表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
白き巫女と蒼き巫女【改稿中】  作者: 高階 桂
第三章 タナシス王国編
100/145

100 領土売却

「王女に毒を盛られることは警戒していたが、まさか警護の連中が一服盛られるとはな……」

 生馬が、悔しそうに言う。

 憲章条約事務局の一室である。すでに日は傾き、開け放した窓から浅い角度で入ってくるオレンジ色に近くなった日差しを浴びながら、四人の異世界人は反省会じみたものを開いていた。

 シェラエズ王女暗殺を企てたススロン貴族バンダの手口は、なかなかに鮮やかなものであった。警備の兵士やほとんどの使用人の食事は、シェラエズ王女の食事を作るのと同じ料理人が、手伝いの女性や侍女とともに調理するが、それが供されるのは通常の食事時間よりもかなり前である。もちろん、シェラエズ王女に適切な時間に出来立ての料理を食べてもらうための配慮だ。

 バンダの一味は、あらかじめ食材……たぶん水……に大量の麻痺毒を仕込んでおいた。そして警備陣は、その水を使った昼食を食べ、ほどなく毒に当って身動きが取れなくなったのだろう。バンダらは倒れ伏して呻いている警備兵を尻目に、堂々と正面から乗り込んできたというわけだ。料理人と給仕役の侍女、そして毒見役はシェラエズの食事が終わってから余り物で昼食を摂る決まりだったから、毒には当たらずに済んだ。そしてシェラエズの食事に使われる水は、通常の水道の水ではなく、特別に樽詰めで毎日運ばれてくるよりおいしい鉱泉水だったので、昼食を食べたにも関わらず夏希もシェラエズも倒れずに済んだのである。

「まあ、警備に死人が出なかっただけでも、よしとしないと」

 夏希はそう言って生馬を慰めた。大量の水で薄められたせいか、かなり強い植物毒だったにも関わらず、一服盛られた兵士たちの中で死亡した者はいなかったし、重篤患者も一人も出なかったのだ。

「だが、こちらの面子は丸潰れだ。襲撃を防げなかったうえに、シェラエズに怪我をさせちまったからな。襲撃を警戒して、俺自ら警備の見直しを行った矢先の出来事だし」

 生馬がなおも悔しげに言い募る。シェラエズの怪我は、顎の骨まで達するほどの深い傷であった。むろん命に関わるようなものではないが、縫い合わせた傷跡は一生残るであろう。美しい王女の顎に残る、醜い傷跡。これを目にしたタナシス市民がどのような感情を抱くのかを想像して、夏希はぶるっと身を震わせた。

「王女に公式な声明を出してもらうしかないね」

 駿が、言った。

「今回の事件は不幸な出来事ではあるが、きわめて個人的な犯行であり、ススロン王国はもちろん憲章条約を非難するつもりはないこと。この事件は憲章条約とタナシス王国の関係を損ねるようなものではないこと。この二点を骨子とする声明だ」

「そうね、賛成だわ。下手に帰国して、市民にあの傷を見せるより、声明だけで済ませたほうが傷が少なくて済みそうだし」

「とにかく、悪い流れを断ち切る必要があるわよ。ねえ、駿。各国の反応はどうなの?」

 凛が、訊く。

「ススロンは平謝りだ。バンダはビアスコ王子と個人的な友人でもあるほどの、高位の貴族だったからね。明日、国王自らが見舞いとの名目でマリ・ハを訪れ、シェラエズに謝罪するそうだ。他の諸国は……当惑しているようだね。当然と言えば当然だが。高原や海岸諸国の反応は、まだ入ってきていないよ」

「夏希。シェラエズの方は頼んだぞ。あの姐さんを本気で怒らせたら、開戦必至だからな」

 生馬が、長身を折って夏希を拝むように言う。

「とりあえず、怒ってはいないわよ。内心はどうだかわからないけど、表面上はね」

 施術院から駆けつけた医者……コーちゃんがいれば任せるのだが、あいにくといまだタナシス王国滞在中である……による治療を終えたシェラエズと話し合ったが、王女は夏希が意外に思うほど冷静であった。その場で非公式にではあるが、この件に関しススロン王国や憲章条約を非難するつもりはないと、くぐもった声で……顎の傷を気遣って口を大きく開けないので、どうしても不明瞭な発音になる……明言してくれたほどである。

