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3 なんだか希望が湧いてきました

「お、お嬢様……! なんてことを……!!」


 わなわなと震えながら、麦わら色の髪をひとつにまとめた、背の高い少女は吠えた。


「信じられない、髪を切るなんて!」


 怒りをあらわにして、彼女――エールはアリアにずんずんと詰め寄ってくる。アリアはじりじりと後ずさりながら、例のハサミだけは隠そうと試みた。けれど、そんなごまかしが通用するはずもなく、アリアはぐいっと腕をつかまれる。ごとりと絨毯に着地したハサミを見下ろし、エールの顔から一切の表情が抜け落ちた。




 エールはゆっくりとしゃがみ込み、震える指で無残な姿になった毛束を撫でた。


「そんな――魔法が」


「エール、聞いて」


「お嬢様!!!」


 どかん、とエールの頭が噴火したように見えた。顔を真っ赤にして、エールは絶望と怒りに声を震わせている。


「どうして、どうして、持続魔法もかけられていないこんな鉄の塊で髪を切ろうだなんて考え付いたのですか! お嬢様は、もう一生魔法が使えないのですよ! それをわかってのことですか⁉」




 アリアは返す言葉もなく黙り込んだ。なんとか言い訳の言葉を探そうと目を泳がせる。アリアに勝ち目がないのはわかっている。エールは、アリアから五歳離れているメイドで、アリアが幼いころから伯爵家に仕えてきた。まるで姉妹のように育ったせいか、エールはアリアに対する遠慮を知らない。




(エールに口げんかで勝ったことなんて一回もないし――)


 髪を切ったことは後悔していない。それをどうやってエールに伝えるか。


「ものには限度というものがあります! 後悔しても戻らないんです! 髪を切るなんて……、正気の沙汰ではありませんよ!」


「エール! 聞いて!」


 アリアはまくしたてるエールの言葉にかぶせるようにして、大声を張り上げた。


「髪を切ったこと、後悔してないの。なんていうか、これにはちゃんと理由があって」


 あまりの気まずさにエールからそらしていた目を戻すと、アリアは驚いて言葉を飲み込んだ。


「エール……」


 エールは泣いていた。切れ長の琥珀の瞳から、大粒の雫がぽろぽろと零れ落ちていた。顎を伝い、エプロンにしみを作っていくのを気にもせず、涙をぬぐおうともせず、エールは泣いていた。


「お嬢様。それほどまでに、ご自身の運命を覚悟なさっているのですか。抵抗することもせず、突然ギルバート・シュリンゲン様に嫁がれるなんて……」


 エールは口を閉じ、言葉を探しているようだった。アリアはかすかな微笑を唇に浮かべ、エールの飲み込んだ言葉をつぶやいた。


「そんなの、私らしくない?」




 エールはしばらくためらったのち、ゆっくりと頷いた。


「お嬢様が嫁がれると聞いて、驚きました。使用人たちがしきりに噂していたのです。


 代理婚姻だとか、大公様の差し金だとか、それにお相手はシュリンゲン家だとか。居ても立っても居られなくなってここまで走ってきたのです。そうしたら、お嬢様の髪が」


「心配かけてごめんね、エール」


 アリアは大きく両腕を広げ、ぎゅっとエールを抱きしめた。背の高いエールの首に両腕を回し、アリアはゆっくりと言う。


「抵抗しないわけじゃないわ。私、ちゃんと抵抗してる」


「え……」


「そうよ! だから髪を切ったんじゃない。私に子供を産ませようとか、支度金目当てとか、そんなのはどうでもいいの。でも、魔法だけは我慢できない」




 アリアはエールから身体を離し、力を込めて言い放つ。


「この魔法は、父上の父上の頃からバレンスタインの血に流れてきたものでしょ? その魔法を、向こうに利用されるようなことだけは嫌なの」


 魔法はとても神聖なものだ。それぞれの家に先祖代々伝わる魔力は冒しがたく、汚されるようなことがあってはならない。


 大公や、青の軍神ことギルバート・シュリンゲンに、アリアの魔力が利用される。他の血筋の者に己の魔法に触れさせる。普通の婚姻なら許されることだが、アリアは借金の返済という名目で売られるのだ。一族の恥ともいえるこの婚姻で、そんなことが許されるわけはない。


「バレンスタインの誇りと名誉にかけて、私は魔法を守りたい。だから捨てたの」


「お嬢様、苛烈すぎはしませんか?」


「そう?」




 エールはためらいがちに手を伸ばし、アリアの髪に触れた。


「よろしければ、私がきちんと整えさせていただきたいのですが。お嬢様を、古ぼけた絨毯みたいな頭で嫁がせるわけにはまいりませんから」


「失礼ね?」


 アリアは思わず吹き出してしまう。アリアを椅子に座らせ、エールはハサミを取り上げた。


「私も、私の誇りと名誉にかけて、お嬢様をお守りします」


 ふいにエールがつぶやいたその言葉に、目の奥が熱くなる。


「……うん。ありがとう、エール」


 ちょきちょきと規則正しく動くハサミ。きちんと切りそろえられていく髪を見ているうちに、暖かな希望が沸き上がってきた。強く信じることが出来る。私は一人じゃないのだ、と。

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