■ 第9章 聖女の来訪
──ガシャーン。
朝のチェキーナ大聖堂に、陶器が割れるような大きな音が響き渡った。
「礼拝なら今朝やったわ! 私は決められたことをきちんとこなしている! それで問題があるなら、それは各地の司教達が職務怠慢だからよっ!」
半狂乱にも近い金切り声に、部屋全体が重苦しい空気に包まれた。
そんな中、ひとりの司教が前に出た。
「ルイーナ様。恐れながら、お怒りをお鎮めください。聖女様の心の乱れは、そのまま神聖力の結界の綻びに繋がります」
「あなた達が怒らせているのでしょう? 口を開けば『礼拝を、礼拝を、礼拝を!』ばかり! もう、うんざりだわ!」
「しかしながら──」
「お黙りなさい! わたくしを誰だと思っているの!?」
ルイーナは口を開きかけた若い司教を怒鳴りつける。
「申し訳ございません。聖女様」
若い司教は膝を突き、深々と頭を下げた。
そのとき、部屋の外がにわかに騒がしくなる。床にブーツの踵がぶつかる、複数の足音が聞こえてきた。
「一体、何事だ?」
ドアを開けてそう尋ねてきた男を見て、ルイーナはしめたと思った。男はアリスベン王国の国王であるカスペルだった。
「カスペル陛下、聞いてくださいませ! この者達がわたくしのことを虐めるのです。新参者の聖女が気に入らないからと嫌がらせをしているのですわ」
「それは本当か?」
「本当です! 今朝だって朝日が上るのと同時にきちんと礼拝を行い、祈りを捧げたのに、この者達がもう一度やり直せなどと申すのです。嫌がらせ以外の何ものでもありませんわ」
「聖女。俺は今、この者達に真偽を聞いている」
少しトゲのあるカスペルの言い方に、ルイーナはぐっと押し黙る。ルイーナの近くに控える司教達は国王の怒りに満ちた視線に、困り果てたように視線だけで見合わせた。
「実は、聖女様が就任以来、結界が日増しに弱くなってきています。各地から綻びが生じていると報告が入っています。先日はセローナ地区で──」
司教のひとりがそこまで言ったとき、カスペルが片手を上げる。
「もうよい。つまり、二回やれと言ったのだな?」
「それは──」
カスペルの問いかけに、司教は口ごもる。会話を横で聞いていたルイーナの口元がにんまりと孤を描いた。
カスペルは不愉快げに眉根を寄せた。
「聖女の精神状態は結界の強さに影響する。それはお前達も知っているだろう」
「もちろんです」
そう答えた若い司教の体が、不意に大きく揺れる。カスペルがその胸ぐらを乱暴に掴み、自分のほうに引き寄せたのだ。
「ならば、どうすればよいかもっと考えろ」
落ち着いた、けれど怒りの籠もった低い声が響く。
鼻先が付きそうなほどの距離で司教をにらみ据えていたカスペルは司教を掴んでいた胸ぐらを乱暴に押し返す。その勢いで、司教は体ごと後ろにひっくり返った。
「あらまあ、大丈夫?」
それを見たルイーナがさも心配そうにその司教を労る。けれど、その瞳には勝ち誇ったような色が浮んでいた。
ルイーナはカスペルの右腕へと腕を絡ませた。
「カスペル陛下。わたくし、新しいドレスがほしいのです。王宮の仕立屋に──」
「聖女殿。俺は忙しい」
ルイーナの表情が不愉快げに歪む。
「だが聖女であるあなたの願いは聞き入れなければならない。後ほど、手配するように申し伝えよう」
カスペルが続けた言葉にルイーナの顔は喜びに染まる。
「では、またな」
「はい」
ルイーナは笑顔でカスペルを見送った。
聖女達の元を去ったカスペルは、込み上げる不快感をぶつけるように乱暴に足を進める。
その場にいた司教や近衛騎士達が足早にカスペルの後ろを追いかけてきた。カスペルは急に立ち止まると、そのうちのひとりに視線を向けた。
「トーラス、チェキーナ大聖堂にはもっとましな司教はいないのか?」
まし、というのはもっと上手く聖女をハンドリングできる司教はいないのかということだ。トーラスと呼ばれたカスペルの腹心──聖協会の幹部のひとりは無言で首を横に振る。
「既に、選りすぐりの者のみで構成しております」
「くそっ! どいつもこいつも、使えないな」
カスペルは歩きながら、舌打ちをする。