「まあ、外交的な立場をわきまえている、ということでしょうね。ところで、逃げた刺客の行方は?」

 凛が、訊いた。

「杳として知れず、だ。まあ、名前もわからず、目撃者が顔もろくに覚えていない状況では、探しだすのは無理だろうな」

「悪かったわね」

 夏希は顔をしかめた。いろいろ慌てていて、刺客の顔を覚えるところまで気が回らなかったのだ。ちなみに、他の刺客はバンダを含め全員存命で、施術院で治療を受けたのちに拘束されている。

「しかし……どうしようもないね、この状況は」

 駿が、困り顔で頭を振った。

「今回の件は偶発的なものだと思うが、西部同盟側は南の陸塊で反タナシスの動きが出ることを期待して外交団を送り込んできたはずだ。向こうはタナシス本国での扇動や情報操作の準備を、おそらくはオストノフの先代の王の頃から営々と進めていたのだろう。それに対し、こちらはタナシスの内情などごく最近知ったに過ぎない。勝負にならないよ、これは」

「同じ土俵で戦えない以上、退くのも手だがな」

 生馬が、言った。

「退くって……どうするの?」

「タナシスとの外交関係を凍結しちまうんだ。一切手を退くのさ。もちろん、西部同盟との関係も切る。勝手に潰し合いをさせる。そうすれば、西部同盟もこちらにちょっかいは出さないだろう」

「……第八の魔力の源がなければ、それでもいいんだけどね」

「結局行き着くところはそれよね」

 夏希のため息混じりの言葉に同調するように、凛が肩をすくめる。

「実際問題として、長期的視野に立てば北の陸塊の混乱は憲章条約にとって安全保障の面では危険なんだけどね」

 駿が、言う。

「どうして? 酷な言い方だけど、北の陸塊が疲弊すれば、攻めてくることもないんじゃないの?」

 夏希はそう訊ねた。

「短期的に見ればね。だが、古代中国みたいに長引く戦乱で人口が十分の一に減る、などという事態を別にすれば、多少の政治的混乱や期間限定の内戦によって生ずるのは、他国の視線に立てば外交政策の変更や軍事ドクトリンの変化くらいなものだ。つまりは、友好国が一時的な混乱を経て敵国になりかねない、とうことだね」

「なるほど」

「北の陸塊は人口も多く、文化程度も高い。ここに反憲章条約を掲げる強国が存在することは、絶対に避けねばならない。紆余曲折あったが、いまのところタナシス王国は我々の友好国だ。だが、この状態が永続するという保証はどこにもない。手を退いた途端に、反憲章条約勢力が北の陸塊を統一する、なんてことはありえないだろうが、何十年後かにそのような国家が生じる可能性はある。憲章条約としては、常に北の陸塊を監視し、場合によっては積極的に干渉しつつ、反憲章条約勢力の台頭を抑制する、というのが賢い選択だと思うね。さしずめ、今のアメリカ合衆国がユーラシアに干渉し続けて、反米勢力の拡大抑制に務めているようなものだね」

「社会主義国家の増殖防止、ソビエト連邦の崩壊。反米イスラム国家への圧力。中華人民共和国への警戒。……日本に対する過度の干渉も、同じ文脈だな」

 皮肉げに、生馬が言う。



「もはや市民を押さえておくのは無理だ。なにか積極的な手を打たねば、わたしは玉座から引きずり降ろされてしまうぞ」

 リュスメースの寝台の傍らで、オストノフ国王が愚痴る。

 シェラエズ王女に対するススロン貴族の襲撃事件が報じられて以来、タナシス本土における反憲章条約感情はさらなる高まりを見せていた。オストノフ国王は何度も国民向けに声明を発表し、タナシス王国がノノア川憲章条約へ加盟しないことを確約し、憲章条約に関する悪意ある噂を否定し、さらにタナシス王国と憲章条約間の友誼は不変であり、堅持されるべきものだということを強調していたが、あまり効果はなかった。今では、有力貴族の間にまで憲章条約との間の各種取り決めを見なおそうと主張している者が出てくる始末である。

