(10)
「リーン!」
遠くでザグリーンがすっくと立ち上がるのが見えてホッとした。しかし、頭のあたりの白い毛並みが真っ赤に染まっているのに気付き、俺は一転して表情を強ばらせる。一方の魔獣も、しっかりと立ち上がった。
(まずはおふたりを事務所に戻そう。リーンにはその間耐えてもらって──)
そう思ったそのときだ。
「そこの聖獣、何をしているの! 早く仕留めるのよっ!」
ルイーナが大きな声で叫ぶ。
その声に反応するように魔獣がルイーナを視界に捉える。
魔獣は足が速い。標的を変えた魔獣が近づいてくるのは一瞬のことだ。ザグリーンが慌ててその後ろを追いかけるのが、スローモーションのように見えた。
「逃げろ、バカ!」
咄嗟に剣を抜き、ルイーナを力の限り突き飛ばす。
構えた剣が魔獣の肉を裂く感覚が確かにしたが、同時に肩に鋭い痛みが走った。
「イラリオ!」
目を見開いたヴィラム殿下が、こちらに手を伸ばして叫ぶのが聞こえる。
(これは、死ぬかもな……)
噛まれたままの部分が燃えるように痛い。
傷を負ったままでは分が悪いと判断したのか、魔獣は俺を咥えたまま走り出す。
(エリー、俺が面倒見るって言ったのにまたひとりぼっちになっちまうな……)
朦朧とする意識の中で最初に脳裏に浮かんだのは「イラリオさん!」と嬉しそうに寄ってくる、エリーの笑顔だった。
◇ ◇ ◇
たくさん並んでいる特製絆創膏を前に、私はふうっと息を吐く。
「エリー、今日もたくさん作ったねえ」
「うん。五十枚作ったの。聖騎士団の人達が、みんな無事に任務に当たれますようにって願いを込めたんだよ」
「それは、みんな喜ぶと思うよ」
カミラさんは作りたての特製絆創膏を前に、にこにこと笑う。早速それをトレーの上に並べると、カウンターの上に置いていた。
(イラリオさん達、そろそろ帰ってくる頃かなあ?)
カウンターから見える空は茜色になりつつあり、白い雲は一際濃い色に染まっていた。巣に帰る鳥達が群れになって飛んでいる。絆創膏作りを手伝ってくれたガーネとベラが、地面の上を跳びはねて遊んでいた。
今日は早く帰れるといいな。今日の夕ご飯、イラリオさんの大好物なんだよね。
そんなことを考えながら、私はアルマ薬店のカウンター前で過ごす。
そのとき、のんびりとしたときの流れを破るように突然目の前に黒いものが現れ、私の胸に飛び込んできた。私は咄嗟に両腕でそれを受け止める。
「エリー。大変にゃ!」
「え? イリス!?」
「とにかく、すぐ行くにゃん」
それは、イラリオさん達の様子を見に行ったはずのイリスだった。いつものんびりしているイリスがこんなに焦った様子なのは珍しい。
「どうしたの? もしかして、イラリオさんに何があったの?」
状況が全く見えないけれど、何かよくないことが起きていることは伝わってきた。私の質問に答える間もなく、腕の中にいるイリスが鈍い光を纏う。次の瞬間、ふわっと地面が浮くような感覚がして私は目を閉じた。
浮遊感は一瞬で終わる。
ゆっくりと目を開くと、辺りは鬱蒼と茂る木々だった。
(ここ、どこだろう? もしかして、アメイリの森?)
アルマ薬店にいたはずなのに、どちらを見回してもその影すら見つけることができない。イリスが転移して私をここに連れてきたのだろう。
「イリス、どこ?」
私をここに連れてきたはずのイリスがいない。胸に抱いていたはずなのに、どこに行ってしまったのだろう?
森の中にひとりぼっち。私は急激な不安を感じた。