第4章 幼女薬師、聖獣を保護する
「なんだか今日は嫌な天気だなあ」
カウンター越しに、今にも降り出しそうな曇天を見上げる。空一面を濃い灰色の分厚い雲が覆っていた。天気が悪いせいか、今日はお客さんもほとんど来ない。
「カミラさん、雨が降る前に帰ってこられるかな」
カミラさんは、先ほどセローナ大聖堂に併設された医療院へとお薬を届けに行った。そのため、今は私ひとりで店番をしている。
そんな中、私は視界の端で黒いものが忙しなく動いていることに気付いた。
右に行ったと思えば左に行き、かと思えばまた右に行く。
(? 何やっているんだろ?)
いつになく落ち着きなく歩き回るイリスの姿に、私は首を傾げる。
「イリス、どうしたの?」
「嫌な感じがするにゃ」
「嫌な感じ? 天気のこと?」
「そうじゃないにゃ。今日はいつになく、瘴気が濃いにゃ」
イリスは長い尻尾を下げて股の間に入れ、不安そうな目で空を見上げる。
「瘴気……」
瘴気は災いや疫病をもたらす、悪い力だ。神聖力、特に聖女の力により浄化される。
(そういえば、結局聖女様は誰に決まったんだろう?)
あのときの混乱で結局誰が聖女になったのか知らないままだ。世界を救ってほしいという神託を受けた気がしたけれど、今となってはそれも夢だったのかもしれないと思えてくる。
「イリス、おいでー」
落ち着かない様子のイリスに手を伸ばすと、イリスはぴょんっとカウンターの上に飛び乗る。
(もふもふでふわふわー)
イリスの黒い毛並みに手を伸ばすと、ふわふわの感触がする。
暫くイリスと戯れていると、遠くから顔なじみのお客さんが近づいてくるのが見えた。
「こんにちはエリーちゃん。今日は喉の痛みに効くお薬をもらえるかしら?」
白髪交じりのこの女性は、近所のお花屋さんのおばあちゃんだ。
「はい。ご使用になるのは大人の方ですか?」
「そうよ」
「ちょっとお待ちくださいねー」
薬棚の前で台に乗って立った私は、棚に並べられた瓶にざっと視線を走らせる。そしてそのうちのひとつ、黄土色の粉末の入った瓶を手に取った。中には調合済みの薬が入っている。
「五日分でいいですか?」
「ええ、お願い」
おばあちゃんがこくりと頷く。
(大人が使うんだから、小さじ計量スプーン一杯ずつだよね)
計量スプーンを使って瓶から薬を取り出すと、私はそれを慎重に正方形の紙の上に載せてゆく。薬を包む専用の紙だ。最後に丁寧にそれを折って包み状にすれば、喉の痛みに効く薬の薬包が完成する。
それを一日二回で五日間分、計十回分作った。
「おまたせしましたー」
私は作りたての薬包を全て紙袋に入れると、それを持ってカウンターへと向かう。おばあちゃんはイリスの背中を撫でていた。イリスといえば、完全に猫の振りをしている。
「朝晩、これを煎じたものでうがいをしてくださいね」
「ええ、わかったわ。エリーちゃん、いつもありがとうね」
おばあちゃんは笑顔でそれを受け取る。
「あ、そうだわ。これ、よかったら受け取って」
鞄に薬の紙袋をしまったおばあちゃんは、代わりに小さな花束を取り出す。黄色い花で作られた、可愛らしいものだ。
「わあ。可愛い、いいんですか?」
「もちろんよ。エリーちゃんが喜ぶかと思って作ったの」
おばあちゃんはにこにこと笑う。
私のために作ってくれたの? すごく嬉しい!
「ありがとうございました。お大事に!」
私は大きく手を振っておばあちゃんを見送る。おばあちゃんは一度こちらを振り返り、手を振り返してくれた。
余っていた薬瓶に水を溜めて花瓶代わりに花を挿す。今日のどんよりとした空気が、幾分晴れた気がした。
その後、またイリスをもふもふしているとようやく出かけていたカミラさんが帰ってきた。
「待たせたね」
「いえ、大丈夫です」
私は首を横に振る。
「さっき、花屋の奥さんが来たでしょ?」
「なんで知っているの?」
「帰り道に、偶然会ったんだよ。エリーに対応してもらったって言って、嬉しそうだったよ」
「実はそうなんです。このお花をいただきました」
私はカウンターの上に飾られた花を指さす。カミラさんはそれを見つめ、茶色い目を細める。
「エリーはすっかり薬屋さんが板に付いたね」
「そうかな?」
「ああ、そうとも。アルマ薬店の立派な看板娘だよ」
カミラさんは歯を見せて笑う。私は嬉しくなって、はにかむ。
(役に立つことができて、嬉しいな)
最初はカミラさんも慎重で、薬を薬包に分ける位しかやらせてもらえなかった。けれど、毎日お手伝いしているうちに、色々と任せてもらえるようになった。今は、調薬からお店の対応まで一通り任せてもらえる。