「憲章条約の動きはどうなのですか?」

 横たわったまま、リュスメースは訊ねた。

「シェラエズが、総会で西部同盟への支援禁止宣言を出させようと骨折っているところだ。襲撃事件で、条約諸国はシェラエズに引け目を感じているところだからな。うまくいくかも知れん」

「ひとつ、献策があるのですが」

「言ってくれ」

「憲章条約と、新たな条約を結ぶのです。双方の軍事力を融通させるような」

「融通?」

「ある種の相互防衛条約です。共通の敵が現れた場合、兵力を派遣しあえるような条約です」

「それはまずかろう。西部同盟を自動的に敵にまわすような条約、南の陸塊が承知するとは思えぬ」

 懐疑的な表情で、オストノフが小さく首を振る。

「対象地域に、西部地域を含めなければよろしいかと。南の陸塊、西部地域を除く北の陸塊、ラドーム島を含む大海において、憲章条約加盟国およびタナシス王国を脅かす軍事的脅威が現れた場合、憲章条約とタナシス王国は協力して軍事行動を行うものとする、といった内容にするのです」

「……なるほど。憲章条約の軍事力を、東部地域への抑えにするわけか」

 タナシス本土東部地域にあるペクトール公国とメリクラ自治州。最近この両者の反タナシス派の動きは活発であり、西部同盟に倣って武装蜂起する可能性も囁かれている。オストノフが西部同盟に対し積極的な軍事行動を開始できない最大の理由が、これである。正規軍兵力を西部地域に集中すれば、東部での武装蜂起を促すことになりかねないのだ。

「しかし……その条約では、憲章条約側にメリットはほとんど無いな。ただで結んでもらえるとは思えん。こちらが差し出せるものは、なにも無いと思うが」

「ひとつだけあります」

「なんだ?」

「ラドームです。あの島を、憲章条約に売却するのです」

「それは愚策だ」

 オストノフが、語気荒く言った。

「ただでさえ、わたしは憲章条約相手に譲歩しすぎているという批判を浴びているのだ。ここで領土割譲などしたら、致命的打撃となる。それに、ラドームが独立し、王国が復活すれば、他の公国や自治領を刺激することになる」

「だからこそ、譲渡でも割譲でも贈与でもなく、売却するのです。正確に言えば、ラドーム島は王家の財産でも政府の所有物でもありませんから、領土としての権利を憲章条約に移し、その対価を得るという形になりますが。姉様に調べていただきましたが、幸いなことに有力貴族の中にラドームに広い領地を有している方は一人もいません。売却自体も、憲章条約から購入の申し入れがあった、ということにすれば、批判を最小限に抑えることができるでしょう。おそらく憲章条約はラドームを独立させるでしょうから、ラドーム人はこれを歓迎するはずです。憲章条約側も、ラドームを勢力圏に組み入れることは安全保障上からも利点が多い。タナシスには売却益が入りますから、財政の立て直しが可能です。さらに、見返りに相互防衛条約を結べれば、東部地域をほぼ完全に押さえ込めます。彼らが武装蜂起すれば、こちらは憲章条約軍の派兵を正式に要請できるのですから。財政に余裕が生じ、なおかつ西部同盟に憲章条約が加担しない状況を作り出せれば、こちらの制圧も速やかに行えるでしょう。島ひとつと、多少の面子を失うだけで、事態は劇的に改善されるはずです」

