつ一礼した。



 言うまでもなく、軍事は政治の従属物である。

 いかなる軍事的勝利も、その目的とするところは政治的な成功を得るための手段に過ぎない。極端な話、戦場で敗北することによって政治的な勝利が得られるのならば、その軍隊は積極的に敗北すべきなのである。

 シェラエズはもちろん、そのことを十二分に承知していた。タナシス王国は、ゆっくりとではあるが政治的に敗北しつつある。レムコ同盟と西部同盟の政治目的は、タナシス支配からの脱却である。つまり、両者は存在し続けるだけで、勝利へと着実に近づいているのである。

 この状況を打破するためには、レムコ同盟の力の源泉であるカートゥール代表率いる野戦軍を捕捉し、殲滅するのがもっとも確実な方法である。軍事力さえ叩き潰せば、バラ自治州やスルメ公国に進駐し、レムコ同盟の政治的野望を完膚なきまでに打ち砕くことができる。レムコ同盟が倒れれば、西部同盟も大人しくなるだろう。

 そう判断したシェラエズは賭けに出た。アノルチャ州から一万二千、ディディサク州およびディディリア州からそれぞれ八千の市民軍を動員する。三州ともにすでに五千名の市民軍を組織していることと、その人口から考えれば、経済活動に大いに支障が生じるレベルの動員数である。

 これで、タナシス王国東部総軍の総兵力は五万四千五百に達することとなった。内訳は、正規軍八千、奴隷軍三千五百、市民軍四万三千である。数は多いが、その大半は訓練不十分な市民軍だ。

 対するレムコ同盟軍は、バラ人の市民軍を若干加えたものの、四万三千ほど。こちらも大半が市民軍であり、質は低い。

 一日でも早く市民軍の動員を解きたいシェラエズは、短期決戦を目論み、兵力をディディリア州に集結させた。東に隣接するスルメ公国に侵攻する構えを見せる。

 カートゥール代表も、スルメ公国内に兵力を集中させた。首府であるマルゲーン市に司令部を置き、情報の収集に務める。

 シェラエズの動きは素早かった。まだレムコ同盟側が戦力の集中を完結していない段階で、侵攻を開始する。その兵力は、実に三万二千。

 カートゥールも、迎撃を意図して手持ちの兵力を率い、マルゲーン市を進発する。その数、一万五千。後々駆けつけてくる部隊が合流する予定だが、それでも予想されるタナシス侵攻軍との接触までに間に合いそうな兵員数は四千程度に過ぎない。

 三万二千対一万九千。防御側に地の利があるとは言え、兵力差は実に五対三に近い。

 通常の戦争であれば、カートゥールはシェラエズとの決戦を回避し、後退してタナシス軍の兵站に負担を掛けつつ、アノルチャ他二州の経済が悪化し、シェラエズが苦悩するのを見て楽しむ、という選択肢も採れたであろう。消極的防御の試みと長期間の行軍による疲弊、伸びきった兵站線による不十分な給養、根拠地より遠く離れたことおよび戦場における長い緊張状態、さらに勝利の見込みの薄さによる精神的疲労などにより、タナシス軍が攻勢の限界点に達したところでおもむろに反撃に出れば、勝利は間違いない。

 しかしながら、今回シェラエズ率いる侵攻軍が目指しているのはスルメ公国である。カートゥール代表のお膝元であり、レムコ同盟発祥の地であるレムコ市も存在する地域だ。タナシス軍が戦略目標としているのが北のレムコ市なのか、あるいは南の首府マルゲーン市なのかは不明だが、どちらを落とされてもレムコ同盟に取っては政治的に大打撃となる。したがって、大兵力を以てレムコ同盟に決戦を強いて、短期間で勝利を収める、というシェラエズ王女の挑戦を受ける以外に、カートゥールに選択肢は残されていなかった。

 カートゥール代表は、部隊をスルメ公国西部に進めると、そこでタナシス軍を待ち受ける態勢に入った。シェラエズの目標がレムコ市なのかマルゲーン市なのかを見定めてから、接敵しようとの作戦である。もちろん、戦端を開くのが遅ければ遅いほど、合流する増援部隊が増えるから、戦力差も縮まるという思惑もあった。

「北か」

 やがてもたらされた各種の報告は、シェラエズの意図がレムコ市攻略にあることを示していた。

 カートゥールは地図を見やった。となれば、もっとも適切な迎撃地点は、レムコ市の西方にあるイサマス村近辺だろう。街道の両脇に低い丘が連なっているので、ここに布陣すれば有利である。

 問題は彼我の戦力差であった。二万以下の兵力では、三万を超えるタナシス軍を拘束するのは難しい。言い換えれば、シェラエズは数千……おそらくは、五千以上の兵力を以って、戦略的迂回を試みることが可能なのだ。それがレムコ市を抑えれば、退路を断たれたこちらは自滅しかねない。

「ともかく進発しよう。イサマス村近郊で陣地構築を行い、タナシス軍を迎撃する。戦略的迂回には、十分な予備軍を以って対抗するしかない」

 カートゥールは命令を下した。シェラエズの思惑にまんまと乗せられた形だが、こちらに勝ち目がないわけではない。



「なるほど。良いところに布陣したな」

 望遠鏡で低い丘陵を眺めながら、シェラエズは微笑んだ。

 レムコ同盟主力の戦略的機動は、彼女の読み通りのものであった。レムコ市の死守を意図するとすれば、タナシス軍の進路前方でもっとも守備しやすい位置に布陣するのがセオリーである。まさに軍事常識に従った形であった。レムコ市自体に立てこもるという選択肢もあったが、それでは抑えに兵力を張り付けられて身動きが取れなくなったうえに、別働隊によって首府マルゲーン市を陥とされてしまうと考えたのだろう。

「ではこちらも、予定通り進めるとしよう」

 シェラエズは矢継ぎ早に命令を下した。作戦自体は単純なものであった。主力がレムコ同盟軍をこの場で拘束。兵力差を活かし、敵予備部隊を早々に使い果たさせる。その間に、すでに分離してある兵力六千からなる別働隊に迂回を行わせ、敵主力の後背を襲わせる。

 予備部隊を使い果たした敵には、この別働隊を撃破する力はない。小部隊による遅滞行動は行われるだろうが、正規兵と奴隷兵が半数以上を占める六千の兵力ならば、これらを容易に打ち砕けるはずだ。いったん敵主力が混乱すれば、こちらの主力も予備部隊を投入し、一点突破ないしは戦場迂回を行なって、別働隊と連携しつつ包囲戦に持ち込み、レムコ同盟軍の殲滅を意図することになる。

 かなりの損害が生ずることを、シェラエズは覚悟していた。だが、ここでレムコ同盟主力を叩き潰せば、得られる政治的代価は大きい。バラ自治州はレムコ同盟から脱落するだろうし、スルメ公国内の反タナシス派も一掃できるだろう。そうなれば、メリクラもペクトールも折れる可能性が高い。レムコ同盟が瓦解すれば、タナシスは兵力を西へと集中できる。この状態になれば、西部同盟も大人しくなるだろう。

 この一戦に、タナシス王国の命運が掛かっている。


第百五話をお届けします。

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