(3)
大聖堂に到着すると、彫刻が施された両開きの大きな扉の片側をそっと開く。
今の時間は礼拝する人がいないのか、中はシーンと静まり返っていた。
「こんにちは!」
中に向かって大きな声で叫ぶ。すると、コツコツと奥から足音が聞こえてきた。
「おや、こんにちは。アリエッタ」
年齢を感じさせるしわがれた声で優しく声をかけてきたのは、ここセローナ大聖堂のブルノ大司教だ。今日もいつもの白い長着の上から黒い上着を重ねるスタイルの司教独特の服を着ており、頭の上には上着と同じ黒い丸帽子が乗っていた。そして、胸には花のマークが付いている。
「ブルノ様!」
私はブルノ様のほうへ走り寄る。ブルノ様は皺が刻まれた顔をくしゃりと崩して微笑んだ。
「アリエッタは今日も元気ですね」
「はい、元気いっぱいです」
私は両腕を折って力こぶを作るポーズをしてからはにかむ。持っていた籠をブルノ大司教に差し出した。
「今日はこのお薬を届けにきました」
「そうですか。ありがとうございます」
ブルノ大司教は私からお薬を受け取ると、それをすぐ近くにあった礼拝用の木製長椅子に置く。その様子を何気なく眺めていた私はあれっ?と思った。
「ブルノ様、疲れているの?」
私の問いかけに、ブルノ大司教は意外そうに目を丸くする。
「なぜそう思うのですか?」
「うーんと……、なんとなく」
私は口ごもる。
理由を言えと言われると上手く説明できないけれど、ブルノ大司教の様子を見ていてなんとなくそう思ったのだ。
ブルノ大司教は大司教だけあり、ここセローナ地区で一番神聖力が強い司教だと言われている。けれど、いつもの神聖力が漲る感じがなく、どことなく疲労感が見えた。
「そうかもしれませんね。最近、神聖力をずっと使いっぱなしです」
「神聖力を?」
「ええ、そうです。この世界は定期的に浄化しないと瘴気が満ちてしまうことをアリエッタは知っていますか?」
「はい」
ブルノ様がお薬を置いた長椅子の隣に座ったので、私も通路を挟んで反対側の長椅子にブルノ様のほうを見るように横向きに座った。瘴気のことは最近イラリオさんからも聞いたし、セローナ地区はアメイリの森があるという地域柄なのか、学校でも習う。
「最近、瘴気が濃いですね。本来であれば聖女様の祈りで一気に浄化されるはずなのですが──」
聖女様と聞いて、心臓がどくんと跳ねるのを感じた。
「聖女様は、まだ決まっていないのですか?」
動揺する気持ちを隠し、ブルノ大司教に尋ねる。
「いいえ。決まったと聞いています。チェキーナ大聖堂が推薦したお嬢さんだそうですよ」
「そうですか」
それを聞いてほっとした。
聖女光臨の儀のとき、私は確かに神様の声を聞いた。それは嘘じゃない。
だから、もしも聖女様が未だに決まらずにいて、そのせいで瘴気が濃くなっているならば自分のせいかもしれないと思ったのだ。
(新しい聖女様が決まったなら、よかった)
でも、そうなると私が聞いたあの声は何だったのだろう?
あの人達が言う通り、聞き間違いだった?
(チェキーナ大聖堂が推薦した方か……)
聖女光臨の儀の日、あの場にいた自分以外の四人の令嬢を思い浮かべる。
(メアリ様以外は殆ど喋る機会がなかったけれど、どんな人だったっけ?)
確か、最初に礼拝をした方だった気がする。赤味を帯びた金髪が印象的な──。
確かにあの四人の中では一番はっきりとした精霊の祝福があった。
「聖女といえば、お姉さんの件は残念でしたね。まだ若いのに」
「あ、はい……」
考え事をしていたら、ブルノ大司教に声をかけられた。同情するような視線を向けられ、私は口ごもる。
アリシアは光臨の儀とときを同じくして病死したことになっている。さすがに『偽聖女の疑いをかけられて処刑されそうになった挙げ句、調薬ミスの事故で亡くなった』とはイラリオさんも言いづらかったようだ。
「アリエッタは聖女候補の妹なだけあって、とても神聖力が強いですね」
「そうでしょうか?」
開け放たれた大聖堂の入り口から爽やかな風が流れてきた。
風の精霊達がふわりふわりと辺りを舞って遊んでいる。その姿を眺めていると、ブルノ大司教も気付いたようで精霊達を見て目を細めた。
「ああ。アリエッタほどの神聖力の強さを持った人間を、私は他に知らないよ。アリエッタほどではないけれど、他にひとりだけとても強い子はいたけれどね」
「他にひとり?」
「ずっと昔のことだ。マノアはよく私と一緒に祈りを捧げ、瘴気が広がるのを食い止めるのを手伝ってくれた」
私は驚いて目を見開く。〝マノア〟は間違いなく、亡くなった私の母の名だ。