朱に飢える。
○前提知識
魔術
現代に伝わる奇蹟。火を起こすとか、地面を隆起させるとか。基本五属性(火、水、氷、雷、龍)が存在する。
魔術師
魔術を扱う人たちの総称。派閥があったり、暗部があったりする。
教会
伝承(天使や悪魔、妖怪)を討伐或いは捕縛する機関。
世界規模で支部が作られている。
衝動被爆者
人間が孕む陥穽。定期的に訪れる『理性の決壊』。その制御ができなくなって、暴走した人間をこう呼ぶ。
「きゃあああああああ!!」
その惨劇は、金髪の傾いた女子高生の悲鳴から始まった。窓が返り血で染まった教室。舞台を廻すのは一人の少年。右手にはカッター。光を跳ね返すほどの銀色も、いまや紅色に染まりきっている。少年に罪悪感はなかった。むしろ、『やってやった』という達成感。嫌いなやつを殺せた快楽に、現在進行形で身を預けている。
きっかけは小さないたずら。クラスメイトは、いつもの朝にひとつ違和感につくった。机への落書き。『死ね』とか『学校くんな』とか『消えろ』とか、いつも通りにいつも浴びせている罵詈雑言を書いただけ。なのに、今日は彼のスイッチを入れてしまった。机の落書きをみた少年は、カバンを下ろして、おもむろに筆箱を取り出して、そこからナイフを取り出した。
そして、いじめグループの主犯格の首をザクリ———と、風船に穴をあけるように、垂直に突き刺した。それを目撃した金髪の女子生徒が悲鳴を上げる。だが———それが少年の耳に障った。少年は勢いよくカッターを引き抜くと、猫のように軽々しく飛んで、女の右眼を左手で潰す。
「ぎゃああああああああ!!!」
悲鳴と同時、朝の穏やかな日常を送っていたクラスメイトは、自己防衛のために一斉に教室の外へと逃げる。少年は一瞬、そちらに意識を向けたものの———すぐに目の前の快楽に浸かり始める。
どのようにいたぶろうか。
どのように殺そうか。
簡単に死なれてしまっては面白くない。
普通に死なれてしまってはつまらない。
女の鳴き声が癪に触るが、どのように止めようか。
少年は醜悪に顔を歪めて、カッターを女子生徒の腹へとゆっくりと刺していく。
「いや、いや……いや………!」
女の拒絶が、少年の愉悦を唆る。
「ガッ———!?」
つい、興奮しすぎて勢いよく突き刺してしまった。
少年は後悔する。もう少しいたぶりたかった玩具なのに、こんなにすぐに壊してしまったことに。だが、『まあいいや』とすぐに次のおもちゃを探そうと、意識を別のものに向ける。
誰を殺そうか。
知らないやつをいたぶってもつまらない。
いじめてきたやつを殺すのも、今はいい。
興奮した頭脳で考える。結論はすぐに出た。
その結論に大きく顔を歪める。ニヤッと———卑しい獣の様相を、少年は浮かべる。
「ダチを殺すのも楽しいかもナァ……ヒヒ、ハハハ!!