「なるほどな。大胆すぎるが、どうやら良案のようだ。さっそく、閣議に諮ろう」



「……という提案を、シェラエズから持ちかけられたのだけど」

 異世界人三人に向け、夏希はタナシス王国によるラドーム島売却提案を説明した。

「突飛な案だな、こりゃ」

 生馬が、驚く。

「いくつか問題があるね。まずは価格だ。売却価格が安ければ対内的に非難を浴びるだろうし、高ければこちらが応じるのは無理だ。次に財源。安かったとしても、事務局の予算でまかなえる額じゃないだろう。ラドーム住民の意向、公王家の扱い、今後の安全保障……下手をすると、とんでもない高い買い物になりかねない」

「むしろ本命は、相互防衛条約の方でしょう」

 凛が、指摘する。

「そうだな。憲章条約の軍事力をあてにして、東部地域の独立運動を牽制する。そのあいだに、西部同盟を潰そうという魂胆だろう」

 生馬が、うなずいた。

「ラドームの人たちは、このことをどう思っているのかしら」

 夏希は腕を組んだ。自分たちが住む島が、いわば手の届かないところで勝手に取り引きされるというのは、さぞかし気分が悪いことに違いない。

「カミュエンナ・パパの意向次第じゃないかな。彼が売却に同意すれば、住民も納得するだろう。完全独立と王国復活、ノノア川憲章条約への加盟を条件にすれば、カミュエンナ・パパも反対はしないだろうし」

「最大の問題は、オストノフ国王の面子よ」

 夏希はそう指摘した。拓海からの報告では、国王の威信は著しく低下しているらしい。ラドーム売却と相互防衛条約締結が、憲章条約に対する弱腰の外交姿勢だと批判されれば、さらに威信の低下を招くだろう。

「シェラエズは、ラドーム島購入と相互防衛条約の締結をこちらから持ちかける形にして欲しい、と言ってるんだな?」

 生馬が、確認する。夏希はうなずいた。

「これもまた茶番よね」

 凛が、呆れたように言う。

「まあ、政治にパフォーマンスは付きものだし」

 駿が、笑った。

「で、みんなこの提案を前向きに検討することに賛成かしら?」

「とりあえず俺は賛成するよ。他に妙案もなさそうだし」

 夏希の問いかけに、生馬が消極的に賛意を示す。

「わたしも原則賛成ね。悪い話じゃないと思う」

 凛も、賛成票を投じる。

「駿は?」

「ラドーム島購入はともかく、相互防衛条約はちょっと引っ掛かるね。場合によっては、タナシス内戦に否応なしに巻き込まれる。かなり逃げ道を作っとかないと」

「ふむ。具体的には?」

 生馬が、訊く。

「投入兵力の上限。経費の負担配分。期間の限定。指揮統制権の所在。そのあたりで縛りを作っておいて、タナシス側が簡単には派兵を要請できないようにするんだ」

「悪く無いわね、それ」

 タナシス側の狙いは、あくまで東部地域における独立の動きを牽制するものであるから、具体的かつ細かい条項に関しては、こちらの言い分を呑んでくれるはずだ。

「じゃ、決まりだね。次の問題は、どうやってこの二件を憲章条約がタナシスに持ちかけた、という形にするかだが……」

「根回しは、駿の得意技でしょ? なんとかならないの?」

 夏希はそう訊いた。

「ラドームを金で買う、という発想はこちらからは出ないからねえ。まずはタナシスがほのめかしてくれないと。とりあえず、シェラエズ王女に総会で演説してもらおうか。憲章条約が望めばラドーム島を売却する、ということと、相互防衛条約を締結する用意がある、ということを表明してもらうんだ。そうすれば、うまく根回しして、こちらから正式提案、という形にできると思う。時間は掛かるけどね」

「それならなんとかなりそうね。じゃあ、わたしはシェラエズに話をつけてくるわ」

「了解だ。僕は明日の総会で、シェラエズに発言の場を設けるように手続きしてくるよ」


第百話をお届けします。ついに三桁の話数に到達いたしました。ここまで至ることができたのも読者の皆様がいてくださったおかげであります。まことにありがとうございました。これ以降もよろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