(2)
◆ ◆ ◆
俺の人生は割と波瀾万丈だが、こんなに驚いたのは人生で初めてだと断言する。
ルイーナの失態により魔獣に襲われたとき、俺は死を覚悟した。ザグリーンがすぐに助けに駆け付けてくれたが、襲ってきた相手もザグリーンと同じぐらい大型の魔獣だ。力は拮抗していた。
(くそっ、血が足りないな)
止めどなく流れてくる血を止めようと、自分の肩を強く押さえる。それでも無理だったので、火の精霊の力を借りて傷口を焼いた。
すぐにザグリーンの助太刀をしようとしたが、情けないことに噛まれたほうの腕は肩の骨が砕けたようで、上げることすらできなかった。ポケットからアリエッタ特製の回復薬を取り出そうとして、先ほどルイーナに渡してしまったのだと舌打ちする。
剣を支えに何とか立ち上がる。そのとき、ここで聞こえるはずがない声がしたのだ。
「レオ?」
そこには、いるはずのないアリエッタが立っていた。
(傷から瘴気が入ったことによる幻か?)
しかし、俺と同様にアリエッタの声に気付いたらしき魔獣がターゲットを変えようと向きを変更したので、幻ではないと悟った。
(助けないとっ!)
それだけを思い、咄嗟に動く片腕を使って剣を構えると魔獣の背中に剣を突き立てる。怒った魔獣に剣を持った腕ごと噛まれ、無事だった腕もバキリと折れる音がはっきりと聞こえた。
「いや、いやぁぁあ!」
アリエッタが泣き叫ぶ声が聞こえる。
「リーン、エリーを連れて安全な場所に逃げろ」
薄れゆく意識の中でザグリーンに伝えたそのとき、不思議なことが起きた。
アリエッタの体が虹色に包まれて、代わりに現れたのは若い女だった。
(アリシア?)
それは、俺が聖女候補として聖女光臨の儀に連れて行き、結果的に亡くなったアリシアそのものだった。
アリシアから発せられた七色の光はまっすぐに天に伸びる。
遥か上空で放射状に広がった。それに合わせ、魔獣によりまき散らされた瘴気が急激に浄化されてゆく。精霊達が一斉に祝福を贈り、辺り一帯が煌めきに包まれる。
(なんて美しいんだ)
俺は地面に仰向けに倒れたまま上空を見上げる。
ふと体に違和感を覚えた。痛みがないのだ。恐る恐る、動かないはずの両腕に力を入れる。腕は抵抗なく持ち上がった。
(治っている?)
どうなっているのかと呆然としていると、至近距離で何かが倒れるような音がした。
──ドサリ。
鈍い音がしてはっとする。
「エリー!」
すぐ近くで、アリエッタが倒れていた。いつの間に戻ったのか、元の小さな姿だ。
「リーン! エリーを!」
俺は慌ててザグリーンに助けを求める。ザグリーンと戦っていた魔獣は、いつの間にか姿を消していた。
「わかった」
ザグリーンはこちらに駆け寄ってくる。
俺はアリエッタを抱き上げると、その顔を見つめる。
(エリー、お前はもしかして──)
自分の想像を胸にしまい、ひとまずザグリーンと共にセローナ大聖堂の医療院へと向かった。
そこから先は、てんやわんやの大騒ぎだった。
あの七色の光はセローナ地区の至る所から見えたようで、一体何が起ったのかとあらゆる人から聞かれた。
(どう説明すりゃあいいんだ)
──エリーは実は大人で、彼女は本当は聖女なんだ。
そんなことを言っても、アリエッタが小さな子供の姿をしている限り、信じる者など誰もいないだろう。
「俺にもよくわからないんだ」
俺は曖昧に言葉を濁して、その場をやり過ごしたのだった。
意識を取り戻したアリエッタは、あのときのことを覚えていないのか一切その話をしようとしなかった。それどころか、俺に突き放されることを恐怖しているかのような、不安そうな顔をする。
涙ながらに「騙してごめんなさい」と謝罪するアリエッタの姿を見て、胸が押し潰されるような気持ちだった。
そんなアリエッタを見たとき、俺は決意した。
アリエッタは本当はアリシアで、本物の聖女どころか伝説の大聖女の可能性すらある。けれど、俺は彼女が何者であろうと、これまで通り彼女と接しようと。
「エリー。これからも俺と暮らそう」
「……いいの?」
「当たり前だろう」
俺の返事を聞いたアリエッタは、花が綻ぶかのような笑みを浮かべた。