お前は簡単に死んでくれるなよ、なあ、■■■!!」
こうして、突然発生した殺人鬼は侵攻を始める。
もはや、ここは進学校と謳われた場所ではない。個人の復讐の達成のために汚される舞台。少年はカッターを握りしめたまま、教室に二人の死体を残してその場を去る。
●
殺人鬼の標的となった少年は逃げていた。つい先月整備された廊下を、グラウンドに出たかのような勢いで走る。
「ハァ……ハァ……」
標的となった少年は『殺人鬼』の友人だ。小学生からの付き合い。互いの好物や嫌いなモノ……家庭の事情だって打ち明けあった仲だ。それでも、そんな二人にも解決できない問題があった。
———いじめ。どんなきっかけで彼が標的になったかはわからない。けど、少年が少し真面目で、きちんと掃除しない生徒たちを咎めたのがきっかけだったのか。理由は、こうなった今でもはっきりしない。
「クソ……! クソ……!」
精神を罪悪感が蝕む。標的だって、彼を見捨てたわけじゃない。怖かったのだ。少し自衛に走ってしまっただけ。自分を守る意識だって、人間誰だって持つ本能だ。自分が標的にされるのが怖かった。自分を守ることばかり考えて———標的にされた少年が抱くのは、後悔。だが、その後悔を嘲笑うように———殺戮者は、少年の向かう先……踊り場の天井を突き破って、標的の目の前に現れた。
「みぃぃぃいいいいつけたあああああああ!!」
天井を突き破る衝撃音。その爆音に、殺戮者の笑い声が混ざる。———殺人の余韻に浸っているのか、少年の表情を恍惚としている。変わり果てた友人の姿に、標的は唇を噛む。だが、逃げることはない。爆音が響いた時点で、反射的にバックステップで距離を取っていた。殺戮者は、標的の距離を埋めるべく、カッターを強く握りしめて、歩み始める。
「……なあ、もうこんなのやめないか!? こんなのお前のためにならないぞ!!」
標的は叫ぶ。せめて、殺戮者の過ちは正そうと。彼らは今までもそうだった。どちらが本当に悩んでいるとき、いつだって助言を与えて、支え合ってきた。故に、今回は贖罪として。
手を差し伸べられなかった……そのせめての罪滅ぼしとして、殺戮者を止めなければいけない。その責任があると、標的は考えた。
「やめる……? あり得ねえあり得ねえ! だってこんなに楽しいんだぞ!! 人を殺すのがこんなに楽しくて、面白いことだとは思わなかった! こんなことなら、もっと早くに解放していればよかった!!」
———だが、もはや友人は暴走する殺戮者へと変わっていた。もはや、その静止も暴走者の耳には届いていない。
この時点で、少年……もとい標的は、彼への対処の方針を変える。すなわち———
「……そこまで衝動に冒されたのかよ、裕太……!」
少年は、上着の下に隠していた双剣を抜き、構える。
裕太、と呼ばれた殺戮者は、少年の臨戦態勢に嬉々とした表情を浮かべる。まるで、殺し合えるのを待っていたかのように。
「……そういえばぁ、お前は教会に生きる人間だったなあ! そうかそうか、だから得物を持っていてもなんら不可思議はない! お前は、俺を楽しませてくれるのか? 和樹?」
———教会。現代において、『異端狩り』を目的として結成された、世界規模の組織。異端というのは、天使や悪魔、邪霊や妖怪、吸血鬼などが含まれる。そして今回の事例である衝動被爆者も、異端のうちに含まれる。
和樹、と呼ばれた少年もまた教会の人間である。裕太にも、それは打ち明けていた。
……衝動被爆者。教会の間では、『暴走する者』とも呼ばれている。その異名の通り、誤った衝動の解放をしてしまい、一種の暴走状態にある人間のことをこう呼ぶ。
現在の裕太もその状態にある。原因は言うまでもなく、いじめに対する怒り……いや、嫌悪感か。憎悪や悲哀が蓄積していった結果、心の堤防は決壊し、暴走した。
「———ああ、楽しませてやる。だから、正気に戻れよ、裕太———!!」
身に纏う雰囲気をガラリと変えて、和樹は鎮静対象へと走り出す。16年仲良くしてきた中で、一番異質な雰囲気に、裕太は一瞬戸惑いをみせる。
(———そんな顔、するのかよ)
そこに在るのは、裕太の友人としての和樹ではなく。
異端を狩る冷徹な獣。教会の人間としての和樹だった。
だが殺戮者は尻込みしない。『暴走』による冷静さの欠如がその判断を招いたのか———
「貰った!」
和樹はすでに必殺の間合いに入っていた。右方から銀閃が突き出される。無論、防御行動を取らなければ死ぬということを裕太を理解している。———故に。
「遅い。遅いぞ、和樹ぃいいいいいい!!」
裕太は防御する。和樹の斬撃は、裕太に傷をつけるには至らなかった。殺戮者を銀閃から護ったのは、血。死体の血を利用して、『流れ』を作り、剣の軌道を曲げたのだ。
「……!? もう、覚醒してるのか!?」
「昔言ってたよなあ、和樹! 『衝動被爆者は異能に目覚める』って!オレも最初はその自覚がなかったが、試してみたらこんなことができてよぉ———これなら、オレを見放したてめえも殺せるって思ったんだ!」
「見放し———」
和樹が銀閃に続き放とうとしていた赫閃が、その勢いを弱める。一瞬の動揺。一瞬の気の動転。だが、この戦闘において、それは命取りだ。
「動揺したなぁ、和樹!」
「———!?」
次いで、和樹の全身に奔る衝撃。顔を上げれば、どういうわけか殺戮者との距離が開いている。
(吹き飛ばされた……!?)
