(6)
◇ ◇ ◇
その日の夜、私は夕ご飯を作っていた。
お鍋の中身をぐるりとかき混ぜると、少し酸味のある爽やかな香りが鼻孔をくすぐる。
「いい匂いだな」
イラリオさんが横から鍋の中身を覗き込む。今日はお野菜たっぷりな鶏のトマト煮込みを作ってみた。
「もうすぐできるよ」
「さすがエリーだ。天才だな」
「食べてから言ってよ」
「食べる前からわかる。この匂いは、美味しいに違いない。食べたときに褒めるだけじゃ褒め足りないから、先に褒めておく」
イラリオさんはにこっと笑って私の頭をがしがしと撫でる。
相変わらず、イラリオさんはとっても褒め上手だ。悪い気はしなくって、私もついつい嬉しくなってしまう。
料理道具をしっかりと揃えてもらったお陰で、最初の頃よりずっと作業しやすくなった。それに、イラリオさんが私でも使いやすいようにと踏み台を作ってくれたので、高さもばっちりだ。
「そろそろいいかなー」
火を止めて、鍋の中身をお皿に移す。野菜と一緒に煮込んだ鶏肉がトマト色に染まってとっても美味しそう!
それをイラリオさんが手際よくテーブルに並べてくれた。
「「いただきます」」
ふたりの声が重なる。
「そういえばエリー。アルマ薬店の手伝いをすることになったんだってな?」
早速イラリオさんは今日の昼間のことを聞いてきた。
あのお店はアルマ薬店といって、セローナ地区の聖騎士団に隣接するように店がある。聖騎士団は任務の特性上怪我も多いので中に医務室があるのだけれど、そこに納品する薬を主に処方しているようだ。もちろん、町の人向けの薬も売っている。
「うん! 私、薬作るのが得意なの」
「へえ」
イラリオさんは意外そうに、片眉を上げる。
「そういえば、アリシアは薬師だって言っていたな……」
ふと思い出したように、イラリオさんが呟くのが聞こえた。
「私、アリシアから薬の作り方教わったから同じ位上手に作れるわ。レオが怪我したら、私がお薬処方してあげるね」
「そりゃ、心強いな」
ははっとイラリオさんは笑う。
「レオ、信じていないわね? 本当に私のお薬は効くんだから!」
「信じているよ。頼りにしてる。聖騎士団は怪我が多いからな」
あっという間にお皿が空になったイラリオさんは、お替わりをよそうために立ち上がった。
(そういえば、今日の昼間……)
私はふと、今日の昼間にアルマ薬店で聞いたことを思い出した。
「ねえ、レオ。〝魔獣〟って何?」
「魔獣? どこかで見たのか?」
レオの表情がさっと強張る。私は、何かよくないことを聞いてしまったのかと不安になった。
「ううん、見てない。今日の昼間、アルマ薬店のカミラさんとロベルトさんが話しているのを聞いたの。今日は魔獣が出たからけが人が多いって──」
「ああ、なるほど」
レオはほっとしたように表情を和らげた。
「魔獣って言うのは、瘴気を纏った獣のことだ」
「瘴気……」
瘴気のことは、知っている。この世界を包む〝悪い空気〟だ。この瘴気が蔓延すると、疫病が流行ったり土地が腐敗したりと、悪いことが起こるとされている。
ちなみに、聖女様は強力な神聖力によって結界を作り、各地に発生するこの瘴気を浄化する力を持っていると言われている。
「セローナ地区では魔獣が出るの?」
「たまにな。時々、アメイリの森近辺で目撃されることがある。魔獣は黒いモヤを纏っているから、見ればわかる。理由もなく襲ってくるから、見つけたらすぐに逃げろ」
いつにない真剣な様子に、私は膝の上でぎゅっと手を握る。
(アメイリの森って聖獣がいる場所なのに、魔獣もいるの?)
私はよっぽど不安そうな顔をしていたのだろう。イラリオさんがそっと手を伸ばして私の頭を優しく撫でる。
「エリー、そんなに心配しなくても大丈夫だ。魔獣に人が襲われないように、聖騎士団が守っているからな」
「うん、そうだよね」
私は不安を拭い去るように、へらりと笑って見せたのだった。




