(2)
黒い上着には金色の肩章と飾緒が付いており、袖口にも金色の飾りがぐるりと一周入っている。腰には立派な剣を帯剣しており、町に出たときに時折見かける騎士が着ている服と似ていた。けれど、少しデザインが違う。
「こんにちは。お薬をお求めですか?」
おずおずとその男性に声をかける。私は普段、薬師として生活している。この男性も、何か薬を求めているのかと思ったのだ。
玄関の前に立ち、どこか遠くを眺めていた男性は私のかけ声にはっとしたような表情を見せた。
(うわー、かっこいい人……)
さらりとした黒髪、すっとした鼻梁、少し鋭さのある目は昔一度だけ見た海のような青。その人は、滅多に見かけないような凜々しく整った顔立ちをしていた。
「きみはここに住んでいるアリシア=エスコベドかな?」
「そうですが」
名前をフルネームで確認され、ちょっと面を食らった。けれど男性はこちらの様子に構うことなく、会話を進める。
「アリシアは薬師なのかい?」
「はい。一応」
思わず、その男性を訝しげに見返してしまった。
家の前にぶら下がる薬草の看板を見れば、ここが薬店であることは一目瞭然のはずだ。
それなのに、こんなことを聞くなんて薬がほしくてここに来たわけではない?
男性は懐に手を入れると何かを取り出した。
「俺はセローナ地区で聖騎士団の団長をしている、イラリオ=カミーユだ。早速だけれど、これに触れて見てもらっても?」
「セローナ地区の聖騎士団?」
私が住んでいるここ、アリスベン王国は国全体が五つの地区に分かれている。
王都のある中央地区チェキーナ、温暖な南部地区カルーナ、海に繋がる東部地区リラーナ、国内第二位の商業都市があるベローナ、そして広大な森林を擁する北部地区セローナだ。
そして今私がいるのは中央地区チェキーナで、セローナからは随分と離れている。
(セローナ地区の、それも聖騎士団の団長様が私に何の用?)
イラリオと名乗った男性が差し出した手を覗き込むと、それは石の置き物のように見えた。ちょうど手のひらに載るサイズで六角形をしており、中央に花の紋章のようなものが入っていた。
(? なんだろ、これ)
初めて見る物に、私は眉根を寄せる。
「何ですか、これ?」
[あー。これはねー、聖石だよ]
私の周囲を飛んでいた風の精霊のひとり──ベラがそういうのが聞こえた。
「聖石?」
聖石って何?
無意識にその聞き慣れない単語を口に出すと、イラリオさんは少し驚いたように目を瞠る。
「よくこれが聖石だってわかったな。まだ何も話していないのに」
「え?」
しまった。精霊の言葉は普通の人には聞こえない。
「なんとなくそんな気がして。あははっ」
慌ててその場を誤魔化す。
「大当たりだ。その様子なら、説明するまでもないかな。俺がここまで来た用事はこれ。アリシアにこれに触れてほしいんだ」
イラリオさんは片手に持ったその石を私に見せるようにさらに差し出すと、先ほどと同じ言葉を繰り返す。
(説明する必要は大ありよ。聖石って何?)
けれど、目の前のイラリオさんの様子から、まずはこの石に触らないと話が始まらなさそうだと悟る。
(石に触る位なら、何の問題もないか)
そう思って言われるがままにその石に触れた瞬間、石が七色の光を発した。石に刻まれた花の刻印が浮かび上がり、空中で大輪を咲かせたように煌めく。
「えっ、何これ」
驚いた私はぱっと手を引っ込める。
(触っただけでこんなことが起きるなんて、これは魔法?)
わけがわからずにどういうことかとそのイラリオさんを見ると、彼も驚いたように目を見開いている。
(なんでこの人まで驚いているの? こうなることを予想して触らせたわけじゃないの?)
わけがわからない。
呆然としていると、イラリオさんはなぜか床に片膝をついて跪いた。自然な所作で唖然とする私の片手を取る。
「ひゃっ」
慣れないことに驚いて変な声が出る。慌てて手を引こうとしたが、それは叶わなかった。イラリオさんがしっかりと私の手を握っていたから。
「あなたのことをずっと捜していた」
「はい? 捜していた?」
まっすぐにこちらを見つめる真摯な眼差しにときめき……ではなく、嫌な予感がした。
「あなたは世界を救う次期聖女候補だ。聖女光臨の儀に参加するため、俺と一緒に、王宮の聖協会に行ってほしい」
「へ?」
今、なんて言ったの?
聖女候補?
──聖女光臨の儀。
自分とは最も遠いところであろうと思っていた単語が、脳裏を過る。
(まさか、冗談だよね?)
そんなこと、あるわけがない。
だって、私はただのしがない薬師だ。薬の効き目が抜群にいいことがちょっとした自慢だけれど、それ以外は何ひとつ目立つことのない平凡な人間なのだ。
「あなたは、聖女候補だ。俺と一緒に来てほしい」
どうか聞き間違いであってほしいと願う私の祈りも虚しく、イラリオさんは整った顔に笑みを浮かべて先ほどと同じ台詞を繰り返す。
(この人、自分がかっこいいって知っていてこの表情作っているよね!?)
そう疑ってしまうほどの完璧スマイル。
当然、私に断る権利などなかったのだった。