そのまま和樹は廊下の一番奥の壁に叩きつけられる。その衝撃は凄まじく、校舎の壁にヒビが入っていく。激痛を堪えながら立ちあがろうとする和樹に追い討ちをかけるべく、裕太が『流れ』を生み出して、カッターを射出する。
「死ね! オレを見放した罰だ!」
致命の一撃が空を躍動する。裕太は勝ちを確信していた。事実、先の攻撃の衝撃で武器を手放した和樹は、己を防衛する手段を持っていない。それに加えて、元々彼は『学生』として振る舞っていた。あの双剣も、最低限度の自衛手段として持ち合わせていただけだろう。それ故に、裕太もまた武器を手放した。これで決着がつく———と確信を持って。
……そして、和樹にとって、武器を手放したことは致命的だった。己を守る手段がない。抵抗する余裕を作ることができない。大方、裕太の考えは的中している。以て、和樹は裕太の一撃を受けるしかない.
……彼が、教会に属する普通の人間ならば、の話ではあるが。
●
「……は、はあ?」
校舎に佇む一人の殺戮者———火陽谷裕太の顔色が変わったのは、致命の一撃を放ってからそう早くはなかった。顔色が変わる理由は多岐にわたる。病気だったり、驚くようなことがあったり。今彼が顔を青ざめている理由は、後者の理由だ。
「なんでだ……! なんで、死んでいない!!」
焦燥と動揺。殺さなければ、という強迫感が裕太に『攻撃』という選択をとらせる。血の『流れ』は硬質化……『固める』ことで武器にも転用できる。和樹へ放たれる十の赫槍。
「———削除」
だが、その全ては少年の一言で霧散する。
その光景に———裕太は圧倒的な実力差の提示に怯む。
「魔術師を舐めたのが最初の敗因だよ。……いや、裕太には、伝えていなかったっけ。基本原則だよ」
「…………ッ!」
魔術師。この世ならざる奇蹟……『魔術』を扱う人間たち。裕太も小耳には挟んでいた。『魔力を扱う』という、特異なコミュニティがあると。
和樹は胸に刺さったカッターを引き抜いて、抑制すべき敵を睨む。
裕太の驚きの原因はここにあった。
あの致命の一撃は和樹に命中した。それはもう、当たっていないと弁明がしようがないほどに。だが、それでも和樹は立ち上がった。どのような不条理……妙技を使ったかはわからない。心臓は確かに貫いた。なのに動いている。衝動被爆で鋭利化した感覚が告げている———和樹の心臓は、まだ動いている!
「擬似心臓だよ。それは本物の心臓じゃない。まあ、裕太が勘違いしたのは、これの認識阻害のせいだけど」
そんなことを呟いて、和樹は落としていた双剣の……片方を拾う。
そして引き抜いたカッターを、裕太の方へと投げる。
「……武器一本で決着をつけよう。目、覚まさせてやる」
和樹の口調には、凄まじい決意が感じられる。———自分には裕太を助けられなかった。だから、これはせめてもの罪滅ぼし。目を背け続けた自分との訣別。……故に、和樹は裕太に対する殺意を抱いていない。それを、裕太も感じ取っていたが———
「……ああいいぜ怪物。オレの復讐はてめえを殺して完遂だ。裏切り者が———絶対に、殺してやる」
なおも戦闘することを選んだ。ここで大人しくカッターを捨てることは、裕太のプライドが許さなかった。
互いが再び睨み合う。
そして———
刃をぶつけ合う。
どちらが倒れることでしか決着がつかない、二人の決戦の幕が上がった。
美しい戦士たちの舞踏。ぶつかり合う刃の金属音。裕太のカッターと和樹の剣が織りなす作品は目を見張るものだ。
互いに刃を受けながら、痛みを堪え、なおも得物を振り続ける。
「てめえは、なんでオレを助けてくれなかった!? あんなに仲良くしてたのに……なんで、なんでだ!」
殺戮者が叫ぶ。より一層力を込めて、刃を振り落とす。
「いじめられるのが怖かったんだよ! 情けないことにな! 友達のことよりも、自分を守ることを考えてしまってた!」
その慟哭に、和樹は刃を受け流しながら答える。
「はあ!? オレのことは、どうでも良かったのかよ! この……裏切り者がァ!!」
両者はバックステップで距離を取ると、またすぐに懐へと飛び込む。そして、両者が互いの凶刃を防ぐように組み合う。
「……ああ! オレは弱虫さ! お前の裏切り者だよ裕太!
とんでもなくずるいやつだよ、本当に!」
「なッ———それで懺悔のつもりか!? 悔いるってなら、黙ってオレに殺されとけよ……!」
「いいや、裕太を正気に戻すまでは、死ねないッ!!」
「オレはとっくに正気だ——もうこの茶番も終わりにしてやる!」
そう言って、裕太は慣れた動作で和樹の斬撃を弾く。今までで一番強い力で。それが意外だったのか、和樹の虚をついた。裕太は最短最速で、心臓を目掛けた突きを放つ。だが、和樹は瞬時に腕を戻す。防御は間に合い、裕太のカッターは和樹に傷をつけることはない。
そして、裕太の攻撃のターンが終わる。
そうなれば、待っているのは和樹の反撃なわけで。
「———あ」
和樹は容赦なく刃を振り下ろす。
先ほどの一撃は裕太の全力を込めた一撃だ。それ故に余力が残っていない。殺戮者には、和樹の一撃を受ける選択肢しか残っていない。
「止めだ」
和樹はそう言って、トドメの一撃を振り下ろした。
●
真昼の決戦は幕を閉じた。勝者は谷村和樹。
敗者……『衝動被爆者』の裕太は、電池が切れたように、無気力に床に大の字で仰向けに倒れている。和樹の最後の一撃は効いた。それこそ、衝動を忘れて、機能を停止するほどに。
「殺さないのか……? 被爆者を殺すのは、教会の、掟じゃなかったか……?」
今にも消えそうな声で、裕太が問いかける。そこにもう、あの悍ましい殺人機の姿はない。裕太はここまで来て、初めて己の罪を自覚した。衝動的……突発的とはいえ、無差別に行った大量殺人。後者の破壊活動。はっきり言って禁錮処分ものだが……。
「ああ、殺さない。言っただろ、裕太を助けるって」
和樹は悲しげな目をして、そう言った。その厚意を——遅すぎると、心の中で毒つきながら、裕太は微笑んで受け取る。
「……これからオレはどうなる」
「教会の治療を受けて貰うことになる。衝動被爆の切除と、衝動被爆抑制措置。……まあ、あとはしばらく教会で働いてもらう」
「……そうかよ」
……こうして、二人の戦いに幕は降りた。
とある学校の真昼の悲劇。その惨劇の末路は、このように。
駆け足だったかなあ。とりあえずは『和樹が裕太を生かして、教会に保護してもらって終わり』だったので。




